第4話

 手足を動かすのに慣れ、部屋の中をある程度自由に動き回れるようになりました。

 本は読めません。




(まさかページを捲れないとは思わなかった)

 窓辺に飾られた白い花をつつきながらしょんぼりと項垂れる。


 表紙を開くことができたから油断していたが、表紙は本文よりもひと回り大きめに作られているから、その差分に手を引っ掛けることで開くことができただけであり、細かい動きのできない丸っこい手では薄い紙を一枚だけ捲るなんて夢のまた夢だった。


 もちろんわたしも努力はした。本を傾けて紙をわずかに動かし、その隙間に手を突っ込んで捲るという方法を試した。本に潰された。

(あれは試したのが図鑑だったから、それが悪かったのよ)


 手を湿らせたら良いのではないかと思い、花を活けてある花瓶に手を突っ込もうとした。思ったよりも水の量が少なくて、水面まで手が届かなかった。

(ま、まぁ、綺麗に活けてある花を元通りにできないのはまずいから)


 細い棒のようなもので1ページずつ掬い上げていけば良いのではないかと思い、使用人が片付け忘れた編み棒を拝借して試してみた。ページを捲ることには成功したが、開いたページを押さえる前に編み棒を手放してしまったため、表紙ごと本が閉じてしまった。

(うああああああっ!!)


 思っていた以上に細かい作業ができないぬいぐるみの体が恨めしい。なお、単純にわたしが不器用なだけなのではないかという意見は受け付けない。


 何日も試行錯誤した末に、この体で読書はできないと結論付けたわたしは諦めて暇つぶし方法を部屋の散策に切り替えた。シアの元にやってきてからずっといる部屋だが、棚からあるいは枕元からの景色しか見たことがなかったため、室内に何があるのかを把握していなかったからちょうど良い。


 わたしが日中置かれている棚があるのはシアの学習部屋だ。シアの友人が招かれて部屋までやって来るとなった場合に通されるのがこの部屋になる。ここには机と本棚、わたしと学習用具等が収納されている小さめの棚、それからティータイムを過ごすための小さなテーブルセットがある。ゆったりと余裕を持って家具が配置されているため、部屋はとても広々としている。


 そして廊下に続く扉から見て右手に、寝室へと繋がる扉がある。寝室には天蓋付きの寝台と着替えのための姿見、鏡台。姿見近くにはウォークインクローゼットだ。わたしも朝は寝室の方にいるため、クローゼットの中身を見たことがあるが、お嬢様の割にドレスの数は少ないという印象だった。


(そういえば、いつも似たような服を着ているような?)


 毎朝、侍女が今日はどの服にするかと尋ねてシアが希望を伝えるのだが、大抵いつも同じ服を希望している。定期的に新しい服を仕立ててはクローゼットに追加されているはずなのだが、どれも似たような服だ。もしかしたら、シアは一度気に入ったものはずっと変えずにいる性質なのかもしれない。


(気に入ってもらえた側からすれば、ありがたいことよね)


 そうして暇に飽かせて部屋を散策したわたしが、読書に代わる暇つぶしとしたのが、窓から外を眺めることだ。

 初めて腕を動かした日と比べると格段に滑らかに動くようになった体を駆使して出窓によじ登り、飾られている花瓶の横から外を眺める。この部屋が長時間無人になるのは午後のお稽古からティータイムにかけての数時間だけだが、これまでぼーっと壁を見つめていただけと比べればはるかに満たされる時間となっている。


 つついていた花から窓の下に目を向ければ、綺麗に整えられた花壇や植木の数々が色鮮やかに日の光を浴びている。季節によって咲いている花は異なるが、庭師が丁寧に手入れをしているおかげで、いつでも生き生きと咲き誇っていることに変わりはない。さらには蜜を求めて虫がやって来て、虫を餌にする鳥が木に止まり、と穏やかな光景ながらもシビアなドラマが繰り広げられていたりもして楽しい。先日は数日かけて蜜をたっぷり蓄えて大きくなった虫が別の虫(おそらくメス)に対してアピールしているところに、大きい虫やったー!とばかりに小鳥が飛んで来て2匹まとめて咥えて飛んでいってしまうという一幕もあった。あれは少し切なかった。


 またある時には、枝の上でぴょんぴょん跳び跳ねて踊るというアピールを受けていたメスの鳥がいたのだが、しばらくじっと踊る様子を眺めていたかと思えばふいっと背を向けて、別の枝で踊っていたオスの隣に寄り添ったということもあった。フラれたオスが尾羽をしょんぼりさせていたのがかわいそうで可愛かった。


 さて今日は何が起こるだろうか、とごろりと腹ばいになってついでに頬杖をつく。最近は鳥たちの恋の季節だからか、可愛らしい鳥たちのダンスを見ることが多いが、今日は何羽が恋を実らせるだろうか。


 そうワクワクしながら待っていると、青々とした緑の下、右手から二つの小さな影が花壇に向かって来た。一人は淡いピンク色の髪に白色のワンピースの美幼女、もう一人は太陽の光を反射して輝く銀髪に濃紺のスーツ姿の少年のようだ。


(あ、シアかわいい…と、あれは誰?)


 そういえば昼食後に慌てて着替えていたなと思い出す。あれは来客があるからだったのかと今更なことを考えながら眺めるが、上から眺めている状態では距離もあって顔立ちまではわからないし、窓が閉まっているから会話を聞くこともできない。とりあえず、金髪ではないから妙に腹がたつ王子様ではないことだけは確かだ。


 先導するように斜め前方を歩くシアが、銀髪の少年を振り仰ぎながら何か話している。それに対して少年が何か答えたのだろう、照れたように、そして嬉しそうに笑みを溢れさせながら窓の斜め下にある花壇の前で立ち止まった。ちょうど昨日満開になった白色の花について話をしているのかもしれない。


(誰だろう、気になる。…けど、それよりシアが可愛すぎてつらい。ほんともう何あの笑顔。花の妖精なの?)


 ほんのり頰を上気させているのが堪らなく可愛い。


 真顔でそんな感想を抱きながら可愛らしい二人の様子を眺めていたが、やがて別の場所に移動するのだろうか、二人揃って窓からは見えない位置まで移動してしまった。並んで歩き去る二人の背中を見送り、人の気配がなくなったのを見計らって鳥たちがやって来たところで出窓から飛び降りた。

 予想外にシアの姿を見ることができたのに満足したというのもあるが、少し考えたいことがあるからだ。


(あの銀髪の少年。なぁんか知っているような気がするのよね)


 考え込んでいる間にシアや使用人が戻って来ても大丈夫なように、日中の定位置である棚に戻って腰掛ける。そういえばシアも身長が伸びてきたため、そろそろ置かれる棚の位置がもう少し高くなりそうなのが不安だ。出窓までよじ登れるのだから、もう一段上の棚になっても大丈夫だとは思うが、近いうちに練習しておいた方が良いかもしれない。


(それはともかく)


 銀髪の少年についてだ。

 当然ながらこの部屋に現れたことはない。最近はシアだけでなく使用人の言葉にも注意して耳を傾けているが、ここしばらく男性名を口にした者はいなかった。しかし昼食後の慌てようから突然の来客だったことがわかるため、話題に出る暇がなかったというところなのだろう。それならば、シアが部屋に戻って来たときにでも名前を聞くことはできるはずだ。


 だから名前についてはひとまずおいておくとして、今は少年をなんとなく知っている気がするという自分の認識について考えたい。


(見たことがあるとかじゃなくて、知っている、なのよね。見たり聞いたりする程度ではなくて、知っている……ということは、わたしはあの少年と関わったことがあるのかしら)


 いかにも貴族らしい装いのあの少年と自分が知り合いだとは考えづらいのだが、関わったことがあるというのは間違いないような気がしている。


(確実に言えるのは、恋愛関係ではないってこと)


 そんな甘やかな感情は一切浮かばない。

 しかし、やっと来た!と歓迎したい気持ちもある。同時に、全力で殴りたいという思いもある。


(わからないけれど、たぶん、シアに関わっているはず)


 すでに相手はシアと面識を持っている。今後も継続して彼女と関わり続けるのであれば、シアから少年の話を聞くことも多くなるだろうし、いずれは本人がこの部屋に姿を現すことだってあるだろう。そうなれば、少年の目にはただのぬいぐるみだろうが、わたしからすれば少年のことを知っている状態になり得る。


(でも、それはありえるかもしれない未来の話。なのに、わたしは現時点であの少年を知っていると認識している)


 私にはシアによって箱から出されるまでの記憶はない。だから、シアの下に来る前はあの少年の下にいたという可能性も考えられなくはないが、困窮しているわけでもない貴族が、仮にも一人娘の誕生日プレゼントを他人のお下がりにするということはないだろう。

 それなら店頭に並んでいるときに少年を見かけた?いくらわたしでも、店の前を通り過ぎただけの相手を知っていると認識するほど図々しくはない。


(そうなると、あと考えられるのは…)


 そこまで考えたところで、唐突に部屋の扉が開いてお仕着せを着た使用人が静かに、しかし急いだ様子で駆け寄ってきた。そして無言のまま私を抱え上げ、見苦しくない程度の早足で部屋を出て行く。


(おお…初めて部屋から出たわ)


 まだ廊下だけど。

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