第17話
ラミラ様毒殺疑惑浮上に、思わずライムンド様に視線を投げてしまった。遠い目をしていた。
殿下の策謀によって暗殺された人がいるせいで穿った見方をしてしまうが、その毒、殿下が手配したものな気がする。だって16歳ということは成人年齢、つまり結婚可能な年齢ということで。殿下がラミラ嬢と結婚したくなかったのだとしたら、結婚について公表されてしまう前にカタをつけようと考えた……とか。
もちろん殿下が無関係である可能性もある。たまたまタイミングよくラミラ嬢が毒にあたってしまったという可能性だってなくはない。……でもなぁ。
「その、毒を盛られるというのはよくあることなのか?」
あっけらかんと毒が入っていたかもと告げるラミラ嬢には、毒を飲んでしまったという衝撃のようなものが感じられない。その慣れきった、いつもの出来事よとでも言いたげな態度にライムンド様の方が苦しそうな表情をしている。やっぱりお優しい人ですよねぇ、ライムンド様。
「それなりに。わたくしと殿下の婚約は公にされていなかったけれど、知っている人は知っているでしょう?だからそれなりに色々な人からよく襲われたり毒を盛られたりしていたの。……いつもはきちんと検査してから食べるのだけど、その時は自分の部屋においていたお茶と、親しくしてくれていた方からいただいたお菓子だったから油断していたのよね」
ふっと皮肉っぽく鼻で笑い、目の前にある手をつけていないグラスを指先で弾いた。先ほどから全然飲み物に手をつけないなとは思っていたけれど、警戒していたからだったのか。
(刺客は、いつどこに現れるかわからないものですから)
「そうなのよね。だからわたくしとしては、せっかく婚約前に戻れたのだから、今回は婚約せずに穏やかに過ごしたいと思っていたの。毒を警戒し続けるのも疲れるし……まぁ、気づいた時にはお母様が婚約を決めてしまっていたのだけれど」
絵本の王子様に対する発言を訂正する前に、逆行前の記憶を持ったままの時の魔女が暴走したということか。かわいそうな話である。
とはいえ、ため息をつくラミラ嬢の表情を観察した限り、面倒や厄介だという感情は読み取れるけれど、嫌がっているようではない。むしろこのどこか言い訳じみた物言い……殿下に対する嫌悪や憎悪といった負の感情というよりは、いつぞやのライムンド様を彷彿とさせるような。
これはつまり―――ラミラ嬢は、殿下が関与した可能性を考えていないということか。
どうしよう。言う?言っちゃう?
あなたの婚約者、あなたのこと殺した人かもしれませんよって、言っちゃう?
わたしが一人おかしなテンションで脳内問答をしているのをよそに、大真面目な顔をしたライムンド様がゆっくりと一度頷いた。
「たしかに、暗殺者なんていつ来るかわからない。狙いすましたように気が緩んだ瞬間に仕掛けて来るから、気を抜けなくて困る」
「?妙に実感がこもっているわね。なに、貴方も誰かに殺されたの?」
「ああ。仕事で訪問した先で暗殺者に襲われた」
その言葉を皮切りに、ライムンド様が自分の記憶について説明を始めた。とはいえ幼少期から死ぬ時までを覚えていることという程度だから話はすぐに終わる。互いに直接的な関わりが多くはなかったから、説明する必要がある部分がほとんどなかっただけとも言う。そしてわたしに関してはすでに説明済みだから、再度問われることはなくそれぞれの現状把握は完了した。
三人の現状をまとめると。
まずわたし。元はアリシアお嬢様の専属侍女だったが、気が付いた時にはぬいぐるみになっていた。
ライムンド様はお嬢様の婚約者。18歳の時に暗殺者の手にかかって死亡した。
ラミラ嬢は殿下の婚約者。16歳の時に毒を盛られて死亡した。
すごく簡単にまとめたそれを聞いて、ラミラ嬢がふと首を傾げた。
「アリシア、って、さっきいた子よね」
(はい、ラミラ様がわたしと間違えて詰め寄っていた世界一可愛いお嬢様です)
「………悪かったわね。ぬいぐるみが喋っていることに気がつかなくてっ」
まぁ、普通はぬいぐるみが喋るとは思うまい。
「って、そうじゃなくて。誤解とはいえ怯えさせてしまったし、一度謝りに行きたいのだけれど、紹介をお願いできないかしら」
「私がか?」
「ぬいぐるみには無理でしょう?」
それはもちろん無理である。
一方でライムンド様なら、ラミラ嬢を保護して送り返したということになっているし、その時にラミラ嬢から頼まれたという体でお嬢様に話を通すこともできる。現在のラミラ嬢の立場がどのあたりに位置しているのかわからないけれど、謝罪を目的とするならば双方の知人を介するのが一番無難だという発想なのだろう。
なるほどねぇ、そうですねぇ。
ほんの僅かに眉を寄せたライムンド様と返事を待つラミラ嬢を交互に見上げ、一人納得して頷く。わたしの考えた通りならば、きっとこれが最善手だ。
ライムンド様が口を開くより先に無言で両腕を振り、二人の視線を集める。
(それは良いお考えですね!ただ、突然身内でもない女性を伴って婚約者の家に行くというのは、閣下にとってあまり外聞がよろしくありませんから……ラミラ様、お手数ですが、お嬢様宛にお手紙を書いていただけないでしょうか)
手紙?と首を傾げるラミラ嬢の様子を見て、ライムンド様はわたしが言いたいことを理解されたらしい。少しばかりの驚きを浮かべた目で数瞬ラミラ嬢を見遣ってから大げさに頷いた。
「そうだな、そうしてもらえると助かる。ラミラ嬢が殿下の婚約者であることは私もアリシアも承知しているが、事情を知らない他家の者に見られてあらぬ噂を立てられるのは困るんだ。だから、まずは私が手紙を持って行ってアリシアに話を通しておく、ということでどうだろうか」
「え、ええ。わたくしはそれで構わないわ」
(ありがとうございます!ではレターセットはそのあたりで買っていただいて、)
「手配しておこう」
言うなり、振り返って少し離れた席で控えていた護衛を呼び寄せて、適当なレターセットを買ってくるよう依頼するライムンド様。仕事が早い。筆記用具も忘れないでくださいね。
(ラミラ様には、できればこの場で手紙を書き上げていただきたいのですが、よろしいでしょうか)
「え、今?」
(はい。このあと閣下はお嬢様の元に戻られるご予定ですから、その際にお手紙をお渡ししていただきます。こういうのは早い方が良いのですよ!)
「そう、なの?まあそれなら…」
いまいち納得しきれていないようにも見えるけれど、そこはひとまず勢いで押し通しておく。今指摘するよりも、きっとお嬢様と関わりながらの方が理解しやすいはずだ。
失礼なことをしたから謝罪したいというその気持ちには何も問題はないのですけれどねぇ……立場って難しいですよね。
静かに息を吐き出し、ああそうだ、と今思いついた風を装って手を叩く。
(きっとラミラ様からのお手紙を受け取ったらお嬢様はラミラ様のことをお茶か何かに招待されると思いますから、謝罪はその時になさるのがよろしいと思います。それで、もし、ラミラ様がよろしければなのですが……この機会に、お嬢様とご友人になられてはいかがでしょうか)
「は?」
(大丈夫です、少しくらい気が強くても性格が悪くても貴族としての常識を知らなくても、お嬢様は笑顔で完璧に対応してくださいます。お優しい方ですので、仮に間違いがあってもご自分で気づけるように遠回しに指摘してくださいますから、少々気位が高くても気分良く間違いを正せることでしょう。何よりお嬢様も親しいご友人がいらっしゃいませんから、ラミラ様がご友人になってくださいましたらお嬢様は大喜びです)
口を挟む隙を与えずに言い切れば、ラミラ嬢は言われた内容が理解できなかったのかぽかんと目を丸くしていたが、じわじわ理解が追いついたらしく顔を強張らせた。少しばかり赤くなってきているのは、少し失礼な言葉を混ぜたからそれに対する怒りだろうか。それとも羞恥だろうか。
どちらにしても最終的には頷かせてみせる、とそんな覚悟でもってラミラ嬢を見つめるわたしの後頭部に、「それは良いかもしれない」と賛同者の声がかかった。
「たしかに、アリシアならば貴族令嬢としての知識とマナーを備えているから、ラミラ嬢には良い手本となるだろう。友人に関しては、そのせいで私が会える時間が減るのは困るという程度で、立場上は問題ない」
(お嬢様と閣下の時間については、後ほどお嬢様に直接お話しされてはいかがでしょうか。きっと可愛らしく喜んでくださいます)
「……そうだな、そうするか。少し照れるが」
(その先にお嬢様の笑顔があると思えば、その程度の羞恥心などどうということもないはずです。頑張ってください、閣下)
「ああ、任せろ」
「だから貴方たちはどうしてそう二人だけで話を進めるの…っ!」
まあ色々とラミラ嬢に突っ込まれたくないことがあるからですよねぇ。
何せわたしもライムンド様も、ライムンド様に暗殺者を放った人のことを告げていない。ライムンド様が何を思って口を閉ざしたのかはわからないけれど、少なくともわたしは、殿下がしたことをラミラ嬢に教えてしまうのはお嬢様の幸せにつながらないと判断したから、ラミラ嬢には何も教えないという選択をした。
もちろん毒殺されたことは可哀想だし同情もする。しかし、わたしにとってラミラ嬢は他人でしかないわけで。ああ、殿下の婚約者という立場があるから、ちょうど良い他人、といったところか。
お嬢様の代わりに殿下の関心を集める相手として、ちょうど良い。
そんな内心はおくびにも出さず、大げさに驚いた素振りで道化る。
(ええっ、ラミラ様、お嬢様のご友人になるのはお嫌なのですか!?あんなに可愛くて天使で優しいお嬢様の何が不満だというのですかっ)
「近い近い近い」
(はっ、もしやラミラ様はご友人が多くて、お嬢様と会う時間なんて取れないと?だから友人になるのは難しいと?)
「そういうわけじゃ……ってだから近いっ!毛が口に入るじゃないっ」
勢いよく詰め寄ってついでに手も振り回して訴えれば、鬱陶しかったのか顔を鷲掴んで遠ざけられた。ちょっと扱いが酷いと思う。
掴まれながらも暴れるわたしを狂人を見るような目で見下ろし、じりじりと腕を伸ばしてライムンド様の方に押しやる。危険物扱いされているわたしを押し付けられたライムンド様はといえば、呆れたようにため息をついて後ろからわたしを固定した。両手で腕ごと抑えられたからこれ以上は暴れられない。
大人しくなったわたしに安心したのか、引きつっていた表情を緩めたラミラ嬢だったけれど、それでも少しばかり警戒させてしまったのか、僅かに椅子を引いた。うん……やりすぎた?
仕切り直すように咳払いをしたライムンド様が「ユーアの言ったことはともかく」と説得を引き継ぐ。
「友人になるかどうかはラミラ嬢の気持ち次第だ。ただ、先ほども言ったようにアリシアは貴族令嬢としてはほぼ完璧だから、手本にするのは良い考えだと思う。失礼を承知で言うが、ラミラ嬢は貴族の常識やマナーなどをあまり教わっていないのだろう?」
「……っ」
ぴくりと片方の眉を上げつつも頷いたラミラ嬢は、常識がないと言われてもそれを認められるあたり、とても素直な性格だと思う。教育しがいがあるなぁ。
「貴族には貴族として守らなければならないルールがあり、弁えていなければならない常識がある。本来ならラミラ嬢の養親となる家がそのあたりの教育を手配するはずなのだが…」
言いながら自分でも疑問に思ったのだろう、小首を傾げてラミラ嬢の養親家庭を思い出そうとしている。ちなみにわたしはその辺り全く知らない。
とはいえ、養親がいるというのはわからなくもない。ラミラ嬢が言っていたように、時の魔女にはこの国にこれといった地位があるわけではないから、殿下―――この国の王太子殿下の婚約者、いずれ未来の王妃になるというのに、それでは納得しない人がいたのだろう。地位が足りない者が上位の家に嫁ぐ際に、釣り合う貴族の養子となるのはよくあることだ。……そういう事象は早々起きないから、よくあるというとなんとなく語弊があるような…まあいいか。
「ラミラ嬢の養親はどなただろうか」
「以前はオルテガ伯爵だったわ。今はお母様が眠りについているおかげで、そういう話は止まっているから決まっていないわね」
「オルテガ伯爵……」
(オルテガ伯爵?)
名前は知っていても関わったことのない相手が出てきて疑問符を飛ばすわたしとは異なり、ライムンド様はどこか納得したような声を上げつつ顔をしかめるという器用な反応を返した。
「なるほどな。ラミラ嬢の言動と行動はそこが原因か…」
ぼそりとラミラ嬢には聞こえないくらいにひそめた声で呟いたのが聞こえた。ライムンド様に何か納得させるような相手なのだろうか。
うーん?わたしが知っているオルテガ伯爵家の情報というと……息子が一人と娘が三人いる。それ以上は思い出せないから、おそらくお嬢様ともカレアーノ家とも関わりがない家なのだと思う。少しでも関わりがあれば、お嬢様のために微に入り細に入り調べたはずだから。
「わかった、では養親の体裁だとか外聞について、今は気にしなくて良いということだな。それはますます都合がいい。ぜひ、アリシアと友人になって常識を学んでくれ」
「………そ、そんなにわたくし、非常識なことをしているの?」
自分ではそこそこ常識ある振る舞いをしていたつもりなのだろう。今までになく不安そうに眉を下げている姿からは演技の気配はうかがえない。
「今はそこまでではないが、かつてのラミラ嬢について率直に言えば、次期王妃となるには不適格と見做されておかしくない程度の言動と行動をしていた。おそらくオルテガ伯爵家の令嬢たちを参考にしたのだろう?」
「ええ。……自分たちの真似をすれば完璧だとおっしゃっていたから……違ったのね」
「どう違うかは、口で説明するよりも自分で見て学んだ方が良いだろうな」
そこまで言ったところで、レターセットを携えた護衛が戻ってきた。年若い少女が同年代の少女に渡すにふさわしい、可愛らしい色の便箋と封筒だ。なかなか良いセンスをしている。
受け取ったライムンド様が滑らせるようにそれをラミラ嬢に差し出し、非常識だと突きつけられてショックを受けているところに畳み掛けた。
「さあ、そのための第一歩だ。手紙の内容に不安があるならユーアに指導してもらうといい」
(お嬢様のお手紙の確認はいつもわたしの役目でしたから、多少はお役に立てると思います。さ、頑張りましょう、ラミラ様!)
大丈夫、最初は優しくしてあげますから。
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