ケータイを買おう1
ツキユメはラーメン屋を出てからも、心ここにあらずといった様子だった。
味と香りの余韻がいつまでも尾を引き、夢の中にいるかのように思考を妨げる。
そうしてハッと気がつくと、いつの間にかソファに体を預けていた。
ガラス張りの開放的な部屋だ。背の低いパーテーションで区切られている半個室のひとつに、ツキユメとチャロは座っているようだった。
「あれ、ここは……」
「あ、戻ってきた」
苦笑するチャロの説明によると、ここは『ケータイショップ』であるらしかった。
ラーメン屋を出てからツキユメがあまりにもぼんやりとしていて受け答えもままならなかったので、とりあえず当初の予定通り連れてきたのだそうだ。
「いちお、なんか病み上がりの変な症状だったら困るから遠隔で軽く診察してもらったスけど、大丈夫そうだったんで引っ張ってきたよ」
「なんかごめんね……」
ラーメンが美味しすぎて夢うつつの状態になっていたとは、とても言えない。
顔を真っ赤にしたツキユメが顔をうつむけると、目の前のテーブルにある、はめ込み式のようなモニタが目に入った。
テーブル一体型とは、なんとも珍しい。そう言えば大昔のゲームはこんな形をしていたらしいという記事を、どこかで読んだ気がする。
そんなことを思いながらツキユメがまじまじと画面を眺めると、様々なケータイのデモムービーのようなものが連続再生されているようだった。
「それじゃさっそく、選んじゃいまスか」
そう言うとチャロは、テーブルの上のモニタをひょいと持ち上げた。
「えっ」
完全にテーブルと一体化しているかのように見えたモニタは、実際には、厚みのない紙のようなデバイスだったのだ。
「どしたんスか?」
「それ、すごく薄いんだね」
「ああ……」
ヒラヒラとチャロが極薄のデバイスを振ってみせる。
するとそれは、プラスチックの下敷きのようにへにょへにょと曲がった。
「このくらいなら先輩の時代にもあったんじゃないスか?」
「似たようなのはあったけど、ここまで薄くはなかったよ」
「最近じゃあまり使われてないスけど、映画とか見る時はやっぱこういう物理モニタの方が見やすいスね、個人的には」
そんなことより、とチャロは画面をすいすい切り替えていく。
恐らく自分のケータイとリンクさせて思考操作をしているのだろう。片手で持ったまま、指でタッチすることなく画面が動いていくのはなんとも奇妙な光景だった。
「最近はメインで使うやつと、予備用のサブ機を買うのが主流スね」
ずらりと画面に並ぶのは、チャロが身につけているのと似たような腕輪型のデバイスたちだ。
どれもこれも、見た目には色くらいしか差がない。一つ一つ機能を確認していくのはなかなか大変そうだった。
「おすすめはこれスね。あと、これとこれと……とりあえずいくつか見てみよっか」
選ぼうにも選びようがないツキユメの心情を察したように、チャロは手早く数個のモデルをピックアップする。
すると部屋の奥から小型のロボットが流れるような動きで現れて、たった今選んだばかりのケータイの実物をツキユメたちのテーブルの上に置いていった。
「病院のロボットとは違うんだね」
「ほほう、そこに食いつくんスねえ」
ケータイではなく、運んできたロボットに対する感想を反射的に口にしてしまったツキユメを、チャロは面白そうに見つめる。
「まあ、病院で介助用に使われてるのは、ほとんど制限なしの完全版みたいなやつスからね。あれめちゃくちゃ高いらしいスよ」
チャロの説明を聞いて、なるほどとツキユメは頷く。
こういう現実の店舗では経費を削減するために、機能制限版のロボットを使うのだろう。見た目も病院で世話になったジョイとは全く別物で、可動部以外はプラスチックのような質感の、いかにもといったロボットだった。
「やっぱり人間にそっくりなロボットっていうのは、いないんだね」
言葉の端々に残念な感情がにじみ出てしまったのは、仕方がないことだろう。
未来の世界には、人間と見分けがつかないようなロボットがいる。そんなイメージがツキユメの中には根付いてしまっていたのだ。実際にそれを見てみたいという気持ちがないと言えば嘘になる。
しかし、ツキユメのぼやきを聞いたチャロは、軽く首を振って答えた。
「いるところには、いるスよ」
「本当に!?」
思わずテンションが跳ね上がったツキユメに笑顔で頷きつつ、チャロは続ける。
「いかにロボットを人間に近づけるか、っていうのを追求している学会があって。そこではかなり精度の高い人間型ロボットが作られてる。ほとんど趣味みたいな集まりスけど、似たような集団は世界中にたくさんあるみたいスよ」
「あるんだ……本当に……」
ツキユメは感極まったように呟く。
やはり人間そっくりのロボットは作られていたのだ。
実用的な現場ではなく、趣味のようなものというのはなんともそれらしい。
「たまに日本大会が開かれてるスけど、注目度は結構高いスよ」
「大会?」
「全国各地のそういう集団が自分たちで作ったロボットを持ち寄って、どのロボットが一番人間に近いかを競うやつ」
それはぜひ見てみたい、とツキユメは思った。
突き抜けた技術や極まった作品は、それが必要かどうかなどという枠を超えて、見る者に無条件の感動を与えるものだ。
「どうやって順位を決めるの? コンペみたいな感じ?」
「そうスね……例えばロボットたちだけで雑談とかゲームとか料理とかをさせるんスけど、必ず急なハプニングが仕込まれてる。そこでいかに人間らしい振る舞いができるかを採点する感じで……でも見てるとちょっと不気味になってくるんスよね」
不気味の谷現象という、たまたまネットで知った単語をツキユメは思い出した。
ロボットの見た目が人間に近づくにつれて好感度は増していくが、ある一定のポイントに達すると急にその不自然さが目につくようになり、一気に好感度が下がってしまうというものだ。
しかし、これほど技術が進んだ未来においては、そんな谷などとっくに飛び越えているはずなのに、とツキユメは思う。
「何が不気味かって、最初は普通の人間が集まって普通にお喋りしたりゲームしたりしてるように見えるのに、突然異常な言動が飛び出したり、いきなり動作を停止したりするんスよ。それが急に来るからギョッとしちゃう。まあそれも含めて楽しむ人が多いスけどね」
「ああ……なるほど」
人間らしさを競わせるために、見た目ではなく中身の方に対して、故意に不気味の谷を引き起こすような仕掛けを用意するのだろうとツキユメは理解した。
やり過ぎれば悪趣味と言われてしまうかもしれないが、耳目を集めるという意味では娯楽としての価値は高いだろう。
それにしても臨機応変な対応力まで求められるということは、それだけこの時代のAIは高性能だということだ。
ツキユメは自然と、病院の介助ロボットのジョイのことを思い出していた。
まるで人間の看護師と接しているかのように自然な会話ができていたのは、今にして思えばかなりすごいことだったのだ。今朝の別れに際しては、まるで人間の心を理解しているかのようですらあった。
「そこまで極めていったら、もうAIが自我を持ってたりするのかな」
ツキユメが何気なく呟いた言葉を聞いたチャロは、一瞬キョトンとすると、思わずといった様子で笑い出した。
「……なんで笑うの」
「いや、ごめん。不意打ちだったから……」
呼吸を整えてから、改めてチャロはツキユメに向き合う。
「AIがどれだけ進歩しても、自我を持つことはないと思うスよ」
「えっ、そうなの?」
「
「ふーん……?」
「まあ、あしも専門家じゃないから微妙に間違ってるかもスけど……AIの黎明期には結構そういう、AIが人間と同じような心を持つみたいなSF小説が書かれてて、実はあし、そういうののファンなんスよ。だから先輩の口から小説みたいな言葉が出てきたのがおかしくなっちゃって」
少なくとも、機械による反乱などといったことは、現時点では起こらないらしい。
安心したような、少し残念なような複雑な気持ちでツキユメは、今もニヤニヤしているチャロの二の腕を軽く叩いた。
「……チャロ、笑いすぎ」
「ごめんなさいって……あいた、痛いスよ先輩ー」
わちゃわちゃと二人でじゃれ合っているうちに、ツキユメはなんでこんなことをしているのだろうと急に冷静になった。
そうだ、ケータイを買いに来たのだと思い出すのはチャロも同じだったらしい。
「盛大に話が逸れちゃったスね。えーと、それじゃとりあえず着けてみまスか」
はい、とチャロが差し出してくるのは白い腕輪型の携帯端末だった。
見れば見るほどに、単なるリストバンドにしか見えない。
ゴムとシリコンを合わせたような柔らかさで、軽く輪を広げて手を通すと、ちょうどいい具合に手首にフィットする。
「これ、電源は?」
「側面のちょっと膨らんでる所を長押しスけど……普通、電源切ることってほとんどないスよ?」
「切る? ってことはこれ、この状態でもう使えるの?」
「そのはずスよ」
携帯端末の電源を切ることがほとんどないというのは、まあ普通のことだ。
ツキユメが聞いたのはそういうことではなく、いわゆる画面が消えているスリープ状態から復帰するためのボタンはどこか、ということだったのだが、どうにも会話がうまく噛み合っていないようだった。
本体側面の小さな膨らみをポチポチと短く押してみるも、特に何も起こらない。
どうしたものか、とツキユメが思っていると、不意に視界の端にチカチカと点滅する点のようなものが見えた。
それを目で追おうとした瞬間、視界の中に半透明のウインドウが現れた。
「わっ、なんか出てきた」
「あ、まだ画面出てなかったんスね……慣れると出したり消したり自由にできるようになるスよ」
チャロの声に返事をする余裕もない。
ツキユメは生まれて初めて、自分の脳に直接映像を送られるという体験をして、完全に戸惑っていた。
どこに目を向けてもウインドウが付いてくる。目を閉じてもそこにある。
それはなんとも奇妙な感覚だった。
脳のどこか、今まで使っていなかった部分が刺激されるような、むず痒い感覚。
しかし、かつてツキユメが利用していたメガネ型デバイスも、ある意味では似ている部分が多い。そのためか、彼女は比較的早くその感覚に慣れることができた。
要は画面が目の外にあるか、中にあるかの違いだけだ。
そう理解すると、自然と思考操作も直感的に行えるようになってきた。
ウインドウを変形させる、移動させる、プリインストールされているアプリのようなものを起動してみる。まだまだ動きはぎこちなかったが、若さ故の順応性か、ツキユメは早くも操作のコツを掴みつつあった。
「あー……なるほど、ちょっとわかってきたかも」
「さすが、若いと慣れるのが早いスね。実は完全思考操作ってここ何十年かで一気に発達した技術らしくて、高齢の世代にはうまく扱えない人も多いらしいんスよ」
それはツキユメにもよく理解できる話だった。
彼女の時代でも、メガネ型が主流になったのは比較的新しいことで、祖父母の世代では手持ちのデバイスがまだまだ人気だったのだ。
いつの時代も、新しいものは次々と生まれてくる。
それに乗れるか乗れないかはタイミングと本人の意識次第だったりする。
この脳内ディスプレイと完全思考操作のケータイが未来で生きるために必須のデバイスであるならば、使い慣れる以外の選択肢はないだろう。
若いツキユメにとってそれは、決して高いハードルではなさそうだった。
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