第2話

ぬいぐるみになって一週間。瞬きができるようになりました。

理由はわかりません。



(ほんと何でなんだろう)

 マナー教師の言葉にうんうんと頷きながら指示通りお辞儀の練習をしているシアを眺めながら瞬きができるようになった理由を考えてみるが、お辞儀の角度がうまくいかなくて唇を尖らせるシアが可愛いとか、挨拶の順番がわからなくて首をかしげるシアが可愛いとか、上手にできたご褒美におやつをもらえて満面の笑みになるシアが可愛いとかで全然思考がまとまらない。ああシアかわいい。


 幼女だからという補正もあるかもしれないけれど、シアは可愛い。天使も霞む愛らしさだ。そう思っているのはわたしだけではないようで、両親を始め、使用人たちや指導中は厳しいマナー教師でさえ、シアの満面の笑顔には笑みを返さずにはいられない。


(あー、でも。いくら可愛くても頭の中がゆるふわなお花畑のアホな女の子にはなってほしくないなぁ)


 シアが愛されている様子を見るのはとても嬉しいが、同時にそう思う。可愛らしさを愛でられているだけでは、きっと本人にとっても良くない。

 幸いなことに、両親もマナー教師も常識がある人らしく、ダメなことはダメとしっかり躾をしているみたいだから、今のところは安心だけど。今後もでろでろに甘やかすばかりにならないことを祈ろう。


(って、またシアのことばっかり考えてしまった。うーん、シアの愛らしさは人をダメにするなぁ)


 なんて、責任転嫁をしてみたり。

 いかんいかん、可愛いのは本人の魅力の一つなだけで、それ以外の魅力もあるからちゃんと全体的に伸ばしていくような教育をすること、それが大人には求められるんだから。だからちゃんと導いていかないと。


 お前はシアのなんなんだと言われそうなことを勝手に決意したは良いものの、わたしはぬいぐるみ。教育どころかシアと会話することすらできない。今のわたしにできるのは、ひたすらシアを見守って、その話を聞くだけ。まぁ、シアにしてみればぬいぐるみに話しかけているだけだから、何かそれで救いになるとかそういうことはないとは思うけど。


(うーん、シアと会話ができたら良いんだけどな。瞬きはできるようになったわけだし…)


 特にきっかけも何もなかったような気がするが、ずっと話しかけ続けていたら、そのうち声が届いたりしないだろうか?


(シア、しあ〜、シアちゃーん。…だめか)


 休憩中、今日は母親の都合が合わなかったのか一人で絵本を読んでいるシアに声をかけてみるが、特に反応はない。そりゃそうだ、自分でも自分の声が聞こえていないのだから、彼女に届いているわけがない。


 声を出すのが難しいなら、手を動かすのはどうだろうか。瞬きはできるわけだし。

 室内には大人しく絵本を読んでいるシアと、入り口付近に控えている侍女が二人。誰もこちらに注目していないのを確認して、右腕を上げてみようと意識する。


 動かない。


(ですよねー)


 諦めずに右腕を上げようと頑張ってみるが、動く気配は皆無だ。じゃあなんで瞬きはできるのよ…。

 わたしがそんな無駄な努力をしている間に、夕食の時間が過ぎて就寝の時間となった。使用人達に連れられて浴室に行っていたシアは、戻ってくるなり寝台近くの棚に置かれているわたしの方にまっすぐやってくると、いつものようにその細い両腕でわたしを抱きかかえた。


「お嬢様はそのぬいぐるみがお気に入りですね」

「うん。おとうさまとおかあさまからいただいたものだし、かわいいもの。だいすき!」

(うわああしあかわいいわたしもだいすきぃいいい!!輝くような満面の笑みでの「だいすき」いただきましたああああ!!)


 聞こえていないのを良いことに、荒ぶる気持ちをそのまま叫んでしまった。


「うふふ、そこまで気に入っていただけたのでしたら、旦那様と奥様もお喜びでしょう。またお礼を言って差し上げるとよろしいかと思いますよ」

「そうね!」


 使用人の言葉に嬉しそうににこにこと笑いながら、促されるまま寝台に横たわったシアは私を枕元に座らせた。大抵眠っているときに毛布の中に引き摺り込まれるのだが、眠る前は枕元が定位置なのだ。

 挨拶をして退室していった使用人が扉を閉め、その気配が遠くなったところでもぞりと寝返りを打つと、シアはその愛らしい瞳をわたしに向けた。


「あのねユーア、きょうはね、おじぎをたくさんれんしゅうしたの」

(うんうん、見てたよ。頑張ってたね)

「おじぎはね、なんしゅるいもあるの。じょうきょうによってつかいわけるのよ」

(そうなんだ、面倒臭いねぇ)

「おうぞくのかたにおあいするときはさいけいれいっていうおじぎで、すごくたいへんなの。あしはプルプルするし、こしもいたいし、うでもちゅうとはんぱないちでとめなくちゃいけなくて、とぉってもたいへんなの」

(二回も言うほど大変なんだ…)

「すごくたいへんなの。……でもね、そのうちおうじさまとおあいするから、これができないとダメなんだって。…ちがう、ダメなん、ん、の、ですって」

(お嬢様言葉のシアかわいい……え?王子様?)


 いつものように眠りに入るまでの短い時間にせっせとわたしに話しかけてくれる彼女の言葉に、聞こえないとわかっていても相槌を打っていたのだが、気になる単語に首を傾げた。もちろん気分だけ。


 なんか王子様とか言っていますけど。


 シアの可愛さにメロメロになっている間に聞き逃したのか、この部屋ではその話をしていなかったのかはわからないが、どうやらいずれ、王子様とやらと会うことになっているらしい。もう少し詳細を聞き出したいところだが、こちらから質問することはできないからシアが何か言ってくれるのを待つ。しかし王子様については興味がないらしく、ひたすら最敬礼が大変だとか敬語が難しいとかをぼやいた後はすっかり寝入ってしまった。


 そのまま丸呑みにしてしまいたいくらい可愛い寝顔を見つめながら、ふむと考える。

(王子様…)

 なぜだろうか、この単語に異様に腹が立つのは。



***



 王子様とやらは、金髪碧眼の美形で、それはそれは優秀なお坊ちゃんらしい。

 おめかしをして緊張しながら部屋を出て行ったシアを見送り、ちんまりと棚に収まって壁を見つめること数時間、出て行った時とは一転して興奮気味に帰ってきた彼女は一目散にわたしに駆け寄り、力一杯抱きしめてきた。相変わらず背中がやばい角度に曲がるが、綿の詰まったわたしの体はその程度ではダメージなど受けない。


「ユーア、あのね、さっきでんかとお話ししてね」

(でんか?ああ、殿下ね、王子様のこと殿下って呼ぶようにしたの)

「見た目もすごくキラキラしてるんだけど、笑顔がすごくすてきでね、」

(それ、笑顔という名の仮面だから。騙されないでシア!)

「お父さまたちがお話ししているあいだ、シアと遊んでくれたの。でんかはね、お花も動物もくわしくて、とっても優秀なの」

(一緒にお庭に出たの?あ〜、まぁ初対面の幼児相手だと話題に困るわなぁ)

「それにすごく優しくてね、シアのこと、ようせいみたいって!」

(よくわかってるじゃないかちょっとお姉さんとお話しよう…じゃない。社交辞令だよ騙されないで!)


 はちみつ色の瞳をキラキラと輝かせるシアの笑顔が眩し過ぎてつらい。

 よほど王子様…殿下とのひと時が楽しかったのか、興奮冷めやらぬ様子でこんな話をしたこんなことを教えてもらった等々、溢れ出る言葉は止まるところを知らない。その興奮の発露は行動にも表れていて、いつもなら最初にぎゅーっと抱きしめた後は落ち着いて向かい合うようにわたしを目の前に置くのに、今日は抱きしめたまま寝台に倒れこんだかと思えば、ごろんごろん転がり回ってはわたしのお腹に顔を埋め、また顔を上げて何かを言っては転がりまわり、と非常に落ち着きがない。


 よほど楽しかったらしい。

 全身で殿下への好意を表しているその姿は、しかし恋情ではなくて、ただ新たに友人ができたことの喜びを多分に含んだもののようだ。幼いから恋心にまで至っていないだけかもしれないけれど。


(でもなんだかなぁ、モヤっとするのよね…あいつにはやらん!みたいな)


 これが父性?と首をかしげる。自分は女のはずだが。

 思う存分ゴロゴロして興奮を発散させたシアが落ち着いた頃、微笑ましげに様子を見ていた侍女が声をかけて正装から部屋着への着替えが行われた。緩く結っていた髪がふわりと広がり、踊るような足取りで歩き回るその姿は、同じ表現をするのが非常に遺憾ではあるが妖精のように愛らしい。


 この上なくご機嫌なシアは、ご機嫌なまま絵本を読み、ご機嫌なまま夕食に向かい、ご機嫌なまま就寝した。殿下と会ったのは昼過ぎだったが、それ以降ずっとご機嫌なままであったためか、寝る前のわたしとの会話もそこそこに眠ってしまったのだ。


(もやっとする……もやっとするぅ…!)


 なぜだろうか、ご機嫌なシアはとっても可愛くて、いつもならその笑顔を見ているだけで幸せな気分になれるというのに、今日は全くそんな気分にならない。自分の目で王子様を見たわけではないから嫌う要素もないはずなのに、殿下のせいでシアがご機嫌だと思うとこの上なく腹が立つ。でも腹立つ理由がわからなくてもやっとする。


 幸せの余韻か、微笑むように唇を綻ばせて眠るシアを見つめて、愛しさと……そして不安が湧き上がった。


(わたしは、何が不安なんだろう)


 娘のように愛しているシアをぽっと出の男に連れ去られるような不安?

 それも否定はできないけれど、でもそれだけではないような気がしている。


(わからないのは、忘れているからなのかしら)


 何か大事なことを忘れているから?

 胸の内に巣食う正体のわからない不安を追い払うように首を振り、眠るシアの頰をそっと撫でた。柔らかな頰は何の憂いもなくふわふわの手を受け入れてくれる。

 愛しい寝顔を眺めながらもう一度頰を撫でて、動きが止まった。

 ふわふわとした短い腕を見つめる。

 ……動いた。

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