未来のために

 日本で初めてトラッカーの出現が確認されてから10年が過ぎた。

 当初の混乱は時間の経過とともに徐々に日常へと変化してゆき、今ではそれなりに安定した日々が送られるようになっている。


 長期に渡る外出規制は、数世紀前に一度流行してから急速に廃れていった感覚接続型VR技術の再興を促した。

 現代科学によって再び作り直されたその技術は、日本において急速にガラパゴス的進化を遂げ、今や街にはホログラムで作られた人々が闊歩する時代となった。

 かつてのようにネット上に仮想の街を構築するのではなく、現実世界にアバターを投影して外出欲を満たすという方向へシフトしたのは、人間が持つリアルへの本能的な回帰欲求のためだろうか。

 街角に佇む、あるいは歩道を巡回する8本脚の兵器の横を、本物と見紛うほど精巧に作られた幽霊たちが平然と通り過ぎる。

 多くの人々が歩き回る様子は一見すると賑やかに見えるが、実際にはアバター内部に浮かぶドローンの微かな飛行音だけが木霊する静寂の街だった。


 通院や散髪、通勤などのために外出する人はいたが、できるだけ配送車とエアカーを使って屋外に身を晒す時間を短くするように努められていた。

 とはいえ室内や地下にいれば100%安全が保証されているという訳ではない。

 海外では大きな地下街にトラッカーが出現し、救援の到着が遅れて甚大な被害が出るという悲劇が起きたこともあった。

 それでも日本人の大半が粛々と外出規制に従ったのは――トラッカーと出くわせば高確率で殺されるというのはもちろんだが――有無を言わさず配備された対トラッカー用兵器の存在が大きかったからだ。


 この兵器、通称”マリィ”は、トラッカーの破片を散弾として利用する。

 散弾ということはつまり、敵の周囲にいる人間をも巻き込むということだ。

 ”マリィ”はトラッカーの近くに人間がいても、発砲を躊躇しないようプログラムされている。これは、そもそもトラッカーの近くに人間がいる時点で既に致命傷を負わされているのだから、その人間が退避するまで攻撃を止めてしまっては、いたずらに被害を拡大させるだけだという理論によるものだ。

 さらに、多くの建物の低~中階層部分の外壁は10年前に開発された整列分子装甲によってコーティングされていたため、トラッカーの攻撃や”マリィ”の散弾が広範囲にまで跳弾する恐れがあった。

 例え離れた場所にいたとしても、思わぬ流れ弾を食らう可能性があったのだ。


 今の時点では存在しない、いつどこに出現するかも分からないトラッカーという脅威だけでは、そのうち押し込められた人々の気持ちは緩み、外出規制は徹底されなくなっていたかもしれない。

 だが、街中には”マリィ”という目に見える暴力の象徴が確かに存在していた。

 その銃口が人間に向くことはないと頭では分かっていても、それが一度ひとたび火を吹けば周囲にいる人間もただでは済まない。そんな兵器がのしのしと街中を闊歩しているのだ。人々がそれに本能的な恐怖を覚えるのは必然だった。


 感覚接続型VRによって、運良く――あるいは運悪く――その場に居合わせた人々は、まるで当事者のようなリアルさで街中に出現したトラッカーと”マリィ”の戦闘を体感することができた。

 至近距離で戦闘に巻き込まれた者は高確率でドローンが破壊されることと引き換えに、普段ではお目にかかれない本物の恐怖を安全な場所から味わうことができる。

 これはある種の娯楽として一部の人々から熱狂的に受け入れられ、トラッカーの出現情報を心待ちにする者すら現れた。

 中には本当に生身で配信しながらトラッカーを探し回り、当然のように第一発見者となってミンチになる愚かな者もいたが……その映像の悲惨さと、そういった事故が相次げばVRの規制すらされかねないということで多くの人々からの非難が相次ぎ、過激な行動を取る人間は時間とともに減っていった。

 こうした経緯から、日本では外出規制が比較的すんなりと受け入れられて日常となり、たった10年で急激に生活環境が変化していったのだった。


         ◆


 来客の到着を告げるオズからのメッセージを受けて、ツキユメはいそいそと玄関まで出向いていった。


「ツキユメちゃん、お久しぶりね~」

「ご無沙汰してます、マユ博士」


 ホログラムのアバターをまとったドローンではなく、生身の人間をこうして迎えるのは一体いつぶりだろうか。

 10年前の衝撃的な事件を最後に、ぷっつりと連絡が途絶えてしまっていたマユ博士からツキユメに突然メッセージが届いたのは半年前のことだった。


「どうぞこちらへ。もう出来上がってます」

「楽しみだわ~」

「でも……びっくりしましたよ。直接見に来るなんて言われた時は」


 ツキユメは苦笑しつつ、慣れた様子で地下への階段を下る。


 半年前、マユ博士がツキユメに送ってきたメッセージは、仕事の依頼だった。

 相手がマユ博士であることを知ったツキユメは驚き、命の恩人とも言うべき人にろくにお礼も言えずに長い時間が過ぎてしまったことを詫びつつ、主にマユ博士がこれまでどうしていたのかという話でひとしきり盛り上がった後、二つ返事で仕事を受けたのだった。


「そういえば、チャロちゃんは? 今日はお休みかしら~?」

「チャロは今……病院です」


 予想外の言葉に一瞬マユ博士の表情が曇ったが、続くツキユメの言葉によってそれは驚きへと変化していった。


「妊娠してるんです。8ヶ月かな」

「まあ」

「私たち、結婚したんですよ」

「あら~」


 振り返ったツキユメの顔は、まるで10年前に戻ったかのように無邪気な、幸福で満たされているような笑顔だった。


「本当は私が産むつもりだったのに、チャロがこの役割は譲れないって言い張るから仕方なく……私としては体の小さいチャロに任せるのは心配だったんですけど、まあ経過も良好だし、そもそも私あんまり体力ないし、今ではこれで良かったなって」

「そうなのね~……良かったわねえ、本当に」

「あ、すみません。私たちの話ばっかりで」

「いいのよ~。素敵なお話が聞けてよかったわ~」


 作業場の通路を歩いてすぐの小部屋に入ると、部屋の中心に棺のような長方形の箱が置かれていた。

 ツキユメが目の前の箱を操作すると、ゆっくりと蓋が開く。

 そこには、裸の女性が眠るようにして横たわっていた。


「こちら、ご注文の品になります。できる限り写真の通りにデザインしたつもりですが……どうですか?」


 それは、極めて精巧に作られた人型ロボットだった。

 ツキユメの仕事はこうしたロボットの外装をデザインすること。

 半年前にマユ博士から直々に受けたこの依頼は、ツキユメがこれまでに培ってきた技術と経験を存分に発揮するに足るものだった。

 顔や体をデザインするために提供された情報は、恐ろしく古い写真をデータに落としたと思しきものが数点。それに加えて、各部位に使う素材などに対する細かい注文がずらずらと並ぶ。その他には何故か音声のデータが入っていた。

 ツキユメは写真から全身の骨格や筋肉量などを推測して補完し、音声データの話し声からその人物が浮かべるであろう表情などを細かく盛り込んでいった。

 どこかで聞いたことがあるような声だなと、作業中ずっと気にしながら。


「……素晴らしいわ~。完璧ね~」


 満足げなマユ博士の返事を受けて、ようやくツキユメは安堵の息をいた。

 人型ロボット好きが高じて始めたこの仕事は、ほとんどの依頼が細やかな神経を使うものだった。

 裕福な者の娯楽用。あるいは亡くなった家族や恋人を再現するため。

 外出規制が徹底されるようになってから急速に伸びたこの手の仕事は、どのような場合でも決して気を抜くことができないものだが、やりがいはある。

 しかし今回のマユ博士からの依頼は、これまでツキユメが受けてきた依頼の中でも飛び抜けて神経を使うものだった。

 そうして苦労して作り上げた結果を評価してもらえたのだ。肩の荷が下りた……という表現は正しくないが、重く大きな仕事を一つ終わらせたという達成感をツキユメは感じずにはいられなかった。


「ご満足いただけたようでなによりです。ところでこれ……誰なんですか?」


 気の緩みからか、思わず口に出してしまった言葉に自分で気付き、ツキユメは慌てたように手を振った。


「あ、ごめんなさい、今のナシで……こんなに細かく指定されるのは珍しいので、よほど大切な方なんだろうなと思ってつい……」


 基本的に、依頼されたデザインについて制作に関わらないことまであれこれ詮索するのはタブーとされている。これは仕事をする上で最低限守るべきルールだ。

 大きな仕事を終えた安堵と、依頼主が知り合いだったということも手伝って、うっかりしていた自分の愚かさ加減をツキユメは心の中で罵った。


「別にいいのよ~」


 しかしマユ博士は一切気にした様子もなく、愛おしげにロボットを見つめながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「この人はねえ、マリィ博士。あなたの言う通り、とっても大切な人なの~」

「マリィ……博士?」


 マリィというのは対トラッカー用兵器の通称ではなかったか、と頭の上に疑問符を浮かべるツキユメの脳内に、初めてその名前を聞いた日の記憶が呼び起こされた。

 チャロの仕事場で、初めてプロトタイプの兵器を起動させた時のことだ。


『おはよう、マリィ』


 マユ博士が導入したコアのAI、それがマリィという名前だった。

 いつしか兵器そのものを指すようになってしまったが、その名前は本来、マユ博士がAIに向けて呼びかけていたものだった。


「あの……どういう方なんですか? そのマリィ博士というのは……」


 てっきりAIのコードネームだとばかり思っていたツキユメは、それが実在の人物名だったということに対して、わかりやすく困惑の表情を浮かべてしまう。


「そうねえ、ツキユメちゃんのご先祖様とも言えるわね~」

「は、はあ? ご先祖様ですか?」

「結構昔の知り合いだから~」


 昔の知り合い……の人格に似せたAIということだろうか?

 いやいや昔と言っても限度がある、とツキユメは頭の中で冷静に突っ込んだ。

 なにせ、自分は250年前……いや、260年前に冷凍睡眠してこの時代に目覚めたという特殊な存在なのだ。

 本来であれば、この時代の人々から先祖と呼ばれる側の人間だ。

 恐らくマユ博士が勘違いしているのではないか……と思いかけた所で、それよりももっと重要な、ずっと棚上げにしていた事実を思い出した。


 マユ博士は死なない。

 それは、初めてトラッカーが日本に出現した日、当事者としてその場にいたツキユメが自らの目で確認してしまった事実だった。


「昔っていうと、どれくらいの……?」

「えっと~……400年前くらいかしら~?」


 死なない、というのが、傷を負ってもすぐに治るというだけではなく、寿命すら超越しているという意味だったとしたら……?

 今のマユ博士の発言は、冗談でもなんでもないということになる。


「失礼ですが、マユ博士はいつ頃から生きていらっしゃるので……?」

「400年くらい前からかしら~?」

「……一応聞きますけど、マジなんですか、それ」

「マジよ~」


 くらりとする頭を押さえて、ツキユメは目を閉じる。

 ……まあ、目の前で頭を吹っ飛ばされても生きている博士を見たあの日の衝撃に比べれば、これくらい大したことはない、のかもしれない。

 自分にそう言い聞かせつつ、ツキユメはその他にも様々に浮かんでくる疑問をあえて飲み込むことにした。


「そうだ、とっても素敵なお仕事をしてくれたツキユメちゃんには~……はいこれ、追加の報酬よ~」

「……えっ?」


 突然脳内ディスプレイに投げられたギフトをツキユメが開封してみると、それはチケットのコードだった。


「これって……?」

「火星への移住権と、乗船チケットね~」

「ええと、すみません。ちょっと意味がよく……」

「子供が生まれたら、みんなで火星に移りなさい。ここはもうダメだから~」


 おっとりと、世間話でもするかのように。

 マユ博士はこの星の終わりを告げた。

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