彼方

実験都市

 この実験都市の外縁、13区の果てと街の終端にそびえ立つ落下防止壁の間にある空間は、空気循環システムの範囲外となっている。そこに自然と出来上がった集落は、ほとんどスラム街と呼んで差し支えないような場所だった。

 当然そこにはGS(実験都市が所有する警察のような部隊)の巡回も監視の目も届かないため、すこぶる治安が悪い。


「おい、見ろよ」


 汚れた砂と石ころだらけの裏道で、一センチ四方のドラッグフィルムをちょうど舌に乗せたばかりの男が、隣に座る痩せた風体の男を小突いた。


「なんだよ……ん、ありゃあ中央の人間か? なんだってこんな場所に」

「バカ、熱を見てみろ。ヒューマノイドだぜあいつは」

「マジか……マジだな」


 二人の男はそれ以上言葉を交わさず、静かに立ち上がると二手に分かれた。

 わざわざこんな掃き溜めのような場所にヒューマノイドが単独で来ることは、普通ではまずあり得ないことだ。

 だが時々、ごく稀にだが、そういった物好きが現れる。それはほとんどの場合、人間が所有しているロボットではなく、それ個人が人権を有しているだ。

 中央に登録された市民を襲うのはリスクが高いが、それでも生身の人間よりも奪えるものは遥かに多い。

 人間を一人殺したところで、臓器の買い手がつくような時代でもない。せいぜいポケットの中を漁るくらいが関の山だ。

 だがヒューマノイドは違う。うまくバラせば全身余すところなく売り捌くことも不可能ではない。その代償として、中央のGSからしばらくの間身を隠すために、この辺りの集落から離れなければならなくなるが……それと引き換えにしても旨味の多い仕事だった。


「よお、あんた見かけない顔だな。迷子か? よかったら案内するぜ」


 痩せた男が声をかけると、ヒューマノイドはゆっくりと振り返った。

 肩までの長さの髪がさらりと舞う。

 その美しさは、胸の膨らみを見るまでもなく女性型だ。

 少し眠そうに見える目元を飾るファッション用のメガネは、それが裕福な者であることを如実に示している。七分丈のパンツにサンダル、カットソーと緩めのニットという組み合わせは、まるで朝の散歩に出てきたかのような気軽さだ。

 何より注目に値するのは、一年中晴れることのない空の下でなお、全身がほのかに発光しているかのような神秘的な雰囲気をまとっていることだった。


「いや別に、迷子ではないんだがね……」


 そのヒューマノイドの話す姿を見て、痩せた男の意識は一瞬フリーズした。

 これは何だ?

 振り向いて言葉を話すという、ただそれだけの所作の中に、ヒューマノイドには絶対に搭載され得ない不完全さがある。

 しかしその一方で、人間には出せない完璧に整った体が醸し出す圧力のようなものも確かに感じられる。

 男はもう一度熱感知システムで目の前の存在をスキャンし、それが確かにヒューマノイドであることを再確認した。


「でもまあ、案内してくれるというならお願いしようかな。この辺りは初めてだから……うん? どうしたんだい?」


 訝しむように尋ねられて、ようやく男は本来の目的を思い出した。


「い、いや。あんた随分ときれいだな。そのナリは中央から来たんだろ? なんだってこんな何もない場所に?」


 男の役割は足止めだ。

 もう一人の男が狙撃位置まで移動し、準備を完了するまでの時間稼ぎ。それに加えて、余裕があればターゲットにマーカーを付けて狙撃のサポートもする。

 相手が人間ならば、こんな回りくどいことをせずにさっさと囲んでしまえばいいのだが、ヒューマノイド相手となるとそうもいかない。

 高級なヒューマノイドほどセキュリティ面に力を入れていることが多く、生半可な方法では外部からのハッキングなどまず不可能だ。そして大抵の場合、彼らは物理的な攻撃にもすこぶる強い。鈍器で頭部を強打したり、スタンロッドで攻撃したりしてもほとんど効果はない。

 数の暴力に任せて大人数で捕縛しようとしても、各種センサーが周囲に潜む者を先に感知し、クラス2の護身武器で返り討ちにされるのが関の山だ。

 そのためヒューマノイドを狩る際の定石は、認識範囲外から特殊弾頭による一発の狙撃で決めることだった。


「褒めてくれてありがとう。まあ、ここに来たのは単なる興味本位でね。都市の外縁部の情報はなかなか中央に回ってこないから」

「そりゃそうだ。こんな掃き溜めの情報なんざクソほどの価値もねえ」


 男たちは、言わばこの道のプロだった。

 風体こそ地味で冴えないものの、それは逆に、スラムであればどこにでも溶け込めるということでもある。

 このやり方で行方不明にしてきた人間やヒューマノイドの数は二桁を超え、それでもなおGSに捕まることなく暮らせていることから、その能力の高さがうかがえる。

 だからこそ、男は内心、焦っていた。

 いつもならそろそろ相棒から準備完了の連絡が来るはずなのに、今日に限っては妙に遅い。しかも、何故かこちらからのメッセージにも応答がない。

 単に場所取りに手間取っているだけならいいのだが……妙な胸騒ぎがしていた。

 その大きな原因は、このターゲットの異質さだった。

 少し会話しただけでも、嫌というほどに思い知らされる。

 どう考えても人間なのだ。会話の自然さが、発声とリップシンクが、ちょっとした仕草や表情が、全てこいつは人間だと証言してやまない。

 だが、熱反応だけはそれを否定する。

 男は何度も端末の故障を疑ったが、自分や他の対象物が正しく計測できている時点で、その線はないと証明されてしまっていた。


「……こうしてお喋りに興じているのも悪くはないけど、そろそろこの辺りを案内してもらってもいいかな?」

「あ、ああ……そうだな」

「ん? 少し心拍数が上がっているね。何か気になることでも?」

「いや……あんた妙に人間っぽいから。どっちなんだろうって、気になっちまって」

「なんだ、そんなの見ての通りだよ」

「そうか……ハハ」


 遅すぎる。

 連絡がつかないということは、トラブルがあったと考えるしかない。


「ああ悪い、今知り合いからメッセージが……ちょっと行かねえと」

「おや、そうなのかい?」


 相棒の遅れは時間にすれば一分にも満たないものだったが、男は即座に撤退することを決めた。

 このあたりの割り切り、危険に対する嗅覚は流石に百戦錬磨といったところか。

 だが、それでも男の判断は、結果的に遅いと言わざるを得なかった。


「やっと追いつきましたよ。まったく、こんなところで何やってるんですか」


 突如割り込んできた女の声に男が振り返ると、そこには肉付きの良い人間の女性が立っていた。清潔な身なりからして、こちらもまた中央の人間だろう。


「ありゃ、もう見つかってしまったか」

「ありゃじゃないんですよ。出歩くのは構いませんけど、私に声をかけて下さい」

「だって外縁部に行きたいって言っても、駄目だって言うじゃないか」

「そりゃそうですよ。こんなゴミ溜めみたいなところ」


 気兼ねなく言葉を交わす二人は、どうやら知り合いのようだった。

 こうなってしまってはヒューマノイド狩りどころではない。

 不信感を持たれる前に離脱しようと、男はさり気なくその場から離れる。


「そこの人、ちょっと待ちなさい」


 呼び止められても男は振り返らなかったが、そのまま走り去ろうとした足を、次の言葉が縫い止めた。


「これ、あなたの知り合いの持ち物じゃない?」


 思わず振り返る。

 人間の女が手にしていたのは、狙撃銃のケースだった。

 相棒が近くの倉庫に隠している武器の一つだ。

 見覚えのあるそれを認識した瞬間、男は全力で駆け出した。

 だが――バチンッ、と体が跳ねると、男は不格好な人形のように硬直して地面を滑り、そのまま動かなくなった。


         ◆


「クモザキくん……なにも撃つことはないじゃないか」

「だって逃げようとするから」


 蚊がいたら潰すのは当然とでも言わんばかりに、平然とした態度でユカリは小さな銃をポケットにしまった。


「彼はまだ何もしていないよ?」

「博士に危害を加えようとしてた奴の仲間ですよ? 許せるわけがないですよね」

「まあ分かっていながら遊んでいた私も悪いが……そっちの銃の持ち主は? まさか殺しちゃいないだろうね?」

「殺したら博士が嫌がるだろうと思って、縛って置いときましたけど」

「それは良かった」

「GSはこっちで呼んであります。そういえば博士、今日博士の担当だったドリーがすごくがっかりしてましたよ。せっかく順番が回ってきたのにって」

「そりゃ悪いことをしたね」


 世間話のように遠慮のない会話をしつつ、ユカリは先ほどパルス銃で転がした男を手早く縛り上げていく。


「へえ、こいつナチュラルですよ。全く義体化していません」

「生身でこんな稼業をしているのか。大したものだねえ」

「まあ、突き詰めていくとそれが最適解なのかもしれませんね。中途半端なサイボーグ化はメンテナンスの手間が増えるだけっていう。結局の所、外付けのシステムで代替できちゃうんですから」

「その代わりに突発的な荒事には弱いと」

「そうですね、今みたいに」

「君とマユツムギさんは生身なのに荒事にもめっぽう強いけどね」

「私たちは例外です」


 パンパンと手についた砂を払いながら、ユカリは立ち上がった。

 マリィ博士がこうして中央を抜け出して出歩くのは、これが初めてではない。

 本人曰く、「城下町の風俗を知るためにお忍びで城を抜け出すお殿様の気分が味わえる」のだそうだ。

 最初の頃、ユカリはマリィ博士のこうしたお遊びに対して、万が一何かあったらと本気で心配していたが、最近ではちょっとした小言程度で済ますようになっている。


「さ、それじゃ帰りましょう博士」

「えー、せっかくだからもう少しぶらつかせてくれよう」

「仕方ないですね……それじゃあ、私も一緒に行きます。ちょっとだけですよ」

「なんだかんだ言って、君も楽しそうじゃないか」

「まあ、たまにはこういうデートも悪くないですね」


 今や実験都市は成熟しきっていた。

 秩序と混沌が混ざり合い、これまでになかった未来の世界が醸成されている。

 この都市の創始者であるユカリとマリィ博士もまたすっかりここの生活に馴染み、かつての静寂と規律が支配していた時代のことは、時折遠い夢のように思い出すだけになっていた。

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