順応

「チャロは不安じゃないの?」

「不安?」

「友達と一緒にいる時とか……目の前の人がネットで何してるかわからないのって」


 ツキユメがチャロに投げかけた質問は、彼女自身が感じたこと……言いたいことをそのまま質問の形に置き換えただけのものだった。

 そんな幼いやり方にチャロは思わず微笑んでしまう。それくらいツキユメの気持ちは筒抜けだった。


「別に、そういうのはないスね」


 だが、チャロは何でもないことのように言う。


「相手の視線とか受け答えとか見てると、『あ、今なにかネットでやってるな』ってわかっちゃうんスよ。直接脳に画面の情報が来るから、目を動かす必要はないんスけど、どうしても本能的に動いちゃうんスよね。だから気になったならその時に聞けばいいってだけの話で」


 そう言われてみれば、チャロも病院で話している時に何度か、不自然に視線をさまよわせていたな、とツキユメは思い出していた。

 恐らくあの時チャロは、わからない言葉の意味などを検索していたのだろう。

 この時代の携帯端末を持っていないツキユメですら、そのくらいなら分かってしまったのだ。人と会っている最中にネットをするという行為は、思っていた以上に簡単にバレてしまうものらしい。


「まあ親しい友人とか恋人同士の中には、直接会っている時は画面を共有してるって人もいるらしいスけどね。お互いの心が通じ合った感じになれるとかなんとか」


 それは確かに、悪くない方法だなとツキユメは思う。

 お互いが何をしているのかつまびらかにすれば、いらぬ勘ぐりをする必要もない。

 少々窮屈な気もするけれど、逆にそれによって親密度が増すのかもしれない。


「あしに言わせればそんなのは幻想スけどね」


 だが、チャロはそれをただの幻想に過ぎないと一蹴する。


「どうして? 便利そうだし、いい方法だと思うけど」

「便利なのは確かスね。あしも理由があれば画面共有は普通にするスよ。でも、それをしたからと言って心が繋がったような気になるのはちょっと違う」


 ドキリとツキユメの心臓が跳ねた。

 繋がりたいという自分の思考が読まれたかのような気がしたからだ。


「最近みんな忘れてるみたいスけど、このケータイでやってることって、大昔から何も変わっていないんスよ。画面の表示場所と操作方法が変わったってだけで。だから頭の中の画面を共有してても、結局は相手の考えていることなんて何も分からない。手持ちの端末をお互いに見せ合いながら話しているのと何も変わらないんスよ」


 確かに、言われてみればその通りかもしれない。

 なまじ目に見えなくなってしまったからこそ、単なる端末の操作をテレパシーのような大それたもののように感じてしまっていたのだろうかとツキユメは思った。

 不可思議で神秘的に見えるものも、仕組みを知ってしまえば神秘のヴェールはいとも容易く剥がされてしまう。


「それを踏まえると、さっきの先輩の質問は、『友達と一緒にいる時、相手が何を考えているのか分からないのは不安じゃない?』っていうのと同じことになるスね。だから、それに対する答えは『そんなことを考えていたらキリがない』」


 ツキユメは、目から鱗が落ちるような思いだった。

 お互いの心が分からないのは当然のことなのだ。だから自分たちは話すことを通じて、できるだけそれを一致させようとする。すり合わせていく。

 それこそ何千年も前から行われてきた当たり前のコミュニケーションを、この未来でも相変わらず地道にやっていくしかないのだ。

 そう思うと、ふっと肩の力が抜けたようだった。

 自分も早く繋がらなければという焦りのような気持ちが、穏やかに凪いでいく。


「……チャロは大人だね」

「先輩から見たら、そうなのかもしれないスね」


 (そうか……私、想像もつかないような未来の技術に触れて、軽いパニックを起こしていただけなんだ)


 先程の急激な不安感を、ツキユメはそうやって客観的に分析することができた。

 言葉にしてしまえばたったそれだけのこと。

 しかし、たったそれだけのことに気付かせてくれたチャロに対して、ツキユメは尊敬の眼差しを向けずにはいられなかった。


 安心して体が油断したのか、ツキユメのお腹がキュウと可愛らしい音を立てる。

 今朝は朝食が出なかったので何も食べていない。今更ながらツキユメは、自分がかなり空腹だったことを思い出した。


「……ケータイ買いに行く前に、何か食べていきまスか」

「うん」

「何か希望は?」


 チャロにそう聞かれて、ツキユメは困ってしまった。

 物心ついてすぐに入院生活が始まったため、三食きっちりと出される病院食に心も体もすっかり慣れ切ってしまっている。

 改めて何を食べたいかと聞かれてもすぐには希望が出てこない。

 それでもなんとか家族で食事をしていた頃のことを思い出そうとしていると、不意にツキユメの脳裏に一つの場面が蘇ってきた。


「……ラーメン、ってある?」

「もちろん。日本の代表的な国民食スからねー」


 横浜の中華街で、大きな器に入った麺とスープを、父に少しだけ取り分けてもらっている場面。両親は共に忙しい人だったから、ああして家族で食事をした回数は数えるくらいしかなかったのかもしれない。


「日本食じゃないけどね……」

「えっ」

「えっ?」


 チャロがツキユメをからかおうとしてわざとやっているのか、それとも250年も経過したせいで本当にラーメンが日本食として認識されるようになってしまったのか、ツキユメには判別がつかなかった。


「ここからだと品川の『えん』が近くておすすめスね」


 チャロは何事もなかったかのように、ネットで店舗を検索しているようだ。

 しかし端末を一切操作していないように見えるというのは、やはりパッと見では超能力的なものを感じてしまうなあとツキユメは思う。


「駅もすぐそこでスし、歩こっか」

「うん。……駅って、あれのこと?」


 チャロが歩き始めた方向には、遠目からでもはっきり見える巨大な塔のようなものがそびえ立っていた。

 空の青に溶けるような半透明の外観は神秘的ですらある。

 ツキユメは幼い頃に一度だけ見上げたことのある、東京スカイツリーを思い出していた。


「そうそう、あれスよ。せっかくだから先輩の時代にはなかったものを体験してもらいたいなあ」


 駅までの道のりは、予想外にすっきりとした景観だった。

 周りには駅以外に高い建物はなく、比較的遠くまで見渡せる。

 歩いたり走ったりしている人がそれなりにいるのもツキユメには意外だった。

 どれだけ便利な乗り物が発明されようとも、歩くという行為が一切なくなる訳ではないのは、歴史をかんがみれば当然のことなのだけれど。

 乗り物といえば、時折車道を走っていく車は当然のように

 エンジン音も走行音もしない代わりに、耳に障らない程度に合成音が聞こえてくるのはツキユメの時代の自動車と同じだったが、地面から数十センチ浮いた状態で走行する姿はかなりインパクトが強かった。


「うわ、車が浮いてる」

「いいリアクション、ありがとうございまス。反重力システムが実用化されてから、だいぶ世の中が変わったらしいスね。あれはあしも未来感あるなって思うもん」

「反重力かー……道路がやたらカラフルなのも関係あるの?」


 車道は様々な色を散りばめたモザイク絵のようになっていた。アスファルトの上に絵が描かれているというよりも、そういう色の素材を組み合わせている感じだ。


「あれは特に意味はないんじゃないスかね……まあ一色よりカラフルな方が見た目がいいから……かな?」

「この舗装って、アスファルトじゃないよね?」

「アスファルト……」

「あ、今検索してるでしょ」

「バレたスか。……ええ、アスファルトじゃないスね。合成樹脂でできてるみたい」


 チャロは袖をペロッと捲ると、リストバンド型の携帯端末の上にホログラムディスプレイを呼び出した。

 そこには巨大な紙のロールのようなものを何本も積んだ大型車が映っている。

 どうやら道路を作る時の工事の動画らしい。


「あ、ホロ画面も出せるんだ」

「サブ機能スけどね。新しいモデルはこれが付いてないタイプばっかなんスよ。頭で画面共有すれば済むからほとんど使われないらしくて」


 国民の大多数が脳内ディスプレイ型の端末を所有しているなら、確かに必要のない機能かもしれない。しかしツキユメのような端末を持っていない人間にとっては、ありがたい機能だった。


「へー、出来上がってる板を敷いていく感じなんだ」

「あしも初めて知った」

「えっ、現代人なのに?」

「自分の時代のことを何でも知ってる人間の方が少ないスよ。先輩だって、自分の時代の道路の作り方なんて知らないんじゃないスか?」

「まあ、言われてみればそうかも」


 道路ができるまでの動画を見ながら歩いていると、あっという間に駅に到着した。

 その大きさは圧巻で、ずらりと入り口がどこまでも続いている様は、駅というよりもドーム型施設といった方が近いかもしれない。

 中に入ると、あまりの天井の高さにツキユメは、ぽかんと口を開けてしまった。

 高い、というよりも、ほぼ天井がない。

 塔の中央が全て吹き抜けになっているような形で、開放感がすごい。


「駅っていうか……遊園地のアトラクションみたい」

「こっちスよ」


 チャロは中央の改札のような場所へ、迷いなく歩いていく。

 二人がゲートを通過すると、測ったようなタイミングで楕円形のカプセルのような形をした乗り物がやってきて、二人の目の前で停まった。


「あれ、これって外で見た車とほとんど同じ形じゃない?」

「規格は同じはずスよ」

「……駅なんだよね、ここ?」

「そうスよ。さあさあ、乗りましょう」


 カプセルの前面の透明な部分ががばりと開くと、中には座席が二つ並んでいた。


「あれ、お金は?」

「さっきのゲートを通った時に払ってあるスよ」


 ETCみたいなものか……と思いつつ、ツキユメは恐る恐る座席に体を収める。

 チャロも隣に乗り込むと、自動的にカプセルが閉じた。

 『シートベルトをお締めください』という音声と共に、前面に映し出されるホログラムディスプレイにシートベルトの締め方の動画が流れる。と言っても、わざわざ動画で説明されるほど難しいものではない。腰の部分にベルトを回すだけだ。

 二人がシートベルトを締めると、カプセルがゆっくりと上昇し始めた。


「うわうわ……浮いてるんですけど」

「高い所、大丈夫スか?」

「わかんない……飛行機は平気だったはずだけど」


 一切揺れを感じさせないまま、カプセルは滑らかな動きであっという間に塔の頂上までたどり着いた。

 しかしそこで止まることはなく、さらに上昇し続ける。


「えっえっどういうこと? めちゃくちゃ飛んでるんですけど!」

「わはは」


 ギュッと腕を掴んでくるツキユメを、チャロはとてもいい笑顔で見ていた。

 カプセルは頭の上から足元にかけて透明なため、ここまで高度が上がると空の上に放り出されたような不安感を覚えてしまうのだが、どうやらそれを感じているのはツキユメだけのようだった。

 見下ろす塔のてっぺんが小さな点のようになったところで上昇は止まり、カプセルが水平に動き始めた。

 飛んでいる、というよりも、見えないレールに沿って横に移動している、と表現するのがふさわしいような動きだった。


「わー……このまま目的地まで飛ぶんだ」

「隣の品川駅までスね」

「ていうか、どう見ても列車じゃないよねこれ」

「鉄道は結構昔に廃止されてるスからねえ」

「駅って……駅っていうからさー……チャロ、わざと説明しなかったでしょ」

「いやあ、新鮮なリアクションが見たくて」

「びっくりしたよ。本当に」


 この時代の主な交通機関は、駅に行く途中で見かけた地上を走るタイプの配送車と、各駅を決まったルートで結ぶエアカーに分けられるらしい。

 近い距離を移動するなら地上の配送車を利用し、遠い場所へ行く時は空のルートを使うのが一般的なのだとか。

 どちらも予め目的地や利用人数などをネットで申請して予約する。

 予約と言っても、十分に余裕を持たせた数の車両がAIによって常に最適な場所へ配置されているため、申し込んだ瞬間にほぼ待ち時間なしで利用できるのが強みだ。


「なるほど、だからこの時代でも車は自由に空を飛べないのね」

「空の事故は被害が大きくなるスからね。地上と空をきっちり分けて、空の方も昔の鉄道に近い形でルートを固定して運用しないと、絶対に接触事故が起きちゃうとか」

「じゃあ、自家用車っていう概念はもうないんだ」

「一般家庭ではそもそも個人用の配送車を持つメリットがないスけど、VIPとか特別な人たちの中には専用車を持ってる人もいるらしいスね」


 政府の要人などはそうだろう。

 一回の利用ごとに自動清掃されるとはいえ、警備の観点からは不特定多数の人間が使いまわしている車を利用するのは、あまりよろしいこととは言えない。


「すごい、人がちっちゃく見える……ていうか、結構歩いている人多いんだね」

「まあ、配送車も無料じゃないスからねえ。近場なら歩くって人がほとんどかな。後は自転車とか」

「自転車あるんだ……。でも、それなら自家用車を持ちたいって人もそれなりにいそうだけど」

「値段が桁違いスよ。これ一台買うのと、一生移動をこれだけで済ますのとじゃ後者のほうが確実に安いスからね」

「そんなに」


 車が恐ろしく高いのか、タクシー代が恐ろしく安いのか、あるいはその両方か。

 この時代の金銭感覚――というよりも、そもそも病気のせいで金銭感覚というもの自体を養う暇がなかったツキユメには、当然のように想像もつかないことだった。


「そろそろ着くスよ」

「えっ、もう?」


 ツキユメの体感では、空を飛び始めてまだ一分も経過していないはずだった。

 障害物のない空を高速で移動しているので、所要時間は実際その程度で済んでしまうのかもしれない。

 品川駅も、先程乗ってきた国際展示場駅と同じような塔の形をしていた。

 塔の頂上に向かって、各地からやってきたであろうエアカーたちが次々と集まってくる様子は、無重力空間に散らばった水滴をスポイトが吸い取っていくかのようだ。


「降りる時ちょっとお腹がゾワッとするんスよね」

「うわー、本当だ」


 ゆっくりと降下していくにつれて、徐々に周囲のざわめきが大きくなっていく。

 眼下には、たくさんの人々がひしめき合っていた。

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