第45話
あれほど焦がれていたキルハイのライブなのに、身に着けている物にキルハイのグッズは一つもない。キルハイの音楽はボクの一部だったはずなのに、今はピエロの音を欲している。スタジオから外に出たピエロの音は、どうなっているのだろう。
さっさと外でTシャツを着たボクとは違い、凜はいそいそとトイレに走って行き、ボクらは二人で凜の帰りを待っていた。
「痛む?」
「全然」
「ならよかったぁ」
「葵は、その」
「あたしはぜんっぜん平気! なんたって暁くんが守ってくれたからねぇ」
いたずらっぽく笑う葵に、ボクはどきりとまた心臓が跳ねる感覚があった。電話越しでなくボクの名を呼ぶ葵の表情は、作り物の笑顔なんかではなかった。
「二人ともお待たせ!」
全く同じのTシャツになったボクらは、まだライブが始まっている訳でもないのに、ライブの一体感を感じていた。
「ねえ葵ちゃん。そういえば私たちチケット持ってないけど、どうやって入るの?」
「あ、忘れてたぁ! あたしら、関係者? って枠で入るらしいから、一番の人の受付前に名前言って入ってーって友紀くんが言ってたよぉ」
「あの~……」
二人の会話に割って入るように見知らない女性が二人に話しかけてきた。ボクは少し離れて成り行きを見守る。
その女の子もピエロのTシャツに身を包んでいて、どうやらPVを見た一ファンみたいだった。それとなく友紀との関係を探っているような女性に対し、葵はからからとただの同級生と跳ね飛ばしていた。
「私、本当に友紀の声に救われて大好きで……。アイドルじゃないからこんなことも言うのはおかしいってわかってるんですけど、ガチ恋なんです」
彼女の耳には友紀と同じ場所に同じ数のピアスが開けられ、何度か見たことのあるピアスが光っていた。ファンの中にはそんな感情を持つ人もいるのか。様々な形なのだな、恋とは。
「はぇ~! 好かれてんねえ」
「友紀くんの声、綺麗ですもんね」
「あの、よかったら写真撮ってもらえませんか? お二人一緒に!」
「えー! 全然いいよぉ! 凜もいいよね?」
「も、もちろん。私なんかでよければ……」
「ねねね、小泉くん! 撮って~!」
言われるがままに女性からスマホを受け取り、三人の写真を撮る。女性は礼を言ってどこかへ歩いていってしまった。
そんなことをしていると、いつの間にか二人の周りには少なからず十人は周りを取り囲んでいて、口々に素敵だったとか感動したとか、そんなことを言われていた。
ボクはそんな喧騒から少しだけ距離を取り、ぼうっと眺める。
昨日の夜。そしてついさっきも、葵はボクを暁と呼んだ。確かに呼んでいたのに、さっきは慣れない余りについ出てしまったのだろうか。
あれほど名を呼ばれることに喜びを覚えていたのに、どうしてここまで寂しい気持ちになるのだろう。ただ名前を呼ばれなかっただけだというのに。
「あの、すいません」
まだ周りに何人かいる葵たちを眺めていると、不意に声をかけられた。ボクと同じくらいの身長の、整った顔立ちの男性だった。黒い顔に綺麗に整えられた眉。精悍な顔立ちはどこぞやのアイドルも顔負けだろうと思うほど整っていた。
「は、はい?」
「ピエロのPVの人、ですよね? あの二人って」
「えぇ、まあ、はい」
「じゃあ貴方はあの二人の友達?」
「そうですけど」
「じゃあ、その、ダウンって、知ってます?」
へへへ、と笑う彼に、ボクははっとした。キルハイがメジャーデビューする前のTシャツに、首から下げられたタオルはキルハイのニューグッズ。
そして光る、人差し指の指輪。
「もしかして、倫、太郎?」
「やっぱり!」
整った顔がふにゃりと溶ける。そして左手を差し出し、恥ずかしそうに頬を掻いた。その手の意味はすぐにわかり、右手で応える。
「やっと初めましてだな」
嬉しそうに笑う倫太郎を前に、ボクも頬が綻んだ。ネット上の友達が、今この瞬間にリアルへと繋がった。
「あぁ。こんなイケメンだと思ってなかった」
「俺が言いてえよ! 俺はてっきり……」
「あれぇ、小泉くん? その人だれ~?」
葵と凜がやっと解放された人混みから帰ってくると、ボクたちへ近付いてくる二人に、ボクは小さな違和感は抜けないまま倫太郎を短く紹介した。倫太郎には二人の紹介を済ませると、葵はカッコいいね~! なんて言って倫太郎を褒めた。
そんな姿にまたちくりと刺される。とりあえずボクはこの痛みに嫉妬と名付け、そしてボクは苦笑いを零した。ボクはいつの間にか嫉妬心まで知っていたのか。
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