20XX年1月 神奈川・横浜 【想い】

 自室の隣の部屋に運び込まれた資料を、リンは待ちきれないといった様子で確認し始めていた。

 机などの家具も祖母の研究室で使われていたものをそのまま流用している。資料を置くためだけの部屋にわざわざ調度品を購入して設置する必要もないからだ。

 古めかしいPCも、結局捨てずにそのまま持ってきた。動作確認は済んでいたのでセッティングは簡単に終わった。


 使い込まれた椅子の上に行儀悪くあぐらをかいた姿勢のまま、紙の資料をチェックしていく。一枚、また一枚と読み進めるうちに、リンの表情は険しくなっていった。


(願いシステム……? コアが人の意思を読み取る……?)


 リンはだんだん、祖母が己の人生の大半をかけて壮大なドッキリを仕掛けたのではないかと思い始めた。オカルトまがいの怪しげな研究内容が、恐ろしく詳細に記録されているのだ。

 もしも彼女が50年もの歳月を費やして、子供や孫たちを驚かせるためだけにこれを作ったのだとしたら、その狂気は計り知れない。

 このままでは母親に、あなたの母は実は最初から狂っていて、あなたの家族はその被害者だったのだと報告しなければならなくなる。想像するだけで恐ろしいことだ。

 リンは頭を振って立ち上がり、PCに計測用の機材を接続していった。

 決めつけるのはまだ早い。信じられないような研究内容だが、その検証は簡単にできる。つまり、自分でコアに願いを込めて、その前後でコアに変化があるかどうかを比較すればいいのだ。

 これから行うことにリンは正直なところ全く気乗りがしなかったが、幸いなことにここは大学の研究室ではなく誰も訪れる予定のないマンションの一室だ。誰にも知られることはない。

 まずコアの一部分の構造を記録し、次に専用にカスタマイズされた装置を頭に取り付けて、それが変化するイメージを浮かべた。


(これ何分くらい続ければいいんだろう……)


 よく分からなかったので適当に1分ほど目を閉じてから、装置を取り外して再計測してみる。

 結果は……変化なし、だった。


「ふぅーーー……」


 リンは盛大にため息を吐いた。そして部屋に誰もいないのをいいことに、ごろんと床に身を投げだして、手で顔を覆った。


「バカ! バカ! バカ! ドッキリは大成功だよ、おばあちゃん! もう出てきていいよ!」


 途端にリビングのドアが開いて、父と母と祖父と亡くなったはずの祖母がひょっこりと現れる……なんてことはなかった。

 PCのファンの音と、耳に痛い静寂だけがあった。


(オーケー、変化なし。期待していた結果がでないことなんて、実験ではよくあることだよ。そういう時はたいてい条件が足りていなかったり、見落としていることがあったりする。あるいは別の実験方法に変えてみるとかね)


 リンは実際のところほとんど諦めかけていたが、祖母がただの狂人だったという事実を認めたくない一心で、検証を続けることにした。

 コアに微弱な電流を流す装置はリース品だったため、残念ながら今は手元にない。検証方法を変えることはできない。ならばせめて、何がいけなかったのかを探る必要がある。

 リンは再度資料を読み返した。続いてPCの中のデータをざっと洗い出した。そして最後に、パンドラの箱の底に希望が残っていないかとダンボールの底を漁っていると……一枚のマイクロメモリを見つけた。

 わらにもすがる思いでそれをPCに接続すると、出てきたのは一つの音声ファイルだけだった。

 リンはがっくりと肩を落としつつ、どうせなのでそれを再生してみることにした。

 もしかしたらおばあちゃんから子孫に向けた、ドッキリ大成功のメッセージかもしれない。

 静かなノイズの後に流れてきた音声は、知らない女の人の声だった。少なくともリンが幼い頃に聞いた祖母の声とは違うような気がした。


(でもなんか……ちょっとお母さんの声に似てるな……)


 声の主はどうやら、クモザキユカリという人に向けてメッセージを録音しているらしかった。確か祖母の名前はユカリだったはずだ。旧姓は知らないが、恐らくこれは祖母に向けたメッセージに違いない。

 そして聞いていくうちに、声の主はマリィという名の博士らしいことが分かった。

 祖母のユカリは、マリィ博士の助手をしていたのだ。


『私は、きみを愛している』

『この言葉がどういう意味か、きみの好きなように解釈してもらって構わない』


(えっ、ていうかこれ……えっ!?)


 唐突に耳に入ってきたその言葉を聞いて、リンは思わず口に手を当てた。自分の体温が上昇していくのを感じる。

 愛している、という言葉が何を意味しているのか。マリィ博士の真剣な口調を感じ取ったリンの頭の中では、その意味は一つしかなかった。


(おばあちゃんはマリィ博士の研究を引き継いだのかな……それが家族をかえりみずに研究に没頭することになった理由だとしたら……それってつまり……)


 とんでもないものを聞いてしまった、とリンは思った。

 これは絶対に母に聞かせる訳にはいかない。いや、祖父にもだ。

 祖母は……祖母が愛していたのは、最初からたった一人だけだったのだ。

 マリィ博士は今どうしているのだろう、と考えた時、リンの頭の中に何かが引っかかった。自分はマリィという名前をどこかで聞いたことがなかったか……。


(……おじいちゃんに聞いてみよう)


 リンはスマートフォンを取り出すと、祖父のユウトにメッセージを送った。


『おじいちゃん、今おばあちゃんの資料を整理していたら、マリィっていう博士の名前が出てきたんだけど、知ってる?』


 祖父からの返信は意外と早かった。


『マリィは僕の母の名前だよ。リンのひいおばあちゃんだね』


 なるほど、それならどこかで聞いた記憶があったのも当然だ。

 納得した後に、リンの頭は一瞬、混乱に陥った。

 母方の祖母がユカリで、祖父の母がマリィ? ユカリはマリィの助手をしていて、マリィとユカリは恐らくお互いに愛し合っていて……でもユカリは祖父のユウトと結婚して、ユウトの母はマリィで……。

 混乱したリンは資料の裏側の白紙に相関図を書いてみて、思っていたほど複雑ではないことを確認してから、ようやく冷静になった。


『ユカリと僕の母は若い頃に一緒に研究をしていたんだ。言ってなかったかな?』


「聞いてないよ!」


 祖父からの追加のメッセージを読んで、リンは思わず声に出して叫んだ。

 それからリンは、見たことのない曾祖母について思いを馳せた。もしもマリィ博士がまだ生きているなら、ユカリが亡くなったことを伝えたいと考えたが……恐らくその可能性は低いだろうと思った。


『マリィおばあちゃんは、もう亡くなってるの?』


 リンは少しためらってから、そのメッセージを送った。

 祖父からの返信はすぐに来た。


『母は僕が小学生の頃に亡くなったんだ。その頃ユカリは中学生くらいだったかな。父がユカリを引き取って、それから頻繁に顔を合わせるようになったんだよ』


 かなり若い頃にマリィ博士が亡くなっていたことに、リンは軽い驚きを覚えた。

 祖父が小学生の頃ということは、その当時彼女はまだ30代の前半くらいではないだろうか。

 先程聞いたマリィ博士の声は成人した大人の女性のものだった。恐らく亡くなった時期にかなり近い頃のものだろう。

 祖父と祖母の馴れ初めを聞いても、リンの心の中には気まずい感覚しかなかった。それは決して心ときめくような出会いではなかったということを、彼女はもう知ってしまっていた。


 その後リンは、残りのダンボールを開封していくにつれて、ユカリの執念にも似た情動を知ることになった。

 個人的なメモが多く残されていた訳ではない。しかし、研究の時系列やその内容から、リンには不思議とユカリの想いが手に取るように分かってしまった。

 ユカリは亡くなるまでマリィ博士のことだけを想い続けていた。

 彼女は中学生という若さで最愛の人をうしなったのだ。

 全ての支えをなくした彼女を突き動かしたのは、たった一度だけコアから聞こえてきたというマリィ博士の声だけだった。


「そっか、願いだ……」


 リンは無意識にそう呟いて、再び実験の検証を行う準備を始めた。

 ほんの数十分で、検証に臨む自分の気持ちが全く変わっていることに驚きつつ。


(おばあちゃんの研究が全部ウソだったなんて思いたくない。こんなに強い気持ちが報われないなんて、信じたくない)


 リンは研究者としてふさわしくないこと……つまり、この実験を行えばこういう結果が出るはずだと自分に思い込ませることを、あえてしようと思った。

 本来であれば研究者は実験でどんな結果が出ても、それをありのままに受け止めて、それに合わせて己の考えを修正していかなくてはならない。そうしなければ自分に都合の良い方向へと結果を歪めてしまい、結局は真理から遠ざかることになる。

 だが、この件に関しては例外だとリンは強く念じた。

 どうか望む結果が出て欲しい。祖母の想いを無駄にしないで欲しい。


 そして……コアは、リンが望んだ通りの変化を見せた。

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