振動

 実験都市の人口統計資料はネット上に一般公開されており、それを知っている者であれば誰でも自由に閲覧することができる。

 そして、その資料を一つずつ過去にさかのぼって調べてみれば、数字が間違っているようなデータなど、どこにも存在しないことがわかるだろう。

 それも当然の話だ。

 この資料を作成するのは人間でもヒューマノイドでもない。純粋なAIによる自動生成なのだ。だからこそ、そこに単純なミスが起こる余地などない。


 だが、記録映像の中でJエイスは、タカハタ主任にその資料を提示してみせた。

 不明な4名が増えている、本来そこにあるはずのない人口統計資料を。


資料自体は、確かにデータとして存在はしていたか……」


 アイは苦々しい表情を隠そうともせずに歯噛みする。

 不明な4名が増えている資料がJエイスの捏造だったなら、という淡い望みを込めた問い合わせに対する情報部からの返答は、残念ながらそれは本当に存在するというものだった。


 数字を修正される前の、ある意味では正しい資料。

 Jエイスがタカハタ主任に話していた持論は、実のところほとんどが真実を言い当てていたのだった。

 この実験都市ではすでにかなりの数のヒューマノイドが、人間であるかのように振る舞いながら人間たちと同じように生活を送っている。

 そしてそれをカモフラージュするために、いかにもヒューマノイドらしいヒューマノイドたちが、自分はヒューマノイドであると顕示しながら街で過ごしているのだ。

 街の治安を維持するための部隊であるGSが、見た目も言動も無機質なロボットのように振る舞うよう訓練されているのも、ある意味ではそのカモフラージュの一環とも言えた。


 現代の技術をもってすれば、人間と見分けがつかないほど精巧なヒューマノイドを作ることは十分に可能だった。

 脈拍、体温、汗に涙。

 食事に関しては、食物を一時的に溜めておく空間を胸部に拡張することでどうにかやり過ごしていたが、その唯一と言っていいウィークポイントも今般の消化機能の実装によって解決する見通しが立っている。

 そうなればもう、人間とヒューマノイドの表面上の差異は、ほとんどなくなったと言っていいだろう。


 ヒューマノイドという存在をロボットに近いものであると人々に誤解させながら、その裏では着実にヒューマノイドの人間化を進めている。それが実験都市の真実の姿だった。

 そしてその事実を知る人間は片手で数えられる程度しかおらず、またヒューマノイドの中でもそれを知る者は限られていた。

 それ故に、日の目を見てはいけないはずの本物の人口統計資料が、よりにもよって反ヒューマノイド思想を持つ人間の手に渡っていたという事実は、非常に重い意味を持っているのだった。


「この資料がJエイスとタカハタ主任以外の誰かの目に触れた可能性は?」

「幸い、それはなさそうよ。Jエイスはネット上でも人付き合いが希薄で、これといった趣味も持っていなかったみたい。タカハタもデータ自体は受け取っていないし」


 Jエイスのパーソナルデータを調べていたドリーはアイにそう答えてから、ふっと意識を他所に向けるように視線を彷徨わせた。


「……タカハタ、自分の興味のないことは全然覚えていないみたい。今本人に聞いてみたけど、2年前にちらっと見ただけの資料のことなんてきれいさっぱり忘れているみたいだったわよ」


 今まさにタカハタとコンタクトを取っていたのだろうドリーの答えに、アイはほっと息を吐いた。


「個別の集団とも言えるAHGの特性と、研究一筋のタカハタ元主任の性格に救われたって感じかな……」


 とは言え、タカハタの方は追加で何か措置を講じるべきだろう、とアイは一人考えていた。

 ドリーが直接通信したのであれば、各種センサーを用いた分析をしているはずだ。彼が覚えていないというのは、まあ嘘ではないだろう。

 しかし記憶というものは後からある程度復元することもできる。そんなことをされる可能性は極めて低いが、それでも可能性は可能性だ。

 タカハタには、彼が本当に他の誰にも資料のことを話していないか記憶追跡調査を行い、レベル1の記憶処理を施すべきだろう……一瞬の間にアイはそう結論づけた。


「でもでもお、その資料って当然公開されていないものだしぃ、普通はそれを見つけることなんてできないよねえ」


 不意に、思いついたようにツバキが言う。


「ひょっとしてハッキングされたとかぁ?」

「まさか」


 この時代ではあまり聞くことがなくなったハッキングという単語を口にしたツバキに対して、ドリーはそんなことはあり得ないと首を振ってみせる。


「単なる設備員のJエイスにそんな技術があったとは思えないわ。ていうかそもそも情報部のセキュリティを人間が突破できるわけないじゃない」


 アイは二人の会話を聞きながら、ドリーの指摘はもっともだなと頷きつつ、念のため本日何度目かになる情報部への問い合わせを行った。

 回答は早かった。『過去から現在まで不正に侵入された形跡は一つもなし』


「僅かな痕跡も残さず情報を抜き取るなんて芸当は、私たちにだって不可能よ」

「じゃあ……Jエイスはどうやってあのデータを手に入れたんだろぉ?」


 ツバキの口から発せられた、根本的な問い。

 そこで三人は一斉に沈黙してしまった。

 普通に考えれば不可能である。しかし現実には、その不可能が起きたという結果だけが残されている。

 であれば、何らかの方法で不可能を可能にしたということだ。

 その方法とは……。


 三人は言葉を発さず、通信すらせずに、それぞれ互いに視線だけを交わし合った。

 恐らく思い至った結論はおおむね同じだろう。

 だが、三人ともそれを口に出すのははばかられた。それ故の沈黙だった。


「あんまり考えたくはないけどぉ……」


 なんとも言えない沈黙がしばらく続いた後、ついに耐えかねたツバキが口を開いたその瞬間。


 ドーン、と大地を揺るがすような音が鳴り響いた。

 ゴゴゴゴ、とまるで天から音の洪水が落ちてくるかのように、重低音が空気を揺らし続けている。


「何事!?」


 アイは急いでマユとマリィ博士の元に駆け寄りながら、実験都市の監視システムに最優先で入り込む。

 昨日あんな事件があった後だ、もしや大規模な爆発テロでも起きたのではないかと真っ先に疑ったのだが……どうやら都市のどこかから煙が上がっているというようなことは、今の所ないようだった。


「気象観測システムから速報が入ったわ。どうやら地上で大きな地震が今も継続中みたいね。危険度は……4」

「いったん話し合いは中断しましょう」


 ドリーから、地上で起きた地震の危険度を聞いたアイの決断は早かった。


 過去に類を見ないほど地震が頻発するようになった今日においては、かつて使われていた震度やマグニチュードといった表記は省略され、0~4で表される危険度のみが報じられるようになっていた。


 危険度0:揺れはあるが避難の必要なし。

 危険度1:揺れによる転倒の恐れあり。場合によっては避難を。

 危険度2:屋内で固定されていない家具が倒れる可能性あり。揺れが収まり次第、屋外に避難することが推奨される。

 危険度3:建物が倒壊する恐れあり。できるだけ速やかに避難する必要がある。

 危険度4:地形が大きく変化するほどの揺れ。津波や火山の噴火に注意。

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