6 化けの皮、剥がれる
くららちゃんとの関係に変化がないまま、さらに数日が経過した。
お休みの日に、「一緒にお出かけしよう」と誘っても、くららちゃんは「一人で行けば」と素っ気なかった。
「ゆたかも来るよ」とゆたかをだしにしてみたが、一瞬眉根を寄せてピクリと反応しただけで、そっぽを向いてしまった。
無理に仲良くなろうとしても仕方がない。もう諦めようかな。
そもそもの間違いだったのかもしれないウザ絡みもやめ、そんなことを思い始めていた時だった。
ある夜、私は少々驚くべき場面を目の当たりにしたのだ。
深夜、なかなか寝付けなかった私は、水でも飲もうと部屋を出て一階に向かった。
くららちゃんを起こさないように、慎重に、ゆっくりと。
階段をおりると、洗面所から明かりが漏れていることに気がついた。
誰か電気を消し忘れたのかと思った時、中から、
「姉さん……姉さん……」
と、息切れ混じりの声が聞こえてきた。
くららちゃんの声だ。
心配が先に立って、私は気後れしつつ洗面所の扉を開けた。
くららちゃんが、女の子座りでペタンと座り込んでいた。
その周りに、私の下着や靴下といった衣類が散らばっている。
両手で持った私のヘアブラシを鼻に押し当てていたくららちゃんは、顔を真っ青にして、唖然と私を見返してきた。
目の前に屈んで、肩をポンポンと優しく叩く。
くららちゃんがアワアワとして、声を震わせる。
「あ、あの……」
「うんうん、思春期だもんね」
「あ、あああ、今日は歯ブラシでなくヘアブラシで我慢しました!」
「うんうん、そんなこと聞いてないから落ち着いてね」
肩を震わせて顔を俯けるくららちゃん。
私はそっと、彼女の小さな身体を腕に抱いた。
腕の中で、くららちゃんがポツリと漏らす。
「どうしてちょっと羽目をはずして盛大に興じた日に限って……」
面白い言い方をするなあ。
とりあえず、私は彼女を連れて自室に戻ることにした。
もちろん、散らばっていた洗濯物をカゴに戻し、くららちゃんが握りしめていた私のヘアブラシを無理やりに没収して。
足の重いくららちゃんと手を繋いで部屋に入り、ベッドに並んで腰掛ける。
くららちゃんはショボンと落ち込んだまま、私が声をかける前に自分から口を開いた。
「私、姉さんに一目……じゃなくて、一鼻惚れしました」
なんだそれ。
「お母さんから、転校する中学の制服をもらって試し着した時です」
「なるほどね」
「ドキドキして、胸の奥が熱くなって……だから、お母さんに勝手にクリーニングに出された時は、この世の終わりかと絶望しました」
「そ、そっか」
その情報は割とどうでもいい。
しばしの沈黙。
くららちゃんがため息をついて、言葉を続ける。
「この家に引っ越してきた朝、私は耐えきれずに姉さんの部屋に忍び込みました。姉さんの制服……新品だったはずなのに、やっぱりすごかった」
頬を上気させて、くららちゃんがうっとりと言う。
どんな感想だよ。
そういえば入学式の日、ゆたかがおかしなことを言っていたなあ。もしやこれが原因か。
「それからこの間……私の制服に姉さんの匂いをつけてもらったのは、安心したかったからなんです。正直、新しい学校が不安で……」
「あー、そういうこと。じゃああの日、私の部屋にいたのも同じ理由?」
「そうなんです、始業式が終わって、不安が増しちゃって。でも、それがいけませんでした」
「というと?」
「姉さんの部屋で長時間過ごしたことにより欲望が……私の中に巣食う欲望がたぎりにたぎって、エスカレートしちゃったんです」
くららちゃんが声のトーンを上げ、熱量多めに語り始める。
「姉さんの椅子、姉さんのノート、姉さんのペン、姉さんの爪切り、姉さんの耳かき棒、姉さんの
……うん。
「ちょっとストップ。まさか今言ったの全部……ヤッてないよね?」
くららちゃんが顔を逸らし、じりっと私から離れた。
「ぜ、全部はやってないですよ? で、でも、あれですね、く、靴はすごーく素敵でしたね」
「おい」
「はッ、動揺してつい本当のことを」
背中を丸め、頭を抱えるくららちゃん。
私は背中を向ける彼女の肩に手を置いて、できるだけ優しい口調を心がけて声を出した。
「靴と? あとは」
「ひっ……姉さん怖いです」
くららちゃんがちらと後ろを振り向き、身をすくめた。
もう一度、「あとは」と聞き直す。
「ほ、本当にさっき挙げた中ではそれくらいですよ! 私にだって自制心くらいあります! ま、まあ、未洗濯のお姉さまのお召し物にはかなりお世話に……」
「おい。なーにが自制心よ」
「だだだって、脱衣所っていう手に取りやすいところにあるのがいけないんです! 誘惑してくる姉さんが悪いんです! 私悪くないです!」
くららちゃんは必死に首を横に振り、無罪を訴えてくる。
悪くないわけあるか! どんな理屈だ!
「で、あんまり聞きたくないけど歯ブラシは? さっき『今日は』とか言ってたよね」
「歯ブラシはですねえ、確かに無臭のはずなんですけど、どうしてか姉さんを密に感じてしまうんです、不思議です」
感想を言えなんて一言も言ってないんだけどなあ。
「歯ブラシから溢れる姉さんの魅力にあてられて、あまりにも
恍惚の表情で勝手に語りだしていたくららちゃんが我に帰り、なぜか私を責めてくる。
あなたの素直なお口だけは褒めてあげるわよ。
私は、これ見よがしにひどく落胆して見せた。
「はあ、お姉ちゃん悲しいよ」
するとくららちゃんは、恐る恐るといった具合に、私に向き直った。
「姉さん引いてます? さっきまであんなに優しかったじゃないですか。ぎゅってされて正直軽くトびかけました」
「はあああ、まさか義妹がこんなんだとはねえ……」
「こ、こんなんって……そこまで言わなくても」
「そこまで言う事象でしょうよこれは。ちょっとアレね、気持ち悪いと言わざるを得ない」
「あああ、反省します猛省します!」
くららちゃんが首が取れそうな勢いで頭を上下させる。
彼女の綺麗なショートヘアが暴れ回っている。
「もうやりませんか?」
私の問いに、くららちゃんは宙に視線を泳がせた。
「えっ……あの、私、一日一回三十分は姉さん成分を鼻から吸引しないと倒れる病気なんです」
「ふざけるな」
「ふざっ……姉さんお口が悪いです!」
「あなたのせいです……っていうかどうしてくららちゃんは敬語になってるわけ? なんか私へのあたりも柔らかくなってるし」
「だって、気を張ってないと姉さんに対して変質者化してしまいますし。さすがにそれは、体裁として」
「なーにが体裁よ……仲良くなろうと必死だった私の努力を返せ!」
当然のように言う彼女に、私はつい勢い込んで詰め寄った。
するとどうだろう、くららちゃんは顔中を緩ませて、
「あっ、そんなに近づかないで! つい引き寄せられちゃいます!」
などと言いながら私に抱きついてきたのだった。
「おい!」
「ああ、これがゆたかさんの言っていた……でへへ、姉さんのナマの匂い……おっぱい……幸せしゅぎますぅ……」
とんでもないことになってしまった……。
私の胸に顔を埋めて、過呼吸になるんじゃないかと心配になるほどの深呼吸を繰り返すくららちゃんの体温を感じながら、途方に暮れるのだった。
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