第5話 幼馴染とプールに行く話し


「夏と言えば!」


 夏真っただ中。扇風機の前でぐでーっとなっていた小雪は、突然そんな事を言ってきた。


 夏休みといえば学生のアオシス。一年でもっとも尊い日であると虎は思っていた。

 試験という地獄を乗り越えた夏休みはさぞ楽しいだろう。が、虎は特に変わりなかった。

 どこかに遊びに行くにも金がないし、友達は少ない。万年金欠のため趣味はなし。家事と睡眠をやる毎日だ。


 だが小雪は違う。

 亜冥寺小雪。彼女はとてもリア充である。

 交友関係は広く、誰とでも分け隔てなく接する心。親は自営業であり結構成功しているらしく金もある。友達も多く、そのための資金もあるとなれば後はお察し。

 夏休みはつねにどこかへ遊びに行く。虎とは、ご飯のときぐらいしか会っていなかった。


 そして夏休みが中盤まで来て初めて、今日はなにも予定がないそうな小雪は昼間から虎の家にいた。


「なんだよ急に」

「良いから! 夏と言えば!」

「……海?」

「他には?」

「花火とか、スイカとか?」

「はぁ」


 やれやれとばかりに首をふる。イラっとする。可愛いのが余計いらついた。


「それもある。けど一番はね、暑さ! 虎、クーラーをいれよう。蒸し風呂だよ」

「そんな金ない!」


 小雪の提案を全力で却下する。

 虎の家にあるのは、扇風機が一台だ。しかもかなり古くいつ壊れてもおかしくない。

 この扇風機を買いかえる余裕もないのに、クーラーなど言語道断。これ以上の電気代アップもきつい。


「ぶー」


 別に小雪も本気で言っているわけではなく、ぷくっと頬を膨らませただけだった。


 扇風機の前で体育座りをする小雪。その様子を見て、キッチンで作り置きの副菜を作っている虎は煩悩にさらされた。


 というのも暑いためか長い髪を後ろで一纏めにするポニーテールであり、服装もかなりラフだ。

 シンプルな白Tシャツと、ショートパンツ。かなり無防備な姿に、男として煩悩を殺す事に必死だった。


 ポニーテールというのも新鮮で、思わず可愛いと言ってしまうところであった。普段隠れているうなじも今回は露出していてそれも新鮮だ。

 そして暑いためか、扇風機の前で服をパタパタとしている。そのたびにくびれた腰がチラリズムして虎の虎がどうにかなってしまいそう。

 心頭滅却するために料理に励むが、あまり効果はなかった。


 そしてすぐに料理は終わる。当たり前だ。別に大して消費していないのに作るから。しかも夏なのであまり作り置きできない。

 という事で、少しは落ち着いた様な気もするしソファにどかりと座った。


「……暑い」

「そうだね」


 だが暑さには、小雪が扇風機の前を独占しているからというのもある。

 この夏場にたった一つの扇風機を独占するなど大罪だ。八つ目の大罪と言っていい。


「はぁ。涼しいところに行きたいな」

「……海とかか?」

「良いね。遠いけどね」

「じゃあ北極?」

「涼しそうだね。さすがに旅費がない。……でも虎、身近に良い場所あるよ」


 ボーっと駄弁っていれば、思いついたと虎の方を向く。


「プール! ちょっと遠いけど郊外におっきい所があったはず!」

「なるほど。たしかに。行くとしたらバスか」

「うん。さっそく行こ。今行こう。準備してくる」


 そう言うと、虎の返事も聞かずに小雪は風の様に去って行った。本当に行動力のある奴である。


「……まあプールも良いか」


 暑い夏。一度ぐらい行っておくべきだろう。

 虎もぐっと伸びをすると準備する事にした。



 ◇



 バスに乗って三十分も揺られれば、郊外で一番大きな遊泳施設に到着する。


「暑い。クーラーの効いたバスから降りると特に暑い気がするよ」

「気がするどころの話しじゃない気もする」

「早く水に飛び込もう。さあ行くよ」


 受付でお金を払い、小雪と別れて更衣室に入る。

 さすがにプールのお金ぐらいはあるので、今回は奢られなかった。そう易々と奢られては虎のプライドにかかわる。


 男の着替えはすぐに終わる。ちゃっちゃと着替えるとプールへと向かった。

 見渡せば、意外と人が少ない。皆都内の方のプールに行っているのか郊外にあるこの施設には人があまりいなかった。

 が、いないと言っても夏まっただ中。家族連れも多い。

 


 周囲の観察をしていても小雪はまだ来ていない様なので、虎は準備運動に励む。

 十分ほど待てば、遅れながらに小雪がやってきた。


「や、虎。おまたせ」

「…………」


 やっと来たかと小雪を見て、虎は固まった。そこは天使が居たからだ。

 長くつややかな黒髪は後ろで一纏めにしているのは変わらない。その肢体が、惜し気もなく晒されていた。芸術的な体と言っていい。ビキニに包まれた豊満な胸。偶然触れたり、薄着しているときは大きいと思っていたがやはり着やせするタイプだった。

 そっと視線を下せばきゅっとくびれた腰と、引き締まったヒップ。足はすらっと長い。


「ん~? 虎、視線がいやらしいよ」

「っ!!」


 見とれていた。小雪の指摘に慌てて目をそらす。


「あはは。そんなに良い?」

「……おう」


 ボソっと言う。

 その様子を見て、小雪はニヤニヤした。


「ま、泳ごっか」


 さらにからかいに来たかと思ったが、意外とあっさりと引いて軽く準備体操をする。

 虎は視線が胸に行かないよう必死だった。思春期の男子にはとても辛い。人参を前にぶら下げられた馬とはこういう気持なのかとしみじみ思った。


 小雪にドキドキした事は置いておき、今回の目的はプールである。


「はぁ。やっぱ夏は水浴びだよ」

「……涼しいな」


 水につかると、暑さがスーっと引いていく。


「さて、プールに来たからにはやる事は一つ!」

「あれか?」

「あれだよ」


 それだけで意思疎通を終わらせると、プールの端まで移動する。


「久しぶりだな。競争」

「戦績は負け越してるけど、見てなよ」

「負けるつもりはない」


 亜冥寺小雪という人物は、成績優秀なだけではなくスポーツまで万能ときた。

 さすがにスポーツまで負けたら心が折れると虎は久しぶりに本気の目になる。


 泳ぎ方はクロール。競争ではクロール固定と決めている。

 声に出す合図はない。目配せをして、よーいドンだ。


 アイコンタクトをして、一斉に泳ぐ。

 小雪は綺麗な泳ぎ方だ。気品があると言っていい。

 虎は普通。そして普通に早い。


 スポーツには自信のある虎、だが小雪もしっかりと付いていく。

 あと少しで終わり、というところで小雪はいきなりスピードを上げた。が、虎も負けない。それを見て、火事場の馬鹿時からを引っ張りだすかの如く速さを見せつける。


 僅差であるが、一番は虎だった。


「っし」


 安堵。そして勝利の高揚で、ぐっと手を握る。


「あー。負けちゃった」

「……なんか、去年より速い気がしたが?」

「虎を負かすために練習したの。負けちゃったけど」

「そんな事をしていたのか」


 友達の多い小雪はこの夏も何度か遊泳しており、そのたびに練習していた。結局勝てなかったが。

 泳ぐ事は好きだ。そして小雪は好きな事に関しては負けず嫌いだったりする。


「悔しい、再戦だよ。ゴーゴー」

「何度でも付き合おう。勝ち越すなどありえないけどな」

「言ったね!」


 その後何度も競争し、トータルでは虎の勝利であった。




 泳ぐというのは、疲れる行為だ。

 そしてお腹が減るのである。


「弁当、作ってくるべきだったな」

「ごめんね。急に誘ったから」

「気にすんな。別に良い」


 とは言いつつも、売店は高い。高いのだ。貧乏な虎にはつらたんだ。

 しかし何時もならば小雪が奢る、と言いだすタイミングだろう。だが小雪は悩む虎をニコニコと見つめるだけで何も言わない。


「何とか、なるか」


 頭の中でソロバンを引き終わり、資金を捻出できる踏んだ虎は財布を開く。おかずをモヤシにする事になるが、今はお腹が減ったのでしかたがない。

 そして虎の中で、小雪に奢ってもらうなど言語道断。最近は借り過ぎていて、このままではダメ男一直線だとしっかりセーブする。そしてそれ以上に男のプライドが許さない。虎はプライドが高いのだ。


 売店にてたこ焼きを購入して、二人揃ってパラソルの下でご飯にする。


「はふはふ。……うん美味しいね」

「……ひさしぶりに食べた」


 自宅では食べないし、買う事もない。ひさしぶりのたこ焼きに舌づつみを打つ。


「家で作ってみるか」

「あ、それ良いね。虎お手製のたこ焼きが食べたいな」

「……どこかでたこ焼き機を調達しないとな」


 もちろん買う金などないので、借りるしかない。しかし交友関係の狭い虎ではツテもない。

 なかなかに難しい問題だと頭をひねらせていると、二人とも食べ終えてしまった。


「ん、虎ついてるよ。ソース」

「なぬっ?」

「ふふん。ほら」


 向かいに座っていた小雪は、身を乗り出して虎の唇の横をそっと指で拭う。


「……小雪も、青海苔ついてるぞ」

「え? 嘘」


 まさか自分もついてると思わなかったのか、あせあせと拭う。

 唇の横にちょっとついてた青海苔を取って、二人はえへへと笑った。


「さて、ゴミ捨ててくる」

「ん、ありがとう」


 食べ終えれば、小雪のゴミも持ってゴミ箱を探しに行く。が、売店エリアは以外と広く、少し迷った。

 およそ三分程度迷い、隅っこの方にゴミ箱を発見する。


 分別してゴミを捨て、さて帰ろうとしたところでふと待っている小雪に数人の男が話しかけているが見えた。


「ん……あいつら」


 小雪の周りにいる三人の男。どこかチャラそうで、あきらかにナンパであろうとは分かる。

 それを見て、虎の額に青筋が浮かんだ。


 怒り。それが湧き出る。気づけば駆け足だった。


「ねえ、一緒に泳ごうぜ」

「楽しもうよ。俺達金持ってるし」


 鼻の下を伸ばして話している男達。

 小雪は嫌そうに一歩身を引くが、それに気付かずペチャクチャと誘っていた。


「おい」


 虎は思わず強い口調で一人の男の肩を掴んだ。


「あん?」

「なにしてる」

「そりゃナン……貴方様は」


 邪魔された事に怒り心頭といった感じだったが、虎の顔をマジマジと見て一気に血の気を引かす。


「『狂犬』!」

「なんでこんなところに」

「あ、あなたの女とはつゆ知らず」


 さっきまでの声音とは一転。あっという間に媚びる様に、へこへこしだす。

 見れば虎よりも年上っぽいが、その目に映るのは恐怖。


「うせろ」

「し、しつれいしました」


 まるで物語の三下の様な鮮やかな去り際。

 彼らはあっという間に消えた。去り際選手権なるものがあれば上位間違いなしだろう。


「ありがと、虎。でも、怖い顔してるよ。スマイル!」

「うぐ」


 険しい顔をしている虎の頬を小雪を強引に引っ張る。


「……にゃにお」

「笑って笑って」


 小雪にそう言われて、やっと虎の顔から険しい表情が抜ける。元々怖いのであまり大差ない気もする。


「これで良いか?」

「うんうん。完璧」


 サムズアップする小雪。

 落ちついたところで、二人はプールサイドを歩きだした。


「やっぱり、プールに来るとああゆう奴らがいるね」

「良くあるのか?」

「うん。困っちゃうよ」

「……そうか。まあ、小雪は……可愛いからな」


 ボソっと虎は言う。

 地獄耳の小雪は、足を止めて目を丸くした。


「……どうしたんだよ」

「もう一度言って!」

「何を?」

「分かって!」


 理不尽な、と思うが小雪が何を要求しているかぐらい分かる。

 だが、恥ずかしい。


「やだ」

「なにさー。へるもんじゃないでしょ」

「うるせぇ」

「あ! 言ったね。勝負だよ。私が勝ったらもう一度言って」


 そう言ってプールを指差す。


「良いだろう。……俺が勝ったら?」

「んー。かっこいいって言ってあげる」

「……まあそれで良い」


 それが良いとは言わない。

 虎は高をくくっていた。負けるはずがないと。

 闘志を燃やしている小雪に気付かないまま。


「よーいドン!」


 そうして勝負が始まった。

 だが結果は記さないでおこう。ただ言えるのは……。


 めちゃくちゃ言わされた。



 ◇



「ふぅ。暑いね」

「日差しはな」


 水につかり、スーっと涼しくなったが服を来て外に出れば日差しにあきあきする。


「お、バス来たな」

「早く乗るよ!」


 バスが到着した時点で、すぐさま乗りこむ。

 丁度良く二人並んで座れる席が開いていたので、そこに座った。


「……はぁ涼しい」

「ねー」


 クーラーの効いたバス内でほっと一息つく。


「楽しかったね」

「ああ。また来年も……」

「うん。楽しみ」


 来れれば良い。と思う。

 だがそれはつまり小雪との縁が切れていないという事。関わらない事が小雪の幸せと思って、だがそれを達成できていないという事。

 虎は本心で、小雪とずっと仲良くしていたと思っているのだ。そしてそれを薄々自覚してきている。


「ふぁ……」


 うとうとする小雪。プールの後は眠くなるものだ。

 目をつぶろうとしている小雪を見る。長いまつげ。大きな瞳。髪はしっとりとしていてとても綺麗だ。

 住む世界が違う様な、そんな幼馴染。さまざまな物が正反対な幼馴染。

 亜冥寺小雪。虎は彼女とどうしたいのか。そんなの結論はとっくについている。


 だがそれを表に出す事はない。結局叶わない事だ。

 虎と小雪は、元々住む世界が違うんだ。


「……将来」


 小雪との未来を思い浮かべたついでに、ふと将来の漠然とした不安もある。

 お金が振り込まれるのは高校卒業まで。そう言われているわけではないが、そうだろう。働かないといけない。しかしどんな事をしたいのか、皆目見当もつかない。

 先の見えない未来。これもまた小雪とは正反対だ。

 やはり……。


「ふぁ」


 虎にも眠気が襲ってくる。抗おうにも抗いづらい眠気。先ほどまで難しく考えていたから余計だ。

 目をつぶってまどろみに落ちるのみ、時間はかからなかった。


 だが最後に、コツンと音が聞こえた気もした。


 バスは、進む。

 寄りかかり合いながら、眠る二人を乗せて。

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