心を持つものたち1

 マリィ博士とユカリが中央の研究所に戻ったのは、日が落ちて辺りがすっかり暗くなった頃だった。

 広大な自然に囲まれた敷地の中心にポツンと建つその建物は、周囲に比較する対象がなく、また高さもあまりないため遠目からでは大きさを把握しにくい。しかし実際の建築面積は約20,000㎡ほどもあり、部屋を細かく仕切る壁というものがほとんど存在せず、屋根は全て光の透過率を制御できる素材でできているため、屋外と変わらないような開放感がある。

 まるでスポーツジムか、あるいは大規模な工房のようにも見える研究室に二人が足を踏み入れると、それまで作業をしていたヒューマノイドたちが一斉に立ち上がり、二人のもとに駆け寄ってきた。


「おかえりなさい、マリィ博士」

「マスタァ、遅かったですねえ。博士はそんなに遠くまで行ってたんですかぁ?」


 二人を取り囲むヒューマノイドたちはある程度の距離を保っていたが、その中から皆を代表する二体がマリィ博士とユカリの前に進み出てきた。

 彼女たちは全員が女性型で、全員が姉妹だった。


「アイ、変わりはなかったかい?」

「ええ博士。博士が実験をすっぽかしたこと以上に大きなことは何も」


 長女のアイが効かないと分かっている皮肉を込めてマリィ博士に笑顔を向ける。

 他のヒューマノイドに比べて頭二つ分ほど小さな体は少女的な可愛らしさを感じさせるが、その態度は他の誰よりも堂々としていた。

 彼女は製作者のユカリと似ている部分があり、他の姉妹ほど過剰にマリィ博士に敬意を払おうとはしない。しかし、心の底ではマスターユカリと同じくらい博士のことを大切に思っている。


「姉さまぁ、報告は正確にしないとぉ」

「わかってる。後でちゃんとするから」

「ツバキが代わりにやろうかぁ?」

「後でするっつってんでしょこの子は」


 アイは背伸びをして次女のツバキの額をコツンと指で弾いた。

 いつもぼんやりとしているように見えるツバキは、一呼吸遅れてから自分の額を手で撫でて、軽く首を傾げている。

 彼女は元々は溌剌はつらつとした性格だったのだが、製作者であるマスターマユを模倣するかのように、どんどん脳天気な性格になっていったという変わり者だった。

 育成段階を終えた後に自らの意思で性格を矯正するという現象はヒューマノイドの中では珍しくはないが、彼女ほど極端な例はあまりない。


「あんたたち、さっさと戻りなさい。仕事の途中よ」


 博士とユカリを取り囲む人垣の外から、不機嫌そうな声が届いた。

 それを聞いた取り巻きの姉妹たちは「はーい、お姉さま」と声を揃えたかと思うと、蜘蛛の子を散らすように自分の持ち場に戻っていく。

 そうしてその場には、アイとツバキ、そして少し離れた場所に、先ほどの声と同じく不機嫌そうな顔をしたヒューマノイドだけが残っていた。


「ドリー、そんなに急かさなくたっていいじゃない」

「そうだよぉ。ドリーもお出迎えしたかったんでしょお?」

「確かに、ずっとソワソワしながら待ってたものね」

「恥ずかしがってタイミング逃したから拗ねてるんだよねぇ」


 アイとツバキの芝居めいたやり取りに、三女のドリーは思わず目を吊り上げる。

 その顔は感情を読み取った表層レイヤーによって、自らの意思とは無関係に赤く染まりつつあった。


「違うわよ! アホお姉さまたちも早く仕事に戻りなさいよ! まったく……!」


 ドリーが声を荒げても他の姉妹たちが驚くようなことはなく、むしろ微笑ましいものを見るかのようにその様子を窺っていた。

 アイ、ツバキ、ドリーの三姉妹はプロトタイプとして一番最初に作られた個体であるため、このようなやり取りはすっかり日常の一部に組み込まれているのだ。

 ドリーだけはそれを不本意に思っていたが……それでも彼女たちが本気で喧嘩をすることはめったになかった。


「まあまあ、ドリー」


 いつの間にか音もなく近づいていたマリィ博士がドリーの頭に手を乗せる。

 すると目覚まし時計を止めたかのように、ドリーは静かになった。


「今日はすまなかったね。どうしても外に出たい気分だったから……でも、まだ時間はあるし、これから予定の実験をしようと思うけど、どうかな?」

「……別に気にしてませんし。でも博士がどうしても今日中に実験したいっていうなら、私がついていかないといけないわね。今日の担当は私だもの」


 言葉とは裏腹に、テキパキと準備を始めるドリーの髪をマリィ博士がよしよしと撫でると、ドリーは一瞬嬉しそうな表情をしてから、ハッと我に返ったように澄ました顔を取り繕った。


「博士も早く準備してください。日付が変わっちゃうわ」

「はいはい」


 足早に地下の実験室へと向かうドリーの後ろ姿を追うように、マリィ博士とユカリはゆっくりと並んで歩いていく。

 恐らく、日付が変わるまでに実験が終わることはないだろう。

 夜の1時になればヒューマノイドたちは休息を取らなければならない決まりだから、続きは明日になる。

 それでも、時間にはまだ少しだけ余裕があった。ゆっくりやっていけばいい。


         ◆


 かつて人工意識A Cの研究は、発達した科学技術に比べて明らかに停滞していた。

 ユカリが調べたところによれば、かなり早い段階から世界レベルで各国政府がACの研究を強く規制し、ACを搭載したロボットを作ることを禁止する法律を制定していたらしい。


 一定水準以上の自我を発生させることを禁止する。

 だが、基礎研究を行うだけならば目を瞑る。


 そこには、『様々な方面から圧力がかかることになってもよければ』という暗黙の但し書きが付くことになるのだが。


 人の手によって自我を持つ機械を作り出すということは、一つの生命を生み出すのとほとんど同義だ。

 人間の都合で機械仕掛けの知的生命体を作ることの倫理的な問題、また人間より遥かに優れた演算能力を持つ隣人が現れることに対する懸念や不安感などが、規制を後押ししたようだった。


 しかし、ユカリはそれを愚かなことだと一笑に付し、倫理観や政治的な思惑の届かない場所で研究を進めることを決めた。

 それが実験都市を設立する大きな目的の一つだった。

 圧力に屈することなく細々とACの研究を続けていた優秀な者たちを実験都市に招き入れ、厳しいノルマと潤沢な資金を与え続けることによって、わずか10年足らずで人間と同レベルの意識を持つヒューマノイドは誕生したのだった。


 シンギュラリティと呼ぶべきものは、この時代ではすでにいくつか発生していた。反重力システムの実用化などはその最たる例と言えるだろう。

 しかしユカリが求めるものは、そんなものではなかった。

 ACとAIを融合させることで生まれるであろう、全く新しい切り口。人間以外の知的生命体による思考の多様性。

 あわよくばそれがマリィ博士の研究に役立つ日が来ることを、彼女は願っていた。


         ◆


 実験室へと向かうマリィ博士とユカリの隣に、やや小走りで追いついてきたアイがひょっこりと顔を出した。

 その少し後ろにはツバキもくっついてきていた。


「博士、マスター。簡単にですが今日の報告を」

「うん? データで渡してくれればいいけど?」

「私がお二人に口頭で報告したいだけなので気にしないで下さい。もちろんデータも一緒に送りますけど」

「……あなた、そういうところは素直ね」


 呆れたようなユカリの声を聞き流しつつ、アイは歩きながら報告を始めた。


「まず、博士とマスターが捕縛した二人組についてですが、調査の結果、過去のヒューマノイド行方不明事件に関わっている可能性が高いことが分かりました」

「まあ、そうだろうね」

「……え、知っていたんですか?」


 アイの報告を当然のように受け止めるマリィ博士の態度に、アイは少し驚いたような声で聞き返した。


「GSたちの調査で大体絞れていたからねえ。後は行動パターンをシミュレートして、勘で当たっていけばすぐに見つかるってワケ」

「また勝手にデータを覗いて……だから急に抜け出したんですか」


 やや非難のこもったユカリの声を意に介さず、マリィ博士は快活に笑う。


「うまくいったんだから、良かっただろ?」

「ま、それもそうですかね」


 すっかり慣れっこになってしまったユカリはすぐに非難めいた態度を引っ込めたが、アイはそんな二人を奇妙なものを見るような目で見つめていた。


「……GSが数年かかっても捕まえられなかった犯人を、そんな簡単に見つけられるのは異常だと思います」

「異常じゃないよ。だってGSの調査範囲は外縁部の手前、13区までだもの。その範囲で見つからないなら、外縁部に隠れていると当たりを付けるのは当然だよね」

「そうよ、アイ。犯人を捕まえられなかったのはあなたたちのせいじゃない。調査範囲を規定した博士のせいよ」

「ユカリちゃん……その通りではあるけど、ちょっと言い方がキツくなぁい?」

「その通りなんだから、その通りですよ」

「まあ……そうだね。被害が出続けたのも私のせいだ。反省する」

「はい、反省して下さいね。……とはいえ、現時点では外縁部にまでGSの巡回範囲を広げるのは無理があるというのも事実です。あんな掃き溜めは私たちに実害が出ない限りは今まで通り放っておいていいでしょう」


 アイは、息のぴったり合った二人のやり取りを、羨望の眼差しでぼんやりと見つめていることしかできなかった。

 マリィ博士は、自分たちヒューマノイドが持ち合わせていないものを持っている。

 枠を飛び越えて思考し、時に思考すらも飛び越えて行動する力だ。

 人間でありながら、ヒューマノイドでもある。その在り方は、この実験都市のヒューマノイドたち全ての目標でもある。

 そしてユカリは、底知れぬ冷徹さと深い愛情を併せ持っている。

 彼女の心の中心には常にマリィ博士だけが存在していて、それに連なる者としてヒューマノイドたちは庇護を受けているに過ぎない。この世で唯一、既存の法則に縛られぬ不可思議な肉体を持つ、恐ろしくも慈悲深い彼女を、まるで女神のように崇めるヒューマノイドも少なくはない。

 アイは改めて、そんな偉大な存在に最初に作ってもらえたという栄光を噛み締め、今もなお、二人の側で働かせてもらえていることの喜びをしみじみと実感していた。


「……アイ? 報告の続きは?」

「あっ、はい、すみません。次は……」


 ぼんやりとしていたアイはユカリから声をかけられて、ハッと我に返るのだった。

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