第18話
ラミラ嬢を乗せた馬車が去っていくのを見送り、わたしを抱えたライムンド様は別に手配していた馬車に乗り込んだ。お嬢様との約束があるから、当然行き先はカレアーノ家だ。
わたしがいるとはいえ傍目には少年が一人だから、馬車に乗り込むまでライムンド様は無言のまま。馬車が走り出すのを待っていたのだろう、御者に聞こえないようガタゴトと響く振動音に紛れさせた低い声で「確認だが」と切り出した。
「ラミラ嬢には殿下のことは伝えない、ということで良いか」
(もちろんです。彼女は殿下のことには何も気づいていらっしゃらない様子でしたから、余計なことは伝えずにこのまま純粋に殿下を慕っていただくのが宜しいかと)
「そうだな。……以前はもっと賢い女性であってほしいと願ったものだが、今は殿下の婚約者が彼女で良かったと心底思う」
安堵の吐息を混ぜながら吐き出されたそれは本音らしく飾りがない。とてもじゃないけれどラミラ嬢には聞かせられない言葉だが、この場にはわたししかいないから問題はないだろう。
ラミラ嬢が逆行の記憶を持っていること、そして時の魔女の娘であることを知ったときは、今のこの状況に答えが得られるかもしれないと考えた。だけど、彼女が現状をわたしたち以上に理解していないことがわかった時点で、わたしの中で彼女は協力者ではなく駒となった。それもとても便利な駒だ。だって、殿下の婚約者という立場を持っているのだから。
そして、駒にするのなら、与える情報は制限しておいた方が都合がいい。
わたしよりも早くラミラ嬢を利用することを考えたであろうライムンド様が、ラミラ嬢に質問をさせなかったのもそのためだと思う。先に質問させろと言ったラミラ嬢に最初の一つだけは望み通り質問させて、それ以降はこちらからの振りに答えさせるだけだったし……。まぁわたしが引っ掻き回していたというのもあるだろうけれど。
ラミラ嬢が単純な人で良かったなぁ。
脳裏に浮かんだセンスの悪いドレスとメイクにも、今なら寛容になれそうだ。そんなことを考えつつ、余計なことかもしれないけれどライムンド様に念押しをしておく。
(ラミラ様のことはわたしが見ておきますので、閣下は殿下の方をよろしくお願いいたします)
「ああ、わかっている」
―――ライムンド様が殿下の好みや行動を調べ、わたしがその情報に従ってラミラ様を誘導する。
打ち合わせはしなくても同じことを考えていたからか、即答されたライムンド様は実に心強い。
ラミラ嬢には悪いのだけれど。
ラミラ嬢が殿下の婚約者という立場を有しているのなら、わたしはそれを利用する。殿下が何をしたか隠し通して、綺麗な面だけを見せて理想に浸らせる。ラミラ嬢や殿下にとって良いことなのかどうかは関係なく、ただそれがお嬢様の幸せに繋がると思うから。
だって、わたしもライムンド様も、優先すべきはお嬢様なのだから。
***
ラミラ嬢の手紙とわたしを携えて三度屋敷を訪れたライムンド様は、落ち着きなく涙目のお嬢様に出迎えられた。
えっ、どうしたんですかお嬢様、そんな可愛い顔しちゃって。
思わず口をついて出そうになった言葉を飲み込んでお嬢様の様子を伺う。ライムンド様も想定外だったのか「あ、アリシア…?」と馬車の中での頼もしさは何処へやら、冷や汗をかいている。
わたしたちの注目の的、部屋に入ってきたわたしたちを見つめて目を見開き、くしゃりと泣き出しそうな表情になったお嬢様は無言のまま駆け寄ってきて、そしてライムンド様―――が抱えていたわたしを強く抱きしめた。
「ユーア!ライムンド様と一緒にいたのね、よかったぁ……っ」
(おおおおおおお嬢様!?抱きつく相手をお間違えではじゃなくて心配かけて申し訳ございませんあああ泣き顔可愛いいいいい!)
「聞こえないからって本心ダダ漏れすぎるだろう……」
どうやらお嬢様が泣きそうになっていたのは、わたしを失くしたと思っていたかららしい。ぬいぐるみをここまで心配してくださるとか、お嬢様は女神かな?
もう離さないとばかりにしっかりと抱きしめられるのを幸いと、どさくさに紛れてこちらからもひしっと抱きついてみる。えへへ、お嬢様に抱きついちゃった。至福。
そうしてお互い抱き合って絆を確かめ合うわたしたちに苦笑いを浮かべながら、ライムンド様がお嬢様を促して長椅子に腰を下ろした。ひとまず落ち着いたらしいお嬢様も一旦わたしを抱く腕を緩めて膝の上で抱え、取り乱したことを恥じるように眉を下げながらライムンド様を見上げた。
「ユーアのこと、ありがとうございました」
「アリシアは気にしなくて良いよ、ユーアは自分で私にくっついていたようだから」
「そうなのですか?」
ぱちぱちと大きな目を瞬いて驚きの声を上げたお嬢様が見下ろしてきたので、答えるようにうんうんと大きく頷いてみせる。お嬢様があの場から離れる際に、こっそり腕の中から抜け出してライムンド様の上着にしがみついたのがわたしの意志であったことは間違いない。
一度お嬢様と共にライムンド様から離れてしまうと、ライムンド様とラミラ嬢と三人で話すためにわたしだけ合流するのが難しいと判断したからだ。もちろんお嬢様が人混みの中でわたしを落としてしまったと勘違いをする可能性も考えはしたのだけれど、だからといって探しに戻ることはしないだろうし、周りもさせないだろうと思っていた。
だってお嬢様にとっては会話ができるという点で特別なぬいぐるみであっても、他の人からしたらただのぬいぐるみだし。お嬢様以外の前では動くことすらしていないから、お嬢様のお気に入りだとは認識されていてもそれ以上に特別なものだなんてわからないはず。……ああいや、特別っていうのはわたしの自惚れかもしれないけども……。
沈みそうになった思考を切り捨てて明るく声を上げた。
(ラミラ様はわたしの声が聞こえていたようでしたから、お嬢様への誤解を晴らそうと思いまして!)
「先ほどの女性……ラミラ・アグレダ・ビリェガス嬢は、どうやらユーアの声が聞こえていたらしくて、ユーアの発言をアリシアが言ったものだと勘違いしていたから、その誤解を解くために残ったらしい。アリシアに何も言わずに離れたのは問題だと思うが、あまり責めないでやってくれ」
フォローまでしてくれるだなんて、なんて便利……親切な翻訳機なのだろうか。すてき。
「責めるだなんて!ユーアは私のために行動してくれたのね、ありがとう。でもいきなりいなくなったら心配するから、次は離れる前に何か合図を送ってくれると嬉しいわ」
(かしこまりました!次があればその時はお嬢様に伝わるように合図をお送りしますぅ!)
「よろしくね?……ああ、私もユーアの声が聞こえたら良いのに…」
うふふと微笑んでくださっていたお嬢様の表情が曇ってしまう。わたしもお嬢様と直接会話ができますようにと毎日毎晩願っているのですけれど、神様は狭量なのか全然聞き届けてもらえないのですよねぇ。お嬢様に関することは全て最優先で叶えるべきなのに。……あっ、そうか、お嬢様の願いが優先されるからわたしのは後回しにされているのか。それなら仕方ない。
ひとまずわたしの無事を確認したところで、いつもどおり隣り合って長椅子に座ったお二人が、すでに用意されていたティーセットを前にしていつもより真面目な表情を浮かべた顔を見合わせた。
お嬢様を先に帰す時にライムンド様が何かを告げていたから、お嬢様ももしかするとラミラ嬢の正体は聞かされていたのかもしれないが、詳細の説明はまだだ。お嬢様を帰した後、どのような話をしたかもちゃんと報告しないとダメですよ、ライムンド様!
お嬢様の膝の上からライムンド様を見上げて、手紙も忘れないように!と四角を示すように身振りをする。お嬢様に鬱陶しく思われない程度にしか動けないけれど、それでもライムンド様には意図が伝わったらしい。一つ頷いて懐から薄桃色の封筒を取り出した。……早速かぁ。いや、良いんですけどね。
「先ほどの、ラミラ嬢からアリシアに、手紙を預かってきたんだ」
「ラミラ様……ですか?何でしょう?」
今読んでも?と小首を傾げたお嬢様に頷きを返すと、ほっそりとした指先が特に封をしていたわけでもないフタを開いて中身を取り出した。封筒とお揃いの薄桃色の便箋には、少し右上がりの癖があるそこそこ読みやすい文字が並んでいるはずだ。
文章自体は短いものである。手紙を婚約者に預けた非礼を詫び、名を名乗るだけの軽い自己紹介をして、話したいことがあるから時間があるときに会えないだろうかというお願いがひとつ。ラミラ嬢が殿下の婚約者であること、それから先ほどお嬢様に勘違いで詰め寄ってしまったことへの謝罪は書かれていない。
これはわたしとライムンド様の指導によるものである。
絶対にお嬢様以外の誰の目にも触れないのであればそのあたりのことも書いて良かったのだけれど、万が一ということがあるから、ラミラ嬢の立場がわかる内容、それからラミラ嬢がお嬢様に何をしたのかという内容は記載を控えてもらった。
じっくりと長くない手紙を読み、封筒と便箋をもう一度確認してから顔を上げると、素直なお嬢様には珍しい探るような眼差しでライムンド様を見つめた。
「ライムンド様は、このお手紙の内容をご存知ですか?」
目の前で書かせたし推敲もしたから知っています。
なんてことは言わず、「大まかな内容くらいは」とだけ答えたライムンド様から便箋へと視線を戻したお嬢様は、長い睫毛が作る影の下ではちみつ色を揺らめかせて小さく唸った。そんなにお嬢様を悩ませるような内容ではないはずなのだが……お嬢様は一体何を悩んでおられるのだろうか。
ライムンド様には見えない角度で、むぐりと力が込められた唇を見上げた。
これは、言いたいことはあるけれど口にするのを躊躇っている、といったところかな。
ラミラ嬢からの手紙に対して言いたいこと。なんだろう。お嬢様の性格的に、話もしたくないとか顔も見たくないとか、そういうのではないはず。今回はお嬢様の都合に合わせた日程で会えないかというお願いの内容だし、話の内容だって今日の無作法を謝罪することだってことくらい、お嬢様なら察しているはず。だからそれ以外で気になりそうなこと……えええ、わかりませんお嬢様ぁ。
どうしたんですか、と心の中で問いかけながら手紙を握るお嬢様の腕を軽く叩く。それが手紙を見せて欲しいとねだる仕草に見えたのか、僅かに顰められていた表情を緩めてわたしを抱え上げ、一緒に手紙を覗き込む姿勢にしてくださった。内容知っているんですけどね……。
しかしお嬢様に見せていただいたのなら読まなければ。自分が推敲した手紙を再度読み直し、記憶通りで余計な加筆もないことを確認して一つ頷く。うん、問題はない、はず。
体を捻ってお嬢様を見上げ、ついでに視界に入ったライムンド様の様子も確認する。黙りこくったお嬢様に戸惑っているだけで、ライムンド様も理由はわからないようだ。
(閣下、よくわかりませんがお嬢様が少し不機嫌なので、機嫌をとってください)
ひとまず原因がわからないから対症療法である。
唐突な振りに一瞬頰を引きつらせたライムンド様だったけれど、何かしなければとは思っていらしたのか、すぐに表情を心配そうなものに変えると、そっと手を伸ばして垂れて表情を隠していた横髪を耳にかけながらお嬢様の顔を覗き込んだ。絵画よりも美しい横顔と形の良い耳が露わになる。
「アリシア?何か気がかりなことでもあった?」
肩を震わせたお嬢様は、ライムンド様に機嫌を取らせてしまったことを申し訳なく思っているらしい。躊躇うように口を小さく開いては閉じ、やがて諦めたように眉を下げた。しょんぼりした顔かわいい。
「その……お返事は書きたいのですけれど、送り先が書いていなくて」
「送り先?」
(……………ああ、なるほど)
お嬢様が受け取った手紙には、封筒にも便箋にもラミラ嬢の名前はあれど住所の記載はない。通常、貴族同士のやりとりでは互いの屋敷に送れば良いから住所の記載がなくても問題ないのだが、まだ貴族の家に養子に入っているわけではないラミラ嬢は時の魔女とともに生活しているはずだ。そしてお嬢様とは今まで接点がなかった相手だし、カレアーノ家としても交流があるかはわからない。つまり、ラミラ嬢がどこに住んでいるかがわからないから、返事の送り先がわからない。
ではどうするのかというと、今回はライムンド様が手紙の仲介人をしたから、返事もライムンド様に託すことになる。なぜなら、仲介人は双方のことを知っているはずだから。
なるほど。なるほどー。そういうことですか。
これは……わたしたちのミスだ。
お嬢様の不機嫌の理由がわかってスッキリした気分で、未だ理解が及んでいないらしいライムンド様に声をかける。
というか、毎回思うけれどライムンド様が説明をすっ飛ばすのが全て悪いんですよ。どうしてお嬢様の前だといつもどこかへっぽこになるんですかねぇ、この方。
(閣下、ラミラ様へのお返事の出し方についての説明がまだです。そのせいで、お嬢様は閣下がラミラ様にお返事を届けに行くのだと勘違いされています)
「?」
それが?という顔をされた。
察しの悪い坊ちゃんだなあ、もう。
(つまり、閣下が未婚女性の屋敷を訪ねることになると、そう考えていらっしゃるのです。より簡潔に言えば、浮気現場を誰かに目撃されることを心配していらっしゃいます)
「!?」
ザッと一気に血の気が失せたライムンド様が慌ててお嬢様の手を握って弁解を始めた。
「ち、違……っラミラ嬢の住所は、今彼女を送り届けている御者からカレアーノ家に伝えてもらうことになっているんだ。だからアリシアはいつも通り侍女や執事に手紙を預けてくれれば良いから。私は手紙を持ってきただけで、これ以降は特に彼女と関わらないから」
「本当に…?でも、このレターセット、私が好きなブランドのものですし……ライムンド様がご用意されたものでは?」
「急に必要になったから侍従に任せたらこれを買ってきたんだよ。彼もアリシアに送る手紙だということはわかっていたから、アリシアが好きなものが良いだろうと気を利かせてくれたんだろう」
「え、あ……そう、でしたか。すみません、私、失礼な勘違いを」
「ううん、いいんだ。私こそごめんね、心配させてしまって」
ライムンド様がお嬢様の手を取った拍子にお嬢様の腕の中から転げ落ちてしまったわたしが床から恨めしく見上げる先で、お二人は至近距離で何やら痴話喧嘩めいたことをしていた。……良いんですけどね。ライムンド様が関わると視野狭窄になるのはいつものことですし。最終的に仲直りされてお嬢様に笑顔が戻るなら、わたしからは何も文句はありませんとも。
転がり落ちた姿勢から体を起こして、こちらの動きに気を払っていないお二人を背に机をよじ登る。とりあえずお二人がこちらの世界に戻ってくるまで、何か暇つぶしをしていよう。
机の上にはぬるくなったお茶が並んでいるだけ。ひっくり返さないように気をつけながらその隣にちょこんと腰を下ろして、手紙を握りしめたままライムンド様と語り合うお嬢様を眺める。誤解が解けて安心したらしく表情も穏やかなものに戻っているし、何よりライムンド様と手を取り合っている状態が続いているから幸せいっぱいなのがよくわかる。やっぱりお嬢様は笑顔が一番可愛い。
そんな穏やかな気持ちでお嬢様を見ていて、ひらめいた。
お嬢様と会話する方法、見つけたかも。
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