ラミラ・アグレダ・ビリェガス 1

 ぬいぐるみが入った袋と手土産を抱えて馬車を降りると、優美な意匠が施された門扉に出迎えられた。事前に訪問時間は連絡していたから、すぐに門扉は開かれて皺ひとつないお仕着せに身を包んだ使用人が対応してくれる。


 ここで手荷物を渡して、コートは玄関に入ってから預ける、よね。


 頭の中で手順を反復しながら、にこやかな微笑とともに差し出された手に手土産を預ける。預ける時には相手の目を見て、お礼の言葉と軽く微笑みかけるのも忘れない。

 そして歩く姿勢を意識しつつさりげなくアプローチのデザインを確認する。敷き詰められた乳白色の石畳、その両脇には綺麗に高さを刈り揃えられた芝生が青々と爽やかさを演出し、少し離れた位置に濃い緑色を香らせる樹木。いい木陰になりそうなのに離れた位置に木を植えているのは、アプローチに葉が落ちないようにという配慮だろうか。


 てっきり色とりどりの花で溢れていると思っていたのに、意外なくらい花がないわね……。


 ユーアと過ごした数日の間に聞かされたお嬢様賛美の言葉が脳裏に過ぎる。可愛い天使微笑みが白百合背景には花畑がよく似合うユニコーンなど近寄ることすら烏滸がましい…色々言っていたから、普段から花に囲まれたところに住んでいるというイメージを持っていたのだ。違うみたいだけど。


 そんな感想を抱きながら案内された玄関ホールでコートを預けていたところで、訪問の知らせを受けた招待主のアリシアが姿を現した。

はっとしてあいさつのために姿勢を正したところで、にっこりと笑みを浮かべたアリシアが先に口を開いた。


「本日はお越しいただき、ありがとうございます。アリシア・ウエルタ・カレアーノです。どうぞアリシアとお呼びください」

「こちらこそ、お招きありがとうございます。わたくしはラミラ・アグレダ・ビリェガス……どうぞ、わたくしのこともラミラとお呼びください」

「はいっ、よろしくお願いいたします、ラミラ様」


 にこーっと邪気のない笑顔のアリシアは確かに可愛い。

 ストロベリーブロンドの髪はふわふわと柔らかそうで、室内の抑えられた照明を反射して艶やかに輝いているし、女の子らしい甘さを詰め込んだような可愛らしい顔立ちの中でとろりと溶けたような蜂蜜色の瞳が一層甘さを足している。幼い子どもらしく高い声は下手に大声を出すと甲高く耳障りな音になりそうだけれど、ゆっくりと穏やかに発声しているおかげでただただ可愛らしい。


 全体的に、砂糖に蜂蜜を加えて煮詰めた上にメープルシロップもかけたような、そんな甘ったるい印象を与える少女である。甘いものしかない。


 胸焼けしそうな甘さを浴びせられて思わず呻きそうになるのをグッと堪える。庶民である自分の周囲にはこれまでいなかった人種だから、どう接するのが正解なのかもわからない。さすがにちょっと突いたら壊れてしまうような繊細な砂糖菓子ではないとはわかっているけれど、でもこれは……暴言なんて、聞かせられない相手じゃないか。


 建国祭での自分の発言を反芻する。うん……口調はキツかったし態度も悪かっただろうけど、でも罵詈雑言ってわけじゃなかったから、たぶん大丈夫……。たぶん。


 背中に冷たい汗が流れるのを感じつつも、表情はあくまで笑顔を維持したまま先導するアリシアについて移動すると、テーブルセットが整えられたテラスに通された。どうやら今日のお茶会会場はテラスらしい。


「お茶室の方が良いかとも思ったのですけれど、今日は良いお天気でしたからこちらにしてみました」

「たしかに、今日は良い天気よね……気温も暑すぎなくて」


 予想外に素朴な木製のテーブルセットは気後れするような高級感がなくて、玄関からここまでの間にあったような高級家具でなくて良かったという安心感から少し気が緩み、挨拶では取り繕えていた敬語が消え去ってしまった。

 あわてて言い直そうとしたけれど、「楽な話し方で大丈夫です!私も少し崩させてもらいますね」と笑顔で先んじられた。これがお嬢様の対応術か…。


 そうして促されるままに腰を下ろし、使用人から預けていた荷物を受け取ってアリシアに向き直る。手土産のお菓子はあとで持ってきてもらえるから、今渡すのはこれだけだ。


「えっと、……今日は、時間を取ってくれてありがとう。それと、この子も」


 そう言って、手にしていた袋を差し出す。中身については事前に連絡もしていたから、そこそこ大きな袋にも驚くことなく受け取ってくれたアリシアがきゅっとその袋を抱きしめた。大切なものなのだと全身で示すその様子はとても微笑ましい。

 ……が、中身は別に微笑ましくない。だって、毒舌ぬいぐるみだもの。


 苦々しい思いを全力で胸の内に沈める私の前で、ずっと変わらない楽しげな笑顔だったアリシアがふと眉を下げた。不安がありますという顔である。


「ユーアがラミラ様のところに行きたいと言ったからお送りしたのですけれど……お役に立てましたでしょうか?」

「え、ええ……すごく、役に立ってくれたわ。ありがとう」

「そうですか?よかったです!」


 ぱあっと顔を輝かせたアリシアに、下手なことを言わなくて良かったと胸をなでおろす。


 嘘は言っていない。食事のマナーはもとより、手紙の書き方や返信の出し方、家への訪問方法、取次の頼み方、その他諸々お嬢様生活に必要なあれこれを一から説明してくれたのだから、これ以上ないくらい役に立ってくれた。


 ただその合間に、「お嬢様の初めてのお手紙は奥様宛だったために旦那様が拗ねてしまわれて」だとか「お嬢様がサインを練習された紙はわたしの宝物で」とか「お嬢様は使用人に頼み事をするときは一度ゆっくりと名前を呼びかけるのです」とか「頼まれたことを完了させたと報告した時に嬉しそうにお礼を言ってくださる声が天上の音楽の如く美しくて」「婚約者からのお手紙を受け取ったときのはにかむ笑顔が最高に可愛くて」とか……。

 いらない情報が大量に挟まれていたから、普通に説明される以上に疲れた。

 まぁアリシアが悪いわけじゃないから、文句は言わないけど。

 言わない、けど。


(ああああお嬢様の声が聞こえるぅうううう!久しぶりのお嬢様!ああ直接拝見することができないのが残念極まりないっ!でもきっとさっき抱きしめてくださったのはお嬢様ああ素敵柔らかい良い匂いぃぃぃい!)


 うるさいわあ…。

 ていうかあなた匂いわからないくせにどうして良い匂いとか言ってるのよ。


 脳内でツッコミが止まらない。日が経つにつれお嬢様が足りないとかトチ狂ったことを言い続けていたぬいぐるみだから、袋越しとはいえアリシアの手元に戻ったらそれだけでテンションも上がるんだろうとは思っていたけれど、でもそれにしてもうるさい。「建国祭でお会いした時は―――」とか話しかけてくれているアリシアの声が聞こえないくらいうるさい。

 耳を塞ぐわけにはいかないとはいえ、あまりのうるささに辟易して最終手段に頼ることにした。


「あの、アリシア。悪いのだけど、そのぬい……ユーアに、少し静かにするよう言ってくれない?久しぶりに貴女の元に帰って嬉しいのか、さっきからすっごくうるさいの」

「えっ!?」


 慌てて袋を覗き込み、「ユーア、ラミラ様とお話ししたいからしばらく静かにしていてね?」と声をかけるアリシア。すぐにそれまで聞こえていた歓喜の叫びが治ったから、まさに鶴の一声である。

 ようやく静かになったところで、先ほどアリシアが話題に出してくれた建国祭の話に移る。といっても、話ではなく謝罪になるのだけど。


「ありがとう。……それから、建国祭では初対面だった上にアリシアが何か言ったわけでもなかったのに失礼なことを言ったわ。ごめんなさい」

「そんな、お気になさらないでください。それにあの時はユーアがラミラ様に何か言っていたのだと聞いています。こちらこそ、ユーアが失礼なことを言って申し訳ありませんでした」

(おおおおおお嬢様!?わたしのことでお嬢様が謝罪っ!?いやああああ申し訳ございませんんんんんっ!)


 アリシアの言葉はほんの数十秒程度の抑止力にしかなっていないらしい。


 袋から発せられる絶叫に思わず耳を抑えてしまった私の反応でアリシアもユーアが何かやらかしたと察したらしく、困ったように眉を下げて再度袋を覗き込んで注意してくれた。次こそちゃんと黙っていてほしい。

 それにしても……。


「ユーアって、本当にアリシアのことが好きよね」

「え?あ…そう見えますか?」


 えへへ、と嬉しそうに頰を緩める様子からは、頭おかしいんじゃないかというくらい溺愛されているのに気づいているのかいないのかがわからない。

 ああでも、アリシアにはユーアの声が聞こえていないって言っていたから、気づいていないのね、きっと。というか、気付いていてスルーしているんだとしたら、懐が深いとかそういうレベルじゃないと思う。


 そういえば、うちにユーアが来ている時にはあまりお互いのことについては話をしなかったけれど、アリシアはユーアのことをどう認識しているのだろうか。動くぬいぐるみ?時々暴走する変なぬいぐるみ?

 ユーアが本来なら自分の侍女だったということは、知っているのかしら?


「ねぇ、アリシアって、ユーアのことはどれくらい―――」


 ふと浮かんだ疑問をぶつけようとしたら、何か察知したのかユーアから殺気を向けられた。アリシアに聞いて欲しくないことだったらしい。


 ……それはわかったけれど、あのぬいぐるみ、私のことなんだと思っているのかしら……。基本的には侍女?としての立場から丁寧に対応してくれているけど、こうして殺気を放ったりするし。時々扱いが雑よね。


 そんなことを考えながら中途半端なところで言葉を切った私にアリシアが不思議そうに首を傾げているけれど、袋から漂ってくる威圧感に気圧されてそれ以上言葉を続けられず、無意味な沈黙を生んでしまった。


「え…っと、ユーア、は、どれくらい前からアリシアのところにいるの?」


 我ながらなんて下手な誤魔化しなのだろうか。

 誰が聞いても最初に言いかけたこととは違うと察することができるような言い方に、だけどアリシアは突っ込むことはせずににこりと微笑んだ。


「五年前です。誕生日プレゼントとして両親からもらったんですよ」

「へ、へえ。随分前なのね」

「そうですね。でも、ユーアとお話ができるって知ったのは三年前で、それまでは普通のぬいぐるみだと思っていたんです」

「それまでは動いてもいなかったの?」

「言葉が通じないのに動き出したら怪しまれて捨てられると思っていたみたいで、ずっと普通のぬいぐるみのふりをしていたんですって」

「ふうん……じゃあ三年前にどうしてユーアが喋れるって知ったの?動いているところを目撃したとか?」

「いえ、ライムンド様……私の婚約者が、ユーアの声を聞くことができるので、ユーアは実は喋れるんだよと教えてくださいました」


 そういえばライムンド卿の婚約者だったっけ。

 照れたようにほんのり頰を染めながらその名を口にする姿は、どう見ても相手のことを思っている、恋する乙女だ。微笑ましい。


 私が知っているライムンド卿はどこまでもいけ好かない相手だけれど、思い返してみれば、確かに断り文句は全て「婚約者がいるので」とか「婚約者との約束がありますので」とか、婚約者が頭についていた。てっきり体の良い断り文句として使っているんだと思っていたが、先日のぬいぐるみとの会話を鑑みれば、きっと二人は相思相愛というものなのだろう。


 ……良いなあ。


 思い浮かべるのは自分の婚約者であるレグロの姿。

 金髪碧眼の絵に描いたような王子様。幼い頃に憧れた絵本から飛び出して来たかのようなその姿に最初は見惚れた。今はまだ会ってすらいないけれど、かつては王妃教育もあって時々王宮を訪ねては鍛錬や勉学に励む姿をよく見ていた。


 最初は見た目。だけど関わるうちに、その身に背負う重責を受け止めるために努力している姿とか、自分が苦しくても気遣ってくれる優しさとかにどんどん惹かれていった。簡潔に言うとあっさり恋に落ちた。


 お互いに親が決めた婚約者同士ということもあって、義務的に会う時間は設けられていたし、レグロも優しくしてくれていたけれど、相思相愛だったかと言われるとちょっと断言できない。私はレグロのことを好きだったと言えるが、レグロが私のことを好きだったかは疑問だ。少なくとも、ああ私たち、相思相愛だな!なんて思ったことは一度もない。

 だから、こうして相思相愛な人を見ると羨ましくなる。


 そんな羨望の気持ちがにじみ出ていたのかもしれない。不思議そうに目を瞬いたアリシアが「どうかしましたか?」と首を傾げた。


「いえ……婚約者と、仲が良いんだなと思って」

「え?そ、そう、ですね。仲良くしていただいています」


 ユーアに好かれていると言われた時よりも、嬉しさに溢れた表情になるのがもう、幸せを体現している感じ。羨ましい。


「さっきの話だと、ライムンド卿とは三年前に婚約したのかしら。三年でそんなに仲良くなれるのね……なにか、コツとかある?」

「コツ、ですか?」


 かつて十年以上婚約者として過ごしていたにも関わらず、相思相愛に至らなかった身としては何としてもコツが聞きたい。何が悪かったのかもわからないし……根本的な相性が悪いとかだと、それもうどうしようもないけど。


 コツ、コツ…?と首を捻りながら真剣に考え込むアリシアを眺めながら待っていると、ごそごそと傍らに置かれている袋が身じろぎした。アリシアに黙っているよう言われたくせに、もう我慢できなくなったらしい。


(ラミラ様、姿勢は大丈夫ですか?顎の位置を意識してくださいね!)


 何かと思ったら注意喚起だった。

 言われて改めて姿勢を正しながら、ユーアのお嬢様教室・お茶会編を思い返す。

 ユーア曰く、お茶会は女性の社交場であるらしい。巷の流行について情報を仕入れるのはもちろん、どこそこで新しい生地を使ったドレスが売られているだとか、誰々があそこのお店に出入りしているだとか、あの夫婦は最近喧嘩ばかりだとか。そういったゴシップ的な話も仕入れて、夫なり父親なりに伝えるのも大事な仕事なのだという。


 で、そんな大事な情報がやりとりされるお茶会で気を付けるのは、大きく分けて三つ。まずは主催者と衣装が被らないようにすること。とても親しい相手との一対一でのお茶会(というかただの談笑)ではそこまで気にしなくて良いけれど、何人も招かれた場で主催者と被るのは可能な限り避ける。もちろん主催者側もそのことはわかっているから、事前にそれとなく情報はもらえる。


 二つ目は、相手を直接否定しないこと。可能な限り肯定して良い気分にさせて情報を吐き出させるのが大事。仮に反論したいことがあった場合、「なるほど」とか「そういう考えもありますね」とかワンクッション置いてから反論に入る。


 そして三つ目は、話している時の顔の角度。全身の姿勢に気をつけるのは当然のことだけど、特に顔の角度は気をつけないといけない。うっかり顎を上げてしまうと相手を見下しているように見えてしまう。


 そこまで考えて顎を引いたところで、考えがまとまったらしいアリシアが顔を上げた。


「すごく、普通のことしか言えなくて申し訳ないのですけれど……一緒にいる時間を楽しむこと、ではないでしょうか」

「楽しむこと?」


 はい、と頷くアリシアは、無いはずの花を背後に咲かせて微笑んだ。

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