20XX年12月 埼玉・大宮 【もしもあの時】
コアの研究には、専用の機材が必要となる場合が多い。
それを一から開発しようとすれば莫大なコストがかかるが、既存の装置をカスタマイズして使用するだけなら、それほど大げさな金額にはならない。
マリィ博士とクモザキ助手はこの日、埼玉のとある企業を訪れて、新しく導入する装置の打ち合わせを行う予定になっていた。
受付で名前を告げて入館証を受け取り、指示された会議室へと向かう。
エレベーターで3階に上がるとすぐ目の前に扉があり、その脇にあるリーダーに入館証をかざしてロックを解除すると、奥へと伸びる廊下が続いている。
外観は古いビルだが中はきれいにリフォームされており、黒を基調とした清潔感のある内装だった。
目的の会議室はすぐに見つかった。扉は開け放たれており、中には社員と思しき女性が一人で待っていた。
「こんにちは。今日はよろしくお願いします」
「こんにちは~。私、マユツムギと申します~」
一通りの挨拶を交わしてから席につく。
マユツムギと名乗った社員は、ふわりとした髪と、どこか間延びするような喋り方が特徴的な女性だった。スーツ姿ではなく、ゆったりとしたセーターとスカートを身に着けており、全体的にふくよかな印象がある。
彼女は椅子に座ったところで改めてクモザキ助手に目をやり、少し不思議そうな表情をしてからニコリと笑いかけた。そしてそれ以外には特に触れることなく、すぐにマリィ博士に顔を向けて話し始めた。
クモザキ助手は今回は完全にお供としてついてきただけなので、出番はない。
マリィ博士が自分に経験を積ませようとしているのであろうことは理解していたので、クモザキ助手はおとなしく用意されていたお茶に口をつけた。
「ごめんなさいねぇ、実は今日、担当の者が急病で来られなくなってしまって~。私は開発の者なんですけど、申し訳ありませんが、今日は私一人ということで~……」
「ああ……そうだったんですね。大丈夫です。お大事にとお伝え下さい」
マリィ博士は特段気にした様子もなく打ち合わせに入った。
今回の機材についての事前打ち合わせは、これまでずっと営業の者とやり取りしていたのだが、どうもこの営業がまだ経験の浅い若者らしく、突っ込んだ内容について話す際にうまく意思疎通が取れないといったことが何度かあった。なので今日の顔合わせで開発の人間と直接話せるなら、マリィ博士としては何も問題はないのだった。
「……ではこの形で進めるということで~。他に何かご質問はありますか~?」
「いえ、大丈夫です。よろしくお願いします」
「は~い。ではまた~」
ビルを後にして少し歩いたところで、打ち合わせ中ずっと静かにしていたクモザキ助手が久しぶりに声を出した。
「さっきの……マユツムギさん、なんだか不思議なお姉さんでしたね」
「見るからにほわほわしてたなあ」
「マシュマロみたいな人でしたね。全体的に」
「うん……胸とかね……」
向こうもなんで子供が一緒に来てるのか不思議だっただろうなと思いつつ、クモザキ助手は打ち合わせの内容以外についての感想を適当に述べていく。
椅子のクッション部分の厚みが意外としっかりしていただとか、ロビーの自販機の値段が微妙に安かっただとか、そんな他愛のない話で盛り上がった。
時刻はまだ午前11時を回ったところだった。
思っていたよりも早く用事が終わったため、ちょっと昼食でも食べてから帰ろうかということになったのだが……。
数分後、マリィ博士とクモザキ助手は道に迷っていた。
迷っていたというよりは、自ら迷いに行ったと言うべきか。
「……で、どこなんですかここ」
「わからん……というかなんだこの狭い道は……狭すぎるし、店がひしめき合いすぎている……さっき通った道も迷路のように狭かったし……一体どういうことだ……こんなことがあっていいのか……? 埼玉の人間は狭い道を好むということか……?」
マリィ博士は人がすれ違うのがやっとというような狭い道をあちこち見渡しながら、半ば独り言のようにブツブツ言っている。
クモザキ助手はいつもの呆れ顔でその様子を見ていた。
「わざわざ狭い道を選んで入っていったのは博士じゃないですか。諦めてスマホ使いましょうよ。なに意地になってるんですか」
「パチンコ! 居酒屋! 服屋さん! お寿司屋さん! 居酒屋! カレー屋さん! お寿司屋さん! どうしてチェーン店の寿司屋と本格的な寿司屋が向かいに建ってるんだ!? ……あっまたお寿司屋さんだ! 騙されてはいけないぞクモザキくん……埼玉に海はないんだからな!」
「博士……もういいじゃないですか。お寿司食べて帰りましょうよ」
「なぜ埼玉まで来て寿司を食わねばならんのだ……何かこう……もっとここでしか味わえないものを求めているのだよ私は」
「だからそれをスマホで調べたらいいじゃないですか」
「そんなことしたら
「だめだこの人」
段々と変なテンションになりながら、その後も迷いに迷った挙げ句、結局二人は大通りにあるファミレスに入ったのだった。
「やっぱりなんだかんだ言っても、こういう慣れた店が落ち着くよね」
「博士、途中から完全に飽きてましたもんね。こうなると思ってましたよ」
クモザキ助手はため息を
「いやしかしなかなか楽しかったよ。アトラクションみたいだった」
「まあ、ある意味冒険みたいではありましたね」
クモザキ助手自身、楽しんでいたのは本当だった。
大好きな人と一緒に外を歩くのは、それだけで忘れられない思い出になる。
注文を終え、クモザキ助手がドリンクバーからジンジャーエールとコーヒーを持って席に戻った時、マリィ博士は自分のポーチの中に手を入れて、なにやらゴソゴソとかき回していた。
「なにか探しものです?」
「ああ、いや……ちょっとこれをね」
マリィ博士が取り出したのはコアだった。
直径5センチメートルくらいの、つるりとした半透明の球体が、ファミレスの照明を反射して輝いた。
「どうしてそんなものを裸で持ち歩いてるんですか……」
「暇な時にこいつを握ってるとねえ、なんだか落ち着くんだ」
「ふーん」
1996年頃のお話みたいだな、とクモザキ助手は思った。
コアがあちこちで発見され始めた当時は、その神秘性にあやかってお守りのように持ち歩く人も多かったらしい。
しかし直径5センチの球体というのは意外と大きいものだ。
コアはその材質について未だによく分かっておらず、アクセサリーとして加工しようとしても硬すぎてうまく削れない。かと言って専用の切断機や研磨機を使うと一瞬で透明感が失われて、くすんだ灰色に変色してしまうのだという。あたかもコアが死んでしまったかのように。
そのためコアを装飾品として活用する試みは早々に諦められ、またその絶妙な大きさから携帯するにも不便ということで、現在では理由もなく持ち歩く人はほとんどいなくなっている。
「……それ、博士が最初に脳波をインストールしようとしてたやつですね」
クモザキ助手が指摘すると、マリィ博士は驚きの表情で目を瞬かせた。
「……わかるの?」
「まあなんとなく……ついでに言うと多摩川で拾ったやつでしょう。覚えてますよ。光の反射具合とか微妙に違いますし」
「それは本当に微妙な差異だよ……驚いたな。君にそんな才能があったなんて」
「コアを見分けられる才能なんて、何に使うっていうんですか」
クモザキ助手は冷めた調子で言って、ジンジャーエールを一口飲んだ。
やたらと甘いし、生姜の香りが全然しない。これを選んだのは失敗だったという後悔が思考の隅に浮かぶ。そもそもどうして冬にこんな冷たい飲み物を選んでしまったのか。ホットココアにしておけばよかった。
「実験の時とか便利じゃないか。測定を終えたコアとそうでないコアを瞬時に見分けられるし」
「普通は最初から混ざらないようにしますよ」
まあそうだけど、とマリィ博士が肩をすくめると、ちょうど注文していたものがやってきた。
ハンバーグと唐揚げのプレート、申し訳程度のサラダ、そして小盛りのライスがクモザキ助手の前に置かれる。彼女はスープバーは後で取りに行く派だ。
対してマリィ博士の前に置かれたのは、チキンの入ったサラダとオニオングラタンスープだけだった。
「博士、最近あまり食べませんね。調子悪いんですか?」
クモザキ助手が心配そうな声で言った。
少女が本気で自分のことを心配してくれているとわかり、マリィ博士は苦笑する。
「別に大したことじゃないんだけどね、最近食べると微妙にお腹が痛くなるんだ。ちょっと便秘気味だし。まあおかげで体重が減ったからラッキー、みたいな」
「ラッキー、じゃあないですよ。ただでさえ博士は生活が不規則なんですから、一年に一回は健康診断受けた方がいいですよ。お腹痛いのも何か病気かもしれないんですから、ちゃんと病院行ってくださいね」
「ユカリちゃんは私のお母さんみたいだなあ」
「もー! 茶化さないでください!」
それから二人は他愛のない会話をして、今後の実験についても少しだけ相談して、久しぶりにゆっくりとした時間を過ごしてから東京に戻った。
その翌年、マリィ博士はこの世を去ることになる。
ステージⅣの大腸がんで、それが分かった時にはもう何もかもが手遅れだった。
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