第10話

 貴族令嬢というものは幼少時はあまり外出が許されず、基本的には年がら年中お屋敷の中で過ごしている。顔をあわせるのは家族以外には屋敷に勤める使用人か、時々訪れる外商程度。代わり映えのない顔ぶれではあるが、だからこそ容姿、性格、能力が厳選された選りすぐりの者のみを目にして育つことになり、自然と落ち着いた穏やかな性格が構築される。

 ……と、わたしは思っていた。





「いや、それはアリシアだけだ。カレアーノ家の過保護ぶりは知っていたつもりだが、想像以上だな…」


 お嬢様の専属侍女だったのにどうして他の貴族令嬢のことをよく知らないのかと問われ、貴族令嬢とはこういった方でしょうと答えたときのライムンド様の反応だ。


 行儀見習いとして雇うのも拒否されるほど、我儘で高慢で高飛車な令嬢というものが存在するとはどうしても思えなかったのだが、どうやらお嬢様の生活環境は一般の……中級、下級の貴族令嬢の生活とはかけ離れたものだったらしい。


「たしかに思ったんだ、高級商店通り(フォア・ルー)に一緒に行った時、初めて来る場所だとはしゃいでいたのが不思議だと。一体どこでドレスや身の回りのものを購入しているのかと、不思議には思ったんだ」

(お買い物は屋敷に訪れた外商の方から購入するか、事前に注文しておいてわたし達使用人が受け取りに行っておりました)


「…一緒に観劇に行った時も、開演前にラウンジでパンフレットを買ったりするのを見て「ここに売っているのですね」と驚いていたことにこっちが驚いた」

(旦那様や奥様と観劇に行かれる際には、興行主から事前にパンフレットはいただいておりますし、屋敷から馬車で劇場に向かった後はカレアーノ家の専用席に通されておりましたから)


「……その割に平民や貧民にも気軽に話しかけるし、相手がいくら汚れていても気にせずに手を取るのは、何なんだ…」

(旦那様の方針で、カレアーノ家では身分関係なく、何か一つでも秀でた能力を見せれば雇っていただけますから、一芸を持つ平民や元貧民も多数使用人として働いております。お嬢様は幼い頃からそのような者たちと親しくしておりましたので、町の安全な場所にいる一般的な平民に話しかける程度、何も抵抗はないはずです)


「それは絶対普通の貴族令嬢ではないからな」


 力一杯否定されてしまった。

 言われてみれば、ときどきお嬢様とご友人とで話が噛み合っていない瞬間があったり、ライムンド様が何とも言えない表情でお嬢様を見つめていることがあったけれど、それが原因だったのだろうか。


 しかし多少生活環境が違ったとしても、お嬢様と親しくしていたご友人方は皆様おっとりと上品で、我儘高慢高飛車なんて言葉とは無縁のように見えた。だからそんな令嬢がいるなんていまいち信じきれない。


 とはいえもしかしたらわたしが我儘だと認識していないだけで、男性から見れば我儘な行動と映る場合もあるかもしれない。


(お嬢様の周囲にはそのような我儘で高慢な女性はいなかったように思いますが、我儘というのは、具体的にはどのようなものでしょうか)

「アリシアの周りは本当に平和だったからな……そうだな、我儘か。例えば、自分に出す紅茶は必ずユーヴェルナ産の最高級品にしろ、だとか」


 ユーヴェルナ産の紅茶は最高ランクでなくても一杯分の茶葉で王都の一等地に家が建つと言われている。


「フォア・ルーの一角にある店の品揃えを自分好みのものに統一したいから店ごと寄越せと店主を脅したりだとか」


 高級店の店主は多くの貴族と関わりを持っているから、一介の貴族令嬢が脅せるような相手ではないはずなのだが。


「自分が以前贈った衣装を着ていなかったことに癇癪を起こしたりだとか」

(それは、贈られた方には似合っていましたか)

「建国祭の仮装の方がマシな程度には」


 それはひどい。

 ちなみに建国祭の仮装とは、読んで字のごとく建国祭に行われる仮装で、王都の大通りを奇抜な格好で練り歩くイベントのことだ。天使や悪魔なんかはまだまともな方で、全身が溶けた化け物の仮装や大掛かりな道具を用いて細かな動きまで再現した動物の仮装など、その内容は多岐にわたる。

 その仮装の方がマシと言われてしまうとは。


(殿下はなかなか素晴らしいセンスをお持ちの方に好かれていらっしゃったのですねぇ…)

「そうだな…」


(ついでに高慢や高飛車についても具体例をお願いします)

「君、だいぶ遠慮がなくなってきたな。まあいい、高慢か……話し方がそもそも上から目線なのだが……少し茶菓子を出すのが遅れただけで使用人に罵詈雑言を浴びせたり、とかか?」


(それはただの性格が悪い人では)

「そうなんだよな…」


 疲れ切った様子で息を吐き出したライムンド様にこれ以上厄介な人のことを思い出させるのは心苦しい。話し方がしっかりしているせいで忘れかけていたが、この方は肉体的にはまだ子供。あまり無理をさせるべきではないだろう。


 今更な気遣いを胸に刻みつつ、さてどうしたものかと考える。

 先ほどまで、わたしは多少殿下と性格が合わない程度ならば、今から殿下好みに矯正してしまえば良いと思っていた。相手の情報がないから推測にはなるが、殿下に婚約を打診するくらいなのだから、そこまで年齢は離れていないはず。だったら洗の……性格矯正も難しくはないだろうと。


 しかしライムンド様のこの様子を見る限り、ライムンド様にその令嬢?の性格矯正を依頼するのは酷かもしれない。


(わたしが直接お会いすることができれば良いのですが…)


 あるいはライムンド様よりも適性のある方にわたしの言葉が伝われば。

 そんな思いを込めて呟いた言葉に、目だけをこちらに向けたライムンド様が続けるよう示してくる。


(その我儘なお方がどうしても殿下と結婚したいのであれば、殿下好みの性格になるよう矯正するのが一番だと思うのです。そうすれば殿下もお嬢様からそちらの方に目移りしていただけると思いますし……ただ、性格矯正には相手の言葉に揺らがない意志の強さと、自尊心を叩き折ることへの抵抗のなさが必要になりますので、閣下には少し難しいと思われます)

「君にはできるのか」

(それがお嬢様の幸せに繋がるのならば)


 お嬢様の幸せのためならなんでもする覚悟はすでにある。


 しかし現状、ライムンド様以外にわたしの声は届かない。お屋敷にいる間に手当たり次第に声をかけてはいたけれど、誰一人反応を示さなかったから身近にいる人間はまず無理だ。かといって探しに行こうと思っても、ぬいぐるみが街中をテコテコ歩き回るなんてできない。


 わたしってなんて役立たず……。


 がっくり項垂れるわたしの前で、ライムンド様は難しそうな顔で腕を組んで唸っている。その令嬢?の性格矯正について考えてくださっているのだろうか。でもライムンド様は性格的に矯正係は向いていないと思います。お優しいので。


「たしか来週くらいに、彼女を見かけたような記憶がある。城に、殿下を訪ねて来ていたと聞いた……ような」


 違った。


(実際にはまだ面識はないのですね)

「ああ、直接言葉を交わすのはまだ先のはずだ。それも殿下が剣の鍛錬をするときについて来ていたから挨拶をしただけだが」


 お嬢様と同年代で、殿下が鍛錬する場所に入っていけるような令嬢なんて、いただろうか?


 殿下は王族専用の鍛錬場で鍛錬をしていると聞いたことがある。普通の令嬢、というか王族以外の者は基本的に立ち入り禁止の場所で、例外は教師、あるいは共に鍛錬をする友人くらい。ライムンド様はこの友人枠で鍛錬城への立ち入りを許可されているのだと思う。


 まったく心当たりが浮かばないのが我ながら不思議だけれど、それは今はいい。そんなことより、せっかくライムンド様が件の令嬢?の様子を確認する機会があるのなら、利用しない手はない。


(それでは、来週見かけたときにでも、その我儘なお方と殿下の様子を確認していただけないでしょうか。現時点でどの程度殿下に嫌われているのか、どの程度の我儘ぶりを発揮しているのかに着目して、お願いします)

「……話しかけなくても良いか?」

(パッと見てわかるだけでも構いません。あくまで参考にするだけですから)

「わかった。では来週またアリシアを訪ねた際にでも結果を伝えよう」

(はい、よろしくお願いいたします)


 逃げ腰なライムンド様に、そんなに苦手な相手なのかと苦笑しつつ、可能な範囲で頑張っていただくことにする。ぬいぐるみのわたしができることは、今の所こうしてライムンド様に色々提案したり、背中を押したりする程度。今更感はあるが、あまり多くを求めるのは図々しいだろう。


 そう考えると、お嬢様の悲劇を回避するためにライムンド様と言葉が通じるのは本当に幸運だ。なんせお嬢様とは意思疎通ができないから―――…あ。


(閣下、問題があります)

「?何だ」

(お嬢様には、わたしの声は聞こえません)


 そう。つまり。


(閣下が、婚約者のぬいぐるみに話しかける変な人になってしまいます)

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