2 くららちゃん


 私に新しい家族ができると伝えられたのは、本当に突然のことだった。

 三月下旬、高校にも無事合格して春休み中の持て余した暇を楽しんでいた私に、父が、


「会わせたい人たちがいるんだ」


 と言って、二人、つまり私のお母さんと妹になる人を紹介してきた。

 幼い頃からずっと父との二人暮らしだったが、もしかしたらこういうことも起こり得るのかもしれないと考えたこともあった。

 だから父には『もしそういう人がいるのなら好きにしていいからね』と何度か言ったこともある。

 しかし、こうも唐突に告げられると大混乱は避けられないというものだ。

 

 「少しくらい相談してくれたっていいじゃん」という私の苦言に、父は「いやあ、受験の邪魔をしたくなくて」とそれらしい言い訳をしていた。



江美えみです。よろしくね、雅楽うたちゃん。それからこの子が私の娘で……」


 江美さんはすごく優しい微笑みを私にくれてから自己紹介をして、斜め後ろに立つ女の子に目配せをした。

 女の子は切れ長の目で私を一瞥いちべつし、無言のままサッと視線を逸らした。

 不機嫌そうに目を伏せる女の子に苦笑を漏らした江美さんが、代わりに口を開いた。


「ごめんなさいね、この子人見知りで。娘の名前はくららって言います。今度中学二年生になります」

「かわいい名前……」


 思わず出た私の声に、くららちゃんはちらと上目遣いに私を睨み、またすぐに視線を落とした。


「ありがとう。くららってお花の名前なの。白くて鈴なりで、花言葉は『個性的』」

「ほほう、なるほど」


 嬉しそうに話す江美さんに相槌をうって、じっとくららちゃんを凝視した。

 身長はゆたかよりも少し大きい程度。肩上で切りそろえられたショートヘアは真黒く艶やか。長い睫毛が切れ長の目をさらに強調させて、彼女の雰囲気も相まって冷たい印象を抱かせる。

 

 しばらくして、江美さんと父が「ちょっと買い出しにいってくるから、しばらく若い二人で仲良くね」などと言い置いて席を外した。

 私はどことない気まずさをひしひしと感じつつ、とりあえず声をかけてみることにした。


「くららちゃ――」

「ジロジロ見ないで」


 それが、初めて聞いたくららちゃんの声だった。

 

「く、くら――」

「話しかけないで」


 がーん。負けてなるものか。お姉ちゃん頑張る!

 その一心でくららちゃんのそばに寄り、前のめりになって、私は両手でくららちゃんの肩をつかんだ。

 

「よし、一旦私の部屋に行こうか、一旦ね」


 すると、一瞬目を丸くしたくららちゃんは、眉をひそめ、私の手を振り払った。


「い、嫌」

「なんでよ」

「キモい」

「き、きもくないよ!」

「馴れ馴れしくしないで」

「いいじゃん、お姉ちゃんだもん!」

「うるさい、もう離れて」


 そう言って、くららちゃんは私の体を押しやって、背中を向けてしまった。


 がーん。

 こうして、それ以降声をかける気力も失ったまま、くららちゃんが引っ越してくるまでのお別れをしたのだった。



*****


 クラス分けの紙を見たゆたかが、横からタックルをかましてきた。


「くるると同じクラスだー!」

「ぐおっ、もっと優しく抱きついてちょうだい……」

「やさしーく、ぎゅーう」


 言われた通りに、ゆたかが優しくハグをしてくる。

 周囲の新入生が、不思議そうな視線を寄越してくる。

 ま、こんな視線慣れたもんよ。

 

 ところどころに見かける同じ中学だった生徒は、この私たちの光景を慣れ親しんだものを見る目で見てくる。

 ほらね、人は慣れる。慣れって怖いのよ。



 無事に入学式が終わり、ホームルームが終わり、私とゆたかは帰路についた。


「ところで、今朝は例の子とはどうだったの?」

「前に話したのと変わらないよ。おはようって言っても返事はジロリと睨むだけ。なんか完全に嫌われてるわ」

「ふーん、それで終わり?」

「うん、そのあとすぐあの子は二階に上がっちゃったし」

「その時ってさ、くるるはもう制服に着替えてた?」

「ううん、まだだけど」


 いったいそんなことを聞いてどうするのだろうか。

 ゆたかは難しそうな顔をして、むむうと唸り声を漏らした。


「なるほどね。ちっ、敵か……」

「敵って何よ」


 私の問いには答えずに、ゆたかは拳を握りしめた。


「もう戦いは始まっているのだ! ……と、私の冴え渡る勘が言っている」

「は、はあ……そうなんだ」


 意味がわからないが、どうやら始まっているらしい。意味がわからないが。




 

 家に帰り着いて玄関の扉を開ける。

 くららちゃんのスニーカーが、お行儀よく並んでいた。

 それを眺めつつ、くららちゃんとどう接していこうかと考える。

 そもそも、彼女のことをろくに知らないのだから、いい案も思い浮かぶはずがない。


 ため息をついて扉を閉めた時だった。

 二階から、慌てたような、人の動く気配を感じた。

 靴を脱いで家に上がり、階段をのぼる。

 

「くららちゃーん、ただいまー。お姉ちゃんが帰ったよー」


 階段をのぼりながら、二階に向けて声をかける。

 すると、くららちゃんの部屋のドアがゆっくりと開いた。ほんの十センチ程だが、その隙間からくららちゃんが顔を覗かせる。


「あ、くららちゃんが出てきてくれた。ただいまー、お姉ちゃんですよー」

「大声出さなくても聞こえてる。うるさい。あとウザい」


 あらまあ、この子ったら反抗期なのかしら。なんて。

 階段をのぼり切ると、くららちゃんの部屋のすぐ目の前だ。

 くららちゃんは私を上目遣いに見上げて、何かを探るようにじっと見つめてきた。

 下から見上げられるこの感じ、ゆたかみたいですごく親しみを感じるわ。


 そう思っていると、ふととあることに気がついた。


「おや、くららちゃんお顔赤い? 大丈夫?」


 確かに、くららちゃんの真っ白な頬にほんのりと赤みがさしている。気がする。

 すると、くららちゃんはハッと肩を跳ねさせて、勢いよくドアを閉めてしまった。


 あら、怒らせちゃったかしら、思春期の女の子は難しいわね、うふふ。なんて。

 ……ふむ、早くも冷たくされても気をぶれさせないコツが掴めて気がする。

 

 

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