わたしの可愛いお嬢様

ユーアの楽しいぬいぐるみ生活

第1話

「わぁ、かわいい!おとうさま、おかあさま、ありがとう!」


 子供らしく甘い、だけど甘すぎないハニーミルクのような柔らかい声が聞こえた。

 同時にぎゅっと全身を抱きしめられる感触。遠慮も何もなく込められる力に背中がぐんにゃりと曲がるのがわかった。


 やばいやばい、この角度は骨折れる!


 しかし不思議なことに痛みは全くなくて、拘束を解かれれば何事もなかったかのように体の形状が元に戻る。もしかして骨が折れた時に一緒に神経も麻痺してしまったのだろうか。


 自分は一体どうしてしまったのかと混乱しているわたしの目に、この上なく幸せそうな笑みを浮かべた幼女が映った。

 可愛らしさを全面に押し出したような淡いピンク色のふわふわの髪、甘やかにとろける蜂蜜色の瞳。お人形のように整った容姿は、けれど豊かな感情を乗せることで人間らしく愛らしい。


 えっ、何この子。めっちゃ可愛いんだけど。


 これまで見たことがないほどの美少女…いや年齢的に美幼女が、鼻と鼻がくっつきそうなくらいその可愛らしい顔を近づけてくる。いやいやいや、嬉しいけどその距離はちょっとまずいのではないかと思ういやでもうわいい匂いああ可愛いいい!!


「シアはね、シアっていうの。よろしくね、ユーア!」


 後光が差しているのではないかと錯覚するくらいの輝く笑顔を浮かべ、再びぎゅーっとわたしを抱きしめる美幼女はシアというらしい。そしてどうやらわたしのことをユーアと呼んでいるようだ。なぜ初対面であるはずの彼女がわたしの名前を知っているのか状況は今ひとつわからないが、挨拶をされたのならばそれに返事をするのがマナーだろう。

 とりあえずまずは離してもらおうと、ぎゅうぎゅうと抱きしめてくる腕をポンポンと叩き……たた…あれ?たた、けない?


「ほら、シア。まだ開けていないプレゼントがあるからこっちにおいで」

「はぁい」


腕どころか体のどの部分も動かせないことに呆然としている間に、シアはわたしを抱きかかえたまま山積みになった箱の前に移動していた。どれもこれも華やかに可愛らしい包装が施されていて、一目でプレゼントだとわかるものばかり。おそらく、全部彼女のためのもの。つまり今日はこの子の誕生日か何かなのだろう。


 では、わたしは?


 プレゼントを空けるために一旦別の人に手渡されたわたしの視界には、華やかに飾り付けされた室内と、幸せそうに笑みを浮かべた複数の人たち。そして、きれいに開かれた一つの箱。

 側に落ちていた包装紙とリボンを、お仕着せを着た使用人と思しき女性が拾い上げてどこかに持っていき、箱も別の使用人が持ち去っていく。その箱は、少し大きめのぬいぐるみを入れるのにちょうど良さそうな大きさで。

 首は動かないけれど、なぜか動く瞳だけをそろりと下に向ければ、見えるのはもこもことした白い体。


(う、うわああああああ!?)


 どうやら、わたしは白いぬいぐるみになっているらしい。



***



 体は動かないし、話すこともできない。ぬいぐるみの生活はとても退屈だ。


 シアのお気に入りとなったからか枕元に置かれたわたしはスヤスヤと健やかに眠るシアの寝顔を見つめながら唸っていた。いくら唸ったところで誰にも声は聞こえないのだから、ここ最近は全く遠慮することなく唸ったり独り言をつぶやいたりしている。

 まだまだ状況はよくわからないが、どうやらわたしはぬいぐるみになっているようだ。それも白いもこもこふわふわした、手触り抜群のぬいぐるみ。どんな動物を模したものなのかはわからないけれど、それについては追々確認できればと思っている。


 そしてこの自意識。

 わたしには「ユーア」という人間であるという意識がある。人間であった、ではなく、人間である、だ。なぜか今はぬいぐるみだけれど、わたしはれっきとした人間…のはずだ。どこでどういう生活をしていた人間なのかは思い出せないけれど、でも、人間ではあるはず。


(なんか色々と忘れているような気がするけど、何なんだろうなぁ)


 ぼやいてみても、空気を震わせる事すらできない状況に気が滅入りそうになる。ほんと、なんでぬいぐるみになってるの、わたし。


 あーあ、とため息をついて(もちろん息は吐けないから気分だけ)シアを見つめる。他にすることがないから仕方ないのだけれど、眠る幼女をじっと見つめ続けるとかそれなんてご褒美…じゃない、不審者。いやでも今は無害なぬいぐるみだし、と言い訳をしておこう。…わたしは一体誰に言い訳しているんだろうか。


 ともかく。わたしは動けないから実際のところどうなのかわからないけれど、幸いなことにシアはぬいぐるみに色々と話しかけてくれる子らしく、毎日暇さえあればわたしに話しかけてくれる。そんな彼女が舌足らずに話しかけてくれる内容から現状をわかる範囲でまとめてみよう。


 今わたしが見つめている美幼女のシアは、この家のお嬢様。シアというのは愛称で、正式にはアリシアというらしい。使用人がアリシアお嬢様と呼んでいたから間違いない。


 そして使用人が複数いることから、シアの家はそれなりにお金持ちなのだろうと推測される。室内の調度品は上品かつ可愛らしい一級品ばかりだし、着ている服も生地からしっかりとした上等なものだ。それに髪や肌の手入れもできている。服の生地に気を使ったり、毎日髪や肌をお手入れしたりなんて、余裕のある家でしかできないことだからお金持ちなのは確定。どれくらいのお金持ちなのかはちょっとよくわからない。


 あと彼女の話に出てくるのは「おとうさま」と「おかあさま」、そして侍女の「ハンナ」。そのほかにもこの部屋にやってくる使用人たちの口ぶりから、家令のロベルトや使用人頭のメアリがいることはわかっている。兄弟の話題が出ないということは、シアは一人娘なのだろうか?


「んん〜」

(おおっと、びっくりした)


 もぞもぞと動いたかと思うと、小さな手がわたしの足を掴んで自分の方に抱き寄せてきた。暖かいのであろう毛布の中に引きずり込まれてもあまり温度変化は感じないが、わたしを力一杯抱きしめてほわりと浮かんだ笑みには胸がポカポカする気がした。ああ可愛い。


 両親が忙しいのか、シアは日中もあまり父親や母親と一緒にいる時間は多くない。しかし、まぁわたしは見ていないから確実なことは言えないが、食事は家族揃って摂っているようだし、時々ティータイムを母親とのんびり過ごしたりはしているようだから家族仲は悪くないはず。先日の誕生日にも沢山のプレゼントがあったし、浮かべていた表情に取り繕ったようなものは見られなかったから、両親がシアのことを愛しているのはきっと間違いない…はず。

 だけど、夜眠るときはいつもひとりだ。


(まだこんなに小さいのに)


 見た所、三歳くらいだろうか。


(お父さんやお母さんと一緒に寝られたらいいのにね)


 わたしが来る前から一人で寝ていたようだから、もう慣れているのかもしれないけれど、でも広いベッドにひとりきりだと、いくら毛布が上等なものでも冷えてしまう。

 風が窓を揺らす音に怯えても、怖い夢にうなされて暗闇のなか目が覚めてしまっても、怖かったねと抱きしめてくれる人はいない。それって、日中可愛がられている分余計に怖くて切なくて、きっと悲しいのではないだろうか。


(抱きしめてあげたいなぁ…無理だけど)


 ぬいぐるみであるわたしには体温を分け与えるということはできないけれど、無自覚なその寒さを少しでも埋めてあげられたら良いな。そう思って、動けないけれど寄り添うつもりでそっと目を閉じた。


(……。……んっ?)


 ぱちり。

 視界が開く。


(あれ?)


 今、わたし、目を閉じた?

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