第4章 灰色の世界からの決別

第25話

 天気予報は外れることなく、しっかり朝から土砂降りだった。ベッドに自分の全体重を預け、しばらく本を読んでいるといつの間にやら眠ってしまったらしい。

 寝ぼけたまま枕元にあるスマホを探し、そういえば机に置きっぱなしだったかと気怠い体を起こしてやっと画面を覗けば、表示された時間は八時三十八分。通学しているときと同じような時間に起きてしまい、狂ったボクの体内時計は完璧に直されてしまったようだ。


 ピエロとボクで組まれたグループトークには、今日の練習開始時間が共有されていた。昨日友紀から言われていた通り、十九時から例のスタジオ。

 さて、それまでかなりの時間がある。何をして過ごせばいいのかまるでわからない。なにせ夏休み中は昼どころか夕方まで寝ていることもざらだったのだ。休みという特殊な期間の、しかもこの時間に何をして過ごすべきか全くわからない。

 リビングへ行くと母さんはパジャマのままぼうっとテレビを見ていた。普段の差すような日差しもないリビングは涼しいけれど、どこかじっとりと湿っぽい。


「あれ、早いじゃん。おはよ」


「おはよ」


 よいしょ、と自分を鼓舞するために発せられた言葉をきっかけに、さっと立ち上がった母さんはそのままキッチンに入ってトーストを焼きながらケトルのスイッチを押した。


「仕事は?」


「有休~」


「なんか用事?」


「なんの用事もないから休みにしたのよ~」


 一般的な労働をしたことがないボクでも、母さんの言い分は少しばかりわかる気がした。学生だからこそ与えられるボクの休みと、母さんの休みとでは意味がまるで違う。葵の持つお金とボクの持つお金の価値と同じように。

 そして休める権利があるのなら行使して存分に休みを謳歌する、というのが母さんの持論であり、それはボクも大いに頷ける理論だった。


「ってことで、出かけるよ」


「こんな土砂降りなのに?」


「ふっふっふ。そんなこともあろうかと、ちゃーんと昨日のうちにレンタカー借りてきたんだよねーん」


「……今度は何を増やしたいの」


「そうだなあ、とりあえず本棚と本と服と……、もう一つはとっておきだから内緒」


 この家の床が抜けてしまうのではないかと本気で心配になる買い物の内容だった。なにせ母さんもボクも本を読むおかげで、お互いのパーソナルスペースは本棚で埋め尽くされている。

 きっと忙しくてしばらく買えていなかった本を大量に買い込む気だな。何冊かその中にボクの本も混ぜてくれないだろうかと思いつつ、ボクは出されたコーヒーをすすり、トーストをかじった。


 母さんはどこか楽しそうに洗い物を済ませると、早めに用意済ませておいてね~なんて鼻歌交じりに風呂場へ向かっていった。

 母さんとボクとじゃ用意の時間に差がありすぎる気もするけどな。なにせ化粧やら服選びやらでやたら時間がかかっているのは、いつも母さんの方なのだから。


 トーストをかじりながらテレビを見やると、今日の夜はペルセウス座流星群が見られるかも、とアナウンサーが微笑を携えていた。こんな土砂降りに、本当に見られるのならいいけど。

 最後の一かけらを口に放り込み、それをコーヒーで流し込む。適当に洗った皿を干して、自室へと戻った。母さんと出かけるのは、そういえばとても久しぶりな気がする。適当なTシャツと黒のスキニーパンツを履く。眼鏡を手に洗面所へ向かった。


 シャワーでも鼻歌を歌っている母さんの、少しばかり外れたメロディを聞きながら顔を洗い、自分と目が合った。そろそろ髪を切らなければいけないだろうか。随分と伸びた髪がそろそろ鬱陶しい。目よりも下のくせして、後ろ髪がやたら伸びてきて首元が暑くて仕方ない。

 小さく息を吐いてから眼鏡をかけて、母さんが乱雑に置いたであろうヘアゴムで後ろ髪を縛った。


 さっさと水場から出て、ボクはそれまでスマホをいじくりまわして待つことに決め込んだ。ダイニングテーブルに座って、Twitterを開くとキルハイとピエロの対バン告知のツイートが目に飛び込んだ。

 張り付けられた画像には、見知ったメンバー五人のアーティスト写真……ではなく、えらくシャレたピエロのロゴマークだった。対してキルハイはやたらと決め込んだ五人の写真で、メジャーデビューした彼らとピエロでは少しばかり風格が違うような気もする。


 ファンの歴も随分長くなったからこそ、キルハイがどこか遠くに行ってしまったように感じた。ライブなんて一度も行ったことないくせに。

 タイムラインを流し見していると、ピエロの面々からLINEが送られてきた通知が上部に表示された。開いてみると数枚の写真で、雨に濡れた葵と凛が笑顔で友紀や陽太と映っていた。


『いいのが出来たよ~』


 陽太の気さくなLINEに、ボクはどう返事を返していいかわからず、それでも何か返信しようと模索し、結局いつも使うキャラクターのスタンプを一つ送って画面を閉じた。


「さ、そろそろ行くよ! もう出れる?」


「あぁ」


 ばっちりと化粧の施された顔と、GパンにTシャツスタイルというラフな格好に身を包んだ母さんは、気合十分と言わんばかりに仁王立ちを決め込んでいた。

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