ケータイを買おう2

「次はこっちの、最新の機種を試してみましょ」

「今つけてるこれ、このまま外しちゃっていいの?」

「大丈夫スよ」


 恐る恐るリストバンドのようなケータイを腕から抜くと、ツキユメの視界にだけ表示されていたウインドウは余韻も残さずに消えた。

 次にチャロが手渡してくるケータイを身に着けたツキユメは、しばらく操作してみてから首をひねる。


「さっきのと違いがよくわかんない……」

「そりゃそうか」


 今日始めて未知のデバイスに触れた人間にとって、最新機種と少し古い機種の微妙な違いなどわかるはずもない。ツキユメが首をひねるのも当然だった。

 チャロも今さらその事実に思い当たったようで、自分基準でおすすめを選んでしまったことに苦笑する。


「ねえ、チャロが使ってる機種はどれ?」

「これスけど……」


 紙のように薄いディスプレイを操作して、チャロは自身が使っている機種のページを呼び出した。

 彼女が身につけているものは、やや型落ちのモデルだ。店としても古い型の機種はプッシュしないのが普通なので、探さなければ出てこない。


「私、これがいい」

「ええ……? 結構古いやつスよ?」


 やめておいた方がいいよとチャロが表情で訴えるも、ツキユメの心は既に決まっているようだった。


「どうせ違いなんてよくわからないし。ホロのサブディスプレイがあった方がちょっと安心するっていうのもあるけど」


 確かに、初めて脳内ディスプレイを扱うのだから、予期しないトラブルがあるかもしれない。そういう時に、外部に出力できるホログラムディスプレイが備え付けられていれば、画面共有の方法がわからなくてもリアルの他者に問題を解決してもらえる可能性が高まる。

 そう考えれば悪くない選択かもしれない、とチャロは納得しかけた。

 しかし、次のツキユメの発言は、そんなチャロの思考を吹き飛ばすものだった。


「まあそれは建前で……実はね、最初からチャロとお揃いのやつにしたかったんだ」

「おっふ……」


 完全に油断していた意識外からの打撃は、チャロの脳をしたたかに揺さぶる。

 先輩などと呼んではいるが――まあ実年齢という意味では確かにご先祖様レベルだし、見た目だって肉体年齢より高く見えはするが――それでもツキユメはやはり17歳の少女で、チャロは成人した大人の女性なのだ。

 少し年の離れた妹、あるいはめいのような感覚で接していたところに、突然のイケメンスマイルというギャップで切り込まれては、なす術もなく崩れ落ちるほかない。

 チャロは己の理性を総動員して、とろけそうになる表情筋を引き締めた。


「まあ……それなら、いいんじゃないスか?」

「顔、変だけど、どうしたの?」

「いや別に……あっ、次はサブ機を選ばなきゃ」


 無理やり話題を転換し、手元の薄いディスプレイにツキユメの視線を誘導することで、チャロはなんとかその場を切り抜けた。


「サブ機って絶対必要なの?」

「もちろんスよ。今の時代はケータイがないと本当に何もできなくなっちゃうから、故障した時とか紛失した時とかのために最低でも一つは用意しないと」

「そういうものなんだ……」


 実はツキユメの時代においても、携帯端末は日常生活を送る上でなくてはならないものだったのだが、学校すら通えない病院生活を送ってきた彼女にはピンとこないのだった。


「サブの選び方はいくつかあって……1、同じ機種。2、別の機種。3、ペーパーデバイス。4、非常用デバイス。って感じスね。大雑把に分けるとスけど」

「1と2はわかるけど……ペーパーデバイスっていうのは、これのこと?」


 今まさにチャロが手にしているペラペラのディスプレイをツキユメが指差すと、チャロはその通り、と頷いた。


「これはお店用だからちょい厚めで固定のサイズだけど、個人で持つなら折り畳めるタイプを選ぶのが普通スね。ノートサイズから窓一枚分くらいまで色々な大きさがあって、これを選ぶのは自宅でゆっくり映像作品なんかを見たい人が多いかな」

「映画とか? 脳内ディスプレイじゃ見れないの? ……っていうか、そういえば腕輪型のケータイって音楽聴けるの? 音声通話とかできる?」


 思いついた先からどんどん質問してくるツキユメの様子は、まさに知りたがりの年齢相応といった感じで、チャロは思わず微笑んでしまう。


「ケータイは音声通話も普通にできるスよ」

「ってことは、音も脳内に直接……?」

「そうそう」

「ひえー」

「映像が脳に直接送られてる時点で今さらって感じだと思うスけど……」

「まあそうなんだけどさ。いよいよテレパシーっぽいなって」


 何も装置を身につけずに音楽が聞けたり、通話ができたりするというのはどんな感覚なのだろうと考えると、不思議とツキユメの脳内はザワザワしてしまう。

 聞こえないはずのものが聞こえる、そこにないはずのものが見えるというのは、本能的に忌避感を呼び起こすのだろうか。まあ実際は、脳内ディスプレイと同じように体験してしまえばどうということはないのだろうけれど。


「脳内ディスプレイでも動画は普通に見れるスけど、これ、透明度がゼロにはならないから向こう側の景色が透けちゃうんスよね。映画とかを集中して見たい人には我慢できないポイントらしくて」

「目を閉じればいいんじゃないの?」


 ツキユメの指摘はもっともだ。

 脳内ディスプレイは安全のために、視界の三分の一以上には広がらず、透明度が一定より下がらないように厳しく規定されている。更に歩行中は強制的にウインドウが最小サイズになり、透明度が最高になる。これはどの機種でも同じだ。

 だが、それなら自宅のベッドの上なりどこか安全な場所で目を閉じてしまえば、透明度など関係なくなるのではないか。そう考えるのは自然なことだった。


「それも一つの手スけど……長時間の作品になると、どうも体が勘違いするみたいで、寝ちゃったり意識が飛んだりして集中できないんスよ。不思議なことに」


 目を閉じても映像が見えているというのは、人間の脳からすれば異常なことだ。

 脳はその異常を処理するために、それを妄想や記憶の映像を再生していると判別してしまう。

 実際には映像作品を見ているにもかかわらず、脳は長時間に渡って体が刺激を受けていないと判断し、睡眠に入ってしまうのだろう。

 ツキユメはおおむねそのように解釈することにした。


「じゃあ私も物理ディスプレイがあるやつにしようかな……そういえば、4の非常用デバイスっていうのは?」


 チャロが表示させているディスプレイ上のカタログを覗き込み、それらしいものが見当たらないのを確認してからツキユメは尋ねた。


「まあ名前の通りスね。災害とか非常事態を想定したデバイスで、とにかく堅牢で、仮に無線給電が切れたとしてもF電池が内蔵されているから長期間に渡って使用できるってやつで」

「ああ、やっぱり普通のケータイは無線給電なんだ」


 ツキユメの時代でも無線給電はあったが、それなりに大きな専用の機材を設置してようやく部屋ひとつぶんの広さをカバーできる程度だった。ツキユメが使っていたメガネ型端末は無線給電をしていても一日中使い続けることはできず、日に一度は有線で充電をする必要があった。

 だが、それから250年も経っているのだ。恐らく無線給電の範囲と効率は比べ物にならないレベルまで進歩しているだろう。

 チャロと半日一緒に過ごしているが、エアカーの乗車手続きや配送車の手配など、彼女はその間ずっとケータイを使っている。つまり、最低でも街中を歩いている限りにおいては常に電力が供給されているということだ。


「……ていうかF電池って?」


 わざわざ個別の名前が付いているのだから、なにか特別な電池なのだろうとツキユメは当たりをつけた。

 腕輪型のケータイにだって当然バッテリーは内蔵されているはずだが、無線給電の恩恵が増している未来においてその重要度は下がっているに違いない。

 そんな中で非常用のデバイスに使われているということは、普通のものではないのだろう。


「えーと……制御核融合電池スね」

「か、核?」


 とんでもない単語が出てきたぞ、とツキユメは思わずおののいた。


「別に危ないものじゃないスよ。これくらいの電池で……」


 これくらい、とチャロは親指と人差し指を広げてみせる。


「無線給電が切れた環境でも数年は連続使用できるとか」

「こわっ」

「なにが怖いんスか……?」

「いや、だってっ、なんていうかっ」


 日本人の核に対する過剰反応は、この時代においては既に風化しているのだろう。

 ツキユメにしたところで、大昔の日本人に比べればかなりその辺りは気にしない世代になっていると自負していた。しかしそれでもこんなに身近に核を使った製品があるというのは、やはり飛び上がるくらいのカルチャーショックだったのだ。


「よくわかんないスけど、先輩は第二次大戦から二世紀以上後の世代……だよね?」

「そうなんだけど……その後も色々事故とかあったし……この感覚は言葉ではちょっとうまく表現できないと思う」


 生まれた時からそれが普通で日常だったという人に、この衝撃を伝えるのは難しい、というか不可能だろう。

 核とは、どこか遠いところにあるもの。恐怖と破滅の象徴であると同時に、天に輝く光、かけがえのないエネルギーの源でもある。

 でもそれは、平凡な毎日とはどこか切り離された場所にあるおとぎ話のようなもので……そんなものを自在に操り、ごく自然な形で生活に溶け込ませる時代が来ると信じることなど、誰にできただろうか。


「……でも、そんなすごい技術も非常用のデバイスにしか使われてないんだなあ」


 紙のように薄いディスプレイや腕輪型のケータイのように、軽量でコンパクトな形を追求していく限り、電池という制約は取り払われる運命にある。

 仕方のないことだが、ツキユメにとってはなんとも不思議な感覚だった。


「まあ、無線給電で十分スからね」

「必要十分かー。ところで無線給電ってどこまで届くの?」


 恐らく都市部にいる限りは、給電スポットがまんべんなく張り巡らされているだろうから心配はいらないはずだ。しかし地方や離島などはどうなのだろうか?

 ツキユメは今のところ東京を離れる予定はなかったが、大きく変化しているであろうこの時代の生活スタイルによっては、どこか辺鄙へんぴなところで暮らす可能性もなくはない。そのため一応確かめておきたい部分ではあった。


「今はこの国のどこでも家電は無線で動くスよ」

「どこでも? 富士山の上でも?」

「たぶん……登ったことないけど……あ、普通に大丈夫ぽいスね」

「すごい」


 この時代にはケーブルというものが存在しないのだろうか。

 飛び交う電波と同じ感覚で電力が供給されるというのは素晴らしいことだが、考えてみればとんでもない話だ。


「でも……それなら非常用デバイスなんていらないんじゃない? 給電用のスポットが全国にものすごくたくさんあるってことでしょ? 一つくらい壊れても……」

「そうなんスよ。本当は必要ない。例え大地震が起きたとしても、日本の端から端まで壊滅しない限りは無線給電は余裕でできる」

「それはちょっと予想以上にすごいけど……じゃあどうして?」

「世界情勢というか……全国的に漠然とした不安感が高まってきてるんスよ。非常用デバイスが伸び始めたのもここ最近のことで」


 チャロの声がやや複雑そうな響きを帯びたのを、ツキユメは敏感に感じ取った。


「ひょっとして戦争……とか?」

「いやー……ううん、この話は家に帰ってからにしよう。あしの今の仕事にも関係あることなんで」

「わかった」


 どこかもやもやした感覚を覚えながらも、ツキユメはおとなしく頷く。


 結局、サブ機選びはさんざん迷った末に、ペーパーデバイスと非常用デバイスを両方買うことになった。

 非常用デバイスの見た目は意外なことに、かつて世界で初めて大々的に普及したネットワークデバイスをリスペクトしたような、長方形のものだった。

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