7 くららちゃんとの約束

 くららちゃんのとんでもない事実を突き付けられた翌朝。

 洗面所で髪を整えているところへ、くららちゃんが寝ぼけ眼を擦りながら入ってきた。


「あら、おはようくららちゃん。よく眠れた?」


 声をかけるとくららちゃんが目を細め、湿っぽい目で睨んできた。


「おかげさまでめっちゃ寝不足」


 昨晩のあのくららちゃんから元に戻ったようだ。

 冷たい声音で言う彼女に、くすりと軽く笑ってみせる。


「おやおや、そんな言い方したって自業自得ですわよ」

「うるさい。あとウザい」


 ふふふ、そんな態度をされても、もはやお姉様は何とも思わなくってよ。

 必要以上に離れた後方に待機するくららちゃんを横目で見遣る。

 

「あなたが怖いから私のものはすべて自室で管理することにしたよ。歯ブラシも然り」


 歯ブラシを手に取ってチラつかせて言うと、くららちゃんは顔を背けて唇を尖らせた。


「ちっ、人でなしめ」

「どの口がいうか。それに、誘惑する私がいけないってあなたが言ってたじゃない。誘惑しちゃわないように気をつけますね、このド変態さん」


 努めてにこやかな表情でくららちゃんに向き合い、彼女のほっぺたをつねる。

 指先が頬の柔らかさに包まれる。


「いひゃいいひゃいいひゃい」


 くららちゃんが涙目になって、腕をバシバシと叩いてくる。

 手を離してやると、くららちゃんは頬を両手で包み込み、なぜか口元をニヤニヤと緩ませた。


「へへへ、朝から姉さんの匂いが充満したところで姉さんとイチャイチャしちゃいました。さっきまでドライヤー使ってましたよね。姉さんの髪の匂い、頭がクラクラしますよ、ふへへへ」


 この子、たくましいな。


「アホなこと言ってないで早く準備しなさい。遅刻するよ」

「んーふふふ、しあわせ……」


 ダメみたいだ、もう放っておこう。


 

 

 くららちゃんより一足先に家を出ると、後ろから猛烈な勢いで彼女が追いかけてきた。

 私に追いつくと、素知らぬふりをして横に並んで歩調を合わせた。


 くららちゃんを見下ろして、「どうしたの?」と尋ねる。

 すると彼女はツンとして、顔を逸らした。


「途中まで一緒に行ってあげる」

「なんだ、ただのツンデレか」

「うるさい」


 しばらく沈黙が流れた後、ふと思いついたかのように「そう言えば」、とくららちゃんが口を開いた。


「私、姉さんが嘘をつかない人だって信じてるよ」


 そんなことを急に言い出す彼女を怪訝に見る。

 私を上目遣いに見上げ、小首をかしげた。

 

「いつでもおいでって言ったよね? だから今度からは、堂々と姉さんの部屋に行くから。もちろん、不在時に忍び込んだりはしないよ、さすがに気が引けるしね。もはやバレて怖いことも恥ずかしいこともないし、正々堂々とね」

「そ、そう……え、やだ怖い。なにが目的?」


「だって、本当にめぼしいものは何もかも姉さんの部屋に移動してるんだもん。今回のことで部屋に鍵でも付けられたらなお最悪だし、その前に交渉しておこうと思って」

「ん、ちょっと待って、私に何のメリットもないじゃない」


 私の指摘に、くららちゃんが不敵な笑みを漏らす。


「あるよ、メリット」

「なによ」


「昨日みたいなことは姉さんの目があるところでしかしないと誓ってあげる。なので私のこの件に関しては口外厳禁ということで」

「なんか私、逆手にとられてない?」


「姉さんは全然わかってないね。私の獲物は姉さんが想像してる以上にたくさんあるんだよ。例えばさっき、姉さんが朝食をとった後に台所に放置していたマグカップとスプーンとか」

「え……ヤッたの?」


「残念、お母さんの目があったから諦めた」

「ナイス江美さん……」


 ホッと安堵の息をつく。

 この子、想像以上に極まってるな。なかなかのヤバさと見た。


「ね、どう? そもそも姉さんは私の弱みを握ってるわけだよ。私としては、姉さんの部屋の方がずっと魅力的だから、その機会を確実にとっておきたいだけなの。姉さんとしても私の行動が目に見えた方が気持ち悪くなくて済むんじゃない?」

「いやまあどっちにしろ気持ち悪いけど……」

「うぐっ、ドストレートすぎて胸が痛い」


 少し思考を巡らして、私は人差し指を立てた。


「『お姉ちゃんの監視の元』『お姉ちゃんの部屋の中でだけ』『一日一回十五分』。この条件で手を打とう」

「えー、私が倒れない最小限の吸引時間の半分じゃん。それじゃあ姉さん成分不足で倒れちゃうよ」


「かなーり譲歩してヤらせてあげるだけ感謝なさい。はあ、でも毎日何をされたか分からない不安に怯えるよりかはずっとマシだわ……」

「ひどい言い草だね、クンクンするだけなのに。ていうか、私のこと簡単に信じてくれるんだ。陰でもコソコソするかもしれないのに」


「いや、かなーり怪しんでますけど。でもまあ、曲がりなりにも妹ですし、努力して信じてあげますよ」


 私の返答に、くららちゃんは興味がなさそうに「ふーん」と相槌を打った。

 と、その時、


「くーるーるー」


 背後から、ゆたかの元気な声がとんできた。

 私が振り返る間もなく、背中にゆたかが張り付いた。


「おはよくるる」

「おはよう。ゆたかは今日も元気でかわいいねえ」

「えへへ、照れます」


 そんな、毎朝しているようなやり取りをしていると、傍に立つくららちゃんが眉をひそめていた。


「あの、私もいるんですけど。人前でイチャイチャし始めないでくれますか?」


 表情が険しいぞくららちゃん! やきもちか? やきもちなのか?


「どうしてくららがくるると一緒にいるんだ! そっちの方が大問題なんだけど!」


 ゆたかも対抗するなよお。


「姉と妹が一緒にいたら変ですか? あと早く姉さんから離れてください」

「仲良しがイチャイチャしたら悪いですか!」

「私が個人的にムカつきます」

「じゃーゆたか知ーらない」


 おお、今日も今日とて険悪か? 

 しかしこの二人、実はすでに連絡先を交換して頻繁に連絡を取り合ってるんだよなあ。普通に仲良しなんだよなあ。

 うんうん、似た者同士仲良くしなさい。


 なんてことを考えていると、くららちゃんが私を不審な目で見ていることに気がついた。


「姉さん、ニヤニヤしてキモい」

「くるるのことをキモいとか言わないで欲しいんだけど! くるるはなあ、ゆ・た・か・み・た・い・な! 小柄な女の子が可愛くて好みだから、ゆ・た・か! と、ゆ・た・か・に・似・た! くららのやり取りが微笑ましいだけなんだけど! それにニヤニヤするくるるはちょーぜつ可愛いでしょうが!」


 おやおや、ゆたかったら。


「強調がくどいです」

「あくまでゆたかが元なだけだから。そこのところをくららに勘違いされても困るからね。ねー、くるる」


 ゆたかが満面の笑みで、私に同意を求めてくる。


「えっ、あっ、うん、そうね。ゆたかは世界一愛らしいわ」

「えへへ、そうだよねー」


 ゆたかが腰に巻きついてきて、頬をスリスリと身体に擦り付けてくる。

 同時に、くららちゃんの冷たい視線が私に刺さる。

 どうして私に向けてくるんだよ、お姉ちゃん困っちゃうよ。

 

 しかしあれだ、やっぱりゆたかは私の心のオアシスだ、癒しだ。色々あった今だからこそ改めて分かる。

 そんな再確認を心の中でしながら、二人のやかましい会話を聞きつつ学校に向けて歩くのだった。

 

 

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