第4話

「私の場合はライムンド様から歩み寄ってくださったので、ラミラ様とは状況が異なるかもしれませんが」


 ラミラ嬢からの問いに、お嬢様はどこかうっとりしたような声音で語り始めた。


「まずは相手を好きになることです。欠点はとりあえず見なくて良いのです。良いところにだけ目を向けることから始めます。もっとも、ライムンド様は最初から私に優しくしてくださいましたし、年下のつまらない話にも笑顔で付き合ってくださいますし、時々素敵なプレゼントもくださいますし、お出かけする時だって予め私の好みを考えて通る道や寄るお店を下見した上でエスコートしてくださいますから……本当に素敵。好きにならずにはいられません」


 今回はライムンド様も意地を張らずにいてくださったから、お嬢様からの好感度が高い高い。


「自分が相手を好きになったら、あとは好きになってもらうだけです。ライムンド様が気遣ってくださったように、私もライムンド様のことを考えて話題を選びますし、興味を持っていただけそうな物の情報を仕入れることもあります」


「一緒にお出かけしたいとお願いする際には、ライムンド様がお好きなもの……劇の演目でも音楽でも、食べ物でも何でも良いので、私ではなくライムンド様の好きなものを見たり食べたりすることを主目的としてお願いするようにしています。それならライムンド様にもお出かけを楽しんでいただけますし、私もライムンド様からの印象が良くなって一石二鳥です」


「合間に私の好みも挟むということを何度も繰り返せばある程度好みは似てきますから、そうなれば苦もなく互いに嗜好を合わせることができますよね。婚約者とは将来結婚する相手ですから、全く好みが異なるよりは、共通点が多い方がうまくいくと思うのです」


「ただ、好きになってもらうことを目的としていたとしても、相手に好意を押し売りするだけだと、かえって重荷に感じられてしまいかねません。だから、自分もその時間を楽しむことが大切だと思います。一緒にいる時間を楽しめば、自然と笑顔にもなれます。次はどこに誘おうかと考える時間も楽しめるようになれば怖いもの無しです」


 流れるように告げられる言葉に圧倒されているのだろうか、ラミラ嬢からの返事はない。もしかすると、お嬢様がこんなにあれこれ考えてライムンド様と接していたことに対する驚きで言葉が出ないのかもしれないけれど、それだったらまぁ……お嬢様のことを脳内御花畑のふわふわ女子だと思っていたご自分の見る目のなさを反省していただきたい。


 確かにお嬢様はご両親にも婚約者にも使用人にも愛されている素晴らしい方ではあるけれど、その関係が本人の努力なしに成り立っているとみなすのは、自分の努力不足を棚に上げすぎだと思うのです。だってお嬢様は、ご自分の発言仕草表情が相手にどのような印象を与えるのか、幼少期からずっと考えて生活していらっしゃるのだから。


「―――なんて、たくさん話したくせに当たり前のことばかりでお恥ずかしいです。…参考になりますか?」


 照れを含ませた可愛らしい声に、少し空気が動く気配を感じて、あ、お嬢様今小首を傾げたなと察した。きっとラミラ嬢からだと少し上目遣いに見上げられている形だろう。あああ見たかったああお嬢様ぜったい可愛いいいいいっ!


 息を呑むような一拍の間の後、意識して落ち着かせたような少し硬い空気をにじませながらラミラ嬢が答えた。


「当たり前だなんて、そんなことないわ。わたくしにはない考え方だったもの」

「そう言っていただけると嬉しいです。……ところで、その、」


 ためらうように言い淀んだお嬢様が、僅かに声を低くして問いかける。


「このようなことをお聞きになるということは、ラミラ様もどなたかと婚約をされていらっしゃるのですか?」

「え?」


 予想外の問いに、ラミラ嬢が気の抜けた声を上げた。

 ああー……。そういえば、お嬢様にはラミラ嬢が殿下の婚約者だとはお伝えしていないんだった。そしてお嬢様が知らないということをラミラ嬢にもお伝えしていなかった、ような…?正直、教えたことが多すぎて、何を言って何を言っていないかちょっと把握し切れていないんですよねぇ。


 ラミラ嬢の困惑している気配を感じながらも、まずはラミラ嬢の対応力を見させていただこうと口を閉じたまま待機する。今なら失敗してもお嬢様しか聞いている人はいないから、あとでいくらでも挽回可能だ。


「あ……どなたと婚約されているのかは、言えないのであれば言わなくても」

「え、えーっと」


 だというのに、予想外の問いに対応し切れなくて沈黙してしまったラミラ嬢に、先にお嬢様からフォローが入った。完全に質問をなかったことにするのではなく、質問のレベルを下げるにとどめたあたり、お嬢様、ラミラ嬢の婚約者について結構気になっていますね?


 お嬢様が知りたいというのであれば否やはない。


(ラミラ様、殿下との顔合わせはまだ済んでいらっしゃらないとのことですが、お二人が婚約者であることは確定事項ですから、お嬢様にお話ししてしまっても問題ありません。ですが、念のためあまり言いふらさないで欲しいと付け加えてください)


 わざわざ言わなくても、お嬢様なら不用意に言いふらすことはなさらないだろうけれど、これも練習である。

 唇を湿らせるような間の後、「内緒にしてね?」と前置きをして答えが告げられた。


「わたくし、レグロ殿下と婚約していますの」

「えっ」


 ライムンド様から何かしら聞いていたとはいえ、殿下の名前が出てくるのは予想外だったのだろう。小さく驚きの声を上げたお嬢様は珍しいことにそのあとに言葉が続いていない。

 それでもすぐに気を取り直したのはさすがと言える。


「まあ……!ライムンド様から、知人の婚約者だとは伺っていましたけれど、まさか殿下だったとは…!あっ、ということは、ラミラ様はもしかして高位の、公爵家の方、でしたか!?申し訳ありません、失礼をっ」


 ただし、声からも興奮が伝わってくるくらいだから、冷静ではなさそうだ。


「お、おちついて。違うから、わたくしは別に貴族じゃないから!」

「ですが、殿下の婚約者だと……」

「それはそうなのだけど。わたくしは貴族ではないのよ。だからアリシアの態度は全然失礼なんかじゃないし、むしろわたくしの方がアリシアには失礼なことばかりしているくらいよ」


 そうなんですよねぇ。

 ラミラ嬢は殿下の婚約者だから、将来的には女性の中では誰よりも高い地位を有することになるけれど、今現在は一般人でしかない。もしかしたら時の魔女には貴族とはまた違った地位か何かがあるのかもしれないが、そもそも存在が一般に知られていない以上、公にできるような地位や立場ではないと考えられる。


 そうなるとラミラ嬢は由緒正しい貴族令嬢であるお嬢様よりも、表面上、立場は下になる。


 と、事情を知っているわたしやラミラ嬢はわかっていても、何も聞かされていなかったお嬢様に察しろというのは酷な話。そもそもお嬢様も、時の魔女の存在はおとぎ話だと思っていらっしゃるし。


 ……そういえば、お嬢様に時の魔女の実在をお教えしてしまっても良いのだろうか……。


 今はまだ、わたしたちに逆行の記憶があることも、その記憶を元に行動していることもお嬢様には知られていない。だけど、ここでお嬢様が時の魔女の存在を知ったら?迂闊なラミラ嬢が逆行について口にしてしまったら?


 逆行の前―――どうして逆行することになったのか、気づいてしまったら?


(っラミラ様、ご自分が時の魔女だということはお嬢様には伏せてください)


 お嬢様と謝罪合戦を繰り広げているラミラ嬢に声をかけておく。

 よくよく考えれば、お嬢様を溺愛しているあのライムンド様がラミラ嬢の正体や逆行について何も告げていなかったのだから、それはつまりお嬢様には隠しておきたいということに他ならない。もちろんラミラ嬢の正体は殿下との婚約が正式に公表されるときに王宮から伝えられるだろうけれど、それまで伏せておきたいと思う気持ちはわたしにもわかる。


 お嬢様はふわふわとした見た目に反して賢い方だから。わたしたちの些細な言動行動から隠しておきたかったことを見抜く可能性は十分にある。


「……っと、とにかく、わたくしがアリシアのような貴族じゃないのは事実なの。だから、……えっと」


 わたしが考え込んでいる間に、お嬢様とラミラ嬢の謝罪合戦はラミラ嬢によって強引に断ち切られていた。やや息切れした様子のラミラ嬢がお嬢様の発言を押さえ込んだらしい。

 そして少し言い澱みながら、今日ここにきたもう一つの目的を果たそうとしていらっしゃる。


「わたくしに、貴族としての振る舞いを教えてくださらないかしら…っ?」

「え?」


 直球だった。

 言いにくそうにしていたから、てっきり遠回しな言い方をしてお嬢様に察していただく作戦かと思っていたのに、まさかの直球だった。まぁでも、普通の生活をしていたら、わざわざ遠回しな言い方なんてしないだろうから、こうなるのも当然と言えば当然……だろうか?


 しかし生粋の貴族令嬢であるお嬢様は、打ち合わせもしていたからどこかのタイミングで言われるだろうとは予想していたにしても、まさか自分にこうも堂々と弱点を見せつける相手がいるとは思ってもみなかったに違いない。戸惑いの声を上げて、どこか困った様子を見せている。気がする。


 お嬢様は戸惑って言葉が出ず、ラミラ嬢はお嬢様の答えを待っているから口を噤み、穏やかなお茶会の席に不釣り合いな気まずい沈黙が落ちた。


「その……はい、私で、よろしければ」


 とはいえ沈黙はほんの一瞬のこと。

 すぐに困惑から復帰されたお嬢様がにこやかに了承を返し、場の空気は一掃された。きっと気遣われていると感じさせないような可愛らしい微笑みを浮かべているに違いない。ぜったいかわいい。見たい。


 未だ袋の中にいるのが残念極まりないっ!でもお茶会の席にぬいぐるみを置いておくなんてできないし、お嬢様のお部屋にあるはずのぬいぐるみがこんな所にいたら使用人が怪しむ。だから出られないのはわかっている。わかっているけどお嬢様のお顔が見たい。なんというジレンマ。


 さっきちらっと覗き込んでくださったお顔を見た限りでは、お元気そうではあったけど……。


 次に会う約束を取り付けているお嬢様の声を聞きながら、早く袋から出たいとそればかりを考えていた。

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