第11話
お嬢様がラミラ嬢と殿下の婚約披露式に出かけた後のことだ。
部屋の片付けを終えて使用人達が退室していったのを確認してから、いつものように棚を飛び降りて部屋の中を見て回り、出窓によじ登って外を眺めていたわたしの視界に、鮮やかな赤色が飛び込んできた。
つり目がちの勝気な顔立ち、黒いドレスに包まれた均整のとれた体つき、何より一番目を引くのは風になびく真っ赤な髪。
ぽかんと見上げるわたしに、赤く染まった唇を釣り上げたその女性はコンコンと窓を叩いた。ここ、地面から離れているはずなんですけど。
「ほらほら、早く開けなさいよ。お嬢様の部屋の窓を割っても良いの?」
良いわけないだろ何言ってんだこの不審者。
うっかり心の中でも言葉が乱れてしまったけれど、黙して動かなければ有言実行することは想像に難くない。彼女はそういう人だ。
お嬢様の部屋にお嬢様がいない時に他人を入れるのはすごく嫌で嫌で仕方がないが、背に腹は変えられない。しぶしぶ窓の鍵を開ければ僅かな緑の匂いとともに赤髪の美女が入り込んできた。早く帰ってくれないかな。
「ちょっとぉ、願いを叶えてあげた恩人に何よその態度。もっと感謝して?」
(わぁい、ありがとぉございまぁす)
「なんだか腹が立つ言い方ね」
ぬいぐるみの表情なんて変わっていないはずなのに、どうやってわたしの心境を読み取ったんだろうこの人……やりづらくて嫌だ。
お嬢様の部屋に勝手に入り込んでいるというのに全く悪びれる様子のない彼女は、肩をすくめて部屋の中を見渡すと躊躇なくお嬢様の定位置である肘掛け椅子に腰を下ろした。ちょっとイラっとした。
(……娘の婚約披露式に出なくても良いのですか)
出窓に腰掛けたままそう問いかければ、ひらひらと片手を振って返された。
「私はああいう場には出なくて良いの。それに今あの子は別の家の子としてお披露目されているから、むしろ私がいない方が良いはずよ」
(まぁ……そうですね。貴女がいない方が他の方々も安心でしょう)
「ふふ。いつ魔女に呪われるかってビクビクしながらごますりに来る人を見るのはなかなか楽しいけれどね?」
(趣味わっる……)
楽しげに含み笑いをする彼女―――時の魔女に、やれやれと肩を落とす。
ラミラ嬢から時の魔女が目覚めたと聞いてから、いつかやって来るだろうとは思っていたし、それを待ち構えてはいたのだけれど、いざ目の前にするとすごく面倒くさい。少々お馬鹿さんなところはあれど素直なラミラ嬢が可愛く思えてくるくらい、その母親は面倒くさい。
「ねぇお茶はー?お嬢様の専属侍女は客人にお茶も出さないの?」
(この姿でどうやってお茶を淹れろと)
くつろぎ始めた彼女にため息をついて全身が見えるように立ち上がってみせる。招いていないとはいえ、本人が言うように客人であることに違いはないからお茶くらい出すべきかもしれないが、使用人を呼ぶわけにはいかないのだから無理な話だ。それにわたしが淹れられるなら時の魔女より先にお嬢様に振る舞うわ。
そうして呆れた視線を向ければ、むむ、と不満そうに唇を尖らせる。良い歳してなんという顔をしているのだ。
「もう、仕方ないわねぇ。じゃあ今だけよ」
「は?」
ぽん、と。
どこかコミカルな音がしたかと思えば、自分の姿が変わっていた。
「…………は?」
見下ろせばかつて見慣れた侍女姿。両手はしっかり五本の指を備え、慌てて掴んだ髪は栗色。鏡がないから顔立ちまではわからないけれど、少なくともぬいぐるみではなく人間の姿をしていることだけは確かだ。
理解を拒んだ頭が真っ白になり立ち尽くすわたしに、時の魔女は「ほらほら早く」とお茶を催促した。他に言うことがあるでしょう。
とは思うものの、無意識のうちに体はお茶を淹れるべく部屋の片隅に用意されたお茶セットに向かっていた。人間、何も考えられないと自然と体に染み付いた動きをするんだということがよくわかる。
呆然としたまま動きだけは丁寧にお茶を淹れ、時の魔女の前に差し出したところで、ようやく思考が戻ってきた。
「んー、おいし。さすが侯爵家、良いもの飲んでるわねぇ」
「お嬢様お気に入りのスリート国の新茶です。今年は特に香り高く仕上がっていて―――って違う。なんですかこれ!」
「何って、私が知っているあなたの姿に戻しただけよ。ああ、心配しなくてもあとで元どおりぬいぐるみに戻してあげるから」
「戻した?あの、言っている意味がわからないのですけれど」
「どうして?だってあなた、時を戻して欲しいと私に依頼したでしょう?」
いきなり話が飛んだ。
そして前触れなく暴露された内容に、必要ないとわかっていても周囲を確認してしまう。間違ってもお嬢様やライムンド様に聞かれてはならない内容だ。
「確かに依頼しましたが……それと今のわたしの姿に何の関係があるというのですか」
「依頼そのものとは関係ないわよ。単に、あなたは私が時の魔女だと知っているでしょってこと。時の魔女の本分は時間の操作よ。人ひとりの時間を操作するくらい簡単なことだもの」
「だからそれがわかりません。わたし、ぬいぐるみですよね?気がついたときからずっとぬいぐるみなのに、どうして時間の操作で人間の姿になるのでしょうか」
「それはもちろん、逆行の術を使った時と今が繋がっているからよ。……そうだった、その説明をしにきたんだったわ」
かちゃりとカップを置いた時の魔女が今思い出したとばかりに手を打った。
さっきからさらっと重要っぽいことを言うの、やめていただけませんかね……。
言いたいことは多々あれど、口を挟んでヘソを曲げられても困るし、話すつもりであったことはすべて吐き出してもらわないときっとあとで困る。あとついでに、下手に機嫌を損ねられても困る。
胸の内に渦巻く思いに蓋をして、言葉を待つべく口を噤んだ。
「どこから話したら良いかしら。ん〜……まず、そうね。時を戻してから適当なところで事情を思い出すように設定したつもりだったけれど、そこに問題はなかった?」
「……はい。ライムンド様のお名前を聞いた際にほぼすべて思い出しました。ですがなぜ最初から覚えておくようにしてくださらなかったのでしょう」
最初から覚えていたところで、まぁぬいぐるみだったから何ができたというわけでもないだろうけれど、それでも―――そう、例えば殿下とお嬢様の出会いがあまり好印象にならないように小細工をするとか、それくらいのことはきっとできたはず。でも覚えていなかったから、わたしができたのはただひたすらにお嬢様を愛でることだけ。とても幸せだった。
「そう言われてもねぇ。だってあなた、ぬいぐるみになってしまったじゃない?最初ってどの時点を言うの?製造された直後?店頭に並べられた時?」
「………………」
「お店に並んでいるときに記憶を戻したとして、どうするの?お嬢様のところまで歩いて行くつもりだったの?」
「………………」
「仮にその場から動かなかったとしても、お嬢様以外の人間に買われる可能性だってあるじゃない?どうやって買ってもらうつもりだったの?」
「………………申し訳ありませんでした」
「わかれば良いのよ」
確かにお嬢様の手元に届くまえに記憶が戻っていても、わたしにはどうしようもなかったでしょうけれども。どうにも釈然としないというか、言い負かされているのが悔しいというか……そう。
「そもそも、どうしてわたしはぬいぐるみの姿になっているのですか。逆行は依頼しましたが、ぬいぐるみになりたいなどとは願っていないはずです」
「それもあなたのせいよ」
なぜ。
意味がわからなくて顔をしかめるわたしに、ずいっと空のカップを押し付けてくる。なんてふてぶてしい。
腹は立つけれど拒否はできない。侍女としてはありえない態度だけれど不満をしっかり顔に出したまま押し付けられたカップに新しいお茶を注ぐ。お茶菓子?そんなものこの部屋にはありません。
「あなたが私に依頼したのは、お嬢様を幸せにするために時間を戻したいという内容だったでしょ」
「はい。貴女も、娘を幸せにしてあげたいから丁度良いと快く了承してくださったと記憶しております」
目を閉じてわたしの中にある最後の記憶を蘇らせる。
健康的な妊婦とは程遠い窶れた姿、日に日に増える監視と狭くなる行動範囲。お産が近づいてからお嬢様は部屋から出ることが許されず、わたしもお嬢様の代わりに何をするかわからないからという理由で引き離されて四六時中監視されていた。
どれだけ囚人のような扱いをされていたとしても、生まれてくるのは王太子の子供だから医師も助産師も薬師も配置された万全の態勢でその時を待って―――そして、陽光を写し取ったかのような眩い金色の髪と宝石のように輝く瞳を持った男の子が生まれた。
誰が見ても殿下に生き写しなその子供は、王家にも国民にも大歓迎されることとなる。だけど、ただひとり、その母親にだけは愛されることがなかった。なぜなら。
ライムンド様には言わなかったことだけれど、お嬢様は殿下の子を出産したあと、自殺したから。
対外的には難産だったために母体が回復しなかったと公表されたが、実際には安産だったし、子供の目がしっかりと開くまでは伏せりがちではあったもののまだお元気だった。
(でも、目の色が)
お嬢様と同じ、美しい蜂蜜色だったから。
きっと殿下と同じ青色であれば、愛することはできずとも自ら命を断つほどの衝撃はなかっただろうに。髪の色にも顔立ちにもお嬢様と似た部分はなかったから、きっと耐えることができただろうに。
(殿下も悪かった)
わたしはその現場にいなかったけれど、目の色にショックを受けているお嬢様に殿下は次の子供の話をしたらしい。多分それが追い打ちだったのだと思う。
殿下を拒絶して、ご自分が産んだ子供も拒絶して。医師も王宮の使用人も皆拒絶したお嬢様が傍に呼んだのがわたしだった。その時はわたしも監視下にあったから侍女として必要なもの以外は持ち込めず、そしてわたしはお嬢様を止めなかった。
(止めればよかった?)
でもその時のわたしに正解なんてわからなかったから。
お嬢様の死が広まる前に王宮を抜け出して、ありとあらゆる手段を用いて時の魔女の居場所を探し出して、そうして願ったのだ。お嬢様を幸せにするために、時間を戻したいと。
今思えば、時の魔女は時の魔女で娘を亡くしていたから、わたしの依頼は渡りに船だったのだと思う。世界の時間を戻すのに必要な代償は時の魔女一人で賄えるものではなく、わたしも差し出すことでようやく実行できたと言っていたから。
(まぁとにかく、そうして術を使ってもらったわけで)
わたしと時の魔女の目的は同じだった。
わたしはお嬢様を幸せにしたい。
時の魔女は娘を幸せにしたい。
だから時間を戻してやり直したい。
「そうだけど、単純に時間を戻すだけだと意味がないかもしれないから、一手間加えようとしたのを邪魔したじゃない」
ちょっとのつもりがしっかり回想していたわたしの思考に割り込むように時の魔女が口を開いた。
「あの子は王子様と結ばれたかった、お嬢様は婚約者と結ばれたかった。私はあなたに聞くまで知らなかったけど、王子様はお嬢様のことが好きだったのでしょう?だったらあの子がお嬢様の姿になればあの子と王子様は結ばれて、お嬢様と婚約者の邪魔なんてしないじゃない?だからあの子とお嬢様の姿を入れ替えようとしたのに、あなたが邪魔をしたから」
「それは邪魔するに決まっています」
真面目な表情で阿呆なことを言う魔女を半眼で睨みつける。
そうだった。術を行使する直前……というか行使し始めた直後に同じことを言ったのだ。ラミラ嬢とお嬢様の姿を入れ替えれば万事解決じゃない?などと寝ぼけたことを。
解決じゃない?解決じゃない!
お嬢様の内面が素晴らしいのは誰もが共感するところだし内面だけでも誰よりも魅力的な方ではあるけれど、容姿だってそれはそれは素晴らしいのだ。目も鼻も口も眉も耳も頭も手も足も、どこもかしこも神が丹精込めて作り上げた芸術品。それをわたしたちが誠心誠意毎日傷一つつけないよう丁寧に丁寧に磨き上げ、そこに素晴らしい内面が加わることによってお嬢様はいつだってこの世界の誰よりも輝いていた。
ライムンド様だってお嬢様の内面だけではなく容姿だってこの上なく愛しているはずだし、ちょっとしか直接の交流がなかった殿下があそこまでの執着心を見せたのも光り輝くお嬢様の美貌に目が眩んだことが一因に違いない。
だから何を言いたいのかといえば、お嬢様はあのお姿あってこそのお嬢様だということ。
それをどこの誰とも知らない小娘と入れ替える?言語道断だ。
「お嬢様に手を出そうなどと……万死に値しますよ?」
「わかってるわよ、怖い侍女だこと。それに結果としてお嬢様の姿はそのままなのだからよかったじゃない」
「それは……そうですが。ではなぜわたしがぬいぐるみになっているのですか」
「だからぁ、私があの子とお嬢様の姿を入れ替えようとしたところにあなたが割って入ったことで、入れ替えの術が壊れたの。そのせいであの子は本来の姿の上にあなたの容姿を被ることになって、あなたは体を失った」
金色の光と赤い光が交わりそうになったのを妨害した時のことだろうか。
時の魔女から体を入れ替える企みを聞いた直後の衝動的な行動だったから何も考えていなかったけど、あの光がお嬢様とラミラ嬢の魂か容姿かだったのだろう。わたし、いい仕事をした。
そして言われてみれば、赤い方の光を掴んで金色から引き離した時に、全身がズタズタに切り裂かれたみたいに痛かったような……?記憶が曖昧だけど、時の魔女の言葉を信じるならばその時に体を失ったのだろう。
「私も慌てたわ。あなたがお嬢様の傍に存在しないという状態は術の構成を乱してしまうから、急いでお嬢様の近くにあなたの魂を入れられる器を探して、でも人間は空きがなかったから仕方なく近くにあったぬいぐるみに入れて」
「………………」
「ただのぬいぐるみのままじゃ動けないし意思疎通もできなくて意味がないから、手が空いた時に干渉して動けるようにしたりして」
「………………」
「あなたの希望でお嬢様には記憶を残さないことにしたから、お嬢様と王子様が会った時にはどうしようかと思ったわ」
そりゃお嬢様にあんな辛い記憶は必要ありませんから。
「お嬢様には何の憂いもなく幸せになっていただきたいのです。多少の不利益や苦労はわたしたちが担えば良いだけのこと」
「あなたは本当にお嬢様が好きねぇ」
「当然です。お嬢様はわたしの全てですから」
即答したわたしに、呆れを隠さずに時の魔女が肩を竦める。でも、時の魔女だって自分の娘のために代償を負ってまで時間を戻したのだから、同じ穴の狢だと思う。
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