【訪問者3】



「検証はしたんですか? マユさんの願いが叶った時の時間や場所……状況を再現してみたりとか」

「もちろん、やってみたわ~。でも成果はなにもなかった。わかったのは、毎日毎日ず~っと……何十年もお願い事をしてみても叶わないってことだけ」


 願い通りに死なない体を手に入れたマユは、次にどんな願い事をしたのだろう。

 リンはふと湧いてきたそんな疑問をひとまず振り払った。


「マユさんのお話が全部本当なら……いえ、本当だと信じざるを得ないのだけれど……それなら晶磊しょうらい教の存在は、その、良くないのでは……?」


 晶磊教の信者たちは何十年も前から、コアに願いを捧げ続けている。

 教団がどれほどの規模なのかはリンには分からなかったが、それだけ続けていれば一人くらいは本当に願いが叶った者がいてもおかしくはない。……というより、マユの存在自体がその一例なのだから、同じような事例は間違いなくあるはずだ。

 いやむしろ、そういった本物の奇跡が混じることで説得力が生まれたからこそ、よくある新興宗教の一つとして淘汰されずに現在まで組織を維持できているのかもしれない。

 金や権力では叶えられない願いを抱えた各界の大物など、この世にはごまんといるだろう。すでに教団がそうした太い後ろ盾を複数持っているとしたら……事態は予想以上に深刻なのではないだろうか。


「そうね~。私もどうにかしたいとは思うんだけど……個人の力ではどうにも~」

「……マユさんは今は教団関係者じゃないんですか? 本物の奇跡を起こしたなら、教団から手厚く囲われそうなものですけど……」


 教団内部での発言力が強ければ、それを利用してうまく舵を切っていくという方法もあるのではないか。リンはそう期待して質問を投げかけた。

 しかし、マユの表情がその期待には応えられないと雄弁に物語る。


「体が作り変えられた時にね~、体の不調も、心の不調も全部なくなったの。目覚めた瞬間にものすごく冷静になって、当時の自分の立ち位置が明確に見えたのね。それで、もし『願いが叶った』なんて教団に報告したら私、一生自由な生活ができないな~って思って……だからその時に抜けちゃったの」


 それは確かにマユの言う通りだろう。本物の奇跡を起こした、いわば巫女のような存在が見つかったとしたら、教団が手放そうとするはずがない。一生教団のシンボルとして使い倒される未来が目に見える。

 そういう意味ではマユの選択は正しかったが、同時に教団に対する影響力を一切失ってしまったのだ。


「今のところは教団の基本的な方針は変わっていないみたいだから、悪いことにはならないと思うけど~……」

「まあ、病気を治したいっていう人の願いが一つ二つ叶ったところで、世界が変わるわけではないでしょうけど。でも、いずれ手を打つ必要はあると思いますよ」


 なにせ、マユは不老不死の肉体を手に入れてしまったのだ。叶えられる願いには際限がないと考えていいだろう。人知を超えた力がいつこの世に溢れ出してもおかしくないのだから……。

 と、そこまで考えて、リンはふととあることを思いついた。

 それは今の話題とはあまり関係がなさそうなものだったが、リンの中で一つのひらめきが二つの話を結びつけたのだった。


「ひょっとして……コアが見つかった翌年に世界中でコアが発掘されるようになったのって、誰かの願いを叶えたからじゃないかしら?」


 リンがそう呟くと、マユは突然の話題の転換にキョトンとした表情をした。


「……そうなの~?」

「いえ、完全に推測ですけど……どう考えても異常じゃないですか。絶対にあるはずのない場所からコアが一斉に見つかるようになるだなんて」


 最初の一つ目が発見されたブルキナファソのように、鉱山から新たなコアが見つかったというなら納得はできる。

 ところがある時期を境にして、世界中の河原や畑、果ては家の基礎などからコアがポンポン出てくるというのはどう考えても超常の力が働いているとしか思えない。


「あれは、最初のコアに近づくことができた研究者の一人が、世界中でコアが見つかって自由に研究できるようになればいいのに……みたいな願いを抱いた結果なんじゃないかしら。なんとなく、思いついただけですけど」

「リンちゃん……よくそんなことに気がついたわね~」


 マユは感心したように口を開けて驚いていた。

 恐らく自分の身に起きた奇跡のインパクトが大きすぎたせいで、コアが叶えられる願いの方向性についてマユの頭の中では固定観念が生じてしまい、今日までリンと同じ発想に至らなかったのだろう。


「おかげで私たちは自由にコアの研究をすることができるようになったのだから、それはそれで良かったんですけど……」


 リンの人生を変えた祖母の研究との出会いも、コアが世界中に出現しなければあり得なかったものだ。

 いや、そもそもマリィ博士がコアの研究に携わらなければ、彼女の死後、助手のユカリがカナザワ家と婚姻を結ぶこともなかった。ユカリの子であるヨシノが生まれてくることはなく、その子供であるリンもまた生まれることはなかった。

 そこまで考えてリンは、自分という一個の生命が文字通りの奇跡の巡り合わせによって生まれた不思議をしみじみと実感した。そしてまた、こうして自分がコアの研究に人生を捧げたことにも、どこか運命のようなものを感じずにはいられなかった。


「そうね~。コアがなかったら、きっと私はリンちゃんとも出会えなかったわ~」


 嬉しそうに微笑むマユの表情は、当たり前に歳を重ねてきたリンにとっては少し眩し過ぎるものだった。

 出会った頃と変わらぬ笑顔を見ていると、自然と当時のことを思い出してしまう。

 リンはふと、初めてマユに祖母の研究を見せた日のことを思い出し、そしてこの数十年間、自分がずっと気付かずにいた重要なことに気付いて目を見開いた。


「……ああ、最初からずっと、マユさんの判断は正しかったのね……」


 大学時代に、祖母の研究をいずれ発表しようと考えていた自分をマユが止めてくれなかったら。今更ながらその可能性に思い至り、リンは瞠目したのだった。

 かつての恋人に研究を盗み出されそうになった時も、マユは文字通り体を張ってそれを止めてくれた。今考えれば、本当に危ないところだったのだ。

 リンの心の中に、マユに対する感謝と畏敬の念が滾々こんこんと泉のように湧き出して止まらなくなった。老化によって感情の抑制が甘くなっていたリンの目から、思わず涙が一粒こぼれ落ちた。


「リンちゃん、泣いてるの~?」


 出会った頃から変わらない、少し外れた調子の声。

 それが今は、リンの心を強く締め付ける。


「マユさん、ありがとうね」


 ハンカチで目頭を押さえながら、リンは精一杯の笑顔でそう告げた。


「本当に、ありがとう……」


 マユは黙って席を立ち、リンの隣に腰掛けると、硬く皺だらけになった彼女の手を自分の柔らかな両手で包み込んだ。


「……ねえ、リンちゃん。サッちゃんの研究はどうだった?」

「ああ、そういえば……ふふ、私がその報告をしたから、マユさんは日本に帰ってきてくれたのかしら? マユさんの姿に驚いてしまって、すっかりそのお話のことを忘れていたわね」


 そうしてリンは、サチコの研究についてゆっくりと語り始めた。

 マユがいなくなってから、サチコがどれほど頑張ってきたか。

 息子のカイトと結婚して、孫たちが生まれて、どれだけ生活が慌ただしくなろうとも、サチコは決して研究を止めることはなかった。

 そして、リンたちが思い描く理想の結果ではなかったにせよ、夢物語にしか思えなかった研究をしっかりと形にして見せたということが、どれほどの偉業だったのか。

 リンは、まるで我が子のことのようにサチコの人生をマユに語って聞かせた。

 仮に二人の様子を何も知らない人間が見ていたとしたら、正しく親子の語らいのように見えたことだろう。

 マユはリンの手を優しく握ったまま、静かに話に耳を傾けていた。

 その表情は慈愛と喜びと、そして哀しみに満ちていた。


 やがて、人生という名の物語は終わる。

 たった一人の聞き手だけを残して。

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