20XX年7月 東京・品川 【願いシステム】

「博士、終わりましたよ。これでいいですか?」


 クモザキ助手はバラバラと無造作に机の上にコアを置いていった。

 発見された当初では考えられないような扱いだが、今やコアなど河原で見つかる珍しい形の石ころ程度の認識になっているのだから仕方がない。

 そしてこれは例え話ではなく、事実、この研究室で使っているコアのいくつかは、マリィ博士とクモザキ助手が多摩川にバーベキューをしに行った時に拾ってきたものだった。ちなみに潮干狩りに行くと、アサリと一緒にコアが砂の中から出てくることがあるらしい。

 当初は環境の変化による生態系への影響が心配されていたが、現在ではあまり話題に上がることはない。CO2排出量の問題もそうだが、直近で自分の生活を脅かすほどではない環境問題が何年間も強く人々の関心を集め続けることはまれである。


 マリィ博士はクモザキ助手が提出したコアを一通りチェックしてから、「ふーむ」と一言うなり、椅子の背もたれに体重を預けた。


「クモザキくん、やっぱり才能あるよ」

「なんの才能ですか……」


 意味が分からないという顔をしながら、クモザキ助手は胡散臭そうに言った。


「あたしは博士に言われた通り、コアの分子配列が狙った通りに変化すればいいなあと思いながら電気を流しただけですよ」

「うん。それがね、なってるんだよ。ある程度」

「なにがなってるんですって?」

「狙った通りにね、配列が」

「嘘だあ」

「本当なんだな、これが」

「マ?」

「マ」


 二人は顔を見合わせて一瞬沈黙した後、どちらからともなく「うへへへへ」という奇妙な笑い声を上げた。

 それから二人はそれぞれコーヒーとジャスミン茶を一口だけ飲んでから大きなため息をくと、ぴたりと黙り込んでしまった。


「……仮に博士が寝不足で白昼夢を見ているのでないとしたら――これは結構ヤバい発見なのでは?」

「うーん……や、そんなに大騒ぎするほどのことでもない気がしてきた」

「いやいやいや! もしこれがマジなら、コアが人の意思を読み取ってるってことになっちゃうじゃないですか!? 追試しましょう追試! 博士もやって!」

「そうだね、うん。それがいい。そうしよう。よしやろう今すぐやろう」


 その後、まる一日かけて様々なパターンを試した結果分かったのは、コアに微弱な電流を流すトリガーを引いた者の意思が――例えそれが遠隔操作だったとしても――ある程度コアに反映されるという事実だった。


「博士。あたし頭がおかしくなりそうです」

「心配しなくていい。たぶん我々人類は1996年の春に全員頭がおかしくなってる」

「まあ……そうですね。科学で説明できないようなことはとっくに起きていたんでしたっけね。すっかり忘れてましたけど」

「クモザキくん、この世は科学で説明できないことの方がよっぽど多いんだよ。我々はそれを少しずつ、分かるところから翻訳しているに過ぎない。常識はずれなことはいくらでも起きるものさ」

「そりゃそうですけど……」

「しかし、これを発表するのは気が引けるな……というか正直、面倒臭すぎる。意思なんてあやふやなものを具体的に表すには……リアルタイムで脳の活動状況を測定するしかないか? それともいっそ嘘発見器でも買うかな?」


 マリィ博士は頭をガシガシ掻きながら、半ば独り言のように呟いている。

 そんな博士の様子を見てクモザキ助手はぽつりと言った。


「黙っている、というのはどうですか?」


 博士の目が見開かれた。

 驚愕と少しの笑みと、秘密を共有する時のようないたずらっぽい目つきとが入り混じった彼女の表情は、二人が出会ってから初めてお目にかかるものだったので、クモザキ助手は少し得をしたような気持ちになった。


「……そいつは妙案だね」

「でしょう? そもそも、これって博士の研究テーマとは全然関係ないことじゃないですか。知らなかったってことにしましょうよ。スポンサーのカナザワさんだって、いきなり関係ない研究について報告されても困っちゃいますよ。というか、もしかしたら世界のどこかで既に発見されていることかもしれませんし。専門の人たちにお任せしちゃいましょう」

「クモザキちゃん……きみが柔軟な思考をするようになってくれて私は嬉しいよ」

「いえいえ、博士のおかげですよ」

「うふふ」

「あはは」


 そういう訳でこの発見は『なかったこと』になった……はずだった。

 しかし次の日、クモザキ助手が買い出しから戻ってくると、博士は裸のコアを手に持った状態でなにやら難しそうな顔をしていた。


「……クモザキちゃん、私はこれを【願いシステム】と名付けようと思うんだ」

「まだやってたんですか博士。忘れるんじゃなかったんですか?」

「まあまあ、それはそれ」

「まったく……で、なんですか願いシステムって。ネーミングセンスがちょっとアレですけど」

「えっ、センス悪い……? ほんとお……?」


 地味にショックを受けているマリィ博士を一瞥いちべつして、クモザキ助手は買い物袋の中から取り出したペットボトル類を、研究室内の小さな冷蔵庫に詰め込んでいく。


「嘘ですよ。かっこいいですよ」

「なんという棒読み……まあいいや。とにかくコアは我々の意思や願望、すなわち願いというやつに反応するということが分かった訳だろう? だからこうやってコアを握りしめて願いを捧げるとだね……」

「パーティ全員の体力が回復するとか?」

「クモザキちゃん……私が貸したゲームやってくれてたのね」

「まあまあ面白かったですよ」


 まあまあ、というのは、ビデオゲームというものに触れたことさえなかった彼女にとって、最上級の賛辞であることは言うまでもない。


「ていうか、装置も介さずに素手で握っただけでどんな影響を与えようっていうんです? 温めて孵化させる気ですか?」

「いやいや、思い返してご覧よ。電流を流すスイッチを隣の部屋からスマホで操作しただけで、その人間の意思が反映されたんだぜ? そもそも装置がどうとかいう次元の話じゃないんだって。つまり……願いだよ。距離も障害物も無視してダイレクトに願いが届くんだよ。きみがコアの意思を感じたように、コアもまた我々の意思を感じ取り、それに応えてくれるのだ……」


 クモザキ助手は一瞬無の表情をしてから、手に持っていた2リットルのペットボトルを静かに床に下ろすと、自分のPCにカチャカチャと何やら打ち込み、それから博士の方へ向き直った。


「……コアをまつり上げるタイプの新興宗教団体は、現在確認されているだけでも全世界で1000以上はあるらしいですよ。今さら新しく信者を獲得してボロ儲けするのは難しいと思いますが」


 クモザキ助手が示す画面には、『晶磊しょうらい教』『カオロブラ』『包果科学技術学会』などといった怪しげな名称の宗教法人が羅列されていた。


「そういうお話じゃあないんだよな~」

「ですよね。わかってます。ちょっと現実逃避してみただけです。……で、そんなことを言い出したということは、もう検証済みなんですね?」

「ああ。念じれば確かに変化が起こる。と言ってもやっぱり装置を介するより影響は控えめだったけどね……はい、これログね」

「はぁ……以前博士が言っていたことがようやく心から理解できました。この世界は再び混沌の中に迷い込んでしまったんだって」


 それを聞いてマリィ博士は嬉しそうに笑った。


「なに、そのうちクセになるかもよ。謎が解けないことが心地良いんだ」

「それは研究者としてどうかと思いますが……ああ、『人生はまるで編み込まれた髪のよう』、ですね?」

「そう。どれだけ複雑に絡み合っても、いずれ端までたどり着いてしまうけどね」

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