第53話
帰宅して自室の部屋でライブの余韻に浸る。あれほどのライブを見て、ボクはもう次の歌詞のことを考えていた。
PCの前でノートに言葉を書いては消し、その作業をひとしきり繰り返してスマホを見ると三人のグループLINEにアルバムが追加されたと通知が来ていた。葵が所かまわず凛と撮っていた写真や、ボクが映り込んでいた写真をまとめたものだった。
控えめながらに凜からも写真が送られてきて、ボクはそんな写真を眺めていた。すると別の通知を知らせる音が響く。
それは葵から、ボクと二人で映り込んだ写真だった。日差しを浴びてキラキラと笑う葵の笑顔と、どこか別の方向を向いているボク。そんな写真をそっと保存して謝辞を伝えると、スタンプ一つのみが返ってきた。
それから四日ほど経っていたが、葵からの連絡はなく、もちろんボクからも送ることはなく、グループのみでの連絡のみだった。そうして約束していた勉強会が開催された。
おそらく葵から勉強会のことを聞いた友紀も加わり、ほとんど白紙だった葵と友紀の課題を凛と図書館で見ていた。
市立図書館はボクと葵の地元のちょうど真ん中にあり、県内随一を誇る広さだ。受験勉強にはもってこいの場所でもある。
図書館の自習スペースはそこらじゅうでペンを走らせる音と、たまに何かの問題の解説をしている声が聞こえる。ボクは教えられることなんてあまりにも少なすぎるため、ボクは図書館の何冊かを読みながら、凜が二人に解説しているのをBGMにして読書にふけっていた。
「凛チャン、教えるの上手いね」
「そうっしょ~? いつもバ先でいろいろ教えてくれるんだぁ」
「そんなことないよ。数学は終わったから次は古典、かな? 暁くんの出番だね」
指名されたボクだったが、古典で教えられることなんてない。英語の課題は既に陽太からレクチャーを受けた友紀の課題を写すことで話がまとまっていたから、ボクはシャーペンを走らせる二人から、百人一首の現代語訳に付き合いながらの読書となった。
そうしてなんとか三分の二が終了したところで閉館時間となり、ボクは自転車にまたがった。凜も同じように自転車にまたがる。ボクと凜は立地の関係上、電車で来るよりも自転車の方が楽だったのだ。
「じゃ、二人とも気を付けて帰ってね」
「凛チャン、これから時間ない? 実はわからないとこあってさ、ちょっと付き合ってくれない?」
「あ、うん、いいよ。じゃあ二人も……」
「ごめん凜! あたし今からバイトなんだよねぇ」
「なら小泉クンが送って行ってあげなよ。あ、もう俺も暁って呼んでいい?」
「あ、あぁ」
「じゃあ暁くん、また今度ね」
友紀と連れ添って歩き出す二人を見送り、ボクらは図書館前に取り残された。夕暮れのオレンジが辺りを包み、ヒグラシが合唱を繰り広げていた。
葵のバイト先はライブの時に行ったあの街で、ボクらは図書館の最寄り駅に向かって歩き出した。
「ねえ暁くん、あたしさぁ」
夕暮れがよく似合う葵の髪は既に茶色から暗めの茶色になっていて、もう少しで学校が始まることを教えていた。
あと一週間後には学校が始まる。すっかり眼鏡のない世界に慣れたボクは、学校が始まることが少しばかり楽しみだった。クラスには葵がいて、友達となった友紀も多田もいる。
これまでのつまらないものではない生活に、ボクは心の底から楽しみだったのだ。
「あれ、聞いてる~?」
「ごめん聞いてなかった」
むぅっと顔を膨らませ、それにこらえきれずに噴き出して笑う葵に、ボクはこれからも傍らでそう笑って欲しいと願った。たくさんの人がボクの世界にいる。ボクを取り巻く人たちがボクを認め、それでいて否定しない人たち。
だけどボクの世界は、葵がいたから変わった。ボクの世界には、葵がいて初めて成り立つのだ。
夕焼けに溶ける葵の横顔。ころころと変わる表情。溢れる気持ちが止められない。
「世界にたった一人だけいるその人を見つけられて、ずっと一緒にいたいなぁって思うのが恋なんだと思うよ」
凜の言葉が、今ではわかる。ずっと一緒に居たい。ずっとその笑顔をボクの隣で携えていて欲しい。
そしてボクは、意を決して立ち止まる。ボクに気付かづに少し先に歩いた葵が立ち止まり、振り返る。
「どうしたのぉ、暁くん」
ボクを呼ぶ甘い声。緊張で手が震える。それでも今、言わなければならない気がした。
「ボクの世界には君だけでいい」
これがボクの精一杯の告白だった。好きとも付き合ってくれとも言えない言葉だけど、ボクの中にある最大限の表現だった。
顔が熱くなるのが分かる。サドルを握る手に力が入る。じっとりと汗が手に浮かぶ。
駅はもうすぐそこで、ひゅうと吹いた夏風に髪をなびかせた葵は、今まで見たことないような笑顔を浮かべていた。
「あ、えっと、つまり……!」
何も言わない葵にボクはもっとわかりやすく好きだと伝えようと声をかけると、葵はなびく髪を抑えてボクをまっすぐ射貫いた。
「あたしの世界は、君だけだったよ」
そう笑った葵は、ボクに背を向けて駅へ向かっていく。取り残されたボクは言葉が届いたのか届かなかったのかわからなかった。
そして遠くでまたこちらを振り返った葵は、大きく手を振った。震えた声で、ボクに叫ぶ。
「じゃあね、小泉くん!」
でもきっと葵のあの言葉はきっと嘘だ。
ボクと違ってたくさんの人と世界を共有している。世界にボクだけだなんて、ありえないのだから。
ボクを名前で呼ばずに帰っていった葵の後ろ姿が、夕焼けに溶けてなくなってしまうような気がして、ボクは自転車にまたがってスピードを出して自宅を目指した。
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