第40話

 倫太郎と葵から聞いた恋の話は、言葉の修正はしたものの、ほとんど制作当初のままだ。

 葵が涙まで流して読んでいたあの歌詞が、陽太の軽快なソロを経て友紀の口から曲として紡がれていく。


 もう何度も聞いた新曲を、葵はどんな顔で聞いているのだろう。この歌詞の節々に葵の過去の話が散りばめられている。もちろんそこには倫太郎も含まれるが。


 二人はすれ違った挙句にその恋とお別れをした。そんな不思議な共通点から出来上がった歌詞が、葵の心にどう届いているのだろう。葵の表情を盗み見ようとして、そして辞めた。


 葵の表情を見れば、ボクはきっと泣いてしまいそうな気がした。


 それがどんな表情だったとしても、ボクは歌詞を読んで泣いた葵を思い出して泣く。それはほとんど確信めいた予感だった。


 締めくくりは多田のピアノの旋律のみで、切なさを演出している。これは友紀の受け売りだけれど、確かにそう思えるほど切なく感じる。


「やっぱ、この歌詞好きだなぁ……。これ、あたしが決めちゃったらもったいないよぉ」


「お姫サマもお手上げかあ。仕方ない、今日は明日のセトリ確認して、あと何曲か通したら終わろっか」


 それぞれ用紙を出して、明日の細かいセットリストの確認。三曲ほど通している姿を見ながら、葵がスポーツドリンクに口を付けた。口元が濡れ、それを舌で舐めとる。

 今まで何度となく見ていた光景だろうに、ボクはまたどきりと胸が鳴る。そんな高鳴りも葵が隣に居るのであれば、少しばかり心地は良い。


 この歌詞だけは、実はタイトルの候補が二つあった。楽しそうに練習を眺めている葵を見て、ボクは決心した。

 練習が終わって、ボクは意を決してそのタイトルを伝える。もう一つはまた次の機会まで取っておこう。


「―――――」



 すっかり遅くなってしまい、既に二十時を回っていた。そういう訳もあって今日はいつものファミレスには寄らずに解散となった。全員が早々にそれぞれの帰路へ着き、ボクと葵はなぜか本屋にいた。


「凜から連絡来てさぁ、面白い本あるって聞いたから本屋行きたかったんだぁ。あたしの地元には本屋ないしちょうどいいかなぁって」


 地元の本屋はありがたいことに二十一時までは開いている。葵の言う通り、ちょうどよかった。北口から南口までを少し早歩きで向かい、本屋に入る。熱帯夜から解放された店内が、火照った体を一瞬で正常へ戻していく。


 葵が新刊コーナーを探し回る間、ボクも適当に文庫コーナーに足を踏み出す。文庫コーナーの本棚に、新人賞の結果が張り出されていた。

 新刊チェックの意味も込めてポスターを眺めていると、葵がふらっとボクの傍に寄ってきた。


「興味ある感じ?」


「いや、新刊チェックで見てた」


「あたしよくわかんないけど、歌詞と小説ってやっぱ違うの~?」


「さぁ、書いたことないから」


「ふぅん……。小泉くんならきっと小説もおもしろく書けるんだろうねぇ」


 ふらりと葵はボクから離れていく。どうやらレジへ行ったみたいだった。いつか壁が高すぎるから夢を見るのは現実的ではないと背けてきたが、葵にそう言われると全く根拠のない自信が湧いてきて不思議だった。

 せっかく母さんが用意してくれたPCだ。少しくらい挑戦してみてもいいかもしれない。そんな気持ちを抱かせてくれる葵が、また好きだと自覚させる。


 本屋を出て駅へ向かう。目当ての本を片手に、葵は満足そうだった。駅まではもう数メートルしかない。明日も会うのに別れが惜しい。数十メートルまで駅までの道が伸びてしまえばいいのに。


「いよいよ明日だねぇ」


「そうだな」


「一緒に行くっしょ? 凜とも待ち合わせしてるんだけど、何時にするぅ? ……ぁ」


 広場を横切ると駅だ。その広場には少しガラの悪い連中がたむろしていて、大声で笑い合っている。不快で下品な笑い声の先を見つめ、葵は歩みを止めた。


 その先に居たのは葵の頬を打ち、あれほど泣かせたあの男がいたのだ。

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