帰宅
ケータイを買った後も細かな日用品や衣類などを買い求めて歩き回ったため、二人が帰途につく頃には日が傾き始めていた。
チャロの家は西葛西にある一軒家だった。
灰色のレンガ造りのような見た目は無骨だが、洗練された統一感がある。それに、周りの住宅と比べて敷地も家自体もかなり大きい。
購入した荷物は先に配送されているため、二人は手ぶらで敷地内に入る。すると待ち構えていたように滑らかに扉が開いた。
生体とケータイの二重認証によるドアロックの解除には指一本動かす必要がない。この時代にも物理的な鍵は存在するが、それは非常時のためのもので、めったに使われることのない代物だ。
「ようこそ、我が家へ」
芝居がかったチャロのエスコートに微笑みつつ、物珍しそうに辺りを見回しながらツキユメは家の中を歩いていく。
清潔で整頓されてはいるが、どこか素っ気ないような印象をツキユメは抱いた。
具体的に言うなら、装飾がない。
例えば絵や写真、ちょっとした置物、更には敷物などさえ見当たらない。
照明もこの時代におけるスタンダードなもので、天井全体が白色に発光するタイプのものだ。間接照明のようなものもない。
ここまで来ると実用的という概念を通り越して、まるで片付けられた後のモデルルームのようなよそよそしさがあった。
「おかえりなさい」
広いリビングに入ると、ロボットが出迎えてくれた。
病院のジョイとも、ケータイショップのロボットとも違う、かなり人型に近いタイプのロボットだ。
頭部は白くつるんとしており、まるで仮面を被っているように見える。
関節部分と両手はジョイと同じ白い陶器のようだが、それ以外の部分はメタリックな金属光沢を放つ、いかにもSF映画に出てきそうな見た目をしていた。
「これは家事をやってもらってるOⅡ……オズって呼んでやって」
「オズ……こんにちは」
「はじめまして」
軽く会釈をすると、オズは先に届いていた荷物を整理する仕事に戻っていった。
二足歩行の駆動音はほとんど聞こえない。人間と変わらないほど自然な動きだ。
「なんか……ようやくらしいロボットを見た気がする」
「家のことを任せるには人型の方がいいスからね」
何かに特化したロボットなら別だろうが、家のことをまんべんなくこなすなら人間と同じ姿の方が都合がいいのだろう。家は人間のために最適化されているのだから。
「それじゃあ、先輩の退院祝いと、新しい家族をお迎えするお祝いをしましょう」
テーブルの上にどんどんと並んでいくのは、帰りの途中で買ったピザやフライドチキンなどといったパーティ的な料理だ。
昔からあるものなので名前は知っているものの、どれもツキユメは食べたことがなかった。少なくとも、記憶の中にはない。仮に食べたことがあったとしても、覚えていないくらい小さな頃だろう。
夕食のメニューを選んでいる時にツキユメからそんな話を聞いたチャロは、せっかくなのでパーティをしようと言い出したのだった。
発光する天井の色が暖色に変わり、やや光量が落とされる。
どこからともなくジャズテイストな音楽が流れてくると、なんだかクリスマスみたいだな、とツキユメは思った。
「では、色々なことを総合的に祝って……乾杯!」
「なにそれ」
苦笑しながらツキユメはコーラの容器をチャロのビールと軽くぶつけ合う。
プラスチックでもアルミ缶でもない、特殊な樹脂でできた容器がこの時代のスタンダードらしい。
ツキユメが知っているスクリューキャップの缶よりもかなり飲み口が大きいものの、構造としては同じようなもので、蓋を閉めれば持ち歩けるタイプのものだった。
「コーラも初めて飲んだかも。なんか……泡々で飲みにくいけど……甘いね」
「そっか、飲むの初めてなら昔と比べて味が変わったかどうか分からないスね」
「でもおいしいよ」
「それはよかった」
チャロは一気にビールを呷ると、もう次のボトルを開封していた。
温め直す必要がないくらい熱々のピザを片手で持ってかぶりつき、もう片方の手でビールを流し込む。
「っはあーー!」
心底幸せそうなチャロを見て、ツキユメもおずおずとピザに手を伸ばした。
たっぷりのチーズと、魚のオイル漬けのような何か、そしてドライトマト。
シンプルながら素材の味がよく分かるんスよ、とチャロがおすすめした一品だ。
糸を引くチーズに苦戦しながら一口食べたツキユメは、案の定というべきか……ラーメン屋の時と同じように涙を流して味わっていた。
名前だけでも薬膳とついていた薄味のラーメンとは違い、こちらは数百年前から続く伝統的な濃い味の暴力だ。その凶悪な魔力に純粋な少女が抗える道理もなかった。
宴が進み、ツキユメもようやく味の快感に慣れてきた頃、チャロが空けたビールの容器が積み木のようになり始めていた。
「それでー、先輩はー、どおなんスか?」
肌が褐色なこともあってか、顔色や表情からは全く酔っている印象は受けない。
その割に少しろれつが回らないような話し方なのは、少しばかり演技も入っているのだろうか。
酔い始めた自分を自覚して、すっかり酔っ払った体を装って、シラフでは言えないようなことを口にする……時に大人はそういうことをすると、ツキユメは小説かなにかで読んだことがあった。
「どうって、なにが?」
「だからー……」
くいっと一口、ビールを呷る。
ツキユメもつられたようにコーラを口にする。
炭酸が抜け始めたそれは酸味を強く感じるが、口の中が泡だらけにならなくて飲みやすいな、とツキユメは思った。
「ストレートか、クロスか、ミックスかー……それ以外かってことぉ」
「……?」
唐突に出てきた単語に、ツキユメの頭の中に疑問符が浮かぶ。
どういうこと? と聞こうとして、ツキユメは思いとどまった。
せっかくだから思考操作デバイスで検索してみようと思い立ったのだ。
ケータイの操作に一日でも早く慣れるには、実際に使ってみるのが一番だろう。そう考えればいい機会だった。
会話の最中に検索するのはマナー違反かもしれないが、まあ、チャロもやっていたのだから大丈夫だろう。
もたつきながら単語を合わせて検索してみると、どうやらそれは性的嗜好の話らしかった。
「お、さっそく使いこなしてるスねー」
「やっぱり分かる? ごめんね、話してる時に……」
「いいスよ。操作に慣れようと思ったんでしょ?」
「お見通しでしたか」
「それ古い機種だから、ちょっと検索のステップが手間でさ――」
そのまま話題はケータイのデバイスの話から何故か現金が未だに流通していることなどへと脈絡なく飛んでいき、当初の質問はなんだかうやむやになったままパーティは終了した。
その後、家事ロボットのオズに案内されて自室として割り当てられた部屋に入ったツキユメは、驚きに目を見張った。
一人部屋としてはかなり広い。そしてすでに家具類が揃っている。
クローゼットの中には今日買った以外の服までずらりと並んでいるし、部屋の隅やベッドの上には大きなクマのぬいぐるみが置かれている。
間違ってチャロの部屋に通されたのかとツキユメは一瞬疑ったが、整い過ぎている生活感のなさがその可能性を否定していた。
「この部屋の家具などはマスターが用意したものです。ご自由にお使い下さい」
「ありがとう、オズ」
オズが退室するのを見送ってから、ツキユメは大きなベッドに腰を下ろした。
ダブルとまではいかないが、セミダブルかそれ以上の大きさがある。
スプリングとも反発繊維とも違う独特の弾力感と抜群の手触りの寝具は、かなり値が張るものであることは間違いない。
なんだか夢を見ているみたいだ、とツキユメは思った。
幼い頃から両親に大切にされ、何一つ不自由のない暮らしを送ってきた。
病気になってからは辛く苦しい毎日だったけれど、それでも望むものは何でも与えられた。
物質的に満たされていたのは間違いない。
そんな自分が遠い未来の世界で目覚めて、病気を治してもらった上に、昔と同じように不自由なく暮らせるというのは……少し、貰いすぎなのではないだろうか?
健康な体を手に入れたことで、ようやく人間らしさを取り戻した。それならここからは、貰ってきた分を返していくべきなのではないだろうか?
そんな漠然とした考えが、一人きりになったツキユメの脳裏を
ツキユメは頭を振って、部屋にあるシャワーを浴びることにした。
使い方を病院で覚えておいてよかった。天井や壁から霧のようにお湯が吹き出すのに最初は驚いたが、慣れてしまえばもう昔のシャワーには戻れない。まあ、望んでも戻ることなどできないのだけれど……。
パジャマに着替えて部屋に戻ると、なぜかそこには先客がいた。
「……チャロ? どうしたの?」
パジャマに着替えたチャロが、枕持参でツキユメのベッドに潜り込んでいたのだ。
「一緒に寝ましょうよー」
「まあいいけど……」
やれやれと思いながらベッドに近づくと、自分のものとは違う南国の花のようなシャンプーの香りが漂っていることにツキユメは気づいた。
こんな酔っ払った状態でシャワーを浴びるのはなんだか危険な気がするけれど、まあきっと大丈夫なのだろう。未来だし。
色々と面倒な思考を放棄して、ツキユメもベッドに潜り込む。さすがに退院したばかりで色々と歩き回ったせいか、自分でも気づかないうちに疲労が限界に達していたらしい。肉体が全力で休息を求めていることがわかった。
天井の照明が勝手にオフになる。チャロがケータイで操作したのだろう。
自分はシャワーを浴びる前にケータイを外したが、まさかチャロはずっとケータイを外していないんじゃないだろうか。ツキユメは
「急にどうしたの?」
「何がスか?」
「いや……一緒に寝るって」
「寂しいかなーと思って」
自然とツキユメは苦笑のような吐息を漏らしていた。
「私、ずっと入院してたんだよ? 何年も一人で寝てたんだけど」
両親と一緒でなければ眠れない子供だと思われているのだろうか、とツキユメの心の思春期の部分がうずく。
「私が覚えている限りでは、他人と一緒に寝るのなんて初めてだよ」
「ふーむ、そういやそっか」
カーテン越しの光で、ぼんやりとチャロの後頭部が浮かび上がって見える。
あれほど飲んでいたのに、不思議とアルコールのにおいは感じない。心地よいシャンプーの香りだけが漂っている。
「なるほど」
「なんの納得?」
「寂しかったのはあしの方だったってことが分かったという納得」
「ふーん……」
ああ、それでぬいぐるみなんかが置かれていたのかとツキユメも納得した。
彼女は寂しかったのだ。
「だから私を引き取ることにしたの?」
「そうかも……」
「食事の時に私に質問してきたことも関係してる?」
ストレートとか、クロスとか。
わざわざそんなことを聞いてきたということは、チャロ自身は――と、ツキユメの中の探偵が推理を始めようとするのを、霧のような疲労感が思考ごと包み込んでうやむやにしていく。
「……それは忘れて」
酔いが醒めたのだろうか。なんだかしおらしいチャロの態度に、ツキユメは微笑ましさすら覚えていた。
「……私ね、物心つく頃から入院してたから、そういうの全然分からないんだ」
「そうスよね。ごめんね、変なこと聞いて」
「いいよいいよ、そういうのも含めて、これから楽しみなんだから」
自分のことを知っていくのが楽しみだというのは、不思議な感覚だった。
ツキユメは何も知らない。世界のことも、自分のことも、自分がいた時代の出来事すらも。目を閉ざし、耳をふさぎ、知りたくないことを遠ざけて、興味が向くものだけを見ることでしか、自分を保つことができなかった。
でも、これからは違う。
「チャロがどんな気持ちであの質問をしたのかは分からないし、今は答えられないけど……でも、チャロのことは好きだよ。親切にしてくれるし、波長が合う感じがするし。刷り込み効果も、ちょっとはあるかもしれないけど」
「……それもう、分かって言ってるでしょ?」
「んー? どういうコト?」
「先輩、意外と攻めの気質あるのね……」
「よく分からないけど、そういうのもこれから勉強していきたいな」
「あはは、勉強熱心スねえ」
チャロの乾いた笑い声につられて、ツキユメもくすくすと笑った。
暗い部屋の中でしばらく、二人の
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