コンタクト

 結局その日は、地上に派遣した災害救助班への細かい指示や支援物資の手配などで慌ただしく――しかし外から見る限りではただ目を閉じてじっと座っているだけだったが――過ごすうちに、アイたちの一日は終わってしまった。


 不幸中の幸いと言うべきか、地上で被災した人間たちの中で、死者の数は当初の予想よりもかなり少なかった。

 これは、過去数十年間に渡って頻繁に繰り返されてきた地震のせいでしっかりとした建築物が作れず、住人のほとんどが火星から送られてきた簡易テントで暮らしていたことが理由の一つだった。


 軽くて頑丈な骨組みととばりで構成されたテントは、衛星炉からの無線給電によって内部の温度や湿度のコントロール、更には生活音のカットまでもを高いレベルで行うことができ――火星連邦政府がエネルギー供給を制限しているのは実験都市のみであるため、地上の難民は普通に衛星炉から無線給電を行うことができる――数世紀前のキャンプなどで使われていた携帯式のそれとは比べ物にならないほどの快適性を実現していた。

 このテントは構造的に並大抵の地震では倒壊しない仕組みであったため、今回の大地震でも建物の下敷きになって死亡する人間の数が大幅に減っていたのだった。


 しかし、当然ながら大きな問題もいくつか起こっていた。

 そのうちの一つは、大気濾過装置の故障だった。

 マリィ博士の強い意向によって地上に住む人々へ貸与されていたこの装置は、マスクなしで呼吸することが命に関わる地上において、今や文字通り彼らの生命線となっていたのだが、この地震によって全5機のうち3機が故障するという緊急事態に陥ってしまっていた。

 アイ、ツバキ、ドリーの三名は「故障していない2機の周囲に住人を集めればいいのでは」と当然のように考えていたのだが、マリィ博士とマユによってその案は却下された。

 協議の結果、実験都市で保管されていた予備の大気濾過装置――数年後には古い物と順次交換していく予定だったまっさらな新品――を地上に運ぶこととなり、そのしわ寄せとして都市の運営計画を見直さなければならなくなったため、これには相当な手間と時間を要した。


 そしてもう一つの問題は、貯水タンクの破損だった。

 今の地球で手に入る水は、実験都市の上水道を流れる水を除けば、とてもではないが人間が口にできるものではなくなっていた。

 雨水や川を流れる水よりも、実験都市から出る生活排水の方がよほど清潔であると言われるくらいには酷い状況だった。

 そのため地上に住む人々は年に一度、火星からの星間貨物輸送船によって送られてくる木星衛星エウロパの水を分配することで日々を過ごしていた。

 火星で製造された、一年分の水を保存するための巨大なタンクは当然、かなり大きな地震にも耐えられる設計になっていたはずだったが、今回の地震はそのキャパシティを上回っていたらしい。


 水の不足は長期的に見れば致命的であり、短期的に見ても衛生状況の悪化を招くもので、パニックを誘発するという意味では最悪の場合、暴動によって多くの人々が死に瀕する可能性があった。

 この緊急事態を解決するため、実験都市はとある装置を1機、地上に運ぶことになった。これは本来であれば秘匿しておきたかったものであり、苦渋の決断だった。


 それは、水を生成する不思議な装置だった。

 現代の科学技術を持ってすれば、大気中の水分を凝縮して水を生成することくらい容易いことだったが、今回実験都市が提供した装置はそういうものとは根本的に違うものだった。

 具体的には、生成できる水の量と質が違った。


 空気から水を得る場合、その量は限られてくる。

 よほど大規模な装置でもない限り、数千人規模の人間が必要とする水を短期間に生成することは難しい。

 それに何より、酷く汚染された大気から作られた水は、生成過程でどうしても有害な物質が混入してしまう。様々な薬品を使って初めて飲める水となるため、その手間とコストに比べると、得られる水の量は悲しいまでに少なくなってしまうのだった。


 しかし、実験都市が提供した水を生成する装置は、それ単体で完結しているシンプルな作りでありながら、まるでかつての水道のように好きな時に好きなだけ、清潔な水を取り出すことができた。


「魔法だ」


 ある時、持参した容器になみなみと水を注がれた老人が呟いた。

 地面の下から水を吸い上げているわけではない。どこかにパイプがつながっているわけでもない。その装置はぽつんと孤立して、静かに佇んでいる。

 一体どこから、どうやってこの水は生まれるのか。

 装置を運んできたヒューマノイドたちは、彼らの質問に対して何も答えなかった。

 分からないということ、理解できないということは、そこに畏れと神秘を見出す余地となる。

 かつて栄えた科学文明から離れて久しい彼らはその日、その装置を作り出した実験都市を……はるか高みに浮かぶその大きな島を、これまでとは全く違う目で見つめることとなった。


         ◆


「支援活動は順調です。その後も何度か大きめの地震はありましたが、負傷者等はありませんでした。火星の一部メディアでは実験都市の迅速な対応を評価する報道があり、ネット上ではそれに賛同する声も少なくないようで……」


 数日後、アイたち三姉妹とマリィ博士、そしてユカリはいつものように会議室に集まっていた。

 予期せぬ地震のせいで慌ただしかった数日を乗り切り、ようやく様々な報告と情報のすり合わせを行う時間が取れたのだ。


 ちなみに彼女たちヒューマノイドの特性や携帯端末の性能を考えれば、別に直接顔を合わせずとも仕事の合間を利用して同じようなことはできる。むしろそちらの方が効率が良いとさえ言えるだろう。

 しかし他でもないマリィ博士直々のによって、このように直接対話をする機会を設けるよう彼女たちは生まれた時から習慣付けられていたのだった。

 これには、速成教育によってどうしても生じてしまう人工意識AC特有の不自然さをならして、より人間に近づけていく、という建前が一応あったが……実際はマリィ博士自身が直接子供たちの成長を見守りたいという私的な理由が大部分を占めていることを、当の子供たち三姉妹は知る由もなかった。


「……ただ実験都市では、地震よりも先日の爆発テロの方に関心が寄せられているようですね」

「まあ仕方ないね。身近な話題だし」


 マリィ博士はファッション用のメガネを指先でくるくる回しながら、アイの報告を楽しそうに聞いている。その隣ではユカリが無表情でお茶を飲んでいた。


反ヒューマノイド集団AHGのメンバーの中では今回の事件テロを肯定的に語る者は少ないものの、そもそもテロが起きた根本の理由はカナザワにあり、これ以上同様の事件を起こさないためにも今すぐヒューマノイドの製造を中止すべきだという意見が大多数を占めており……」

「ま、予想通りの反応だね」

「同時に、『ヒューマノイドの人権を守る会』……いわゆるヒューマノイド擁護派からも、今回のような事件が起きたのはカナザワがヒューマノイドに対して危険な仕事や汚れ役のような仕事ばかりを押し付けていたために人々の反感を買ったことが原因であり、早急にヒューマノイドに対して人間と同等の基本的人権を与えるべきだという意見が……」


 そこまでアイの報告を聞いたマリィ博士は、ふふっと笑い声を漏らした。


「なんだか面白いねえ。ヒューマノイド反対派も擁護派も、最終的な結論は「カナザワが悪い」になるとは……」


 ケラケラと笑うマリィ博士とは対象的に、隣のユカリの表情は見ていて背筋が寒くなるほど凍りついていた。


「……『人権を守る会』ね。こういう手合のやり口は昔から変わらないわね。その時々で都合の良い神輿を持ち上げて小銭を稼ごうっていう浅ましい連中、私が特に気に入らないタイプの人間だわ」

「まあ確かに、したり顔で的外れな意見を述べてますもんね」


 ふつふつと憤りを煮え立たせるようなユカリの静かな声にも特に臆することなく、アイは軽い調子で相槌を打つ。こういう時のユカリは別に本気で怒っている訳ではないということを、他でもないユカリ自身の手によって作られたアイは先刻承知しているのだった。


「わざわざ言われなくてもとっくにヒューマノイドは自分の好きな職業を選んで自由に暮らしているってこと、そいつらにこっそり教えてあげようかしら」

「マスター、その機密を知った者は可及的速やかに、かつ物理的に口を封じなければならなくなりますが……」

「いいわねそれ。素晴らしい解決法じゃない」

「まあまあユカリ、そんなどうでもいいことに一々反応してたらキリがないよ」

「それもそうですね」


 口の中の苦虫を容赦なく噛み殺さんといった気配を醸し出していたユカリは、マリィ博士の一言で一瞬にして憑き物が落ちたかのようにニュートラルな表情に戻った。

 それはまるで今までの怒りは全て演技だったかのようで、ここに第三者がいれば思わず二度見してしまうような豹変ぶりだったが――あいにくここには彼女のそんな様子に慣れきった面々しかいなかったので、特に誰も気にすることはなかった。


「それと……マリィ博士に直接面談の申し入れが一件、来ているんですが……」

「ん? そういうのは全部お断りするように言ってなかったっけ?」


 カナザワのトップと直接会って話したいという人間は少なくない。

 それは取材目的だったり、興味本位だったり、嘆願請願、あるいは何かしらに利用してやろうという悪巧みだったり……それこそ多種多様な理由が存在していたが、それら全てに対応するのは現実的ではなかった。

 そのためマリィ博士は最初からそういった申し入れは全て断るようにとアイに指示していたはずだったのだが、それを承知した上でアイは困ったように面談申し入れの件を口にしたのだった。


「それがですね、申し入れをしてきた相手が……ちょっと」

「なるほど、無視できない相手だと?」

「はい。いえ、恐らく」


 柄にもなくもじもじするアイを不審に思ったのか、そこでユカリが声をかけた。


「アイ、そうやってもったいぶるのは時間の無駄よ。要点だけを簡潔に博士にお伝えしなさい」

「……失礼しました。マスター、マリィ博士」


 かしこまって頭を下げたアイは、ゆっくりと顔を上げると今度は迷いなく口を開いた。


「相手はクラモチフタマ……宗教団体ストー・ハーカの代表です」

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