第15話

 お嬢様にはすぐに追いかけると言ったくせに、別の少女とどこかに移動しようとしているライムンド様には「この浮気者!」と言ってやりたい気持ちもあるのだけれど、まぁこれは必要な情報収集の手段だとわかっているからわたしからは何も言うまい。……後から何かしら噂されたら別だけど。


 そんなことより、と唇をへの字に歪めてこちらを見下ろしてくる少女と目を合わせた。ついでに両手も振ってあげる。少女の口端が痙攣した。


「ちょっと、このぬいぐるみ、動いてるんだけど。何これ、呪い?」

(失礼な!……でもちょっと否定しきれないのが悔しいっ)

「しゃべった」


 ライムンド様に連れられて移動した先の大衆食堂で、運良く確保できた端の席に腰を下ろした直後のことである。わたしが動いている姿を公衆の面前に晒すわけにはいかないため、ちょうどライムンド様の体で隠れるような位置どりを意識しながら、まずはお嬢様にかけられた誤解を解くべく動いて喋ってみせる。


 今更だけど、これ、声ってどう聞こえているんだろう……。


 ぽふぽふと自分の口元を探って口が開くかを試してみるも、そもそもどこに口があるのかがわからなかった。今まで自分の姿というと窓に映った姿くらいしか見たことがなくて、実はあまりしっかりとぬいぐるみの外観を確認したこともないのだが、もしかしたら口がないのかもしれない。


 本当に今更なことを考えながら、つついてこようとする少女の指先を避ける。気安く触らないでいただきたい。


「鈍重そうに見えるのに、結構機敏に動けるのね」

(鈍重そうだなんて失礼な。わたしは何処かの誰かさんと違って、子供でも持ち運びができるくらい軽いですぅ)

「……腹の立つ言い方ぁ……っ」


 ひょいひょいと伸ばされる指先を全て回避しながら、揶揄うような身振りも加えておちょくるわたしに少女が額に青筋を浮かべ出したところで、注文を終えたライムンド様が向き直った。一度わたしを見下ろしてから、無言で鷲掴んで少女の手が届かない位置に移動させる。言葉での説得を放棄したようだ。


 注文した飲み物が届くまで動けないように掴んだままにするつもりのようなので、わたしも無駄な抵抗はしないことにする。


(ところで閣下、お嬢様を帰しておきながら他の女性とデートだなんて、何をお考えで?)

「わかっているくせに人聞きの悪いことを言うんじゃない。これはただの保護と説得だ」

(保護を必要とするような相手には見えませんが……見た目わたしですし)

「まあ見た目はな…」


 自分で言うのもなんだが、わたしの容姿は別に悪いものではない。ただ、ごく普通の健康的な庶民だから、お嬢様のように品の良さや育ちの良さが滲み出るということもないし、儚げで守ってあげたいと思わせるような雰囲気もない。つまり、庶民が溢れる祭り会場にいたら普通に埋没する。


 その前提を元に改めて少女を観察すれば、たしかに真っ赤なドレスは高級そうだから人目をひくのだが、顔立ちが普通なせいで「祭りのために奮発しちゃった」感が強い。……そう考えると、身包み剥いでドレスを転売しようなどと考える犯罪者には狙われそうな気がしなくもないな…。


 まあ、それはいい。


 とにかく外見からは特別に保護が必要なように見えないのに、どうしてライムンド様はそんな言い訳をしたのだろうと首をかしげる。性格も図太そうですよねぇ?


「見た目はともかく、彼女は保護される必要がある立場ではあるんだ」

(はあ、見た目はともかく)

「あなた達さっきからわたくしに失礼すぎない…?」


 ライムンド様はひくひくと口端を引きつらせる少女の発言を無視して続けた。


「まだ予想でしかないが、君は時の魔女の娘―――ラミラ嬢ではないだろうか」


 時の魔女。

 ………時の魔女!?


 想像だにしていない単語が飛び出し、思わず少女を凝視してしまった。

 時の魔女とは、その存在こそ実しやかに囁かれているけれど、実際に目にした者はほとんどいないという、いわば伝説上の存在だ。彼女たちが登場するこの世界で最も有名な話が神話だと言えば、伝説上の存在という言い方にも納得してもらえるだろうか。


 神話に曰く、彼女たちは神が最初に創り出した人間なのだという。

 世界を作り上げた神は、手っ取り早く環境を整えるために、道具を使いこなす知恵を持ち、創意工夫ができる人間を産み出した。そしてその人間の作業が捗るように、時を操作する能力も与えたのだそうだ。


 思い切り簡潔に意訳したけれど、神話に語られる彼女たちの説明はだいたいこんな感じ。そのほかに語られている情報といえば、魔女という呼び名の通り、その一族には女性しか存在しないだとか、時を戻すには代償が必要になるだとか、その程度。実際に今どこに住んでいてどういう生活をしているのかは全く知られていない……というか実在を疑われているくらいだ。


 そんな時の魔女の娘が目の前にいると。

 しかも何故かわたしの姿をしていると。


 ライムンド様の言葉を全く信用していないというわけではないけれど―――信じがたい。


 そんな疑いの目を向けるわたしを前に、少女はあっさりと頷きを返した。


「ええ、そうよ。何、貴方わたくしのことを知っているの?会ったことはないと思うのだけど」

「まぁ現在において直接の面識はないが、ラミラ嬢が本来の姿をしていた時には、何度か会ったことがある。……私はライムンド・シルヴァ・ククルーシア、殿下の友人として、王宮に行くことも多いのだが、覚えていないだろうか」

「ライムンド……?」


 訝しげな顔で腕を組んだ少女だったが、少ししたら記憶に引っかかったのか、はっと目を見開いた。


「あ、ああ!?レグロの隣にいたいけ好かない男!?」

(いけすかない……まぁ閣下はお嬢様以外には塩対応でしたからね…)

「塩対応どころじゃないわよ!この男、せっかくわたくしがレグロとのお茶会に誘っても「私は婚約者以外の女性とは茶会の席につかないことにしておりますので」とか言って毎回さっさと帰って行くし、レグロへのお土産ついでに買ってきただけのお土産すら「婚約者以外の女性からは何も受け取らないことにしております」とか言って毎回断っていたのよ!?こっちだって婚約者がいることは聞いていたから、気を使って選んだ人気店のお菓子よ?消え物よ?別に貴方に媚びを売っているわけじゃなくて全部レグロのついでなのにっ!失礼すぎると思わない!?」

(さすが閣下、お嬢様への愛のブレなさが素晴らしい。この調子でお願いいたします)

「もちろんだ」

「そうじゃないでしょお!?」


 何?わたくしがおかしいの!?と頭を抱える姿にこっそりと笑いを噛み殺す。

 性格を把握するために揶揄ったりぞんざいに扱ったりして怒りを煽ってみたのだけれど、思いの外愉快な反応を返してくれるので楽しくなってしまった。ツッコミ属性だな、彼女は。


 もちろん多少は性格も悪いというか、祭りのあの場面を見た感じだと自己中心的なところはあるようだが、知人の婚約者への配慮も多少はできていたようだし……多少の性格の悪さくらい、いくらでも誤魔化せる。

 うん。彼女は使えるぞ。


 くすくすと笑う口元を押さえながら、それにしてもとライムンド様を見上げる。


(閣下はよく彼女のことがわかりましたね。外見はわたしだというのに)

「言動と行動に既視感があったからな。あとは、殿下の婚約者が時の魔女の娘だと知っていたから、この記憶が魔女による逆行の影響であるという可能性は以前から考えていたんだ。こじつけだが、君がぬいぐるみになっていることも逆行に無関係ではないだろうと思っていた。そうしたら、君の姿をした別人がいたのだから、関係者に違いないと考えたと……まぁそれだけだ。確信するほどの根拠はなかった」


 根拠はなかったと言う割に「時の魔女」の単語を出すあたり、実は結構確信していたのではなかろうか。そして以前から時の魔女の存在を認知していたのなら教えてくださっても良かったのに。


 お嬢様との楽しい時間を邪魔されたくないからわたしの前に現れなかったのは理解しているけれど、殿下の魔の手から逃れよう作戦の協力者に対して情報の隠蔽をしすぎではないかとちょっともやっとする。良いですけどね、別に。


 内心のモヤモヤを表に出ないようにきっちり沈めて相槌を打つわたしに被せるように、不機嫌そうな少女―――ラミラ嬢の声がかけられた。


「ちょっと、貴方達本当にわたくしに対して失礼よ!だいたい、人の買い物を邪魔して連れて来たくせに、そちらばかりで話をするなんてどういうつもりなんですの!?」


 そう言われると、とても失礼なことをしている気になるなぁ。まあ事実として失礼なことをしておりますが。

 彼女を揶揄うのはこれくらいにしておこうとアイコンタクトを交わし、わたしはきゃんきゃんと吠えるラミラ嬢をなだめるように両手を上げ、ライムンド様は姿勢を正した。


「まずは、これまでの失礼な態度を謝罪する。私が貴女と会うときはいつも貴女は怒っていたから……つい、その怒る様子で確認してしまった。大変失礼した」

「………」


 いつも怒っていたという点に反論したそうに口端がひくついている。


「改めて、貴女をここに連れて来た理由だが―――時間の遡りについての相談と、このぬいぐるみの正体について話がしたいと思ったからだ。先ほどまでの会話で分かってはいるが、念のため確認させてほしい。貴女も未来についての記憶があるということで間違いないだろうか」


 先ほど自分でも「こんな姿のはずじゃ」と言っていたし、面識がないはずのライムンド様とのやりとりを話していたからだろう、今更誤魔化す必要もないと頷いた。


「ではいくつか聞きたいことが―――」

「その前に、わたくしから質問させて」


 早速とばかりに切り出したライムンド様を遮り、ふー、と静かに息を吐き出して感情を落ち着かせたラミラ嬢が目を据わらせてわたしとライムンド様を見る。さくさく話を進めていくライムンド様と、適当なところで茶々を入れて話を掻き乱すわたしとに会話の主導権を握らせていると、いつまでも自分が聞きたいことを聞き出せないと気づいたのかもしれない。


 自分の顔だからこそよくわかる。あれはそこそこ本気で苛ついている表情だ。

 了承を得るような言い方をしたくせに、返事は求めていなかったのだろう。ライムンド様が口をつぐんだ直後に言葉を続けた。


「まず、そのぬいぐるみ、一体何なの?」

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