2XXX年11月 【団欒】

「いらっしゃい、リンちゃん!」


 穏やかな日差しが降り注ぐ休日の午後、マユ教授のマンションを訪れたリンと息子のカイトは、今年7歳になるサチコに元気よく出迎えられた。

 マユ教授とそっくりなふわふわの髪を二つに縛り、白のブラウスとピンクのスカートという可愛らしい格好だ。今日はリンたちが来るので特別におめかしをしているらしい。

 サチコは元気よくリンの手を引っ張りながら、笑顔で彼女たちを招き入れた。


「ママー! リンちゃんとカイトくんが来たよー!」

「はいは~い」


 リンがリビングに入ると、玄関の扉を開けた時から漂っていた甘い香りが一層強くなった。リンの後ろにぴったりとくっついていたカイトが、匂いにつられるようにキョロキョロと辺りを見回す。


「リンちゃん、カイトくん、いらっしゃい~」

「どうも、お邪魔します。……あら、いい匂いがすると思ったら」

「今日はパンを焼いてみていたのよ~。なかなか難しいわね~」


 テーブルの上には、大小様々な形のパンが並んでいた。

 そのいくつかは膨らみすぎて互いにくっついたりしているが、恐らく動物の形を作ろうとしたのだろうということはわかった。


「へえー、かわいいですねえ。サッちゃんも一緒に作ったの?」


 リンが尋ねると、サチコはリンの手を放してテーブルに駆け寄り、得意そうな顔で一つのパンを指差した。


「これ! これサッちゃんが作ったの!」

「これかー。ウサギさんかな?」

「うん。ウサギさんちょっと崩れちゃった」

「上手にできてるよ。かわいい」

「へへー」


 マユ教授が追加のパンをトレイに載せて持ってくると、テーブルの上はパンでいっぱいになった。

 たくさんの可能性が確かな結果となって並んでいる。これは成功だけど、どうしてこっちは失敗したのだろう……と、それら一つ一つの結果を検証している母娘の姿を眺めているうちに、リンの心の中は暖かい気持ちで満たされていった。


「……なんか、時間が経つのって早いですね」


 皆でパンを食べた後、リンはマユ教授と向かい合ってコーヒーを飲んでいた。

 息子のカイトはサチコに遊んでもらっている。隣の部屋から聞こえてくる小さな笑い声を聞きながら、リンは少し憂いを帯びたような、それでいて穏やかな表情を浮かべながら言った。


「ついこの間まで赤ちゃんだったのに」

「本当にそうね~。サチコもカイトくんもあっという間に大きくなって……」

「もしかしたらあたしも、母親から見たらそんな感じだったのかなあ」

「そうかもしれないわね~」


 子供の成長を見守るのは嬉しくて楽しいことだけれど、同時にどこか寂しさを感じてしまうのはなぜだろうとリンは思った。

 子供はいつか親元を離れる日が来る。そのことを強く意識する時、不思議とリンの頭の中に浮かぶのは、マユ教授と一緒に研究しているコアのことだった。

 ここ数年の間に様々な分野で技術革新が起こった。それに伴い、コアの研究規模はどんどん縮小されていくだろうと言われている。もはや未知の可能性に賭ける時代は終わったのかもしれない。

 このまま行けば、そう遠くない未来には核融合発電所の国内建設すら現実のものとなるらしい。そうなれば、かつてマリィ博士が研究していたというコアからエネルギーを取り出す方法なんてものは全くの無意味となる。

 リンは在りし日のマリィ博士とユカリ助手の姿を心に思い描いて、どこか切ない気持ちになった。


「子供が育つのは良いことだわ。私も子供から学ぶことがたくさんあるもの~」

「……そうですね」

「研究も同じよ~。ヒントは世界中に散らばっているの。いつかそれを拾い集めにいかないとね~」


 いつも通りのマユ教授の謎めいた発言を笑ってかわしつつ、リンは机の上のタブレットを起動させた。


「ところでマユ教授、これ見ました?」


 そう言ってリンが指差したのは、学術系ニュースサイトの記事だった。

 その内容は、コアの構造解析に関する論文の抜粋だった。


「見てないわね~。どれどれ~?」


 それは一言で言えば、コアは超巨大な集積回路であるという説だった。

 コアは今の形のまま作られたのではなく、本来の姿は二次元平面の広大な基盤で、我々のCPUとは全く別の理論で回路が組まれているのだという。

 コアの本来の基盤は太陽の表面積ほどの広さがあり、その上にびっしりと組まれた未知の回路は、世界中のコンピューターを全てフル稼働させても10億年以上かかるような計算を、ゼロコンマ1秒もかからずに処理できる。この二次元平面の基盤を三次元に転換したものが、普段我々が目にしているコアなのだという。


「あらまあ~……すごい論文ね~」

「なかなかパンチが効いてるでしょ?」

「……でもこれ、正しいかもしれない」

「えっ?」

「女の勘だけどね~」

「マユ教授、時々素に戻るみたいなやつ、びっくりするんでやめてもらえます?」

「あら~、私はいつだって素のままよ~」

「そうですか……」


 リンは諦めて頬杖を付き、ちょいちょいと指先でタブレットをいじった。


「ていうか今更ですけど、あたしたちが願いシステムでコアをいじってるのって、CPUの基盤をいじってるのと同じことになりません? そんなことしたら、普通に壊れちゃうと思うんですけど」

「そうね~……全てが回路というわけではないのかもしれないわね~。割合はわからないけど、ブランク部分が何割かはあるはず。私たちが動かせるのは多分、その部分だけなんだと思うわ~」

「あー……なるほど……そこの空白部分にマリィ博士のデータが格納されているってことなのかな……? え、だとしたらあまりいじるのはマズい……?」

「その心配はいらないと思うわ~。この説の通りなら、メモリ自体もものすごく巨大なはずだもの~」


 リンは専門ではない情報処理関係の知識が明らかに足りていないことを歯がゆく思いつつ、どうにか自分なりに想像してみることにした。

 空に浮かぶ途方もなく巨大な基盤の中心に、日の丸のように回路がびっしりと埋め込まれている。その周囲はキラキラと虹色に輝く0で埋め尽くされており、地上から送られてくる人間の思考を読み取った部分がワラワラと1に変わっていく……。

 そこまで考えて、リンは益体もない妄想を中断させた。


「……でもやっぱりそれはないですよ。コアが最初に発見された当時の分析でさえ、予想されるメモリの大きさはたかが知れているって結果でしたし。CPUとしての機能だって、大したことはなさそうだって……」


 そもそもコアがオーパーツとして扱われることになったのは、内部に刻まれている模様が人工的に組まれた回路としか考えられなかったからだ。当時の研究者は、観測できる部分から推測して、仮にCPUと同じように運用できた場合のおよその性能を見積もったらしい。


「でも今まで誰も、実際にそれを検証できていないわ~」

「まあそうですね」

「三次元から観測した場合には、そう見えるだけかもしれないということよね~」

「それって……マユ教授が言いたいのは、コアを二次元展開しないと本来の性能は発揮できないってことですか?」

「かもしれないわね~」

「コアを潰して平べったくする……とか、そんな話じゃないですよね。機能を維持したまま物質を次元操作するなんてファンタジーのレベルですよ。そんな技術が現実のものになるまでに、あと何世紀必要になるんだか……」

「まあ私たちはこれまで通り、今できることをするしかないということね~」

「そうなりますねえ……」


 話が一区切りついたところで、隣の部屋からサチコがとてとてと歩いてきて、マユ教授の隣の椅子に座った。


「あら~、サッちゃん、カイトくんはどうしたの~?」

「ねちゃった」

「カイトはいつもこのくらいの時間にお昼寝してるから……サッちゃん、遊んでくれてありがとうね」

「うん」


 サチコはリンとマユ教授の顔を見比べた後、くいっとマユ教授の袖を引きながら、悪戯めいた笑みを浮かべた。


「ねえママ」

「なあに~?」

「ママはリンちゃんと結婚しないの?」


 マユ教授とリンは同時に目を点にしてから、フフッと同じように笑い合った。


「リンちゃんはもう結婚してるから、ママとは結婚できないのよ~」

「でもー、ママいつもリンちゃんが来る日はすごく嬉しそうにしてる」

「それはそうよ~。サッちゃんもリンちゃんとカイトくんが来るの、楽しみにしてるでしょう~?」

「うん。……ママはリンちゃんのこと好きなんでしょ? 好きな人とは結婚するんじゃないの?」

「あらあらこの子は~」


 マユ教授のおっとりとした口調はいつも通りなのに、その顔は見間違いでは済まないほど赤くなっていて、リンは自分までむず痒い気持ちになってきた。


「今の旦那と結婚してなかったら、マユ教授と結婚してたかもしれませんねー」


 照れ隠し混じりにリンが言うと、マユ教授の顔はますます赤くなっていった。


「も~、リンちゃんまでからかわないで~」

「ねえサッちゃん、あたしはママとは結婚できないけど、あたしのことはもう一人のママだと思ってくれていいからねー」


 そう言ってリンはサチコに微笑みかけた。

 実際のところ、それは嘘偽りのない気持ちだった。


「うーん……」


 サチコは少しの間考えるような素振りをしてから、顔を上げた。


「それはいいや」

「あれっ!? いいの!?」

「うん。だってリンちゃんはカイトくんのママでしょ」


 子供特有の容赦ない言葉の切れ味に、リンもマユ教授も思わず苦笑するのだった。

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