第16話
「どうしてわたくしが、関わったこともない他人の姿になっているのよ…」
現在はお嬢様のぬいぐるみであること、お嬢様の専属侍女であった記憶をもつこと、気がついたらぬいぐるみになっていたこと、そして今わたしの姿をしている時の魔女の娘とは面識がないこと。これらを説明したところ、予想はしていたけれどと言いながらラミラ嬢は頭を抱えた。時の魔女の娘にとっても、自分がわたしの姿になっていることは理解できないらしい。仲間が増えた。
どうやら、彼女は物心ついてから初めて鏡を見たときに、この姿は自分じゃないと認識、そこから芋づる式に記憶が蘇ってきたらしい。その記憶の中にわたしの姿は見当たらなかったため、相手が一方的に自分を知っていて、なんらかの理由で自分の姿を奪ったのではないかと考えていたのだという。
しかし残念ながらわたしも彼女とは面識がないし、彼女の姿を奪いたいなどと考えたことは一度もない。
(時間を遡るような術があるわけですし、魔女の術で姿を入れ替えられたということはないのでしょうか?)
「あのね、わたくしたちの術は物語に出てくるような都合の良い術ではないのよ」
「それにもし入れ替えたのだとしたら、君はラミラ嬢の姿をしていないとおかしいのではないか」
(……それもそうですね)
もしかしてと問いかけたことにはあっさりと否定が返ってくる。
ライムンド様の言う通り、入れ替わる術とやらがあったとしても、ラミラ嬢がわたしの姿をしているのなら、わたしはラミラ嬢の姿をしていないとおかしい。……ラミラ嬢が実はぬいぐるみだったら、話は別だけど。まぁそれはないか。
大人しく自分の意見を引っ込めたわたしに、やれやれとため息をついたラミラ嬢がゆるく首を振る。
「誤解している人が多いのだけど、わたくしたち時の魔女はなんでもできるというわけではないのよ。逆行の術だってきちんと修行を終わらせた魔女にしか習得できないものだし」
(修行?)
「そう。修行。逆行って、簡単じゃないの。物語にあるみたいに、呪文を唱えたらおしまいだなんて、そんな簡単なものじゃないの。特にこの世界全体の時間を遡らせるような大規模な術は本当に難しくて」
(ラミラ様にはできない?)
「……無理ね。わたくし、16歳までの記憶があるのだけど、16歳の時点でも世界規模の逆行の術は行使できなかったわ」
不本意そうに、腹立たしそうに顔を顰めながらも自分にはできないと告げるラミラ嬢。彼女の言うことが本当ならば、今回のこの逆行の術とやらは彼女が行使したものではないのだろう。となると、考えられるのは彼女の母親。
同じことを考えていたらしいライムンド様がそれについて問いかけると、一瞬だけ眉間の皺を深くして目を逸らした。しかし説明しないつもりはないらしく、ざわめく食堂内に視線を向けたままゆっくりと口を開いた。
「……お母様なら、使えたと思うわ。それだけの力があったから、わたくしとレグロの婚約も認められたのだもの」
レグロって誰だっけ。
そんな疑問が頭をかすめたが、すぐに殿下のことだと気がついた。そういえばさっきも名前で呼んでいたなぁ……ライムンド様の反応の方が気になっていたから流してしまっていたけれど、ラミラ嬢は婚約者だから殿下を名前呼びしているのか。
………そういえば、さっきライムンド様が殿下の婚約者が時の魔女の娘、とか、仰っていましたねぇ……普通に流していた。
反応するべきポイントを逃していたことに気づいたものの、今更、えっ、殿下の婚約者!?なんて答えたらライムンド様から白い目を向けられそうだから言えない。
代わりになる返事、と急いで記憶をさらって何か言えそうなことを考える。冷静に考えれば婚約については流して母親なら術が使えるという点を深掘りするべきだったのだけれど、少しばかり焦っていたわたしは不意に思い出したことをそのまま零してしまった。
(そういえば、殿下に婚約を打診している方がいらっしゃるとはお聞きしていました。ラミラ様のことだったのですね)
「正確には、わたくしのお母様よ。前回も、今回も、わたくしが望んだわけではないわ」
「えっ」
心底意外ですという声が上がった。
ぐるりと背けていた顔を正面に戻したラミラ嬢が、バツの悪そうな顔をしたライムンド様を睨みつける。……ずっと気になっていたのだけれど、そんなにしかめ面ばかりしていると眉間に皺が残るのではないですかねぇ。まだ若いのに。
少しばかり残念な気持ちで見上げるわたしの視線は無視して、不機嫌そうな低い声を発した。
「何よ、何か言いたいことでもあるの」
「言いたいことというか…私はてっきり、殿下との婚約はラミラ嬢が望んだ結果だと思っていたんだ」
「は?違うわよ、わたくしはレグロの婚約者になりたいだなんて言ったことないわ。それに今回はまだレグロと会ってすらいないし」
「それは私も知っているが…だとしたらどうして時の魔女は君を殿下の婚約者にしたんだ?私は時の魔女……貴女の母君とは面識はないが、特に権力欲のある人だとは聞いていないし、特に贅沢を望むような人だとも聞いたことはない。そんな人に娘を殿下の婚約者にするメリットなどないだろう」
「それは、」
むぐりと口を噤んだラミラ嬢が気まずそうに目線を横にずらした。恥ずかしいらしい。
何だろう、親が勝手に婚約を決める原因になる行動あるいは言動に心当たりがあるということなのだろうけれど、それってどんなものだろうか。普通に考えたら、ラミラ嬢自身が殿下と結婚したいと言ったから、それを叶えるために母親である時の魔女が国王に婚約の打診を送った、になると思う。わたしだって、もしお嬢様が誰々と結婚したい、と言い出したら、どんな手を使ってでも叶えてあげようと思うもの。
だけどそういう発言はしていないらしいし、だったら時の魔女の勘違い?
首を捻って言葉の続きを待っていると、ラミラ嬢は周囲のざわめきにかき消されそうな小声で呟いた。
「………すごく小さい時に、絵本の王子様に対して、素敵!と言ったことが、あるのよね……」
「ああ…」
(あー…)
それかあ。
ふたりから生ぬるい同情を含んだ視線を向けられ、じんわりと頬を赤くしたラミラ嬢が両手で顔を隠すようにしながら小声かつ早口で続ける。
「でも、絵本よ?2歳とか3歳とかそれくらいよ?そんな小さい子供の言ったことを真に受けて、実在する王子様との婚約を結ぶ親がいる?ありえないでしょう?時の魔女と言ったって特に国内で何か地位があるわけでもないのよ?庶民と同じなのよ?それがどうして成立してしまうの?おかしいでしょう?……満面の笑みのお母様から王子様と結婚できるわよと聞かされた時のわたくしの気持ちがわかる?その時まで王子様と会うなんて、それ以前に実在するとすら考えたこともなかったのよ?そして魔女らしいローブなんか着せられてキラッキラしたお城に連れて行かれた時の場違い感!」
思い出すだけで胃が痛くなる…っ!と苦しげな呻き声をあげてついにはテーブルに突っ伏してしまった。
どう見てもそれなりに常識のある人の発言をしているラミラ嬢を見下ろし、首を傾げながらライムンド様をちらりと見やった。たしか、以前ライムンド様からは殿下の婚約者(候補?)は我儘で傲慢で高飛車、みたいなことを仰っていたように記憶しているのだけれど、今のこの姿を見る限り、そう悪く言われるほどでもないように思う。
もちろん、記憶があることによって多少性格が丸くなっているとか、落ち着いた性格になっているとか、あと受け手側であるわたしたちにも大人の記憶があるおかげで余裕ができているとか、そういう理由もあるかもしれない。が、もしかすると。
思い至ったことはあるけれど、今それを言うとまた話がずれそうだから黙っておく。別の機会に聞いてみよう。
それよりも慰めの言葉をかけるべきかそっとしておくべきか。悩みながら言葉を選んでいると、ラミラ嬢自身、話が逸れていることには気づいていたのだろう、こほんと咳払いをして表情を落ち着かせると「わたくしの婚約については、今はいいわ」と言い聞かせるように呟いて、姿勢を正した。
「それよりも、逆行の術についてよ。さっきも言ったけれど、わたくしのお母様なら行使可能だったと思うの」
「それを本人に確認することはできないだろうか。術を行使した理由も知りたいが、私たちに記憶が残っているのは何故なのかも聞きたい」
「それは……難しいと思うわ」
当然のことを問うたライムンド様に対し、ラミラ嬢は歯切れ悪く答える。難しいと言うからには不可能ではないのだろうけれど、何か問題があるのかもしれない。
うーん、でも殿下との婚約交渉は時の魔女がしていたはずだし、会えないということはないはず。交渉がまとまってから体調を崩したとかだろうか。
「どこか悪いのか?」
「そういうわけではなくて、……ああ、いえ、そうとも言えるのかしら。そうね、何と言うか…」
少し言葉を選ぶように視線を彷徨わせ、自分の中で確認しながらゆっくりと続ける。
「わたくしは逆行の術が使えないから、術の影響なのかどうかわからないということを念頭においてちょうだい。―――今、お母様はずっと眠りについているの」
「眠りに?」
「ええ。もともと、わたくしが生まれた時からいつも眠そうにしていて、一日の半分以上は眠っている状態だったの。そんな状態でもわたくしとレグロの婚約を取り付けることに執念を燃やしていたのがすごく疑問だったけど……その婚約が成立した翌日にはパッタリ倒れてしまって、そのままずっと眠り続けているのよ。……当然食事は摂れないのに、やせ細ったりしないで現状維持しているのも不思議なのよね…」
後半は独り言のつもりだったのだろう、低く小さな声だった。
どこを見るともなしに見ていた目がわたしを捉え、ふっと意識を取り戻したかのように焦点が合った。数回瞬きを繰り返す様子を眺めながら、眠りについているという魔女のことを考える。
術の影響かはわからないということだけれど、ラミラ嬢が母ならば術の行使が可能だと考える程度には時の魔女が術を行使した可能性は高いはず。だとすると、その眠りが術の行使の代償であるとは考えられないだろうか。
術の代償だとかそういった話は神話とかおとぎ話程度でしか知らないから、それが普通の代償なのかはわからないが。
「そんなわけだから、お母様から話を聞くのは難しいわ。このままずっと眠ったままではないと思うけれど、いつ目覚めるかもわからないもの」
ほんの僅かに肩を落として告げるその姿に、逆行の記憶に加えて母親が眠ったままであることが彼女に精神的な負荷を与えていることが伺える。きっとこれも、彼女の性格がライムンド様の評と異なる原因の一つだろう。
ひとまず時の魔女が目覚めた時には話を聞かせてもらうことだけ約束し、腕を組んだライムンド様が困ったように眉を寄せた。術を使ったであろう本人から話は聞けないし、その娘は術について詳しくないとなると、結局は現状から何も変わらないということだから、当てが外れたとでも思っているのかもしれない。
母親のことを思い出して沈んでいるラミラ嬢と、考え込んでいるライムンド様との間に沈黙が落ちる。お二人ともまだまだ疑問点はあるだろうに、今はその疑問に思考が向いていないみたいだ。
しかしいつまでも無駄に沈黙しているわけにはいかない。ライムンド様はこの食堂に来る前にラミラ嬢を送り届ける手配をしていたから、もうしばらくしたら迎えが来るはず。そうなると次はいつ三人で会えるかわからないのだし、今しかできない話をしないと。
今しかできない……となると、やっぱり記憶に関することと、ライムンド様の暗殺阻止計画?ラミラ嬢は殿下の婚約者なのだから、殿下の関心がお嬢様に向かないように協力してもらわないと。……ん?あれ、でも。
(あの、先ほどラミラ様は16歳までの記憶があると仰いましたが、それは16歳で亡くなったということでしょうか)
かつて殿下の婚約者についての話が出回っていなかったことを考えると、もしかしたらラミラ嬢って16歳で殺さ……亡くなったのかも。そんな予想を投げかけると、ふっと顔を上げたラミラ嬢が頷いた。
「ええ、そうよ。といっても、死んだ時のことはあまりはっきりとは覚えていないのだけど」
(そうなのですか?)
ライムンド様はしっかりはっきり覚えていらっしゃったけど。
「なんだかすごく苦しくなったと思ったら生まれた直後に戻っていたの。その直前まで普通にお茶をしていたから、食べ物か飲み物に毒でも入っていたのかもしれないわね」
絶対毒じゃん……。
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