第10話

 ラミラ嬢と殿下との顔合わせは、なんとか無事に終わったらしい。

 わたしはもちろん、お嬢様もライムンド様もその場には居合わせなかったから、後日興奮気味にやって来たラミラ嬢の話を聞いた限りではあるものの、特に頭をかかえる自体にはなっていなさそうだ―――というのが、わたしの感想だった。まぁ、時の魔女がこの上なく自由な存在だということを王家の方々が承知していらしたからこそなのだろう。ついでに彼らがとても心の広い人だと思えば幸せでいられるかもしれない。


 そして殿下との顔合わせ以降、ラミラ嬢の訪問頻度は下がるだろうと思っていたのだけれど、相変わらず週に一度の頻度でお嬢様に会いに来ているし、時には一緒にお出かけしたりもしているから、今後も継続的に二人の様子を報告してもらえそうなのはありがたい。もしも危ない兆候が見られたら対応したいし。


 まぁ、対応するのはわたしじゃないけど、と午後の日差しに窓辺でぬくぬくと微睡みながら、向かい合ってカードゲームに興じている二人を見遣った。


 お父上が公務で外国を訪問された際にお土産で買って来てくれたというカードゲームを携えてやって来たライムンド様は、慣れない言語に苦戦しているお嬢様に蕩けそうな笑みを浮かべながら丁寧に解説している。漏れ聞こえてくる説明によると、動物たちの勢力争いをテーマとしたもののようだ。そんな物騒なものをお嬢様に与えないで欲しい。


 とはいえお嬢様も楽しそうにしていらっしゃるから文句は言えない。ついでに、ライムンド様の目的がゲームそのものではなくて、お嬢様に何かしらを教えるという状況を楽しむことのようだったから、それならまぁ良いかと思っている。手取り足取り教わってニコニコ笑いながらお礼を言うお嬢様、可愛いですからね……。


 そうして麗しいお二人の和やかな逢瀬を見守っていたわたしの耳に、廊下を歩くかすかな足音が届いた。今まであまり気にしていなかったけれど、どうやらこの体は味覚や嗅覚が存在しない代わりに聴覚が強化されているようで、廊下とは反対側の窓辺にいても誰かが近づいて来ていることがわかるのである。おかげでお嬢様不在時に掃除などで使用人が来て、うっかり動いているところに鉢合わせ、なんて事態にならないのは助かっている。


 ともあれ、今はお嬢様がいらっしゃるし、それでなくても普通に窓辺に干されたぬいぐるみ状態だから慌てて移動したりする必要はない。そのままの姿勢でぼけーっと入り口の方を眺めておく。

 やって来たお嬢様付きの侍従は、その手に紅色の封筒を携えていた。


(そういえば彼も随分と大きくなったなぁ……ということはそろそろあの大喧嘩が発生する頃ね)


 見慣れた姿に近づいて来たことに感慨深くなりながら呟き、隙のない動きでお嬢様に手紙を差し出した彼を見遣る。彼に限らず、他家に訪問する際同行したり何かを贈るときに届けに行く侍従は、見目麗しい者が多い。お嬢様付きの彼も例に漏れず女性受けする甘い顔立ちをしているから、お嬢様のご友人に手紙などを渡しに行くともれなく大歓迎されている。ちなみにライムンド様付きの侍従は、生真面目そうでいつもしかめ面をしているけれど、それでも顔立ちはとても整っている。


 懐かしい顔を思い浮かべながらぼんやりとしている間に、お嬢様は受け取った手紙に目を通していた。珍しく困惑しているのを隠していない。


「アリシア、どうした。何か悪い知らせだったのか?」

「いいえ、むしろおめでたいお話ですね……ラミラ様と殿下の婚約披露式が行われるそうです」

「ああ、そのことか」


 驚く様子もなく相槌を打つライムンド様は婚約披露式が行われることを知っていたのだろう。手にしていたカードをテーブルに伏せ、ふいっと視線を宙に投げた。


「パレードなどはせずに、王宮に最低限のみ招いて顔見せをすると聞いたな。誰が招待されるのかもある程度は教えてもらった」


 最低限のみというのが安心なようなかえって心配なような……。お嬢様とライムンド様の婚約披露式はお二人が幼かったこともあって内々で済ませてしまったから、貴族の婚約披露式というものがどの程度の規模になるのかわからないのだけど、王族の婚約だし、最低限といっても結構な人数が招待される気がする。となるとー……わたしが知っているので一番近そうなのはお嬢様の誕生パーティーかな。今はまだそこまでではないけれど、他所のパーティーに出入りするようになった頃からはかなり盛大なものにしていたから、王宮で開かれるパーティー……式典?の小規模なものだったらあれくらいではなかろうか。


 で、その主役にラミラ嬢、か……。挨拶する相手もそこまで多くないだろうし、そもそも普通に考えたら対応は殿下がやってくださるだろうし、そんなに心配する必要もない、かもしれない。どうだろう。


 話を聞きながら一人首を傾げているわたしを他所に、ライムンド様はつらつらと聞いたことのある名前を羅列した。ライムンド様が把握している招待客らしい。何で知ってるんだろう。


「殿下の婚約披露式にしては少ないですね」

「ラミラ嬢の出自が特殊だから、それを考慮した結果らしい」

「なるほど。となると、これはラミラ様の独断かもしれません」


 困惑の表情を苦笑に変え、手にしていた便箋をライムンド様に差し出す。流石にこの距離から何が書かれているかまでは見えないけれど、さっと目を通したライムンド様が眉間にしわを寄せたのを見るに、少々困ったことが書かれていたのかもしれない。


「なぜデビュー前の者を招待しようとする……。招待状はついていなかった?」

「ええ、そのお手紙だけです。正式に招かれている方々にはすでに招待状が届いているのでしょうか?」

「いや、昨日の時点ではまだ発送準備をしているところだったらしい。早ければ今日中に届くだろうけど、準備された中にアリシア宛のものがあったとは聞いていないな」

「そうですか……」


 憂い顔で手紙を見下ろすお嬢様。

 ふむ。ラミラ嬢と殿下の婚約披露式にお嬢様も招待されたということだろうか。旦那様は正式に招待されていて、お嬢様にはラミラ嬢からの誘いが来ていると。まぁ、ラミラ嬢が自分で招待できる相手なんてお嬢様か……お嬢様経由で知り合ったご令嬢方くらいだし、人選はわからなくもないけれど。


 それにしても、ラミラ嬢と殿下の婚約披露式ねぇ……。前回はそんなの、ほとんど話題に上っていなかったような気がする。少なくとも、お嬢様のもとに招待がどうこうという話題は出てこなかった。ちょこちょこ覚えていないこともあるけれど、これは確実。


 まぁ前回はお嬢様とラミラ嬢には何の関わりもなかったから、話題に出なくて当然かもしれない。たぶん、前回も同じく招待客は限定的だっただろうし、そこにお嬢様が含まれないのは至極当然だと思う。


 今回ラミラ嬢から招待されている?のはお二人が親しくなったからだろうし。そして誕生パーティーなら主役の子供が友人を招待するなんて普通のことだから何となくそんなものかと思ってしまうけど、王宮で開かれる婚約披露式にデビュー前の、言ってしまえば子供が行っても良いのかといわれると……まぁ良くないのだろう、お二人の様子を見る限り。


「こんなにもお願いされたら、私もせめて顔を見せに行くくらいはして差し上げたいのですけれど、正式な招待状がないと王宮には入れませんよね」

「そうだね、当日は警備も厳しくなるだろうから、普段出入りしていないアリシアがラミラ嬢に会いに行くのは難しいと思う」


 ライムンド様にしては珍しくきっぱりとお嬢様の望みを却下した。いつもはお嬢様にデレデレでほとんど受け入れたり融通をきかせたりするくせに、珍しいこともあるものだと頬杖をつきながらライムンド様に視線を向ける。いつになくキリッとして、どことなく気合を入れているように見える。


 うーん?お嬢様の望みを受け入れないとか、ライムンド様にとっては拷問のような状況のはずなんですよね。少しでも嫌われたと感じたら絶望するような人ですし。


 だというのに、こうして却下しているのはー……ああ、王宮に行かせたくないからか。


 今のところ、殿下とお嬢様の交流はほぼ皆無だけど、王宮に行ったら、まして婚約披露式に出たりなんかしたら、殿下と会わないわけにはいかなくなる。殿下にお嬢様への執着心が生じないようにするためには、可能な限り接触しないのが良いとわたしも思う。


 うんうんと納得して頷いているわたしのことが視界に入っていないお嬢様は、悩ましそうに柳眉を曇らせて数瞬手紙を見下ろし、ややあって静かに立ち上がった。ライムンド様の手から戻って来た手紙を持ち、申し訳なさそうに首をかしげる。


「私では判断ができませんから、お父様に相談して来ます。申し訳ありませんが、少しお待ちいただけますか?」

「もちろん。―――もし出席するなら、エスコートは任せて」

「はいっ」


 ぱっと笑顔を浮かべて部屋を出て行くお嬢様。その背中を穏やかな笑みを持って見送っていたライムンド様だったけれど、扉が閉められると同時にその笑みはかき消えた。うっそりと眉を寄せて、決着がついていないゲームを睨むように目を落としている。


「ユーア」

(はい)

「ラミラ嬢の様子はどうだ?」

(今の所は、特に問題は生じていないと思われます)


 こちらに視線を向けることなく、そして廊下に誰かがいても聞こえない程度の声量での問いに、やっぱり来たと思いながら返答する。


 お嬢様がいる前でも情報交換はしているけれど、やっぱりお嬢様がいると話せないことも多いから、こうして二人で話せる機会があるのはありがたい。とはいえ、お嬢様を差し置いてライムンド様と二人きりになる機会なんてそうそうないのだけど。

 だからこそ、いまのうちにと少し早口に報告し合う。


(お嬢様に執着していたことを鑑みるに、殿下は素直で可愛らしく、それでいてしっかりと芯のある性格の女性を好まれるのだと推測いたしました。しかし残念ながらラミラ様はお嬢様とは性格が異なります。素直と言うよりも嘘が下手、虚勢は張るけれど自信はあまりない、そういう人です)

「そうだな」

(ですから、無駄に嘘や誤魔化しをしようとせず、できるだけ正直に話した方が良いとお教えしました。誤魔化すのはあくまで殿下にとって支障がある内容ではなく、単にラミラ様にとって恥ずかしいだとか気まずいという程度の内容の時のみ。それから無駄な虚勢をはるくらいなら、どこに自信がないのかを具体的に殿下に相談すると良いとも)

「なるほど……悪くない。下手に取り繕うよりも好印象だろうな」


 わたしとライムンド様の望み通り、殿下がお嬢様への執着をなくしてラミラ嬢と婚約者らしく仲睦まじくなっていただくため、貴族令嬢としての振る舞いも叩き込みはしたのだけど、同時に殿下との会話や話題についてもあれこれと指導していたのである。


 正直、ラミラ嬢が貴族令嬢らしい振る舞いを身につけたとしても、それだけで殿下に好印象を持ってもらえるとは思えなかったので……。


 生理的な嫌悪感があるだとか、どうやっても気が合わないとなるとお手上げだったけれど、幸いなことにラミラ嬢の性格はそこまで悪くなかったからどうにかなるだろうというのがわたしとライムンド様の見解だった。ちなみに殿下とどう頑張っても気が合わない時はまた別の方法を考えていた。


「殿下も悪くは思っていないようだった。先日会った時に婚約者について聞いてみたが、思っていたよりもまともで安心したと言っていた」

(それはそれは。ラミラ様にはこの調子で頑張っていただかなければ)

「そうだな。とはいえ、やはりまだまだ交流が少ないらしいからな……」

(閣下は頻繁にお嬢様に会いにいらっしゃいますが、殿下とラミラ様はどのくらいの頻度で交流していらっしゃるのでしょうか)

「週に一度、会う時間を設けていると聞いた。殿下もお忙しいとはいえ、使用人達に囲まれての会話しかないというのはどうかと思っているんだ。何か良い案はないだろうか」

(そうですねぇ……)


 扉の向こうから物音がしないか意識の片隅で注意しながら考える。


 殿下もお忙しいけれど、ラミラ嬢だってこれまで通りのお嬢様教育に加えて王妃教育も始まったらしいから暇ではない。毎日のように王宮に通って勉強していると聞いていたから、てっきりその時に殿下ともお会いしているのだと思っていたのだが……すれ違っているのか、避けているのか。


 少なくともラミラ嬢側には避ける理由なんてないだろう。殿下にだって、積極的に避けたいと思うほどラミラ嬢への嫌悪感はない、はず。


(ラミラ様は王妃教育のために王宮に通っているとお聞きしました。お勉強されている部屋は殿下の居室とは離れているのでしょうか)

「!……流石にどの部屋を使用しているのかまでは知らないが、会おうと思って会えない距離だとも思えないな」

(とはいえ用もないのに顔を出して邪魔をするのはラミラ様にとっても本意ではないですね。しかし、それだけ近ければ、たまたま出くわすことだってありそうに思います)

「ああそうだな、ずっと部屋に閉じこもっているばかりでもないだろう。殿下も、授業でわからなかったことについて理解を深めるために王宮の書庫を利用することがあるらしい」

(なるほど。その書庫はラミラ様も利用できるのでしょうか?)

「熱心に学んでいると思われるだけだろうな」


 互いに視線だけを交差させる。


(ラミラ様が熱心にお勉強されるのは良いことですね)

「ああ、そうだな」


 次にすることが決まった。

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