成り立ち
カナザワグループが巨額の資金を投じて埼玉県の郊外に【実験都市カナザワ】を設立したのは、今から約40年前のこと。
コアを使った全く新しいシステムの研究と実験、そして今まで世界政府レベルで抑制されていた
年々深刻化する環境問題が、ついに火星への移住計画を現実のものへと変えた。
各国は連携してこの課題に取り組むようになり、実際に具体的な事業がスタートする頃には、人々の関心は全てこれらに向けられるようになっていた。
しかし、それでも少しずつではあったが、実験都市の人口は増加していった。
これは何らかの信念をもって地球に留まることを選んだ保守派や、地球と運命を共にしたいと願う心中派、あるいはありもしない陰謀論を信じる現実逃避志望者たちが身を寄せ合う組織などが、揃って実験都市へと集結したためだった。
なぜ彼らは示し合わせたように実験都市に集まっていったのか。
それは健康への被害が無視できないレベルにまで高まっていた大気汚染に対し、実験都市がコアを使った大規模空気清浄化システムをいち早く導入したことがきっかけだったと言われている。
約70平方キロメートルもの面積を持つ都市内の空気をまるごとを浄化するという規格外の事業をやってのけたことが宣伝材料となり、市民の増加を促したのだった。
地球はもう、人間が住めない星になる。
最初は誰もが鼻で笑っていたこの説は、時間を追うごとに真実味を増していった。
環境抑制システムは当初の期待通りの効果を発揮できず、各地で砂漠化が進み、それに伴う大気汚染や海洋汚染はじわじわと人類の糧を目減りさせていく。
特に深刻だったのは、突然世界中で始まった原因不明の栄養枯渇現象だった。
先週まで青々と茂っていた小麦畑が全て枯れてしまう。
大規模な屋内水耕栽培施設の野菜がピタリと成長しなくなる。
そんな悪夢のようなことが次々と起こった。
農作物を収穫できなくなれば、必然的に家畜用の飼料も不足する。
この時代でも人工合成食品などの製造は普通に行われていたが、自然食品への回帰という世界的なブームも手伝って、その流通量はさほど多くはなかった。
農業を
頻発する地震や台風、異常気象による直接的な被害は拡大する一方で、各国政府の対応は後手後手に回るばかり。
火星への脱出。
それは今や、地球人類が見据える唯一の希望、未来のビジョンとなっていた。
そんな情勢にあってなお、実験都市カナザワだけは、まるで別世界のような営みを送っていた。
マスクなしで呼吸しても害のない空気、大量の薬品で消毒することなく飲める水、そして栄養枯渇が起きない土壌を生み出す謎のシステム。
何より大きなインパクトをもたらしたのは、頻発する地震への対策として、なんと都市全体を反重力装置で浮かび上がらせるという、前代未聞のスケールを誇る事業を短期間のうちに実現してのけたことだった。
世界でも類を見ない規模の、空飛ぶ人工島の完成。それとほぼ同時期に、実験都市カナザワは日本からの独立を宣言した。
ACの基礎研究を終了し、国際法で禁止されている自我と意識を持ったロボット――ヒューマノイドの実働試験に入ると、全世界に向けて一方的に告げたのだった。
これには世界中から非難が殺到した。
基礎研究を始動すると発表した当時はそれほど注目されることはなかったにもかかわらず――無論それは、政財界に深く根付いたカナザワの働きかけによる部分が大きかったのだが――それが現実のものとして世に生み出されると知った途端に、人々はアレルギー的な反応をあらわにしたのだった。
この頃には既に地球上の人口の8割近くが火星、あるいは衛星都市への移住を完了していた。
地球外の生活に多少慣れ始めていた彼らが、カナザワの独立宣言及び自我を持つロボットの是非について議論する程度の理性を取り戻していたことも、シュプレヒコールを後押しした一因だったのだろう。
人工的に意識を作り出すことが倫理に反するのは明らかだ。だからこそ長年に渡り全世界で禁止されてきた。
にもかかわらず、自分勝手な理由で一個の生命を生み出すが如き行為は無責任と言わざるを得ない。そうやって作られた者への保障は? 彼らが持つべき権利はどうするのか?
地球の外側という安全圏から、人々は好き放題に非難の声を上げる。
人間と同等の
地球からの脱出という人類初の試みによって不安定になっていた大衆の、その多くが抱えていた漠然とした不安感を鋭く刺激するこれらの意見について、まるでSF映画だと鼻で笑える者は、もはや実験都市以外には存在しなくなっていた。
彼らの出した結論は以下のようなものだった。
実験都市カナザワに対する水、食料、及びエネルギー支援の停止。
その他あらゆる物資の提供、人やロボットの渡航を全面的に禁止。
ただし、実験都市に住む者の中で地球からの脱出を希望する者は、条件に合致する場合に限り、世界連邦政府によって指定された衛星都市への移住を認める。
この決定は、星間貨物輸送船から送られる人道的支援を頼りに生きている地球上の人間にとっては、死刑宣告と何ら変わらないものだった。
またこれによって心変わりし、実験都市から離れることを決意した者たちが送られる衛星都市とはすなわち、世界中の犯罪者が集められる監獄のような場所であることは明白だった。
母なる星を追われた人類は、まるで捨てられた子猫のように、身の回りのあらゆるものに対して過剰に怯えているようなふしがあった。
中には、カナザワに対して静止軌道上の衛星から攻撃を行い、実験施設を破壊するべきだ、などという過激な考えを公言する政治家すら存在していた。
そんな彼らが下したヒステリックとも言える決定に対して、しかし当のカナザワは超然とした態度を崩さなかった。
これまでと変わらぬ日常。
時に騒々しく、時に穏やかに、当たり前のように繰り返される日々。
食料も水もエネルギーすらも、何故かいつまで経っても尽きることはなく、空気はどこまでも清浄で淀むことはない。
実験都市の日常は何一つ変わらなかった。
地球に残ることを決意した人々の多くは、空に浮かぶ巨大な実験都市を見上げては、せめて自分もあの最後の楽園に入れないだろうかと呟く。
人口密度を厳格に規定するカナザワの意向によって、空に浮かぶ都市が新たな住人を迎え入れることはまれだったが、それでも年に数人はその楽園へと足を踏み入れることを許された。
いつしか実験都市が浮かぶ場所の周りには、どこからか集まった人々によって、いくつもの集落が作られていた。
いつ訪れるとも知らぬ順番待ち以外にも、実験都市の近くは他の土地よりいくらか空気の汚染が緩和されているという現実的な理由もあった。
この頃すでに地球は、ほとんど人が住むのに適さない星となっていた。
便宜上置かれていた地球における日本政府はとうの昔に形骸化しており、実質的な権力は全て実験都市のトップに集中していた。
治安維持のための警察機構もカナザワグループの私兵であるヒューマノイド部隊、通称”黄金の兵士”たちが担っていたため、治安が乱れがちな外縁部の近くに住む市民の中には、カナザワに反感を覚える者も少なからず存在していた。
そう、ヒューマノイドはすでに、実験都市の各地で人間との共生を始めていた。
人類に見捨てられた――いや、地球から逃げ去った人類と決別したこの都市では、これまでにない独自の進化を遂げた技術によって、最後の実験が粛々と行われているのだった。
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