第7話

 馬車を降りる際に注目されないよう用意された袋の中に入れられ、わたしは使用人の手によって何処かに運ばれた。袋越しにライムンド様が何か言い付けているのが聞こえたが、くぐもっていたため明確には聞き取れず、かといって自力で袋から這い出すなんてことも当然できないため、おとなしく普通のぬいぐるみらしく動かずにいることにする。お嬢様からの預かりものであることは伝えられているはずだから、行き先は普通に考えればライムンド様の私室だろう。


 お嬢様の婚約者であるライムンド様の私室。


(そういえば、お嬢様は閣下とご結婚はされなかったから…このお屋敷だと、客間とお庭くらいしか知らないわ。あとはバックヤードで少しお手伝いをしたくらいですし)


 かつてはククルーシア家の使用人やライムンド様の側仕えから好みなどは聞き出していたけれど、せっかく私室を見ることができるのなら、部屋の雰囲気などを確認するのは良いかもしれない。お嬢様が贈り物をされる際に助言ができる。


(あ、できないんだった…)


 ぬいぐるみの体を見下ろして項垂れる。ライムンド様と会話ができることで希望を持ってしまったが、お嬢様とは未だ一言も意思疎通ができていないのだった。

 なぜ誰よりも敬愛して尽くしているお嬢様と言葉を交わすことができないのに、お嬢様を残して死んでしまった婚約者なんかと会話できるのだろう。わたしが求めているのはそっちじゃない。


 ままならない現実に打ちひしがれている間に、袋ごとどこかに置かれた。わたしを運んでいた使用人はすぐに部屋から立ち去ったようだが、念のため袋の中で動かないでいることにする。それは動いているところを目撃されないようにというのもあるが、袋から出て転がった姿をライムンド様以外に目撃された場合、「袋の置き方が悪かったために婚約者から借りたぬいぐるみが転がり落ちた」として使用人の失態となってしまうからだ。


 記憶にあるククルーシア家の人々はその程度の失態で使用人をひどく咎めることはしないだろうが、当人に不手際がないのに不当な低評価を与える要因になるべきではないだろう。

 そんなことをつらつらと考えてしばらく。扉の開閉音に続いて衣摺れの音が近づいてきた。


「待たせてすまない」

(いいえ、問題ありません。それよりも、夕食のお時間や明日のご予定について先に教えていただけますか)


 わたしを袋から出してソファに置いたライムンド様はやや疲れた様子で向かいの椅子に腰を下ろした。


 親の同伴なしに婚約者の家を訪れた後なのだ、どのような会話を交わしたか等、訪問内容の報告をしていたのだろう。かつてお嬢様も同じようなことをしていたから知っている。今回はわたしを借りてきたことも報告する必要があるだろうし、時間がかかったのは仕方がない。


 とはいえ、時間は有限だ。ライムンド様がお嬢様から私を借りたのは今日と明日。明後日の午前中に返却するという約束になっている。だから相談事は今日明日中に終わらせなければならないし、明日はわたしを借りた口実も済ませなければならない。


(明日はお買い物に行かれますか)

「私が直接探し回るわけにはいかないから、家の者に店を見つけるところまでは頼んできた。うまくいけば明日中に買い物まで済ませられるだろうが…まぁ、買いに行くのはまた後日でも良いだろう。……ああ、そうだ。明日の朝食の時間に君を確認しに使用人がやってくるから、その時は動かずにいてくれ」

(承知いたしました)


 それから、とわずかに首を傾げたライムンド様の銀髪が赤く染まっている。お嬢様の柔らかな色彩とは異なるどこか不吉な色合いは、しかしライムンド様の動きに合わせて光をまとい元の銀色を認識させる。椅子の位置の問題なのだろうけれど、夕刻の日が差す時間帯はあまり好きになれそうにないな、と血を浴びたような銀色を眺めながら思った。


「今日は日が落ちる前に夕食だ。両親は夕食後に談話室で酒を飲んだりしているが、私はすぐに戻ってくるからそこでも時間は取れると思う」

(なるほど、ではもう間もなく晩餐のお時間ということですね。それならば手短に済ませましょう。まずは先ほどの、時を遡ったという仮説について)

「ああ」


(正直に申し上げますと、閣下とわたしの双方に同じ記憶がある以上、予知というわけではないと考えます。ですので、時を遡った、あるいはそう、並行世界の記憶がどこからか流れてきた、そういった可能性が考えられるかと)

「どちらにしても荒唐無稽だな」

(ええ、もうそこは致し方ないことかと。ただ、どちらにしても利用できます)


 そう、たとえ予知であろうが遡りであろうが、利用できることに変わりはない。だから、今考えるべきなのはこの記憶をどのように利用するかだ。


(閣下はこの記憶について、今後どのようにされるおつもりですか)

「そうだな、最低限、自分の死は回避したいと思っている。刺客の顔は覚えているし、警戒を怠らなければあの場面で殺されることはそうないと思う」


 本当に最低限である。


 思わずライムンド様の目の前だというのにダメ出しをするように首を振ってしまった。

 失礼にもほどがあるほど呆れ返った私の態度に、ライムンド様はむっと眉間にしわを寄せた。その後のことをご存じないライムンド様からしたら、死を回避するのが最重要になるのは当然のことだからわたしの態度が悪いのは確かなのだけれど、それでも今は許してほしい。


 死を回避する?宿での死だけを回避したところで無駄だ。殿下がその程度で諦めるわけがないではないか。


(閣下、それは最低限すぎますし、今のままでは宿での死を回避できても、その後別の場所で殺されるに違いありません)

「な、そんなこと、」

(あります。閣下が宿で殺されたのは、その時に隙があったからです。では宿で殺されなかったとして、閣下の殺害を命じた者がその程度で諦めると思われますか?わたしなら別の機会を窺います)


 宿で殺された記憶を持つライムンド様にとっては、その死を回避した先の未来は全くの未知だからそこまで考えていなかったのだろう。難しい顔をして考え込んでしまった。しかしもともと聡明な方だから、すぐにわたしの言葉に納得されたのだろう、大きなため息をついて項垂れた。


「たしかに、その通りだな……一度の失敗で諦めるわけがない、か。では私は常に死と隣り合わせの人生なのか」


 なんという後ろ向き発言。もしかすると肉体年齢に引き摺られて思考回路も多少幼くなっているのかもしれない。ぬいぐるみになっているわたしには関係ないけれど。


(そうならないように、これから対策を考えるのです!わたしも可能な限りご協力いたします)

「ああ、ありがとう。助かる……ん?というか、君は私が死んだ後のことも知っているんだよな。もしかして私を殺すよう指示を出した者のことも知っているのか?」

(ええ、もちろん)


 ようやくそこに気がついたのか。今までわたしの記憶について話すよう言われなかったから何を考えているのかと思っていたけれど、単純に自分の死の印象が強すぎて他に考えが向いていなかっただけなのかもしれない。自分の死の記憶があるというのは、優秀な人であっても思考を止めてしまうものなのだろう、きっと。


 ぐっと緊張したように一度喉を鳴らし、一瞬だけ大きく見開いた目にためらいを乗せたライムンド様は、自分を抑えるためか顔を伏せた。そして衣擦れの音ひとつしない沈黙を挟み、ややあって落ち着きを取り戻したらしく、そろりと問いを投げかけた。


「……誰だ?」


 答えるのは簡単だ。殿下だ、と、一言告げれば良い。

 だけど事はそう簡単じゃない。殿下だと、単純に告げて良いものじゃない。

 問いへの答えをどうするか、考える時間を稼ぐために質問を返した。


(ライムンド様は、お心当たりなどございますか)

「ない、とは言えないな。ビルドアは奴の不正を見つけたのが私だと知っているから、時々思い出したように刺客を送って来たし、ルグラーノにも似たような事はされていた。それに私個人でなくとも、ククルーシア家に対して恨みを持つ者はいるだろう」


 しかし、上層部となるとはっきりと断言できるような相手はいない、そう呟くように零し、両手で顔を覆ってしまう。これは、心当たりがありながら信じたくないのか、本当に心当たりがないのか、どちらなのか悩む反応だ。


 言うべきか言わざるべきか。ライムンド様から問われているのだから答えるのが当然の行動ではあるのだが、現状かなり気分が落ち込んでいるように見えるライムンド様にこれ以上の衝撃を与えるのも不安がある。このあと寝るだけならばともかく、夕食があるということはご家族と顔をあわせるということだ。息子が絶望しきった顔で夕食の席にやって来たら何事かと思われるだろう。


 かといって、夕食の後にお伝えしますと言っても、それはそれで黒幕が気になって気もそぞろになりかねない。難しい問題だ。そうして悩んでいる間に不自然な沈黙を作ってしまい、催促する視線が飛んで来た。仕方がない。


(……正直に申し上げますと、閣下の暗殺指示を出した黒幕の名を今告げて良いものか悩んでおります。この後ご家族と夕食の席もあるとのことですから、黒幕の名をお教えすることによってご家族の前で不自然な態度になるのはいかがなものか、と)


 悩んでいたことを正直に告げれば、ぐっと眉間にしわを寄せたライムンド様がしかし気まずそうに目を逸らした。自分でも黒幕の名を知って平静でいられないと思ったようだ。


「それも、そうだな…では、夕食後に聞かせてもらえるだろうか。ちょうどもうそろそろ夕食の時間だ」


 言葉違わず、すぐに呼びに来た使用人と共にライムンド様は部屋を出て行った。

 よし、少しだけだけれど、猶予ができた。




***




(殿下です)


 食事、そして湯浴みも終えてあとは寝るだけの姿になったライムンド様が夕食前と同じように椅子に腰を下ろし、では話の続きを、と言われた直後にわたしはそれを口にした。


 前置きもなく唐突に聞かされたそれに目を瞬いたライムンド様は、一拍遅れて意味を理解したのか信じられないとばかりに目を見開いた。不敬だと言いたいのか、嘘をつくなと言いたいのか、唇は音を発することのないまま開閉して手のひらは強く握り込まれている。


 ありえない、適当なことを言うな、と信じてもらえない可能性も少し考えていたけれど、杞憂だったようだ。それはやはり、ライムンド様も殿下のことを多少なりとも疑っていたからだろうか。


 そんなことを考えながら待つことしばし、自分の気持ちを落ち着かせたライムンド様がこれ以上ないくらい眉間に皺を寄せて零した。


「それは、間違い無いのか……?」

(はい)

「誰かが殿下の名を騙っていただとか、殿下が何か勘違いをされていたとか」

(ございません)

「……っ殿下は、なぜ、」


 なぜ、その問いに答えるのは少し苦しい。だって、ライムンド様には何も非がないから。

 いいや、それを言うなら、誰にも非なんてないのだ。……殿下以外、誰にも。


 答えないまま誤魔化してしまいたいという考えが浮かぶが、ぬいぐるみである以上ここから自力で逃げ出すことはできないし、命がかかっているライムンド様が追及をやめるわけもない。それなら自分のペースで説明した方がまだマシだろう。


(殿下が閣下の暗殺を指示した理由は存じ上げております、が、その前にひとつお聞きしてもよろしいでしょうか)

「何だ?」

(閣下は、殿下が何故成人されても婚約者をお決めにならなかったのか、ご存知ですか)


 予想外の問いだったのか、目を瞬いたライムンド様は首を振り、しかしすぐに何か思い出すように動きを止めた。


「直接聞いたわけではないから正しいかは知らないが、好きな相手がいるから、その女性のことを諦められないとおっしゃっていたと知人から聞いたことがある」

(なるほど。その女性がどなたなのかは…?)

「知らない」

(左様でございますか)


 そうは言いつつも、この問答で察するものがあったのだろう。じわじわと顔から血の気が失せている。このままだと貧血で倒れるのではないかと心配になるが、隠し通すべきことでもない。


(……殿下が、閣下の暗殺を指示したのは、閣下がお嬢様の婚約者であられたからです。あのお方は、ずっと……それこそ閣下がお嬢様の婚約者となる以前から、お嬢様のことを好いていらっしゃったのです)


 つまり、今の時点でもう詰んでいる。


 お嬢様は先日殿下とお会いしてしまった。そして、ライムンド様はお嬢様の婚約者となってしまった。

 お二人の婚約については未公表だからまだ殿下にお嬢様とライムンド様の婚約が成立したことは伝わっていないはずだけれど、数日以内に伝わることは確実だ。


 サー…と音を立てて残りわずかだった血液が顔から消え失せ、吐き気を堪えるかのように片手で口元を覆ったライムンド様は力なく項垂れた。話の流れで察していても、はっきり言われると衝撃が大きかったのかもしれない。


「レグロが、アリシアを……」


 聞こえるか聞こえないかくらいの微かな音量で呟かれた言葉はそのまま空気に溶けて、部屋の中には沈黙が落ちた。

 いくら成人後までの記憶があるとはいえ、見た目は子供。あまりにも痛々しいその項垂れる姿からそっと目を逸らしてしまう。なんだかわたしがいじめたみたいでものすごい罪悪感だ。


 ええい、それもこれも殿下が悪いんだ。殿下がお嬢様を諦めないからっ!


 そんな八つ当たりのようなことを考えていたところで、ようやくライムンド様は復活されたらしい。ゆっくりと顔を上げ、静かに息を吐き出した。


「悪い、取り乱した。…そうか、殿下はアリシアと婚約している私が邪魔だったんだな。何年も傍で仕えていたのに、全く気がつかなかった…」

(殿下はかなり上手く隠しておいででしたから。……閣下が亡くなった後の話になりますが、よろしいでしょうか)


 友人の立場であったライムンド様ですら気づかなかった殿下の恋心を、お嬢様の侍女でしかないわたしが気付けるわけがない。ではなぜわたしが知っているのかといえば、それには当然理由がある。


(閣下が暴動に巻き込まれて亡くなったと連絡が来た後、お嬢様は大変嘆かれました。しばらくは食事も喉を通らなくなるほどで、我々使用人はお嬢様がそのまま儚くなってしまわれるのではないかと毎日気が気ではありませんでした)


 なんせ幼い頃からの婚約者、付け加えるなら相思相愛の相手の訃報だ。お嬢様の嘆きようは見ているこちらが苦しくなるほどだった。


(そんな時に、殿下が訪ねて来られたのです。…お嬢様と殿下の婚約という話を手土産に)

「は……?」


 わたしの言い方がわかりにくかったのか、眉を顰めたライムンド様が問うような声をあげた。


「婚約を、手土産とは?」

(そのままの意味です。お嬢様のお見舞いにいらっしゃった殿下は、その場でお嬢様と殿下の婚約が陛下に認められたと告げ、その翌日には正式に殿下の婚約者として城にお嬢様をお連れになってしまわれたのです)

「はあ……?」


 わけがわからないという顔をしている。気持ちはわかる。当時、お嬢様が攫われるように城に連れて行かれた時にはわたしも他の使用人も同じような顔をしていた。


 てっきり貴族……王族の婚約者ならそのような扱いになるのが当然なのだろうかと思っていたが、やはり貴族として生きていた人が聞いても理解しがたい行動であるらしい。


 ぐっと目を瞑ったライムンド様は確認するようにゆっくりと口を開いた。


「私が殺された後、殿下はアリシアと婚約を結び、直後にアリシアを城に連れて行った…?」

(はい、その通りでございます)

「その婚約は、アリシア……ではなくても、カレアーノ侯爵はご存知だったのだろうか」

(寝耳に水だと仰っておられました)

「つまり、殿下が強行したものだと」

(まさしく)


 先ほど殿下が黒幕だったことを聞いた時とは別の理由で頭を抱えてしまった。


「何をしているんだ、あいつは…」


 まったくである。

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