【訪問者2】
「私がサチコを妊娠した時、リンちゃんに話したこと、覚えてる~?」
マユからそう問われて、リンの思考はしばしの間、記憶の海を漂った。
半世紀以上も昔の記憶はほとんど色あせてしまっていたが、マユと一緒に過ごした時間はリン自身が驚くほど鮮明に蘇ってきた。
ただしそれはその当時の空気や感覚がフラッシュバックしただけであって、会話の詳細な部分まで思い出せたという訳ではなかったのだが。
「ええと……どんな話をしたかしら」
リンが頬に手を当てて困ったように呟くと、マユはにっこりと微笑みを返す。
「私の体のこと。どうして子供を産むつもりなのかってリンちゃんに聞かれて……実は初めてだったのよ~、自分の過去のことを誰かに話したのって」
「ああ……そういえばそんな話をしたような……」
リンは改めて当時の記憶を探ってみた。
確か、マユの母親はがんに罹りやすい体質で、自分もそうなのではないかと怯えて暮らしていた……といったような話だったはずだ。
「あの時、いずれ話すって言ったまま、こんなに時間が経っちゃったけど~……」
「いずれ話す……? なんでしたっけ……ごめんなさい、あまり覚えていなくて」
やはり大体の話は思い出せても、細かい部分は抜け落ちてしまっている。
しかしリンにとっては遥か遠い昔の出来事であっても、歳を取らないマユにとってはつい最近のことのように思い出せるのかもしれない。
「がんに罹りたくない、死にたくないって思いながら過ごしていた時に、私はネットでとある宗教団体について知ったの。
「ああ……確かコアを崇拝する新興宗教でしたっけ?」
その宗教団体については、リンも少しだけ聞き覚えがあった。コアが発見されて間もない頃に設立されたというのだから、もう半世紀以上経っているため、新興宗教というのは適切ではないのかもしれないが……。
曰く、コアに祈りを捧げれば病が治るとかなんとか。
よくあるエセ宗教の一つに過ぎないとリンは思っていたが、リンたちだけが秘密にしている【願いシステム】と微妙に共通するものを感じて、記憶の片隅に引っかかっていたのだった。
「そうそう。今思えばものすご~く怪しいんだけど、その頃の私は藁にもすがる思いっていうのかな……とにかくそんな感じで入信しちゃったのね」
それはちょっとどうなんだろうと思いながらも、リンは口には出さなかった。
きっと当時のマユは本当に追い詰められていたのだろう。いつ自分に襲いかかるかわからない病魔に怯えている時に、まさに自分のためにあるような希望の糸を見つけてしまったら、それに
「半年に一度くらい開催される集会で、大きなフロアにたくさんの人がいてね~。ステージの上で、代表の人が、その半年の間に奇跡を起こしたっていう信者さんを呼んでインタビューするの。病気が良くなったとか、怪我が治ったとか……スクリーンにその前後の写真なんかも映されて、会場はすごい熱気だったわ~」
よくある手だな、とリンは思った。
集団催眠のようなものだ。仕込みを使ってさも本物のように奇跡を演出し、密閉された会場にいる大勢の人たちに一体感と高揚感をもたらす。
恐らく入信したばかりの人には仕掛け人が横についていて、「実は私も前にあのステージに立ったことがある」などと話しかけるのだ。
ステージの上という遠いところにあった奇跡が急に手の届くところまで来たような錯覚にとらわれて、自分もそれを得られるのではないかと思い込んでしまう……そこまで行ければ、後はお決まりの型に
果たしてマユの話はおおむねリンの想像した通りだった。
マユは『代表の祈祷によってエネルギーが込められた』とされるコアを高額で購入し、更に毎月いくらかの金をノルマとして納めていたらしい。
「呆れちゃうでしょう~? こんなに分かりやすい手口に引っかかって……私、毎日コアにお祈りしてたのよ~。死にたくない、どうか健康な体にして下さい~って」
恥ずかしそうに頬を赤らめながら、マユは語った。
きっとこの話を学生の当時に聞かされていたら、ドン引きしてマユから少し距離を置こうと考えていたかもしれないなとリンは思った。
だからあの時マユは、話を途中で打ち切ったのだ。
いずれ話す。
それはつまり、いずれ時が過ぎて、歳を取らないマユという疑いようのない証拠を示せるようになる日が来るから……ということだったのだ。
「ある時、夢を見たの。いつも枕元に置いているコアが浮かび上がって、花が咲くみたいに開いていって、眠っている私を包み込むの。私は眠りながら、自分の体が作り変えられていくのを感じていた。そうして目を覚ました時、枕元のコアはどこかへ消えてしまっていて……私は永遠に歳を取らず、死ぬことのない体になっていたの」
嘘みたいに胡散臭い話だ。リンは今、自分が新興宗教の勧誘にあっているのではないかと思わず錯覚してしまったくらいだった。
しかし、動かしようのない証拠は最初から目の前に突きつけられていた。こればかりはどうやっても間違えようがない。
そうして今この時になってようやく、リンは察した。
「コアは、願いを叶える装置だったと……?」
「う~ん……そうと言えばそうなんだけど……」
マユは言いにくそうに口をモニョモニョと動かす。
「たぶんあれは、科学がもっと発展して、コアの機能を完全に使いこなせるようになって……そうして初めて、人類が手にすることができるものだと私は思ったの」
今現在、コアの研究は――サチコの研究は例外として――発見当時からほとんど進んでいないと言ってもいいくらいで、その秘密を解き明かす日など到底来ないようにすら思える。
だとしたらなぜ、マユの願いは叶ったのだろうか。
「きっと、コアを作った存在も予想していなかったんじゃないかしら~。ある種の不具合みたいなもので……人間の願いを受け取ったコアが予期しない動作を引き起こして、願いを叶えるという結果だけを先取りしてしまった……とかね~」
マユの話を聞いているうちに、リンの長年の疑問は氷解した。
「マユさんが執拗に【願いシステム】を公開しないように働きかけていたのは……」
「ええ。きっと今リンちゃんが考えた通り」
マユは、我が意を得たりといった様子で頷く。
「もしもそれを公開してしまったら、世界中の人々の願いがコアに捧げられることになる。確率はものすごく低いみたいだけど……分母が増えれば、その願いのうちのいくつかは叶ってしまうかもしれない。そして、全ての願いがこの世界を良くするものとは限らないでしょう?」
コアに願い事をするなんて行為は、今現在では
しかし【願いシステム】が公表されれば、研究者たちはこぞって検証のための実験を行うはずだ。
明確にコアに向けて意思をぶつける中で、思考の隙間に半ば無意識の願望が混ざらないという保証はどこにもない。
そしてそれが、「気に入らない人物が消えればいいのに」などといった攻撃的なものであってもおかしくはない。そして……たまたまその願いが叶ってしまう可能性はゼロではないのだ。
そこまで考えてリンは、事の重大さに身震いした。
人体を不老不死へと変える――マユが叶えたその願い事の時点で、現在の人類の科学力を軽く超越しているのだ。
仮にコアを作り出したモノが上位次元の存在ならば、下手をすれば、人類が思い浮かべられる程度の願望であればどんなものでも叶ってしまうのかもしれない。
それはつまり……たった今、この瞬間にも、この世に絶望した誰かの破滅的な願いによって世界が消えてなくならないという保証はどこにもない、ということなのだ。
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