第11話
「おかえりなさい、ユーア」
(ただいまかえりましたお嬢様ああああああ!!)
お嬢様との約束通りの日にわたしは返却された。
一日半ぶりのお嬢様だ。昨日一昨日の夜にお嬢様のお話を聞けなかったのが非常に悔しいが、その分きっと今夜いろいろお話ししてくださることだろうと思うとそれもまた良し。ああでもまずはお嬢様をしっかり見たい。お嬢様分を補充したい。
そんなわたしの願いが聞き届けられたのか、手渡されたわたしをぎゅっと抱きしめて満面の笑みで「おかえりなさい」と言ってくださるお嬢様が尊い。できることならわたしも抱きつき返したい……っだめ、そんな畏れ多いことできない!でもこんな天使なお嬢様に抱きつける機会なんて今後一生のうちに一体何度あることかと思うと、このチャンスを逃すなんてもったいないにもほどがある。
まぁ、わたしはぬいぐるみ。動くわけにはいかないから抱きしめ返すなんてできないのだけど。
抱きしめられたままがっくりと項垂れるわたしには気づかず、お嬢様はなんとも言えない表情をしているライムンド様に笑顔で「良いものがありましたか?」などと声をかけている。
「ああ、お気に入りのぬいぐるみを貸してくれてありがとう。おかげで従妹にも喜ばれそうなものが買えたよ」
「お役に立てて良かったです!」
「本当にありがとう。…それで、お礼なのだけれど」
恥ずかしそうに少しだけ目を逸らしたライムンド様は、後ろ手に隠し持っていた小包をお嬢様に差し出した。淡いピンク色の包装紙に白レースのリボンがかけられたそれは、美少年であるライムンド様が持っていても絵になるが、可愛らしさの権化であるお嬢様の手に渡ると、まるで神から聖具を賜った聖女を描いた絵画のようだ。まぁ、中身は聖具ではないけれど。
婚約者からの思わぬプレゼントにぱあっと目を輝かせたお嬢様は、歓喜か興奮かで頬を上気させている。かわいい。
「ありがとうございます…!あの、開けてもよろしいですか?」
「ええ、ぜひ」
わくわくしているのがこちらにも伝わってくるような笑顔で丁寧に包みを開き、中身を確認すると一瞬きょとんとした後に何かに気づいたようにじわじわと目を見開いていった。そっと中身を取り出して、光にかざすように軽く持ち上げる。
「か、かわいい…!すごい、可愛いです!」
「『居眠りウサギ』が好きだと聞いたから、それにしたんだ。喜んでもらえて良かった」
「すごく嬉しいですっ!本当にありがとうございます」
ウサギのシルエットと時計や歯車のモチーフが組み合わされている、お嬢様が普段身につけているものよりも少しシックなデザインの髪飾りは、どうやら無事お嬢様のお眼鏡にかなったらしい。
なお、『居眠りウサギ』とはぐーたらで寝てばかりと言われているウサギが、実はその夢の中で過去と未来を旅して色々な人を助けている、という子供向けの物語である。キーアイテムである懐中時計を出版社が公式グッズとして販売した際には、即日完売したほどの人気作品だ。
ひとしきり感動したように色々な角度から髪飾りを眺めていたお嬢様は、ふと小さく首を傾げた。
「あれ、でも……『居眠りウサギ』が好きって、誰にも言っていないはずなのですけれど…?」
誰から聞いたのですか?と。
もちろん情報源はわたしだ。幼少期から成人後に至るまで、お嬢様の気に入ったもの、好みのデザインの変遷はすべて記憶しているのだから、今のお嬢様が好きなものだって当然把握している。
ただ、お嬢様はお嬢様であるがゆえに、あまり好みを口に出しはしない。
一度好きなものを口にしてしまえば、お嬢様を溺愛していらっしゃるご両親が際限なく買い与えてしまうし、使用人達もことあるごとに自腹を切って、あるいは自分で手作りしてでもお嬢様に贈ろうとするのだ。
いくら好きなものでも山と積まれては困ってしまう。そもそも自腹を切るだとか手作りするだとか、贈る側の負担を想像すると素直に喜べない、とは記憶にあるお嬢様の弁。故に、お嬢様は好きなものを特にこれと特定して口にすることはない。
わたしの前、以外では。
(侍女としてお仕えしていた時も、わたしにだけは本当に好きなものを教えてくださったのです。まぁそれはわたしがあれもこれも買ってはお嬢様に捧げるようなことをしていなかったという信頼あってのことですけれど)
今はぬいぐるみ相手になら何話してもいいだろうという気持ちで色々と話してくださっているのだと思う。
とにかくそんなわけで、お嬢様が周囲の人たちに隠していた好みを当てたライムンド様に、どうして知ったのかと疑問を抱いたご様子。ここまでは作戦通りだ。
ごくりと小さく喉仏を上下させ、ライムンド様が周囲を軽く確認してからわたしを指し示した。
「そこの、ユーアに聞いたんだ」
「ユーアに…?」
腕の中のわたしを見下ろすお嬢様は信じられないという顔をしている。そりゃそうだ。
ぷらーんと脱力した至って普通のぬいぐるみでしかないわたしを数秒見下ろして、困ったように眉を下げるとおずおずとライムンド様を見上げた。困っている。とても困っていらっしゃる。ああかわいい!
間違っても相手を侮辱したり恥をかかせるような言動ができないお嬢様が心底困っているのが堪らなく可愛らしい。もちろん笑顔が一番だけれど、こういう表情もたまには良い……などとうっとりしていたら、ライムンド様から熱い視線を向けられてしまった。
打ち合わせと違う!と言いたいらしい。
(申し訳ありません、お嬢様が可愛らしくてつい)
正気を疑うような目を向けられた。
ひょい、と肩をすくめて見せてから、魅惑の上目遣いでライムンド様を無自覚に魅了しているお嬢様の腕をポンポンと軽く叩いた。婚約者がぬいぐるみの声を聞いたなどと寝ぼけたことを言い出したせいで困惑しているお嬢様には、わたしに注目していただかないと。
ふわふわなぬいぐるみの手で叩かれても服越しだとあまり感触が伝わらないのか、すぐには気づかなかったお嬢様も、数回叩いたところでハッとしてわたしに目を向けた。
ぱっちりと開かれた蜂蜜色の瞳とぬいぐるみの作り物の目が合う。
「う……動いて…っ!?」
(はい、動いておりますよお嬢様!はああ驚いているお顔もたいそう麗しい…っ!)
驚愕によって緩んだ腕から身を乗り出し、うっかり取り落としそうになったライムンド様からの贈り物を追いかけるように落下しながら腕を伸ばす。質量と表面積が違うから間に合うか心配だったけれど、どうにか床に落ちる前に捕まえて自分の体をクッションにして着地した。
数回弾んでから起き上がり、抱えた髪飾りをお嬢様に差し出して気持ちだけはにっこり笑う。
それまでピクリともしなかったぬいぐるみがいきなり活発に動き出したことにどう反応して良いのかわからないのだろう、ぽかん、と目と口を丸く開いたままわたしを見つめるお嬢様。
わたしはわたしで声が届かないから行動で示すしかなく、とりあえずこの髪飾りを受け取っていただくためにお嬢様の足元までテコテコ歩いてみる。
「歩いてる…」
(お嬢様、どうぞ。閣下からの贈り物第一号です、大切になさってくださいね)
捧げるように短い腕で髪飾りを差し出せば、躊躇うようにライムンド様とわたしとを見比べ、そしてそっとその場に膝をついた。
ああ、やっぱりお嬢様だなぁ。
ふわりと優しくわたしの体ごと持ち上げて目の高さを合わせると、戸惑っているだろうに笑顔を浮かべてわたしの手から髪飾りを受け取ってくださった。
「ありがとう、ユーア。……あっ、名前はユーアで良いのかしら?」
(もちろんです!仮に本来の名と違ってもお嬢様からいただいたお名前で生きてまいります!)
「ふふ、頷いてる。かわいい」
(とろけそうな笑みありがとうございますううう!でもお嬢様の方が比べるのもおこがましいほど可愛らしいですよ!)
つい興奮して動いてしまった両手がぽふぽふとお嬢様の手を軽く叩くが、咎めることもなく笑顔で可愛い可愛いと言ってくださるお嬢様は控えめに言っても天使だと思う。
そうしてしばらくわたしに構ってくださっていたお嬢様だったが、ふと首を傾げてライムンド様を見上げた。ちなみにライムンド様はわたしに向けられた愛らしさ全開のお嬢様の笑顔に心を撃ち抜かれてふらついていた。
「ライムンド様は、ユーアから私の好みを聞いたと仰いましたけれど…」
「っあ、ああ」
「つまり、ユーアと会話ができるということですか?」
「そうだよ。ちなみに先ほどアリシア嬢がユーアに可愛いと言った後は、ずっとお嬢様……アリシア嬢の方が可愛いと言い続けているね」
「まあ!」
嬉しいのか恥ずかしいのか、はにかむような笑みをわたしに向けてくださるお嬢様。ああ可愛いいいいい!
しかしふと何かに気がついたのか、そんな可愛い表情からじわじわと唇が尖り、拗ねたような表情に変化していく。どうしたのだろうか。ああでもそんな顔も可愛い……お嬢様はどんな表情でも可愛いから当然か。
そんな可愛いお嬢様は少し唇を尖らせたまま、むー、と小さく唸ってライムンド様を上目遣いに睨んだ。
「ユーアは私のものなのに……ライムンド様だけユーアとお話しできるなんて、ずるいです」
「うっ」
(うっ)
拗ねた表情と上目遣いの組み合わせにライムンド様は瀕死だ。表情一つで婚約者を翻弄するなんて、お嬢様ったら小悪魔なんだから!かわいい!
そしてお嬢様の「私のもの」発言にわたしも瀕死だ。わたしがお嬢様のものなのは今も昔も未来永劫変わらぬ真理ではあるけれど、それを言葉にしていただけるなんてなんたる栄誉。嬉しすぎてつらい。
簡単にわたしたち二人を再起不能にしたお嬢様は拗ねた表情でわたしとライムンド様を交互に見つめ、「私もユーアとお話ししたいのに…」とぶつぶつ呟いていらっしゃる。わたしもライムンド様なんかよりお嬢様とお話ししたいですぅ!
じゃなくて。
(閣下、閣下!しっかりしてください!まだ話は終わっておりません!)
お嬢様の可愛らしさに持っていかれそうになる意識をなんとか繋ぎ止めて、顔を赤く染めたまま沈黙してしまっているライムンド様に呼びかける。今後のためにはお嬢様にわたしとライムンド様が意思疎通できることを伝えるだけではまだ足りないのだから、しっかりしていただかないと。
わたしの呼びかけにはっと我に返ったライムンド様は、真っ赤な顔を隠すように手で口元を覆って少しの間俯き、多少は落ち着けてからお嬢様に向き直った。
「その、アリシア嬢。ユーアについて、少し頼みがあるのだけれど、良いかな」
「ユーアについて、ですか?」
「ああ。先ほども言ったけれど、なぜか私はユーアと会話ができるから……できれば、今後も時々ユーアと話をさせて欲しいんだ。できれば、二人だけで」
「え……」
言い方が悪いですライムンド様あああああ!
いやまぁ、ぬいぐるみと話がしたいと言っている時点でちょっと頭大丈夫?と言いたくなる感じではあるのだけれど、それでも「二人だけ」とかつけなければまだマシ!貴方はお嬢様の婚約者でしょうが!ほらぁ、お嬢様も少しショックを受けた顔してるぅ!
(説明!追加説明をお願いいたします!お嬢様が「二人だけ」の部分にショックを受けていらっしゃいます閣下!)
慌ててライムンド様に声をかければ、ようやく自分の発言内容に気がついたのか「あっ、違…っ!」とおろおろ両手を彷徨わせた。
「アリシア嬢からユーアを奪いたいわけではなく…っ!その、ユーアはアリシア嬢のことをよく知っているようだから、好みを聞いたりだとか、贈り物の相談だとかをしたいだけで!流石にそれを君の目の前で聞くのは恥ずかしいから二人で話をさせて欲しいと…っ」
お嬢様についての情報収集をしたいということをお嬢様に言ってしまったライムンド様。作戦通りの発言内容ではあるけれど、本当に言ったよこの人とも思ってしまう。
……あと、お嬢様がショックを受けたのはライムンド様がお嬢様よりわたしを求めたことに対してであって、わたしが奪われることを危惧したわけではないと思うのだけれど。まぁ、無自覚でしょうが、それについてのフォローはされているから良いか。
そして婚約者から自分の好みが知りたいと言われたお嬢様はといえば、ぽかんと目を丸くしたままじわじわと頬を赤くしていた。かわいい。
親が決めた婚約者といえど、相手から歩み寄ってきて好意を示されれば嬉しく思うのだろう。もともとお嬢様はライムンド様のことを嫌ってはいないし。むしろ仲良くなりたいなぁと思っていらっしゃったし。
「そ、そういうことでしたら。でも、好みなら、……直接、聞いてほしいです。私も、ライムンド様のお好きなもの、いろいろ知りたいですから」
「ぅぐ……っ」
(うわあああああ照れを含んだ優しい微笑みが女神ぃいいいい!)
先ほどからお嬢様はライムンド様に会心の一撃を与えすぎでは。このままでは再起不能になりかねませんよ!
見れば心臓のあたりを押さえて顔を背けるライムンド様の肩が震えている。気持ちはわかる。でも落ち着いて!お願いだから落ち着いて話を進めてください!
ぷすぷすと頭から蒸気を発しそうなくらい顔が赤いライムンド様は、お嬢様の視線から逃げるように顔を背けたまま数回深呼吸をして絞り出すような声で「わかった…」と返答した。とても苦しそうな声である。
「好みについては、アリシア嬢に聞くことにする。たくさん話をしよう。そして、私のことも知って欲しい」
「はいっ!よろしくお願いしますっ」
「……っかわいい…っ」
今までで一番嬉しそうな笑顔で返事をしたお嬢様に、ライムンド様の口からはとうとう堪えきれなくなった本音がこぼれ落ちていた。気持ちはわかる。
でもまぁ、とりあえずお嬢様が幸せそうで何よりでございます。
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