第5話

 一週間ぶりのお嬢様のお部屋は、一週間前と何も変わっていなかった。


 こんな短期間で何か変わるはずがないと思われるかもしれないが、今回のライムンド様は非常にマメに訪問されたり贈り物をされたりしているから、一週間もあれば一つくらいはライムンド様からの贈り物が増えていてもおかしくはないのだ。


 けれど、特に目につく場所に何か増えた様子はないから、何も持ってこなかった―――よりは、消え物だったのかもしれない。お菓子とか。


 ふむ、お菓子ねぇ。これからもお菓子の比率が高くなるようなら、お嬢様に外出の機会か護身術の授業を増やすことを進言した方が良いかもしれない。外出……だと、結局あまり歩かないだろうから、やっぱり護身術かな。


 無事にラミラ嬢とのお茶会を終えて部屋に戻ったお嬢様の手によって袋から出してもらったわたしは、定位置である棚ではなく恐れ多くもお嬢様の膝の上で抱えられていた。すごく幸せ。だけどここからだとお嬢様のお顔が見えないんですよ……!


 可能であれば少し離れたところから全身くまなく確認したいくらいなのに、ご機嫌なお嬢様がしっかりとわたしを抱え込んでいるせいで動けない。そもそもすぐ近くで使用人が何やら準備をしているから振り向くことすらできない。


 悶々とした気持ちを抱えつつ、使用人に早く準備を終わらせろと念を送ることしばし。窓際でわたしを抱えたままじっと外を眺めていたお嬢様の腕がピクリと動いたのを感じ、何かあっただろうかと視線を巡らせる。


 お嬢様の部屋にある窓からは庭を見下ろすことができるようになっていて、わたしもよくそこから庭を眺めていたものだけれど、今は庭には何もいない。庭師の手入れの時間ではないし、ラミラ嬢が帰宅されたからお客様もいないはず。では一体お嬢様は何を見つけたのだろうと内心首を傾げながら、目だけきょろきょろ動かして見える範囲をじっくり観察する。


(ええ?誰もいませんけど……)


 結局何も見つけられないまま、お嬢様が窓から離れてしまった。気になるけれどお嬢様には聞けないし、まだ使用人がいるから勝手に動くわけにもいかないとこっそり肩を落とす。お嬢様が気にしていたことを察せられないなんて、使用人失格だ。


 そう落ち込みながら、ぐてっと力なくお嬢様に抱えられるがままになっているわたしの耳にドアがノックされる音が届いた。ほぼ同時に使用人達も長椅子の位置調整や簡単な掃除を終えたらしく、音もなく部屋の隅に移動している。


「失礼いたします。ライムンド・シルヴァ・ククルーシア様が到着されました」


 ライムンド様?

 近いうちに現状のすり合わせのためにお会いすることになるだろうとは思っていたけれど、まさか立て続けに約束をしているとは。使用人の負担が増えるようなことをお嬢様が言い出すとは思えないから、きっとライムンド様の要望だろうけれども…そんな話、してたっけ……?ちょっと記憶にございません。


 表には出さずに心の中だけで首をひねっている間に、お嬢様からライムンド様をお通しするよう指示が出された。そして当然のようにお嬢様の部屋に通され、何も言わずとも使用人達が席を外すあたり、ライムンド様はきっちり婚約者としての立場を確立していらっしゃるようだ。


 ……結婚前なのに二人きりにしてもらえるなんて、あの旦那様と奥様をどう説得されたんだか。


 もやっとした気持ちに蓋をして、出迎えたお嬢様に笑顔で歩み寄ってきたライムンド様を見上げる。


「連日お邪魔してごめんね、アリシア。それとユーアは一週間ぶり」


 今日も相変わらず素晴らしい仕立ての服を着た美少年は、わたしと目が合うなりひょいと器用に片方の眉を上げ、お嬢様に向けていたのとは種類の違う笑みの隣に小さな紙袋を掲げた。どこかで見たことのあるデザインのその紙袋に数回瞬きを繰り返して、


(お久しぶりです、閣下。ところでそちら、アイリス商会の文具部門の品ですね。お嬢様へのプレゼントですか?)


 ちゃんと流行は抑えているんだぞ的なドヤ顔かと思い問いかける。

 思い当たったのは年若い少女に人気の文具ブランド。花をモチーフにした小物なども取り扱っていて、お嬢様に似合うからと誕生日などに贈られることも多かったと記憶している。


 しかし予想に反し首を振ったライムンド様は、答えを口にする前にお嬢様をエスコートして長椅子に腰を下ろした。確かにお嬢様を立たせたまま会話を続けようとしたのはわたしの失態だ。


「アリシアへのプレゼントとも言えなくもないが、使うのは君だよ、ユーア」

「私がね、ライムンド様にご相談したの。ユーアに使って欲しいと思って」

(わたしにですか?)


 自分から買い物に行くことがほとんどできないお嬢様が、気軽に外出しているライムンド様に必要なものの入手について相談することはわからなくもないけど、それがわたしの物となるとよくわからない。ぬいぐるみだから食べ物も服も何もいらないのに。

 首を傾げるわたしをテーブルに乗せ、その目の前に紙袋から取り出されたものが置かれる。


「可愛い!お願いした通りの仕上がりですね、ライムンド様」

「アリシアが喜んでくれて良かった。―――というわけで、君の大切なご主人様お墨付きだから、丁寧に使ってくれよ」


 言うまでもないだろうけど、と小さく笑いながら続いた言葉に頷きを返しながらも、目の前の品から目を離せない。


 紅茶色のメモホルダーとペンのセット。ぱっと見無地だけれど、どちらも地紋に大ぶりな花が描かれていて品が良い。花びら一枚分だけ白で縁取りされているのが良いアクセントになっている。


 それにしても紅茶色の花だなんて珍しい……形的にこれは薔薇がモチーフだろうか?でもアイリスの薔薇シリーズにこんな商品あったっけ?


(……はっ!あ、ありがとうございます、このような素敵な品、)


 まじまじと観察しているわたしを見つめる視線に気づき、あわててお嬢様とライムンド様を振り仰いだ。

 わたしにはもったいない、と言うのは簡単だけれど、わたしに贈ってくださったお嬢様からすれば、これはわたしに適した品だということで。だとしたら、ここでわたしが言うべき言葉は決まっている。


 ぬいぐるみの大きさに合わせてくださったのだろう、小さなペンを手にとって丁寧にメモに文字を綴っていく。


『ありがとうございます。大切に使わせていただきます』


 人間のように片手で持つことができないから両手で支えながら書いた文字は、丁寧にと心がけてもやはり歪になってしまう。もっと練習しないと。

 書き終えたメモの隣に立ってお嬢様を見上げれば、にっこりと満面の笑みが返ってきた。尊い。


「ふふ、これからたくさんお話ししましょうね」

(うあああああああお嬢様の笑顔が尊いいいいいいいいっ!喜んで話し相手をさせていただきますぅ!)

「あ、喜んでくれてる。ユーアが喜んでくれると私も嬉しいわ」

「喜んでいるというより狂喜乱舞しているという方が近いような……」


 ニコニコと愛らしい笑みを見せてくださるお嬢様の隣から余計な雑音が聞こえてきたけど無視だ無視。もちろんライムンド様にもあとでお礼は言うけれど、今はわたしに向けられているこの笑顔を目に焼き付けておかなければ。


 しかし当然のことながら、お嬢様の笑顔がわたしだけに向けられているという幸せな時間は長くはなく、すぐに隣のライムンド様の方を向いたお嬢様に、わたしの思考も落ち着きを取り戻す。目を閉じてお嬢様の笑顔の余韻をしっかりと噛み締めてから、呆れ顔でこちらを見ているライムンド様に目を向けた。


(閣下も、ご手配をありがとうございました)

「ああ、大切に使ってくれ。それより早速で悪いが本題に入らせてほしい。……アリシア、今日はラミラ嬢とお茶会だっただろう。どうだった?」


 漠然とした問いにどう答えるべきか悩んだのか、僅かに首を傾げたお嬢様が「そうですね、」と言葉を探す。わたしが聞いていた限りでは特に問題なくほぼほぼ予定通りだったように感じたけれど、お嬢様としては何か不満があったのだろうか。ラミラ嬢のお茶の飲み方が悪かったとか、あれ程言ったのに途中で足を組んでいたとか、手土産に用意したお菓子が口に合わなかったとか。


 やはり一週間程度ではきっちり叩き込めていなかったかと自分の甘さを後悔しながらお嬢様の言葉を待つ。ややあって、ふわりと唇が綻んだ。


「とても楽しかったです。始めは少し緊張していらっしゃいましたけれど……お友達になっちゃいました」


 次にお会いする約束もしたんです、と嬉しそうにしている様子にほっと胸を撫で下ろした。


 ラミラ嬢、初っ端からお嬢様にタメ口だったし会話もヘッタクソだったからどうなることかと思っていたけど、お嬢様がその辺り気にされない方でよかった。あらかじめ貴族的な会話をしたことがない人だとか、お茶会初参加だとかお伝えしておいたおかげかもしれない。


 同じような心配をしていたらしいライムンド様も安堵したように表情を緩め、こんな話をしたと楽しそうに報告しているお嬢様に目を細めている。気づけば互いに手を取り合っているあたり、本当に仲が良くて素晴らしいことだと思います。はい。


 一通りお嬢様からの報告を聞いて、概ね予定通りだと判断したのだろう。にこやかに微笑みながら「それじゃ、今後の話だけど」と切り出した。


「アリシアには前日伝えたけれど、私の父にもラミラ嬢のことは報告したんだ。そうしたら、まだ殿下との顔合わせ前ではあるけれど、急ぎ後見人の選定と教育係の手配をしてもらえることになった。後見人についてはまだ時間がかかるだろうが、教育係については明日にでもラミラ嬢の方に通達があるはずだよ。だから、ひとまず一般教養についてはそちらに任せて大丈夫だと思う」


 ライムンド様がお父上にどう報告したのかはわからないけど、後見人……つまり養親よりも先に教育係が手配されるのはありがたい。平民が貴族の家に養子に入る場合、多少マナーがなっていなくても大抵の場合は多目に見てもらえるとはいえ、養親への第一印象は良いに越したことはないから、あらかじめきちんとした人から指導を受けておけるというのはラミラ嬢にとっても良いことだと思う。


 それにライムンド様のお父上が手配するっていうのも重要だ。前回どうだったのかは知らないけれど、もしライムンド様のお父上―――ククルーシア侯爵がラミラ嬢の後見人や教育係の選定に関わっていたなら、ラミラ嬢があんながっかりお嬢さんになることもなかっただろうし。教師って大事ですからね……わたしができるお嬢様教育なんて限られているし、そもそも普通のお嬢様に必要な学習内容と、殿下の婚約者に必要なそれとは違う部分だって多いと思う。


 まぁだからこそ、わたしがラミラ嬢に教えたのは立ち居振る舞いばかりだったわけで。


「明日ですか……ラミラ様と来週またお会いしましょうとお約束したのですけれど、大丈夫でしょうか?」

「そのあたりは教師と調整するんじゃないかな。具体的な時間までは決めてないのか?」

「今日と同じ時間で、と。あ、でも、後でお礼状をお送りしますから、何か問題があればお返事くださいますよね」


 にこやかにそう言うお嬢様はその程度のことと思っていらっしゃるようですが。どうかなぁ…。


 どう返事をすれば良いのか悩みに悩んで、便箋をインクまみれにするラミラ嬢の姿が目に浮かぶ。一応、お茶会の後には「楽しかったですまたよろしく〜」みたいな内容のお手紙を出してくださいねとは伝えてあるし、例文もいくつか用意してきたけど……心配だ。


 ペンを抱きしめたまま会話に加わらずじっとしているわたしに、ライムンド様からの物言いたげな眼差しが向けられる。お嬢様の楽観的な言葉に同意しかねるけれど、お嬢様を否定もしたくないから、代わりにわたしが何か言え……といったところだろうか。


 甘いなぁ。わたしがお嬢様を否定するわけないじゃないですか。


『ラミラ様もお手紙の書き方はある程度習得されましたから、きっと大丈夫です。それに、問題があれば投函前に教師の方が止めるはずです』


 せっせとペンを動かせば、正気を疑う目を向けられた。

 いやまぁ、建国祭の時のラミラ嬢しか見ていないライムンド様には信じがたいことかもしれないけれど、ラミラ嬢はあれはあれで真面目に取り組んでくださっていましたから。そりゃあ何がきても大丈夫!と胸を張って言えるほどではないから心配ではあるけど、絶望的にダメすぎると言うほどでもない。


 それに明日には教師について連絡があるとのことだから、もし手紙についてなにか心配事があればその方に相談するはず。ラミラ嬢はプライドは高いけど質問はできる子です。


 とまあそんなことをお嬢様には聞かせられないから口頭でライムンド様に報告して、ひとまずライムンド様にも納得いただいた。微妙に納得し切れていない顔をしているように見えなくもないけど気のせいでしょう。うん。


「じゃあ次。ラミラ嬢に社交経験……貴族との会話経験と言った方が良いか。それを積ませる件について。これもアリシアに頼ってしまうのだが、ちょうど良い誘いはないだろうか」


 これは以前打ち合わせていたこと。まずはお嬢様と一対一で交流することで、貴族令嬢の振る舞いを見て学ぶ。同時進行で教師からも学ぶ。

 お嬢様から見て大きな問題はないと判断されたら次のステップ―――他の貴族との交流に進む。殿下の婚約者であることは伏せておく必要があるけれど、仮に察せられても問題ないようにカレアーノ家、ククルーシア家の双方と利害の対立がない家の人たちだけを集めた会に参加していただく予定だ。


 このあたり、貴族らしいなと思うのだけど……さて。ラミラ嬢は理解されるだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る