第5話

 空色の瞳を大きく見開いた美少年が目の前にいる。

 普通にしていると僅かにつり上がった目尻が目元をきつく見せてしまいそうだが、今は驚愕が表情を支配しているせいで幼さが際立っていて可愛らしい。全体的には利発な顔立ちをしていて、将来が楽しみな美少年だ。


「え…っと、これが、ユーア?」

「はい!私のお友達の、ユーアです」


 はくはくと数回意味もなく口を開閉させたあと、感情をどうにか押さえ込みましたという声色で問いかけた少年に、わたしを抱えたシアは元気よく返した。


 現在わたしがいるのはこの家の応接間の一つ。さりげなく高価な調度品ばかりではあるけれど、形も色合いも落ち着いたものばかりだから相手に緊張を強いるような部屋ではない。


 使用人によって運ばれてきたわたしは笑顔で待ち構えていたシアに手渡され、向かいに座っていた少年の方を向いて抱えられている。ぬいぐるみらしく脱力したままのわたしが見つめる先にいる少年は、使用人が入ってきた瞬間にぽかんと目と口を開き、シアがわたしを紹介すると信じられないとばかりに目を見開いた。そして今はどうにか表情を取り繕ったところ。


 一方わたしはといえば、シアが友達と紹介してくれたという感動に打ち震えているところだ。正直、目の前の少年のことは頭から消えている。


 お友達……!ぬいぐるみを友達と言ってくれるなんて、シアは本当に天使だな!


「え、ユーアってぬいぐるみ…?嘘だろ、なんで?」

「??どうかされましたか?」

「いや、うん。なんでもないよ。……可愛いぬいぐるみだね」

「ありがとうございます。お父様とお母様からいただいたんですよ!とっても可愛くてお気に入りなんです」

「そっかぁ。確かに可愛いし、手触りも良さそうだよね」

「そうなんです!いつも寝るときは枕元に置いているのですけれど、気がついたら抱きしめてしまっていて。ふわふわで気持ち良いからつい。触ってみますか?」

「えっ!?いや、あ〜…うん、じゃあちょっとだけ」


 と、ふと気がつけば小さな柔らかい手から、まだ柔らかいけれど少しばかり剣ダコがある手へと受け渡されるところだった。なんてこと。


(いやあああっ!何するのよ触んないでっ)

「は!?」


 触れた瞬間、素っ頓狂な声を上げて硬直する少年に、シアが不思議そうに「どうかされましたか?」と声をかける。しかし手渡そうとする動きを止めることはなく、わたしはシアの手から少年の手の中に移動した。


 頰を引き攣らせて見下ろしてくる少年をじっとりと睨みつける。シアの手前動かずにいるが、もし少年しかいなかったら全力で暴れまわるところだ。シアに感謝するが良い、少年。


「アリシア嬢、この…ユーアというぬいぐるみ、は、本当に、ぬいぐるみか…?」

「え?えっと…」


 ぬいぐるみ以外の何なのかと首をかしげるシアに、なぜか顔色を悪くした少年は誤魔化すように笑いかけながら首を振った。


「いや、何でもない。思っていたより手触りが良くて驚いただけ…」

(そりゃあ、毎日シアが手にするんだもの。しっかり洗ってふわふわにしてもらっているんだから当然よ!)

「……っ」

(正直丸洗いされる時は何とも言えない気持ちになるけど、それもシアのためだと思えばなんてことないわ。むしろもっとしっかり洗って!って思うことの方が多いくらい。まぁ、シアが触るだけだから元々そんなに汚れてないけど。あ、でも今日はしっかり洗ってほしいわ、だってシア以外に触られちゃったし!)

「……人を汚物扱いって…」


 聞き取れないほど小さな声で何事かを呟いた少年は、ぐっと唇を引き結んでそれ以降の言葉を飲み込むと、ゆっくりとわたしをシアの方に差し出した。返してくれるらしい。


「ありがとう。本当にすごくふわふわだね」

「そうでしょう!定期的に洗ってもらっているから、ずっとふわふわのままなんですよ。だからユーアを抱きしめて寝るととっても気持ち良くて、ついつい寝過ごしてしまいそうになるんです」

「あぁ、丸洗い…」

「え?」

「いや、なんでもない。アリシア嬢はユーアをとても大切にしているんだね」

「はい!」

(はああああかわいいぃいいい!わたしもシアがすごく大切ぅ!)

「思考がうるさい…」


 笑顔を弾けさせるシアに悶えるわたしの耳に、呆れたような疲れたような呟きが届いた。シアに向けていた意識を引き戻して少年に目を向ければ、にこやかな笑みを浮かべながらちらちらとこちらを見ている空色と目が合った。


 少々シアの発言に気を取られていたせいで少年の言葉には頓着していなかったが、改めて思い返してみるに…この少年、もしやわたしの声が聞こえているのではないだろうか。


 淑女教育の成果か、楽しそうにしながらも優雅にお茶を飲むシアと、周囲にいる使用人の様子を見る限り、彼らにはわたしの声が聞こえていないはず。しかし先程の呟きや発言を鑑みれば、少年にはわたしの声が聞こえていて、それであのような反応になっていたと考えられる。


 なぜ少年にだけ聞こえるのかと疑問は尽きないが、とりあえず確認してみよう。


(貴方、わたしの声が聞こえるの?聞こえるなら)


 不自然じゃなくてでも聞こえているとわかる行動はなんだろう。


 ネクタイを緩める?唐突にネクタイ緩めるとか無作法だし失礼だ。

 袖を捲る?これも別に暑くもない室内でするのは無作法。

 足を組む?いやいや、それもシアに失礼だから。

 ……困った、聞こえていると示してもらえる行動が思いつかない。


(ちょっと不確実な感じがして嫌だけど……紅茶を一口飲んでもらえます?それで、カップを置くときに持ち手を少し手前に回して)


 さんざん悩んだ末にそう言えば、物言いたげに揺れた目を一度の瞬きで覆い隠し、ゆっくりとカップに手を伸ばした。そして紅茶を一口飲み、持ち手を手前に回してカップを置いた。


 どうやら聞こえているらしい。


(すごい!声が届く人、初めて会った!……でもなんでシアじゃないの?おかしくない?まぁこの際贅沢は言わないけど……ていうか、そもそも貴方は―――)


 ぬいぐるみになって初めて声が届いた相手に気分が高揚し、その嬉しさのまままくし立てるように声をかける…前に、「そういえば、」と桃色の唇が動いた。


「ライムンド様には、ご兄弟がいらっしゃるのですか?」


(………らいむんど?)


 普段なら幸せな気分にさせてくれるその可愛らしい声も、今は耳に入らない。



 え、ライムンドって。

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