ある夜の小さな事件3

「飲食のテストってことは、飲むだけじゃなく何か食った方がいいんじゃないか?」


 ちびちびと律儀にウィスキーを口に運ぶペディを無遠慮に眺めていたジョニーは、ふと思いついたように言った。


「それはまあ、そうですが」

「今日は飲み物だけとか、テストの方法が決まってるのか?」

「いいえ。日程やテストの方法は私たちの自由意志に任せられています。ただ……」

「ただ?」

「固形物を食べるのは少し抵抗があるというか……恥ずかしいというか」

「恥ずかしいだぁ?」

「人前で固形物を口の中に入れていたら、話す時にこぼれそうじゃないですか」

「いやいや、そういうシチュエーションも含めてテストするもんだろ普通は」

「そういうものですか?」

「そうだよ。よし、マスター、何か適当につまめるものをくれ」


 マスターはチラリとジョニーに目配せをした。その目は「いい加減勘弁してくれ」と言っているようだったが、ジョニーは薄笑いを浮かべた顔でその訴えを却下する。

 マスターは軽くため息をつくと、何かを諦めたような顔で、透明な器をカウンターに置いた。


「すぐにお出しできるのはこれぐらいですが……」

「ナッツか。ちと味気ないが、まあいい」


 クリスタルのような透明な器に盛られているのは、様々な種類のナッツ類だった。

 市販品の袋からざらりと出しただけのものだが、小洒落た器に乗ってカウンターの間接照明の下に置かれると、それなりに雰囲気のある一品に見える。

 ジョニーはそれを一つ指先で摘んで口に放り込み、コリコリと音を立てながら、隣でこちらを観察しているペディに向けて片眉を上げてみせた。


「いいのですか?」

「わかるだろ?」


 雰囲気や話の流れといった、感覚に頼るコミュニケーションは従来のAIにとってはやや難度の高いものだったが、教育済みのACであれば問題にもならない。

 ペディは軽く頭を下げてからナッツを手に取ると、恐る恐る口に運んだ。


「どうだい?」


 ペディは口元に軽く手を当てながらナッツをコリコリと咀嚼しつつ、予めAIに学習させておいた人間が食べ物を摂取する際の膨大なデータを活用し、最適なタイミングを見計らって嚥下した。


「……食べている最中に感想を聞かれても困ります」


 口に手を当てたまま、口内に残留するナッツの欠片を気にしながら、ペディは少し恥ずかしそうに言った。


「お上品なこった。んじゃ、もう一度酒を飲んでみなよ。さっきより印象が変わるかもしれないぜ」


 促されるままにペディはウィスキーのグラスを傾ける。

 カランと氷が澄んだ音を奏でた。


「……おいしい、ですね」

「おっ?」

「ナッツの塩分と油分が残っていた口がさっぱりとして、味も香りも変化しています。この心地よさは、多分、おいしいという感覚なのだと思います」

「いいねえ。ちょっと感動したよ。なんだか子供の成長を見守る親になった気分だ」

「確かに私は生まれてから数週間しか経っていませんが……精神的な年齢は人間の成人程度までは成長しているはずです。子供扱いはやめてください」

「はは、そりゃ悪かったな」


 束の間、二人の間に和やかな空気が流れる。

 ジョニーの仲間たちはそれを見ながら手持ち無沙汰な様子でグラスを傾けていたが、他の客たちはそれぞれ興味を失ったように、途切れていた会話の続きをぽつぽつと始めた。


 と、その時。

 腹の底に響くような振動が店全体を襲った。

 地震ではない。大きな音の波が建物を揺らしているのだ。

 恐らくは爆発音。この店に集まるならず者たちにとっては聞き慣れた音でもあるのか、彼らは瞬時に警戒態勢を取った。

 そして、その中で誰よりも素早く動いたのは、ヒューマノイドのペディだった。

 人間よりも遥かに鋭敏なセンサーで何が起きたのかを推測した彼女は、即座に席を立ち店の入口側へと移動する。


「おい……」


 次の瞬間、ジョニーの声を遮るように、巨大な質量を持つ何かの破片らしきものが店の扉を突き破って飛び込んできた。

 鋭く回転するそれは鉄骨のようなものだろうか。長さは2メートルを超えており、扉とその周辺の壁やウインドウをいとも容易く切り裂きながら、嵐のような勢いで跳ね回る。

 一瞬のことだった。

 咄嗟に床に身を投げた者、全く動けずにグラスを手に持ったままの者、椅子から腰を浮かせて事態を把握しようとした者、全員の視線が、ペディの元に集まっていた。

 店に飛び込んできた巨大な鋼材のようなものは、下半分が床に突き刺さった状態で静止していた。そしてその上半分は、ペディの左手によって受け止められていた。

 ペディの両足は店の床を突き破り、膝のあたりまで沈み込んでいる。

 鋼材に叩きつけられた左腕はぐちゃぐちゃに潰れており、人工皮膚から突き出たメタリックな骨に、赤い循環液が網目を描いていた。


 ジョニーは腰の銃に手をやった姿勢のまま、ペディの背中を呆然と見つめていた。

 彼女があの鋼材を受け止めていなければ、その直撃コースにいた彼とマスターは、床やカウンターと一緒にミキサーにかけられたようになっていただろう。

 機材が故障したのか、店内のBGMは止まっていた。

 外では人々の叫び声が飛び交っていたが、それすら店の中の静寂に遠慮しているかのように遠く聞こえていた。


「……おい、大丈夫か?」


 ようやく凍りついた意識から抜け出したジョニーは、目の前のヒューマノイドに声をかけた。

 彼女の全身からは白い蒸気が立ち昇っている。特に破壊された左腕と両足の関節部分からは今も大量の蒸気が吹き出していた。これは、GS専用ボディに搭載されている衝撃緩和剤が一瞬にして蒸発したことによるものだった。


「今、身体のチェックが終わりました。行動に支障はありません。皆さんはお怪我はありませんでしたか?」


 振り返ったペディの顔は、いつの間に装着したのか、ヘッドギアのバイザーで覆われていた。

 その姿は日常的に街中を巡回しているGSの見た目そのもので、昔のSF映画に出てくるロボット兵のように、無機質な印象を抱かせる。

 生まれて初めての飲食に戸惑っていた少女の面影は、もうどこにもなかった。


「おいお前ら、生きてるか?」

「……死んだ奴はいなさそうです、兄貴」


 ジョニーはぐるりと店を見回して、重傷を負った者がいないことを確認すると、ペディに向けて軽く手を振って見せた。


「それはなによりです」


 ペディは床から足を引っこ抜き、ひしゃげた左腕を肩の接続部から切り離した。

 右手でそれを持ったまま少し迷ったように首を巡らせると、ゴトッとカウンターの上に置いた。


「おい……どこ行くんだ?」


 ぽっかりと空いた壁の穴から外へ出て行こうとしていたペディに、ジョニーが声をかける。すると彼女は足を止めて振り返った。


「工業区で爆発があったようなので、その調査に向かいます。私が一番近いので」

「そうか。ありがとう、助かったぜ。今日は初めてGSがいてよかったと思ったよ」

「もっとそう思って頂けるよう努力します。今日はごちそうさまでした」


 顔は見えなかったが、その声色から彼女が笑ったのだとジョニーには分かった。


 ヒューマノイドはほとんど人間と変わらない。

 人間でも全身を改造したサイボーグならば、先ほどの彼女のように強力無比な力を振るうことも可能だろう。

 ならば、人間とヒューマノイドを区別する必要などあるのだろうか?

 違いは確かにある。

 だが、人間同士でも違いはあるし、それが元でいさかいが起こることもままある。

 ヒューマノイドと人間を混在して住まわせているこの都市の意味が、ジョニーはほんの少し分かったような気がした。


「……頑張れよ」


 穴の向こうの夜闇に向けて呟くジョニーの後ろで、カウンターに置かれたスクラップの腕をどうすればいいんだという顔でマスターが見つめていた。

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