ラーメンを食べよう

 品川駅には大勢の人々がひしめき合っていた。

 それぞれが身にまとう服装はまとまりがなく、また原色を大胆に使ったものが多いため、上から見下ろすとカラフルなパッチワークのようだ。

 道路の色と同じだ、とツキユメは思った。

 かつて自分がいた時代では、ともすれば品がないと言われそうな色使いが多用されている。この時代においてはそれがスタンダードなのだろう。


「さっきの駅より人がすごいね」

「こっちは住んでる人が多いスからね」


 人が多いとは言っても、駅自体がとてつもなく広いため、肩をぶつけるほどの混雑というわけではない。

 二人はエアカーから降りるとゲートを抜けて、駅構内を歩く。


「みんなどこに行くんだろう?」


 今日は平日のため、普通に考えれば仕事に行く人が多いのだろう。

 しかし、ツキユメの時代ですらオフィスに通勤するという形態はほぼなくなりつつあった。250年後の未来では仕事の形態は更に大きく変わっているに違いない。


「どこっていうか、ここが目的地だと思うスよ。ほとんどの人は」

「ここ?」


 ほら、と上を指差すチャロにつられてツキユメが視線を上げると、吹き抜けとなっている塔の内側、ガラス張りの部分に行き交うたくさんの人々が見えた。


「下から上までズラッと商業施設が入ってるんスよ。だから買い物に来るお客さんが多いの」

「前の駅もそうだったっけ……? 気が付かなかった」

「国際展示場駅はあんまりお店が入ってないスからね。ほら、外から見た時、中層くらいから上は半透明だったでしょ?」

「あー、そうだったかも」


 ということは、この品川駅は外から見ても、あの空に溶けるような幻想的な感じではないのだろう。


「なんか……意外だな。未来って、買い物とかは全部バーチャルで済ますようになるのかと思ってたのに」


 ぽつりとツキユメが呟くと、「そういう時代もあったらしいスけどね」とチャロは面白そうに笑った。


「今は逆にリアルの手触りがウケている時代みたいスね。実際にお店に足を運んで、実物を手に取ってみる。ま、そのうち飽きるかもだけど」

「昔の習慣が復活するようなものかな」

「そうそう。いつだって物事は循環する。その中で変わっていくものと、変わらないものがあったりなかったりして……」


 その時、チャロの話を遮るかのように、不意に荘厳な音楽が流れ始めた。

 何事かとツキユメが辺りを見回すと、塔の中層くらいの高さの空間に、キラキラと輝く金色の光の粒が浮かび上がった。

 光は幻想的に舞い踊り、様々な幾何学模様を描いては消えていく。

 最後に光が一点に集まると、『11:00』と表示して消えた。

 それから構内にレストラン開店のアナウンスが心地よい声で流れていくのを聞いたツキユメは、ようやく現実に引き戻された。


「なんだ、時報か……何が起きたのかと思ってびっくりしちゃったよ」

「綺麗スよね、あれ」


 照れ隠し混じりに呟くツキユメは、内心の羞恥心を表に出さないように努力しながら、何気ない素振りで足を速めてチャロの隣に並ぶ。

 まったく、キョロキョロ見回して急に立ち止まって……あれではまるで田舎者だ。あのくらいの演出など、自分の時代でも普通にあっただろうに。

 ……とは言え、実際に自分の目で見たことは、一度もなかったのだ。ツキユメが知っていることのほとんどは、ネット上の情報から得た知識でしかない。

 そう考えれば、こうして生身の体で外を出歩くのは初めてなのだから、見るもの全てに驚いてしまうのも仕方のないこと。当たり前のことなんだ……と、ツキユメは逆に開き直ったような気持ちになった。


 駅の外に出ると、やはりと言うべきか、静寂という言葉が似合うほど静かだった。

 歩いている人も少しは見かけるが、ほとんどの人は配送車に乗ったまま駅の地下に飲み込まれていく。

 そのまま広い地下街を楽しんだり、地下から直接エアカーに乗って他の駅に行ったり、エレベーターで一気に上層階まで上ったりすることができるため、徒歩で駅に来る人はあまりいないのだ。

 駅前広場も大音量で音楽や映像を流すようなことをしておらず、さらに行き交う配送車の数の割に、この時代の車にはタイヤがないためか、驚くほど静かな空間となっていた。

 渋谷駅辺りでは昔と同じように派手な広告が散りばめられているのかもしれないが、少なくとも品川駅にはそういったものは見当たらない。

 かくして駅前は穏やかな静寂に満たされ、街並みは派手な色使いにもかかわらず、どこか落ち着いた雰囲気を醸し出すに至っている。


 待ち構えていたかのように完璧なタイミングで到着した配送車に、ツキユメたちは乗り込んだ。

 恐らくチャロが移動時間のどこかで手配していたに違いないので、待ち構えていたというのもあながち間違いではないのかもしれない。


「ここ、本当に品川?」


 滑らかに動き出した配送車の中から景色を眺めつつ、ツキユメは呟く。

 ツキユメがネットで得た知識とはかけ離れた街並みが、そこには広がっていた。

 巨大なオフィスビルは一つも見当たらない。

 ショップの類がほとんどないのは、全て駅に統合されているためか。


「やっぱり先輩の時代とは違う感じ?」

「私も来るのは初めてだけど……品川っていうと、ビジネス街みたいなイメージがあったんだけど」

「あー、ビジネス街ではないスねえ」


 複合住宅や一軒家が整然と並ぶその様は、まるでベッドタウンのようだった。

 それにしてもマンションすらないということは、もしかしたら建物の高さにかなりの制限が設けられているのかもしれない。


「先輩はどれにしまスか?」


 街並みを眺めていたツキユメがチャロの声に振り向くと、彼女のホログラムディスプレイに数種類のラーメンが浮かんでいた。


「あ、今注文するんだ」

「そうそう。あしはこの『角煮チャーシュー担々マーボー麺』にしようかな」

「すごく味が濃そうな名前……」


 移動中に注文しておいて、到着すればすぐに料理が出てくるというのは、合理的と言うべきかせわしないと言うべきか。配送車にしても同じ仕組みなので、この時代ではそれが普通なのだろう。


「えー、どうしようかな……」


 メニューには味の濃そうなビジュアルがずらりと並んでいた。

 そういう系統のお店なのかもしれないが、病み上がりのツキユメにとっては病院食に甘やかされ尽くした自分の胃が耐えられるかどうか、少々不安が残るところだ。


「……じゃあ、この『薬膳ラーメン』で」


 麺にもスープにも緑色を前面に押し出した、見るからに地雷臭が漂うラーメン。

 食べきれずに残すのは忍びないので、できるだけ行けそうなものを選んだ結果がこれなのだけれど。まあ、体に良さそうだしちょうどいいだろう。

 ツキユメがそんなことを考えているうちに、車は目的地に到着したようだった。


「普通のラーメン屋さんだ……」


 駅から離れるにつれて、飲食店もちらほらと見かけるようになった。

 目的のラーメン屋もそのうちの一つで、道路沿いにぽつんと佇んでいる。

 木の素地を強調したような外観に、切り出した木の板をそのまま使ったような形の看板が大きくその存在を主張していた。


「らっしゃせー」


 店内に入ると威勢のいい声が聞こえてくるが、店員の姿は見当たらない。

 何の変哲もないカウンター席と、パーテーションで区切られたテーブル席がずらりと並んでいる。客の入りは半分程度だろうか。

 チャロは迷わずテーブル席に向かった。ツキユメも慌てて後を追う。


「意外と普通だね」

「このお店のテーマが『古き良きラーメン屋』らしいスからねえ」

「はあ、どうりで」


 二人が椅子に座ると、壁側の窓がシュッと開いて水とラーメンが出てきた。


「はっや」

「まあ先に注文してるから、こんなもんスよ」


 それにしても早い。

 着席して即、ラーメンが出てくると、なんとも急かされているような感じがする。

 せっかくわざわざ再現しているであろう飴色の木の内装や白熱灯のような照明といったレトロ感あふれる情緒を味わう暇もない。


「チャロ……それ全部食べられるの?」


 チャロのラーメンを見たツキユメは、思わずそう聞かずにはいられなかった。

 赤い山盛りのマグマの上に茶色の肉塊がゴロゴロと転がっている。率直な感想はそんな感じだ。

 車の中で注文する時に見ていたとは言え、実物はやはり迫力が違う。


「もちろん。食べ過ぎは良くないから餃子を我慢したくらいスよ」

「へえー」


 どうやらチャロはその小さな体に似合わず、相当な健啖けんたん家らしい。

 新たな発見に頷きつつ、ツキユメは自分が注文したラーメンを見る。

 麺が緑色なのはまだいい。ほうれん草などの野菜を練り込んだ麺といったものは珍しいものではない。しかしスープまで緑色というのはどういうことなのか。

 目の前でどんぶり一杯のマグマをガンガン掘り進んでいるチャロをチラリと見つつ、ツキユメは恐る恐るレンゲでスープを掬って一口飲んでみた。


「……おいしい」


 思わず、言葉が出てしまう。

 それくらい予想外に、不意打ち的に、そのスープは美味しかった。


「けっこういけるでしょ?」


 チャロの口ぶりからすると、彼女もこのラーメンを食べたことがあるようだった。

 爽やかな香りと自然な甘味のあるスープは、食欲をさらに刺激してやまない。

 誘われるように麺を口に運ぶと、ほんのりと漂う薬草のような香りがスープの香りと絶妙に組み合わさり、噛みしめるたびに深い味わいをもたらす。

 病院食で薄味に慣れ切っていたせいもあってか、ツキユメはその美味しさに目を見開かんばかりに夢中になった。

 こんなにも美味しいものが世の中には存在していたのか。今、自分の頭の中では一体何が起きているのか。このまま衝動に身を任せたら自分はどうなってしまうのか。

 何がなんだかわからない気持ちが次々とこみ上げてきて、とうとうツキユメはラーメンを啜りながらポロポロと涙をこぼしてしまった。


「ど、どうしたんスか……?」


 ふとツキユメの様子を見たチャロは、ギョッとしたように声をかけた。

 ズルズルと夢中でラーメンを食べながら泣いているのだ。傍目にはかなりヤバい感じに見えたことだろう。


「おいしくって……おいしすぎて……なんか泣けてきた……」


 人類は古来より、様々な技術を発展させるのと同じように、料理においてもまた、その味を高める努力を続けてきた。

 人間が食事を摂り続ける限り、美味しさの探求が止まることはない。

 つまり、凝縮された250年分の味の進歩が、物心つくころに病院に放り込まれたツキユメの無垢な舌にダイレクトに突き刺さったのだ。

 その衝撃たるや、この時代のどの人間にも理解できるものではなかっただろう。

 彼女の頬を伝う涙は、溢れるべくして溢れたのだった。

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