リハビリ

 次にツキユメが目を覚ますと、そこは先に目覚めた所とはまた別の部屋だった。

 比較的小さな個室。内装がピンク色で統一されているのは同じだが、近くにある窓の外には青空が広がっている。

 ピリッと痺れるような微かな痛みによって、ツキユメは自分の体の感覚が全て戻っていることに気が付いた。


「おはようございます、カナザワさん。入室してもよろしいですか?」


 女性の声が天井付近から聞こえてくる。

 ツキユメが「はい」と小さく応えると、和室の襖を開けるような静かな音がして、白衣を着た男性が入ってきた。男性の背後には、背の低いつるりとした陶器のオブジェのようなものが付き従っている。

 昨日(それが正確には何時間前のことか分からなかったが、便宜的にツキユメは昨日と思うことにした)ICUと思しき部屋で自分のベッドの近くに立っていた白い装置とよく似ていたので、恐らくあれも医療機器の一種なのだろう。


「おはようございます。調子はいかがですか」


 白衣の男性が穏やかな声で語りかけてくる。


「……わかりません。感覚は戻っているみたいですけど、うまく動かせなくて」


 ツキユメは先程から起き上がろうと努力しているものの、腕や足が思い通りに動かないのだった。

 もぞもぞと不器用に動くたびに、ピリピリと小さな痛みが走るのも気になる。


「ああ、無理はしないで」


 男性がそう言うと、ベッドがぐにゃりと変形し、あっという間にツキユメは上半身を起こした体勢になった。

 変形するベッド自体はツキユメが入院していた時も使っていたが、今の動きはあまりにも有機的だった。駆動音が一切せず、何より目の前の白衣の男性は、スイッチらしきものを操作した様子がない。手にリモコンでも持っているのかと思えば、その両手の中は空っぽで、左手首に白い腕時計のようなものが見えるだけだ。


「私はカナザワさんの担当医の、サイトウといいます。そしてこっちは、あなたが病院にいる間、身の回りのことをほぼ全てサポートしてくれるヘルパーのジョイです」


 サイトウが背後の白いオブジェに目をやると、それはスッと滑らかにツキユメの前まで進み出た。


「はじめまして、ジョイと申します。カナザワさんが退院する日までお世話をさせて頂きます。どうぞよろしくお願いいたします」


 ジョイの頭部らしき部分から女性の声が響く。先程入室の確認をしてきた声は彼女の声だったのだ、と今更ながらツキユメは気付いた。


「よろしくお願いします……」


 ツキユメはまじまじとジョイを見つめながら、やや戸惑いの混じった声で応えた。

 未来なのだから、ロボットがいるのは普通のことだ。というか彼女の時代でさえ、そこそこロボットは普及していた。病院内の廊下ですれ違うことも何度かあったし、手術のサポートをしているものもあった。

 だからこそツキユメは、250年後の未来ならば、より高性能で人間と寸分違わぬようなロボットが普通に働いているのではないかと思っていた。

 期待していた、と言い換えてもいい。

 だが、ジョイの見た目はツキユメの時代のロボットとあまり方向性が変わらないように見受けられた。

 人間の姿に寄せるのではなく、そこそこ人間に愛されるような造形を保ちながらも、基本的には機能面を追求していくというコンセプト。

 いかにも機械らしい継ぎ目などが見当たらず、美術品のようにすら見える洗練されたボディの質感はさすが未来のクオリティと言えるものだったが、それでもツキユメは、やや期待はずれに近い気持ちを抱いてしまった。


「カナザワさんには、まずは手のリハビリから始めてもらいます。すぐに自由に動かせるようになりますよ。そうしたら、次は足です。歩くのは意外と大変ですが、それほど時間はかからないでしょう」


 サイトウがにこやかに話す間に、ジョイがベッドのすぐ脇まで近付いてきた。

 何をするのかとツキユメがじっと観察していると、ジョイの体の一部がニュッと延びて、ツキユメの膝の上あたりで小さなテーブルのような形になった。


「わっ……」

「それでは、まずは両手をこの上に乗せてみてください」


 困惑するツキユメに、ジョイが穏やかな声で語りかける。

 しかしツキユメの耳には、その声が全く入ってきていなかった。

 それほどまでに、彼女は驚いていた。

 どう見ても滑らかな陶器のようなボディが、まるで柔らかい素材のように変形したのだ。そして目の前でテーブル状になっている。それは、最初からそういう形状だったかのように、確かな存在感をもってそこにある。

 機械というよりも、むしろこういう生命体だと言われた方がよほどしっくり来るような生物的な動きだった。


「まだうまく腕が動きませんか? それではちょっとお手伝いさせて頂きますね」


 驚いた表情のまま固まっているツキユメを見たジョイは、彼女はまだ腕を動かせないのだと判断し、ボディから二本のアームを伸ばして、布団の下に潜り込ませた。


「きゃっ!」


 ジョイの声が耳に入っていなかったツキユメは、突然自分の両腕を何者かに掴まれて、思わず悲鳴を上げてしまった。

 反射的に勢いよく両手を布団から出すと、白い触手のようなものがそれぞれの腕にそっと寄り添うようにくっついている。


「いたっ……」


 急に腕を動かしたことで、一瞬鋭い痛みが走った。


「驚かせてしまい申し訳ありません。ですが、無理をしてはいけませんよ」

「は、はあ」


 ジョイのアームはツキユメの両腕を優しく支えながら、テーブルの上に導く。

 白い二本のそれがそっと自分の腕から離れると、ツキユメの視線はジョイのアームから自分の手の方に移り、そのまま意識ごと強く惹きつけられた。

 日焼けを知らないような、白く滑らかな肌。あまり皺のない指は細く長く、それぞれの先にちょこんと形の良い爪が上品に乗っている。

 ツキユメは一瞬、ジョイのこともサイトウのことも忘れて、ぼんやりと自分の両手に見入ってしまった。


 手は、自分の顔などよりもよほど頻繁に目にする部分だ。覚醒して活動している限り、嫌でも視界に入ってくる。

 だからツキユメは、入院してから硬く萎縮して思い通りに動かなくなった自分の手を、それでも毎日、一日も欠かすことなく目にしていた。

 不自由ながらも携帯端末を操作する時に。専用のスプーンを持って食事をする時に。排泄や入浴の介助をされる時に……。

 絶望し、時に怒りをぶつけることさえしながらも、それでも使わなければならない異形の手を、何年も見続けていた。

 だからこそ彼女は今、きれいになった自分の顔をICUで見た時とは比べ物にならないほどの感動と喜びが全身を包み込むかのような感覚を味わっていた。

 それを察したのか、ジョイもサイトウも、しばらく呆けたように動かないツキユメに対して、何も言わなかった。


 指を曲げる。伸ばす。その動作はぎこちなく、思い通りにならない。

 それでも確かに、自分の意志で動く。感覚がある。それが何より嬉しくて、ツキユメはサイトウから特に何も指示されないままに、自分の手を思い通りに動かそうと試行錯誤を始めた。


「いいですね。まずは感覚を掴みましょう。ただし痛みがある場合は無理をしてはいけませんよ。神経を傷つけてしまう恐れがあります」


 ジョイの声を聞き流しながら、指を動かす。

 どうしても力が入らず、手を握れない。そんなもどかしさを敏感に察知したかのように、ジョイのアームがやわらかく変形して、ツキユメの手をサポートする。

 ツキユメは、かゆいところに手が届く、という気持ちを抱かざるを得なかった。

 こうしたい、こう動かしたいと思うと、的確にそれをサポートしてくれる。時にはストレッチのように指を伸ばして、一休みしてはどうかと優しく伝えてくる。

 そこにはまるで人間同士のような、非言語によるコミュニケーションが見事に成立していた。


 あっという間に一時間が過ぎる頃には、ツキユメはペンで文字を書いたり、箸で物を掴むことさえできるようになっていた。

 回復があまりにも早すぎる。集中していたツキユメにしてみればその体感時間も相まって、まるで一瞬の出来事のように思えた。

 そこには確かに目に見えない未来の技術が作用しており、本当に世界は変わったのだとツキユメは心の底から実感するのだった。

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