第8話
わたしは、殿下のことをあまりよく知らない。
というのも、お嬢様がライムンド様と婚約されてからはお嬢様の話題はライムンド様一色。異性と会うのは夜会の場面のみであり、そのような場ではライムンド様がエスコートされるためお嬢様の関心は全てライムンド様が掻っ攫っていた。
女性のご友人がお屋敷に訪問されることはあれど、婚約者でもない男性がお嬢様を訪ねて来たところで婚約者一筋のお嬢様がお会いするわけがない。そもそもそういった行為は自分が横恋慕していることを示すようなもので、非常に不作法なことだとして社交界では白い目で見られるらしいから、仮にも一国の王子がそのようなことはできなかったのだと思う。
そのため、お嬢様が殿下とお会いしたのはライムンド様同伴の夜会が主になる……のだけれど、お嬢様の口からお聞きしたのは「相変わらず聡明そうな方だった」「女性に囲まれていた」「ライムンド様と仲が良さそうだった」という程度。
ライムンド様との婚約以前、お屋敷に殿下がいらしていたときの反応を見るに、お嬢様も殿下のことを嫌ってはいないはずなのだが、やはりどうにもライムンド様には勝てなかった様子。話題が乏しすぎる。
(お嬢様はずっと閣下のことをお慕いしていらっしゃいましたから、婚約者として城に連れて行かれた時にはそれはもう混乱の極みで)
なんせライムンド様の訃報が届いてから毎日「私はもうだめ、生きていけない」などと言っていたくらいだ。使用人一同でどうにか宥めすかして自死と出家は回避していたものの、毎日毎日涙が尽きない状況だった。
(幸い、わたしはお嬢様の侍女として翌日には城に上がることができたのですが、その時にはすっかり気力を失ってしまわれていて)
最愛の人が亡くなった直後に、嫌ってはいないが興味もなかった相手に口説かれたところで何の慰めになるだろうか。それで慰められる人もいるかもしれないが、お嬢様はそうではなかった。むしろ口説くような愛の言葉は全てライムンド様を想起させたからか、かえって悲しみを深くさせただけだった。
そしてそれが、結果として悲劇を招いた。
(お嬢様はいつまでも閣下のことが忘れられず、殿下の婚約者となることを受け入れられなかったのです。しかし陛下も認めたその婚約を拒否することもできないため、お嬢様のお気持ちは置き去りにしたまま婚約が発表され、その後に婚姻もされました)
王族の結婚というだけでなく、花嫁は婚約者を殺された悲劇の令嬢ということで国民は大盛り上がり。もちろん花嫁姿のお嬢様はそれはもう天使もかくやとばかりの美しさだったけれど、悲しみは隠しきれていなかったし、浮かべられた笑みは仮面のようだった。
傍にいたわたしは確かにそれに気づいていた。だけど、いつかお嬢様が殿下に心を開いたり、あるいは殿下がどうにかお嬢様の心を癒したりできるのではないかと、そんなことを期待していたのだ。
が、殿下はわたしが思うよりずっと、気が短かった。
(お嬢様は本当に……それはもうほんっとうに、閣下のことを愛していらっしゃいましたから……殿下との間に子を成すことを拒否されたのです)
それはもうはっきりと。
絶対に嫌だと泣きながら部屋から飛び出してきたお嬢様に、続きの間で控えていたわたしは驚きすぎてうっかりそのままお嬢様を続きの間で匿ってしまったくらいだ。
(それが殿下はこの上なくご不快だったようでして)
翌日からは悲惨だった。
お嬢様が泣こうが喚こうが夜は部屋からは出されないし、昼でも王太子妃としての職務があるはずなのに部屋に監禁状態。それがお子を宿すまで続いた。
(その頃にはもうお嬢様は窶れ果ててしまって)
容姿の美しさは変わらなくても、手足はやせ細って顔色は悪く。
それでも子供を無事に産むために無理やり食事を与えられて、それが一層苦痛で吐いてしまったりもした。
殿下から望んでお嬢様を娶ったくせに、そのような扱いをするのはいくらなんでもひどすぎる。一介の侍女風情が殿下に物申すなんて許されることではないけれど、それでも到底我慢はできなくて、ある日お嬢様の部屋を訪れた殿下に言ってしまったのだ。
何故そこまでお嬢様を苦しめるのですか、と。
(そうしたら、殿下は大笑いされたのです)
この上なく可笑しなことを聞いたとばかりに声を上げて笑った後、すっと真顔に戻った殿下は唇の端だけを歪に持ち上げた。
「優しい言葉も気遣う言葉も愛の言葉も、所詮はあの男の二番煎じ。私が私だけの言葉、記憶として刻み込めるのはこれしかないだろう?」
そう言って、寝台に横たわっていたお嬢様の頰にそっと触れた。
「あの男を排除すれば君が手に入ると思ったのに、君はいつまでたってもあの男を忘れてくれない。なあ?その腹にいるのはあの男ではなく、私の子供だというのに」
その言葉を聞いた時、わたしはすぐには理解ができなかった。
けれどお嬢様はすぐに殿下の言葉の意味を察してしまった。
「あの方を、排除……?」
呆然と目を見開いて零された言葉に、殿下はにっこりと笑みを浮かべて頷いた。
「ああ、そうだよ。私が、君を手に入れるためにしたことだ」
「……わ、たくしを…?あ……ああ…そんな……っ」
殿下が自分を求めたからライムンド様が殺された。別にそれはお嬢様のせいではないのに、お嬢様は自分のせいだと思ってしまったのだろう。殿下の言い方も悪かった。
「あいつは優秀だから。早々に隙を見せてはくれなかったが……まぁ、人間誰しも、一瞬たりとも油断しないなんて、ありえないからな」
嘲るように、毒を擦り込むように。
そんな悪意が込められた言葉が続けられ、見開かれた蜂蜜色からはみるみる光が失われてしまった。これ以上殿下の言葉を聞かせてはならないと慌てて割り込もうとしたけれど、鼻先に突きつけられた鈍色のナイフに反射的に動きを止めてしまう。
「後を追おうなんて考えてはいけないよ?そんなことをしたら、……そうだなぁ、君の大切なもの、一つ一つ壊してしまおうか」
まずは彼女からがいいかな、そううっそりと微笑む殿下を前に、お嬢様は光を失った瞳をそっと閉じた。
これが、ライムンド様が亡くなってからの顛末だ。
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