第6話

 わたしがお仕えしているお嬢様はそれはそれは可愛らしい。


 天使や妖精も恥じ入るほどの美しい容姿は国中の絵師がこぞって肖像画を描きたがるほどであるし、お父君である当主様譲りの鋭い知性と、お母君譲りの優しさと強かさを兼ね備えた性格には誰もが惹きつけられる。


 この国で最も有名かつ人気のある女性は誰かと問われれば、王妃様や王女様を差し置いて名を挙げられる、それがわたしがお仕えしているアリシアお嬢様だ。


「ねぇ、ユーア。明日のお茶は何が良いかしら」

「お嬢様がお選びになったものでしたら、例えドゥラン産の薬草茶であっても喜んで飲み干すと思います」

「ユーア?」

「失礼いたしました。そうですね、明日は庭園での逢瀬とのことですし、香りが控えめなカルデロン社のブレンドはいかがでしょうか」

「そうね、ちょうどリシュラが満開だから庭園は花の香りでいっぱいでしょうし…では、それで用意しておいてくれるかしら」

「かしこまりました」


 明日の来客に向けて準備を進めるお嬢様に一礼し、壁際に控えている使用人の一人に目配せをして茶葉の手配を指示する。もちろん後で自分でも確認するが、今はお嬢様の準備を手伝うのが先だ。


 クローゼットの中をゆったりと歩き回るお嬢様は、時折立ち止まっては掛けられたドレスを確認し、小さく首を傾げてはまた歩き出すというのを繰り返している。先程は茶葉を決めたが、それはドレスが決まらないが故の現実逃避のようなものだったのだろう。真剣な眼差しでドレスを吟味している姿は、まるでこれから王妃様のお茶会に行くかのようだ。


(まぁお茶会…ではあるけど)


 悩んでいる姿も麗しいお嬢様にうっとりしながら、お嬢様の死角に掛かっているドレスを数着移動させる。季節と気候とお嬢様の好み、そして客人の好みを加味したドレスだ。


「お嬢様、こちらはいかがですか」

「え?…あら、それは」


 先日の…と呟いて頬を赤く染めたお嬢様は、そのままむぐりと口を噤んでしまった。


(ああああちょっとむっとしたお嬢様可愛いいいいい!)


 口にしなかった言葉の続きは予想できる。なぜならわたしもこれらのドレスが贈られた場面に立ち会っていたから。


「つい先程届きました。きっと明日、お嬢様がこちらをお召しになれば、あの方もお喜びになるかと」


 あの方という言葉に件の人物を思い出したのか、より一層顔を赤くしながらも示された数着のドレスのうち、白地に空色の刺繍が施された一着を手に取った。レースなどが少ないシンプルな作りだが、だからこそお嬢様の美しさが際立つことは試着時に確認済みの一着だ。


「これにするわ。……ユーア、その目をやめて」

「申し訳ありません、お嬢様が可愛らしくてつい」


 満面の笑みで返してしまった。

 恥ずかしそうにこちらを睨みつけるお嬢様だが、元が優しげな顔立ちなせいで怖くはないし、その表情も長くは持たない。すぐに目をそらして口をもぞもぞさせているのは、きっと明日の反応を想像してのことだろう。ドレスを贈られた時のことを思い出している可能性もある。どちらにしてもとても可愛い。


「さて、では次は装飾品ですね。何かご希望はありますか」

「…………銀のものを」


 普段の透き通るような声を限界まで潜めて呟かれた言葉に苦笑する。

 銀色を所望するその意図がわからないほどわたしは鈍くないし、それは明日の客人も同じはずだ。

 輝く銀髪に晴れ渡る空の色の瞳を持つ彼の人も。



***



 わたしは馬車の中、お嬢様を言いくるめてわたしを借り出した少年と向き合っていた。御者の腕が良いおかげで大きく揺れることはないけれど、バランスのとりにくいぬいぐるみの体は僅かな振動でもふらふらしてしまうため、わたしの周りには馬車備え付けのクッションが敷き詰められている。


 そんな簡易的な寝台のような光景になっている座席の向かいで、少年はぐったりと頭を抱えていた。先程までは綺麗に整えられていた銀髪はかき乱されている上、整った容貌の中で目だけが光を失ったかのように虚ろになっているせいで、暗がりで見たら悲鳴を上げられそうな姿になってしまっている。


「ああもう本当になんなんだ…なぜか未来までの記憶があると思ったら知り合うはずの人間は無機物になってるし…訳がわからない…」


 輝くような笑みを浮かべながらお嬢様を言いくるめていたのと同一人物であるのが信じられないほどの憔悴っぷりである。


(貴方は、ライムンド・シルヴァ・ククルーシア様……ですよね)


 いつまでも唸られていても意味がないと声をかけると、一度大きくため息をついた後に顔を上げて頷いた。どうにか混乱から回復したらしい。


「ああ。君は、ユーア…なんだよな。アリシアの、専属侍女の」

(はい。とはいえ、今はこのような姿となっておりますので、侍女としてお仕えはできておりませんが)

「ぬいぐるみだからな…」


 お嬢様の口から「ライムンド」という名を聞いた瞬間、いくつかの記憶が蘇った。まずは自分について。自分が人間だという認識は正しく、わたしはユーアというシア…お嬢様の専属侍女として幼少期よりお仕えしていた人間だ。母がお嬢様の乳母であった縁でわたしも幼い頃からお屋敷に通わせていただき、年の近いお嬢様に仕えていた。また、お嬢様からも大変良くしていただき、お嬢様がご結婚された際にはお屋敷の使用人の中でただ一人わたしだけが結婚先について行くことを許されたほどである。


 そしてこの少年、ライムンド様について。彼はわたしの大切なお嬢様であるアリシアお嬢様の婚約者だった人だ。幼い頃に互いの両親によって定められた婚約者ではあったが、交流する中でお互い恋心を抱いていき、婚約が決まってから一年後には相思相愛、五年後にはお年頃の令嬢たちが羨む素敵な婚約者同士となっていた。


 しかしながら、お二人の幸せは長い婚約期間が終わる目前で、露と消えてしまったのだけれど。


 思い出してどんよりした気分になっているわたしの前で、暗く澱みきった目を閉じて数回頭を振ったライムンド様が気を取り直したように姿勢を正した。乱れた髪はそのままだが、表情には少し生気が戻っている。


「君がなぜぬいぐるみになっているのか、とか、どうしてぬいぐるみと会話ができているのかという点については一旦置いておく。考えてもわからなさそうだしな。だからまずは、お互いに現状をどの程度把握しているのかの確認から始めたいと思うが、良いだろうか」

(はい、異論はございません)


 さすがは将来お父上のように外交官となるべく日々努力を重ねている方。思考放棄したくなるだろうに、理性をかき集めて平常心を保つその姿と記憶にある青年の姿が重なる。さすがお嬢様の婚約者。素晴らしい。


「では私から。私は物心ついた頃からよく夢で自分の将来の姿と思しきものを見ていた。時系列はバラバラだったし、同じ場面を何度も見ることもあったが、今では一生分ほぼ全てを見たと思う。とはいえ、ずっと夢だと思っていたから、なんというか……物語を読んでいるような、そんな感覚だった」


 まだ青い顔であるというのに、しっかりとわたしに目を合わせて言葉を紡ぐ。しかしそこで一旦言葉を切ると、僅かに視線を落として呟くように声を零した。


「鮮明な記憶となったのはつい先日だ。父から、婚約者が決まったと言われたとき。何故か父が口にするより先に婚約者の名が頭に浮かんで、それから一気に…そうだな、映像が頭に流れ込んでくるような…夢で見ていた場面に自分の感情が加わって色がついた、そんな感覚だった」


 恐ろしかった、と淡々とした静かな声。


「他人事だったはずの出来事が自分の経験になった。家を継ぐために学んだ日々も、鍛錬に励んだ日々も、…アリシアとの日々も、全て自分が過ごした一日になった。正直、頭がおかしくなったのかと思った」

(まあ…それはそうでしょうね…)

「誰にも相談できないしな。そんなわけで、夢が記憶として定着した後…一週間くらいだろうか、散々悩んで魘された。だがそのおかげで改めて記憶の内容について考えることができた」

(記憶の内容ですか。というか、閣下はどこまで記憶があるのでしょう。一生分ですか?)

「生まれたての自意識さえはっきりしていないときのことは覚えていないが、アリシアに出会った前後から死んだ時まで覚えている」

(死んだ時)


 自分の記憶の中から、ライムンド様の死に関する記憶を引っ張り出す。正直ライムンド様の死以降が鬱すぎて思い出したくもないのだが、それでも、彼の死についてはわたしも覚えている。


(隣国での交流会後、帰国途中の宿で暴動に巻き込まれたと聞いておりましたが)

「……そう伝わっていたのか」

(やはり違ったのですね)


 当時もなんて嘘くさいんだろうと思っていた。

 そして先ほどからずっと暗く澱んでいた瞳が一層暗さを増してしまった。


 怒りを抑えるように握りしめた拳は、しかし血を流すことはなく、彼がまだ理性を保っていることを示している。…どうしよう、今でこの調子なのに、わたしが記憶していることを言ってしまっても良いのだろうか。わたしが記憶している限りのことを話したら、この人殿下を殺しに行きそうなのだが。


 お嬢様の婚約者を犯罪者にして良いものかと悩むわたしを他所に、すっかり表情から幼い少年要素が消え去ってしまったライムンド様は地を這うような声音で吐き捨てた。


「暴動ではない。私は、誰かから差し向けられた暗殺者に殺された」


 あっ、それ殿下の仕業だ。


「宿で死んだのは間違いない。宿に暴徒が来て暴れたのも確かだ。だが、私を殺したのは暴徒ではなく、同行していた官吏の一人だった」

(犯人をご覧になられたのですか?)

「ああ。情けない話だが、正面から殺されたからな。…あの時、私は暴徒の鎮圧が完了したことを確認後に宿の主人と少し話をして、部屋に戻るところだったんだ。宿の中とはいえ、周囲には数名の護衛もいた。彼らが油断していたと言うつもりはないが、結果的には彼らも私も油断していたんだろうな……翌日以降の行程について相談したいと声をかけて来た官吏が、一見全く鍛えていなさそうな如何にもな文官だったのもあり、警戒せずに近寄らせてしまった。そしてそのまま胸を一突きだ。私は倒れこんで、護衛たちも剣を抜く前に首筋を切られていた」


 ふう、と色々な感情が込められていそうなため息をついて、ゆっくりと目を閉じた。感情を露わにしていた瞳が隠されたことで、血の気の引いたその姿は置き去りにされた人形のようにも見える。


「倒れ込んだ後はさほど時間をおかずに意識が途切れたから、すぐに死んだのだと思う。だから誰が暗殺者を差し向けたのかはわからないが…隣国への訪問についてくるような官吏に手の者を紛れ込ませることができたのだから、上層部の誰かなのだろうと考えている」


 殿下です。

 上層部と言うだけで、王族とは言わないライムンド様に冷や汗が止まらない。もちろん汗は出ないから気分だけだけど。


 これは……もしやライムンド様は殿下の実像をご存知ではない?


 お二人は幼少期からそれなりに親しい交流があったはずだし、殿下が爽やか王子様ではないということくらい気づいていてもおかしくないはずなのだが。


(でも閣下って妙なところで鈍感でしたね…)

「何か言ったか?」

(いえ何も)


 ふるふると首を振って、ついでに両腕も振っておく。今言わなくても良いことだ。

 胡乱な眼差しでこちらを見ていたライムンド様だったが、まぁいいかと小さく息を吐き出した。


「で……まぁ私を殺した者については追って考えるとして、これらの記憶についての結論だ。単なる妄想であると切り捨てるには生々しいし、現状に合致している部分も多い。だから、私はこの記憶はこれから起こること、いわば予知のようなものだと考えていた」

(予知ですか)

「ああ。昨日まではそう考えていた」


 つまり今日、予知ではないと考えるようになったということか。

 なぜだろうかと首を傾げたわたしに、ぴしりと指を突きつけるライムンド様。


「だが予知ではないのだろう。私の記憶に喋るぬいぐるみは出てこないし……アリシアに専属侍女であり、友人だと紹介されたユーアという人物は、人間だった」

(でしょうね)


 わたしだって自分のことは人間だと思っていますとも。


 とまでは言わないものの、大きく頷いて見せれば、ライムンド様は何度目かになる大きな溜息を吐き出して、力なく背もたれに体を預けた。そして疲れ切った声音で「訳がわからないが…」と続ける。


「予知ではないのならば、やはりただの妄想か……あるいは、時間を遡ったとかか?悪いがそれくらいしか思いつかん」

(どちらにしても、荒唐無稽な話ですよね)

「ああ。私だって、自分一人だけの認識であれば、頭がおかしくなったのだと考える。だが、……なぜか意思疎通ができるぬいぐるみが存在するんだ。時間を遡るという不思議も、あっておかしくはあるまい」


 後頭部を背凭れに当てて馬車の揺れに身を任せていたライムンド様はその姿勢のまま目だけをわたしの方に向ける。つまり、わたしという不思議が存在しているのだから、常識を疑うような仮説も可能性は皆無ではないと、そう考えているということなのだろう。


 正直、わたしが思い出したのはライムンド様の名前を認識した直後のことだから、記憶の整理ができてはいない。だからライムンド様のように記憶の中身をじっくり検討して現状を理解するという段階には至っていないのだが、それでもこの記憶が、実際に起きたことであることだけは確信を持っている。まぁ、根拠はないのだけれど。


 しかし、時間を遡った、か…。


(なぜわたしはぬいぐるみになっているのでしょう…)

「さあ…というか、今更だが本当にユーアなのか?申し訳ないが、君自身については容姿以外はアリシアが話してくれたことしか知らないから、正直確信が持てなくてな…ちなみに、自分で自分の容姿を言えるか?人間だった頃の」

(背丈はお嬢様よりやや高め、特に太っても痩せてもいませんでした。髪は栗色、目は赤茶色。閣下とお嬢様がお会いになる時には常に控えておりましたが、その際はカレアーノ家のお仕着せを着ておりました)


 わたしの言葉に思い出すように視線を宙に投げて、ややあって記憶と合致したのかうんうんと頷く。


「そんな感じだったな。目の色については正直曖昧だったが、アリシアがいつだったかに紅茶を見ながら専属侍女の瞳の色と似ていると言っていた気がするから、間違い無いんだろう」

(まぁ、お嬢様がそのようなことを?紅茶を見ながらということは閣下とお茶をしている時でしょうか…そのような大事な時間にわたしのことを思い出してくださるなんて、何と光栄な。うふふふふ)

「……本当にユーアか?」


 怪訝そうに見られていますが、わたしです。

 たしかに人前でお嬢様の発言やら行動やらにきゃーきゃー言ったりすることは一切なかったから、こういった言動を誰かに聞かせたことはない。というか、そもそも口に出したことがない。


 何といってもわたしはお嬢様の専属侍女。わたしの失敗はお嬢様の恥。わたしの言動行動全てがお嬢様の評価に直結すると思えば、余計なことを口にしないというのは至極当然のことだ。考えるまでもない。

 正体を疑ってくる失礼なお嬢様の婚約者にぱたぱたと両手を振って、こちらに視線を向けさせる。


(お嬢様の専属侍女であるわたしがお嬢様を敬愛しているのは当然です。それを表に出さないのも、侍女としては当然の振る舞い。疑われるようなことではございません)

「それは…まぁ、そうか。すまない、話の腰を折ってしまった」

(いいえ、謝っていただくほどのことではございませんのでお気になさらず。それよりも、閣下とわたしの記憶について、もう少しお話を)


 と、言いかけたところで馬車が減速し始めた。それから間も無く緩やかに停車し、待ち構えていた使用人の手によって扉が開かれた。どうやら話の続きはまだ先になりそうだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る