遭遇戦

 凄まじい速度で変化していく状況から一拍遅れて届くのは、体を芯から揺るがすような激しい轟音だった。

 マユ博士が被弾したのと同じタイミングで蜘蛛型兵器が散弾を発射し、目標とその周辺を完膚なきまでに破壊し尽くす音。そして重々しい地響きの後に木々が悲鳴を上げながら倒れ、バサバサと葉の擦れる音が後に続く。

 不意に蜘蛛型兵器の脚の一本が吹き飛んだ。さらに飛来する高速の弾丸がボディを掠る甲高い音がツキユメの耳をつんざく。

 蜘蛛型兵器は撃ってきた新手の方向へと散弾を発射し、同時に回避機動を取るが、さらに別方向からの射撃を受けた。

 残りの敵の数は少なくとも二体はいるだろう。過去のデータを勘案すれば、それ以上の数に囲まれている可能性もある。

 反撃、移動、被弾、さらに反撃……

 激しい戦闘の最中にあって、我関せずと言わんばかりに淡々とチャロの治療を続ける医療用ロボットの姿だけが別世界の存在のようだった。

 蜘蛛型兵器が二本目の破損した脚部をパージする頃には辺り一帯が土煙に覆われており、そこでようやく人類の守護者にして森の破壊者は動きを止める。


 ツキユメは最初から最後まで微動だにせず、木の根本に座り込んだままの姿勢で全てを見ていた。

 目は大きく見開かれ、全身の筋肉は強張こわばり、ハッハッと犬のように浅い口呼吸を繰り返すことしかできない。

 危機は去ったと思い込み油断していた所に、見間違いようがないほど強烈なマユ博士の死の瞬間を見せつけられ、間髪入れずにいつ自分が流れ弾に当たって死ぬかも分からない戦闘の渦中に放り込まれたのだ。

 ツキユメの精神は決壊寸前だった。

 ほんのあと一押し、僅かでも負荷がかかれば彼女は狂乱し、叫び声を上げながらどこかへ走り去っていたかもしれない。


『ツキユメさん、マスターをフローティングボードに乗せて退避させて下さい』


 だがしかし、そんな彼女に投げかけられたのは、場違いなほどに落ち着き払った女性の声だった。

 その声が視界にいる蜘蛛型兵器の指向性スピーカーから発せられたものだと気付くのに、ツキユメは数秒を費やす必要があった。


「……今、なんて?」

『現在、自由に動けるのはあなただけです。R3A……そこにいる医療用ロボットの出力では意識のない人間を持ち上げることができません。あなたの助けが必要です』


 ツキユメはうまく回らない頭で懸命にその言葉を咀嚼し、その意味を理解するより先に体が動き出す自分を不思議な感覚で俯瞰していた。

 とにかく今は、余計なことを考えずに、チャロを救うことだけを優先すればいい。

 今すべきことを明確に提示されたことで、ツキユメはパニックに陥る一歩手前で冷静さを取り戻した。

 医療用ロボットの触手まみれになっているチャロを引きずり、どうにか浮遊装置の上に引っ張り上げる。成人女性としてはかなり小柄な体格にもかかわらず、チャロの体は異様に重く感じられた。


「……どうしよう、私じゃこれを動かせない」


 浮遊装置にアクセスしようとしたツキユメは、そこで問題に突き当たった。

 この浮遊装置はマユ博士の私物だ。当然、ロックがかかっている。

 街中まちなかにある操作可能な機器ならば、ケータイの視覚認識システムでリンクさせることで誰でも動かすことができるが、個人の所有物はそうはいかない。

 この浮遊装置を動かせるのはマユ博士だけなのに、彼女はもう――


「今ケータイを再起動してるから……ちょっと待ってなさい」


 背後からの声に慌ててツキユメが振り返ると、そこにはマユ博士が立っていた。

 何事もなかったかのように五体満足で、その顔には血の跡すら見当たらない。


「博士!? さっき撃たれたはずじゃ……」

「かすっただけよ」


 そんなはずはない、とツキユメは心の中で叫ぶ。

 目の前で彼女の頭部が吹き飛ぶ瞬間をしっかりと見ていたのだ。草の葉に付着した赤い肉片が描く模様すら鮮明に思い出せる。

 だが、ツキユメがそう思って遠くの地面に目を走らせても、なぜかその痕跡を見出すことはできなかった。

 似たような雑草が生い茂っている地形だ。自分がチャロを運ぶために移動したこともあって、場所が分からなくなっただけだろう――そう考えれば辻褄は合うものの、では今、目の前でピンピンしているこの女性はなんなのか、という問題に行き着く。


「やっとつながった。ほら、これで幽霊じゃないって信じてくれる?」


 そう言うマユ博士の視線をツキユメが追うと、チャロと医療ロボットを乗せた浮遊装置が浮かび上がり始めているところだった。

 これで、目の前の女性が間違いなくマユ博士であることが証明されたことになる。


「さっきのは見間違い……? まさか……」

「見間違いよ。そんなことより、今はここから離脱することを考えるべきでしょ」


 確かにそうだ、とツキユメは頷く。

 ひとまずチャロは大丈夫そうで、マユ博士も死んでいなかったのだ。それは大変結構なことだし、それなら次に自分たちの身の安全を考えるべきだろう。


「マリィ、状況報告!」


 マユ博士が蜘蛛型兵器に呼びかける。

 それを聞いてツキユメは、ああ、そういえばあの兵器はマリィという名前だったな、などということを今更ながらに思い出していた。


『おかえりなさい、マスター』

「挨拶はいいから」

『合計7個の敵性個体の破壊を確認。被害状況は脚部破損2、本体への被弾14』

「被弾の影響は?」

『表面装甲の削剥さくはく効果により12発の被弾による影響を無効化。直撃した2発はいずれも多層整列分子装甲の表面層を突破していません』

「内部の加速装置にも影響ないのね? 直撃で無傷か……想定以上の成果だけど、脚の脆さはもう少しどうにかした方がよさそうね」


 蜘蛛型兵器……マリィと会話するマユ博士の姿は、こんな状況でなければ演習の続きだと勘違いしてしまいそうなほど落ち着き払っていた。

 一人蚊帳の外にいるツキユメは、彼女たちが交わすよく分からない専門的な会話を聞き流しながら、そんな悠長な調子でいいのかと密かに焦燥感を募らせる。


「さて、それじゃあここから最短で道路まで下りられるルートを行きましょう」


 ツキユメの密かな祈りが通じたのか、マユ博士はこの場所からの移動をツキユメとマリィに指示した。マリィが先に進んでルートの安全を確認し、問題なければ自分たちがその後から続く形だ。

 しかし、マリィはマユ博士の指示を受けても動こうとしなかった。


『先に、この付近で破壊した敵の残骸を回収させて下さい』

「……残弾が少ないの?」

『残弾は約5発分です』

「じゃあ十分でしょ。ここから道路までそれほど距離はないわ」

『残弾で処理できる以上の敵と遭遇する可能性はゼロではありません。それに、いずれにしてもあの残骸は回収する必要があります』

「敵が出現した方向へ進む方がリスクが大きい。却下」

『敵がいるならそれはそれで、どちらにせよ、いつかは破壊しなければならない相手でしょう。行かせて下さい。私の準備はできています』

「あなた……」


 マユ博士は軽く目を見張った。

 傍から見ているツキユメにすら、感情を持たないAIに過ぎないはずのマリィが、何故かムキになっているように見えてしまったのだ。

 マユ博士もマリィに対して普通ではない何かを感じ取ったのだろう。神妙な面持ちで小さく頷くと、「許可します」と短く告げた。

 二本の脚を欠損しているとは思えない機敏な動作でマリィが木立の中に消えていくのを見送ってから、マユ博士はツキユメに向き直った。


「あなたはここで待ってなさい」

「……博士もどこかへ行くんですか?」

「帰りのルートを確認してくるだけよ」

「ちょ、ちょっと待って下さい! 危険過ぎます!」


 今まさに、博士がマリィに先導させて安全を確認しようとしていた道を、博士自身が確認しに行くと言っているのだ。ツキユメが泡を食ったように声を上げるのも当然のことだった。


「大丈夫。敵がいたら逃げるから」

「逃げてどうにかなる相手じゃないでしょう!?」


 一度人間を発見したトラッカーは、その標的を仕留めるまでどこまでも追い続けるという性質を持っている。追跡者の名は飾りではない。


「ここでぼんやりとマリィが戻るのを待っているのは時間の無駄よ」

「そんな理由で……」


 唖然としながらもなお引き留めようと必死に縋り付くツキユメに対して、マユ博士は露骨に面倒くさそうな顔を向けた。


「……さっき、あなたに見間違いだって言ったのは嘘。トラッカーに撃たれても私は死なないの。だから大丈夫。分かった?」

「死なない、って……」


 思わず言葉を失うツキユメを諭すように、教師のような口調でマユ博士は続ける。


「理解できないふりはやめなさい。さっき咄嗟に誤魔化した私も悪いけど、あなたが見たことが全てなの。世の中にはそういうこともあるとでも思っておきなさい」


 一方的に告げながら、マユ博士はマリィとは逆の木々の中へと歩いていった。


「もう……なにがなんだか分からない……」


 ぽつりと一人呟いて、ツキユメはその場にへたり込む。

 この短時間の間に色々なことが起こり過ぎた。

 脳はそれらの理解を拒否してスタックしている。

 肉体は今まで感じたことがないほど疲労しているのに、再びトラッカーが出現する可能性を考えれば、うっかり目を閉じて意識を手放してしまうこともできない。


(明日、目が覚めたら、全部夢だったりしないかな……)


 そんな淡い希望を抱きながら、ズキズキと、あるいはヒリヒリと痛む全身が熱を帯びてくるのを感じつつ、ツキユメはただ天を見上げて待つことしかできなかった。

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