他人事のような話

 ゆっくりと空を進む船。

 その窓から見下ろす景色は、一言で言えば廃墟だった。

 数十年前に放棄された建物たちは、経年劣化と度重なる地震によってその多くが破損し、あるいは崩れ去り、かつてのきらびやかな街並みは見る影もない。

 時々顔を出すカラフルな道路だったものの一部が、侘しさをより一層色濃くしているようだった。


「こうして直接目にすると、やはり時間の流れというものを感じてしまうねえ」


 眼下の景色を見つめていたマリィ博士は顔を上げ、向かいに座る男に話しかけた。

 飛行機というよりも飛行船と呼ぶのがふさわしいこの船は、反重力装置を使っているため飛行中の騒音がほとんどない。博士の穏やかな声色は男の耳に何の障害もなく届いたはずだったが、男は窓の外に視線を落としたまま動かなかった。


 男の名はクラモチフタマ。コアを信仰対象とする宗教団体ストー・ハーカの代表であり、実験都市に対し再三に渡って抗議文を送りつけてきている張本人だ。

 長い髪と胸元まで伸びた髭によって隠されているその顔をよく見れば、おや、と思うほど年齢が若いことが分かる。しかしその表情は疲れ切った老人のそれを彷彿させるもので、血色が悪く、頬はけ、目の下は落ち窪んでいる。

 宗教者としてはある意味ふさわしい見た目とも思えるが、彼があえてその外見を装っている訳ではないということを、マリィ博士もその隣に座るユカリもひと目で見抜いていた。


「……一対一で話し合いたい、と書いたはずだったが」


 窓の外を見つめたまま開いた口から、少しかすれた高い声が漏れた。そのささやくような小さな声も、静かな船内では聞き取るのに支障はない。


「私のことなら、マリィ博士と一心同体だから実質一人みたいなものよ。気にしないで頂戴」


 ユカリのあんまりな発言に、クラモチはちらりと目だけをユカリに向けて、片頬をひきつるように歪ませた。どうやらそれは彼なりの笑みのようだった。


「まあ、いい。そもそも僕が注文をつけられるような立場でもなし」


 そう言ってクラモチは姿勢を正すと、まっすぐにマリィ博士とユカリを見た。

 ゆったりとした貫頭衣のような黄土色の服に包まれたその姿は、なるほどこうして見れば威厳ある宗教指導者そのものだ。

 しかしそれは自然と身についたものというよりも、そうであるべき姿を演じ続けた末に得た、言わば努力の賜物のように見えた。


「……役者ね」


 ぽつりと呟かれたユカリの一言が思いの外鋭く突き刺さったのか、クラモチは一瞬眉根を寄せて彼女に視線を向けたが、発言した当の本人は退屈そうに窓の外を眺めたまま取り合おうとしない。

 そんなユカリをしばらく見ていたクラモチは、ふっと表情を緩め、肩の力を抜いたように雰囲気を変えた。


「いや、そうだね。ここには信者たちもいないし……代表の顔をする必要もないか」


 それは年相応の若者らしい、さっぱりとした声だった。


「そちらの方が好ましいと思うよ、個人的には」

「ありがとう」


 マリィ博士が言うと、クラモチは気楽な様子で礼を述べる。

 恐らくこれが生来彼が持っている気質なのだろう。


「……それにしてもひどい有様だ。そう思わないか?」


 クラモチは再び窓の外に目を向けて言った。

 廃墟はどこまでも続いているように見える。植物の類は草の一本すら見当たらず、時々地面がむき出しになっている場所は白っぽく乾燥した爬虫類の鱗のようだ。


「私たちは元がどうだったのか知らないからねえ。先日の大地震でかなり崩れたんだろうなとは思うけど」


 マリィ博士も同じく窓の外を見下ろしながら答える。

 実験都市からある程度の距離まではドローンを飛ばしてデータを収集しているが、さすがにこの辺りは範囲外だったので、博士の言葉に嘘はない。


「ああ。あの地震が起きる前はもっとマシだった。街の形が残っていた。明日道路を歩くこともできなくなるなんて、きっと昨日の誰もが想像していなかった」


 クラモチはため息と一緒にそう言った。

 どこか詩的な言い回しは、妙に彼の見た目に似合っていた。


「確かに。メンテナンスされなくなって数十年経過したとは言え、近年の耐震構造であれば並大抵の地震では崩れることはなかっただろうね」

「油断していたんだな。きっと。今日と同じ明日が来ると思っていたんだ。世界は終わるというのに」


 ふっ、と短く息を吐いて髭を揺らす。

 クラモチの目は瓦礫を見つめていたが、その心は遠くへ行っているようだった。


「……あそこだ。あの横倒しになった建物の下……あそこに僕たちの仲間が生き埋めになっているらしい」


 彼が細い指で示した先には、ドミノを横に崩したかのような瓦礫の山があった。

 そこそこ大きな建物だったのだろうそれはオレンジ色の外壁を周囲にばら撒いて、腐って溶けた巨人が横たわっているようにも見える。


「らしい、とは。他人事のようだねえ」

「まあ実際、他人事のようなものなのかもしれない。ストー・ハーカも一枚岩ではなかったということだ……」

「なるほど、内部分裂のようなことがあったのかな」


 マリィ博士が水を向けると、クラモチは一呼吸置いてから話し始めた。


「まあね、よくある話さ。コアを”地球が生み出した奇跡をもたらすもの”と考えて一切の冒涜を許さない原理主義派と、そもそもコアは人々を癒やし救うために我々に授けられもので、道具的な扱いは十分許容されると考える……自由主義神学? という呼び方になるのかな? まあとにかくそんな彼らは対立し、ここ数年は住む場所さえ別々になっていたんだ」


 ほう、とマリィ博士は興味深そうな表情を浮かべた。

 ユカリもそっぽを向きながらも、しっかりと耳だけは傾けている。


「しかし僕は彼らの代表だ。僕がどちらかの派閥に付けば彼らは完全に分断される。だから僕は最初から中立の立場を表明していた。住む場所も、数日ごとにあの地下のアジトと、自由主義派が住む場所を行き来していたんだ」

「なるほど……それで君は生き埋めを免れたんだね。ちなみに自由主義派が住む場所というのはどこ?」

「実験都市の真下だよ。難民キャンプに合流させてもらっていた」

「それは合理的だ」


 生活物資の配給は、この辺りの地域では実験都市の真下にあるキャンプにまとめて届けられるのが通例となっていた。

 かつては地球に残っている人々の自宅へ個別に届けられていたのだが、環境の悪化とともに徐々に皆が実験都市の真下に集合するようになり、配給もそこに必要分をまとめて届けるという形に落ち着いたのだった。


「水と食料を定期的にキャンプまで取りに行っていたんだけど……そのうち、もうここに住めばいいんじゃないかって考える信者たちが増えてきてね。そんな彼らに共通していたのが自由主義神学的な思考だったというわけだ」

「ふむ、頭が柔らかい人と固い人で分かれたと」

「身も蓋もない言い方をすればその通りだな……」


 クラモチは片頬を歪ませて笑った。

 どこか自嘲的な、不器用な笑みだった。


「そしてこれまでの発言から察するに、君は原理主義ではないね」


 マリィ博士がそう指摘すると、クラモチはわざとらしくそっぽを向いて見せた。


「僕は中立だよ。ただまあ、正直なところを言ってしまえば心の中ではあなたの言う通りだけど……おっと、今更だけどこの飛行船、盗聴とか大丈夫だよね? 今の発言を信者たちに聞かれたらヤバいな」


 急におどけたような発言をするクラモチに、マリィ博士は思わず吹き出した。

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