訪問者
翌朝、ツキユメが目を覚ますと、隣にチャロの姿はなかった。
カーテン越しに明るい光を感じる。少し寝坊してしまったらしい。
病院では夜になると自動的に窓が遮光モードに切り替わっていたけど、この家では昔ながらのカーテンを吊るしているのだな、などと寝起きの頭で今更ながら気づいたことを考えつつ、ツキユメは体を起こした。
(目覚まし時計買わないとな……)
ケータイを着けたまま眠ればアラーム機能は使えるが、目を閉じてもずっと画面が見えていると手癖で
ケータイ自体にスピーカーが付いていないというのは意外な盲点で、昔の携帯端末のように、置いておくだけでは目覚まし時計代わりに使えないのは地味に不便なところだ。
(……ああ、いや、予備で買った非常用デバイスを使えばいいのか)
一緒に買ったペーパーデバイスは動画などを見る用に部屋に据え置きにして、非常用デバイスを持ち歩きつつ目覚まし時計としても使えばいい。
あるいは、オズに言えば確実に起こしてくれるだろうけど……わざわざそんなことのためにチャロのロボットを使うのも申し訳ないような気がする。
そんなことを考えながらツキユメがケータイを腕に通すと、タイムラグなしで浮かび上がる視界の中のウインドウに新着メッセージがあった。
『地下にいます』
チャロからのメッセージは実にシンプルだった。挨拶も装飾もなし。父親からのメッセージがこんな感じだったな、とツキユメはひとり顔を綻ばせる。
顔を洗い、部屋着に着替えてからリビングに行くと、オズが朝食を用意してくれていた。
「おはよう、オズ」
「おはようございます」
「チャロはもう朝ごはん食べたのかな?」
「マスターはいつも簡易固形食を持って仕事に行ってしまいます。今日も同じです」
「仕事……ああ、地下で仕事してるんだ」
「その通りです」
オズと言葉を交わしつつ椅子に座る。
朝食は、なんだかよくわからないシリアルのようなものと生野菜のサラダだった。
ミルクがかけられたシリアルは予想に反して甘くなく、どこかオリエンタルな風味がする。サラダはドレッシングのせいだろうか、病院で食べた野菜よりもずっと味が濃い気がした。
「おいしかった。ごちそうさま」
「ツキユメさまはとても礼儀正しいですね」
「えっ、そう?」
オズから意外な言葉を投げかけられ、ツキユメはキョトンとする。
「素晴らしいことです」
「えへへ……あ、ありがとう」
急に褒められて顔を赤くしつつ、ツキユメは足早にリビングを出た。
生まれてこの方、褒められるということに全く慣れていないのだ。挙動不審になってしまうのも仕方がない。
それに、よく考えれば『礼儀正しい』というのも、この時代の基準にしてはということかもしれない。言葉遣いからして違うのだから、昔のままの言葉を話す自分は自然と礼儀正しいということになるのだろう。あるいはチャロは家の中ではすごくぶっきらぼうな言葉遣いになるとか……?
そんなことをあれこれ考えているうちに、ツキユメの足は自然と地下室への階段へと向かっていた。
鉄骨と鉄板を組み合わせたような、まるで工事途中のようにすら思える無骨な階段を一段、また一段と降りるにつれて、ツキユメの中にあった一般家庭における地下室のイメージが覆されていった。
地下空間はツキユメが思っていたよりもずっと広かった。家の敷地よりも広いのではないかとさえ思えるほどだ。
高い天井、被膜されていない外路用特殊樹脂の廊下。入り口に用意されていた履物を履いて歩くと、ひんやりとした空気に足音が響く。
広い通路の左右にはいくつもの部屋があり、扉がなく入り口が大きく開いているものや壁の一部が透明で中が見えるものまで、外見は様々だ。そのどれもが、何らかの実験のための部屋だということは分かった。
チャロと共有したケータイの位置情報を頼りに歩いていき、とうとうツキユメは最奥にあった一室にたどり着いた。
扉を開けると、こちらに向かって座るチャロの姿が机越しに見えた。
机の上には大きな物理ディスプレイが複数枚浮かんでいる……ように見えるが、実際は極細のワイヤーで吊り下げられている。
ディスプレイの隙間から、ツキユメに気づいたチャロが手を振った。
「あ、先輩おはよう」
「おはよう……なんだかすごいところだね」
見回してみると、どうやら部屋は二分割されているようだった。
チャロとツキユメがいる方はやや狭く、置かれている物も多いが、ガラスのような透明な仕切りの向こう側の部屋は無駄に広い。
その広い部屋の中では、小さなロボットが忙しく動き回り、何かを組み立てているようだった。
「むさ苦しくてごめんね。博士以外の人が来ることがあんまりなかったスから」
「全然。勝手に来たのは私の方だし。こっちこそお仕事中にお邪魔してごめん」
「いいんスよ。難しい仕事なんてないんスから」
言われてみれば部屋に入った時も、チャロはぼんやりディスプレイを眺めているだけだった。今も特に何か作業中のようには見えない。
「あの……ロボットが組み立ててるやつ? あれを作るのがチャロのお仕事なの?」
チャロに勧められるままに隣の椅子に腰掛けてからツキユメが尋ねると、チャロは複雑そうな顔で苦笑を浮かべる。
「仕事半分、趣味半分って感じスかね。いちお、本業は湾岸にある工場を監督すること……なんスけど、それだけじゃ暇なんで、プロトタイプの開発をちょっと」
「へえ……よくわからないけど、すごいね」
見れば、大きな物理ディスプレイには何やら時間経過と共に動くグラフのようなものや、簡易化されたマップ、そして監視カメラの映像のようなものが映っている。
何らかの部品が次々と作り出され、最適化された形のロボットがそれらを移動させたり、整理したりと忙しなく動き回っている様子がくるくると切り替わっていた。
これが工場の映像だとすれば、そこで働いているのはロボットだけだ。チャロは時々何らかのメッセージをやり取りしたり、ディスプレイ上のスイッチを操作したりするくらいで、他の時間はぼんやりとしているだけに見えた。
しかしツキユメは、ぼけっと天井を見上げるチャロの視線が細かく動いているのを見逃さない。ケータイを使って何かしているのだろう。
「で、プロトタイプってなんなの?」
単純な好奇心と、ほんの少しの意地悪な気持ちで、ツキユメはチャロの横顔に向けて質問を続ける。
隣の部屋で組み上げられていくものは、ディスプレイに映っている部品とはどうも全く別物のように見えた。とすれば、あれがチャロの『趣味半分』なのだろう。
「兵器スよ」
「へーき?」
「武器。正確に言えば、今組み立ててるのは武器を乗せるための野戦仕様の移動型キャリアー。今回は武器の方に頭があるっていうかなり特殊なやつなんで、ちょっと手こずってるんスよね」
「……武器、作ってるの?」
どうして? と問うツキユメの瞳に押し負けたように、チャロは軽く目を逸らす。
「昨日ケータイショップで話したこと。どうして今、非常用デバイスが売れてるのかって話……あしの仕事にも関係あるって言ったでしょ。その理由がこれ」
「でも、戦争とかじゃないって……」
「うん。人間同士の戦争とかじゃない」
わざわざ「人間同士の」と付け足された部分に、ツキユメは意味を見出す。
人間同士ではない。では、何と何が争っているというのだろうか?
その答えは、チャロが操作したディスプレイの一つに映し出された。
「この、青いやつ。これがね、アメリカの西海岸に現れたのが半年くらい前。それからものすごい勢いで、世界中に出現するようになった」
画面に映っているのは、青く透明な宝石のような球体だった。
ただし、背後の景色と比べてみればそれが宝石などではないことは一目瞭然だ。
大きさは直径約1メートルくらいはあるだろうか。地面から1メートルほど浮かび上がったその球体は数十個の群れをなし、滑るようにこちらへと向かってくる。
対応するのは同じく空を飛ぶドローンのような機械たちだ。
上空からマズルフラッシュとともに原始的な質量弾が打ち出され、その全てが球体の表面を掠めていくが傷一つ付けることはできない。
透明な音楽のような音が鳴り響くと同時に、球体の前面の空間が歪んだかと思うと一斉に何かが発射され、前方に展開していた機械たちを一瞬で破壊する。
カメラはその攻撃から逃れるように一気に高度を上げ、俯瞰から球体の群れを撮影したところで――唐突に映像が終わる。
「……なにこれ?」
B級SF映画の予告編でも見たような気持ちで、ツキユメは呟いた。
これがフィクションでないとしたら、なんだというのだろう? どう考えてもチャロが仕組んだイタズラにしか思えなかった。
微妙な笑顔でチャロの方を見ると、しかし、彼女は変わらず真剣な表情のまま。
そこでやっとツキユメは――感情の部分ではとても信じられなかったが――これが冗談でもなんでもないらしい、ということを理解した。
「幸い、まだ日本では確認されてない。でも、いつ現れるか分からない。だからこうして対抗するための兵器を、カナザワ重工で開発してるの」
「これは……この青いのは、なんなの?」
「分からない。これまでの分析ではほとんど何も分からないってのが現状。ただ、主に人間や自分たちを攻撃するものを執拗に追いかけ回して破壊しようとするから、あしたちはトラッカーって呼んでる」
「トラッカー……」
人間を追跡して破壊しようとするもの。
それは、敵だ。
現実的に考えれば、どこかの国が開発した兵器だろう。
しかし、これほど大規模に出現して半年も経っているのに、未だに何も分かっていないという。
ということは、ひょっとして宇宙から来た侵略者……?
(なんて、ね)
ネットに依存していた時分に、ゲームをやり過ぎたかな、とツキユメは苦笑した。
さすがに妄想が過ぎる。
とは言え、全く現実感が湧かないのも事実だった。
だが――そう言えば、とツキユメは気づく。昨日ケータイを買った後に練習も兼ねてネットを飛び回った時には意味が良くわからなかったネットニューズは、今改めて見返してみれば、トラッカーについての情報がかなり多かったのだ、と。
嘘みたいだが、とても信じられないが、どうやらそれは現実に存在するらしい。
恐らく他の人々も同じような思考を辿り、漠然とした不安感に取り憑かれていき、それが非常用デバイスの需要増という形で現れたのだろう。
「おや、来客スね」
ツキユメがケータイを操作して考えをまとめている間に、チャロのケータイに来客の報せが入ったらしい。
チャロが席を立ち、扉の前まで歩いていくと……ちょうどぴったりのタイミングで扉が開き、一人の女性が入室してきた。
「お邪魔してるわよ。彼女の様子はどう? ちゃんと動いた?」
「いらっしゃい……いやー、まだ組み立て途中スね」
「遅くない?」
「色々微調整したくなっちゃって」
「また自分の手でやったの。危ないからやめなさいって言ってるのに」
「自分で弄る方がずっと早いんスよ。細かいところはね」
チャロと同じような白衣を着た女性は、慣れた様子で隣の部屋を覗き込みつつ、やや無感情な声でチャロに技術的な質問をしている。
一人、蚊帳の外に出されたような気持ちでツキユメが来客者を見ていると、彼女の方も初めて気づいたようにツキユメの顔をじっと見つめた。
「……はじめまして? チャロのお友達?」
「えっと、私は」
「前に言ってたじゃないスか博士。冷凍睡眠してた遠い親戚を引き取るって」
「ああ……忘れてたわ。ふうん、あなたが」
そう言うと彼女はツキユメに対する興味を失ったかのように、未だロボットが作業を続けている隣の部屋へ入っていってしまった。
「ごめんね、今日の博士はクールモードだから」
チャロが申し訳無さそうに眉を下げる。
「クールモード?」
「日によって性格が変わるんスよ。それはもうガラッと」
「へー……」
なんだそりゃと思いつつ、ツキユメは博士が入っていった隣の部屋に通じる扉を見つめる。
不思議とツキユメは、彼女に対して冷たいという印象は抱かなかった。それよりも、ただただ乾燥しているというイメージの方が強かった。まるで何年もストイックな生活を続けてきたような……。
「彼女はマユ博士。カナザワ家の歴史編纂……だったかな、なんかそんな感じの仕事をずっとやってる人なんスけど、趣味でカナザワ重工の顧問もしてるんスよ。今回の兵器開発もけっこう彼女からアイデアや技術を提供してもらってて……」
「マユ博士……なんか、見た目と中身が全然違う感じだね」
「優しそうに見えるでしょ? 全体的にふわふわしてるし……あと、胸がすっごい大きいスよね! ありがたい!」
「そ、そうだねぇ……?」
ツキユメのマユ博士に対する第一印象は、『ちぐはぐ』だった。
ふわふわとした髪に、おっとりとした印象の顔立ち。
それなのに、口を開けば鋭利な刃物のような、研ぎ澄まされたものを感じさせる。
変な人だなあ、とツキユメは思ったが、それがマユ博士という個人のせいなのか、未来という時代に由来するものなのかは判別がつかなかった。
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