第5話 試合の決定と準備期間。
(一)
「来週の試合に出てほしい」
と言われた時の久雅堂は、「え」とリアルに声を漏らした。
◆ ◆ ◆
久雅堂は、鵜堂明生という人物をよく知らない。
一応は地方名士であるし、近在の格闘技、武道の団体に支援をしてくれていたりという話は聞いていたので、名前は知っていた。だが、その程度である。
初めて話を聞いた時は「奇特な人だなあ」と思ったものであるが、それ以上のことは思わなかったし、自分が積極的に関わろうという気持ちにもならなかった。
ここらは久雅堂に上昇志向というものが特になかったというだけの話であるし、経済的な支援をしてもらえるというのは魅力的であるけど、そういう支援はそれなの成果をあげねばならず、久雅堂がもしも鵜堂の支援を受けようとすれば、自分のトレーニングルームでもある『久雅堂』を一般開放して道場生を募るなどしなければならず、そういうことをしたいという気持ちも久雅堂はなかった。
一応は地元の古流柔術の伝承者である、という立場でもあるから、そのうちに門下生を育てるか程度のことは考えてはいたが、それも具体的なプランがあったわけでもない。
そもそも古流の継承というのが格闘技、武道の団体の功績として数え上げてくれるのか――ということからして、久雅堂は疑問があった。
久雅堂は古武道に浪漫を抱いている方であるし、実際にG先生のような達人ともいえる人物を知ってはいるのだが、だからって、自分の継承している流派に格闘技的な価値があるとはあんまり思ってもいない。
G先生だって、MMAの一流選手と格闘競技の試合で勝てるとも思ってもいなかった。
あるいはひょっとしたら、万が一にも同体重かそれ以下の選手相手への初見殺しはできるかもだが、それができたところですぐに攻略されてしまうのではないかなどと思っている。
そのあたりは現実的である。
久雅堂は古武道の達人に浪漫は懐いてはいても、達人技に夢を見ていなかった。
現状、久雅堂が古武道をやっているのは文化的な意味と、あとY先生に弟子として託されたという感傷があるからでしかない。
あとそれと、A先生の道場が鵜堂の支援を受けているというのも、一応聞いていた。
そうすると自分の立場はどういうことになるのか。
久雅堂は流派的には独立しているようなものであるが、一応A先生の門下にいるという立場であるし、日拳もなんだかんだと習っているわけで……その自分が支援を受けるというのは、同団体による、支援の二重取りのようなことになるのではないか、という懸念を抱いたりもしていた。
このことは鵜堂に問い合わせれば済むことであるが、久雅堂はすでに述べたが別に積極的に関わり合いになりたいと思っているわけでもなかったし、その気もないのに問い合わせるものでもなく、そういうぼんやりした色々が積み重なり、ますます久雅堂は鵜堂と関わり合いになろうという気持ちをなくしていった。
とはいえ。
積極的に理由があって嫌っているというわけでもなく、そもそも関わるつもりもないのだから好きも嫌いもなく。
そんな感じの、なんとなくの敬遠というようなものなわけであるから、「会ってみたいと言われた」というようなことを師の一人として拝しているA先生を介して伝えられ、特に用事もなかったのだから、これで会わないという選択肢はなかった。
やはりあまり気が進むものではなかったので、直前までなんとも憂鬱ではあった。
A先生の前で溜め息を吐かなかったのは、意識していたからである。
それで県庁所在地近くにある駅の、すぐ近所にあるという鵜堂のビルにきたわけであるが――
鵜堂ビルは、五階建ての雑居ビルだった。
既に述べたが、鵜堂明生という人物は地元の建設会社の三代目で、投機で多くの利益を得ている資産家である。
だからといって、株だけ、家業だけというわけでもない。
市内にそれなりの数の不動産を所有し、本格的にではないが小売店も経営していたりもする。
このビルも彼が所有する不動産の一つで、五階は彼の不動産事業の管理をしている事務所があった。
鵜堂は市内にもう二つほど事務所を構え、それぞれ別の業務を任せていたりするのだが、そのあたりの詳細はここで語ってもあまり意味はないのでここまでにする。
ただこのビルのこの事務所の応接スペースは、他のところのそれよりも幾分か金がかけられていていた。
比較的に業務が少ないので、事務所の空きスペースが広くとれ、それで金をかけたということと、不動産事業はやはり大きめの金が動くので、応接にもそれなりの予算をかけている。
本来なら、久雅堂のようなさして儲かりもしていない古書店経営している人間を入れるような場所ではなかった。
(本当になんなんだろう……)
そんなわけで、A先生と共に通された応接間で、久雅堂はガチガチに緊張していた。
久雅堂は、基本的にあんまり空気が読めない。
読めないのだが、さすがに自分が場違いであるということくらいは解る。この部屋の調度品などが豪華であることも、なんとなくだが伝わる。
隣に座るA先生の方を見ると、こちらも久雅堂ほどではないが緊張しているようではあった。
年齢的には鵜堂よりA先生の方が二十ほど年上のはずであったが、スポンサーであり、社会的に自分より地位が高い人物に会うというのはそれなりにプレッシャーになるものなのだろう。
そんなA先生を見ると、久雅堂はますます緊張することになるのだった。
(しかしなんの用事なんだろう?)
会って話がしたいという事情を、久雅堂は知らない。A先生もよくは聞いてないようだった。
ただ「悪い話ではない」とのことである。
久雅堂はそう聞かされても、余計に腹の中が重くなるだけであったが。
自分の如き者に、資産家で県内の武道家のスポンサーのような人物がいうところの「悪い話ではない」というのはなんなのだろうか。
理由が解らないだけに、久雅堂は悪い想像ばかり募らせてしまっていた。
(何かしたかなあ)
いい話だとしたら、自分が支援対象になったということなのだろうけど、その理由がよく解らない。
久雅堂は先にも述べたが、古武道でそのような支援を受けられるとは思っていなかった。あと、彼が知る限りでは、G先生のような達人も支援を受けていない。もっともこれは、G先生が所属する合気柔術団体がほどほどに大きいということも、何か関係している可能性はあるかもしれない。何か経理的に面倒くさいことになってそうだし。
このあたりのことは、久雅堂の推測でしかないが。
それにしてもやはり、心当たりというものがない。
ふっと、脳裏につい先日のPとのガチスパーのことが浮かび上がった。
そういえば彼らは、この町の何かの格闘技の試合に出るとかなんかそういう話をしていたなあと思い出す。
スパーの後での、軽い世間話である。
あんまりいい印象もなく始めたスパーで、終わり方もとてもきれいではなかったが、それでもお互いになんか変な盛り上がり方で、別にしないでもいいところにまでガチでやりあってしまったということについて後ろめたいところがあった。
それでどうにかこうにか手打ちということになり、お詫びにということでPたちに近所の安い焼肉屋で飯を奢ってもらったのである。
二時間程度の焼肉バイキングであったが、ほどほどにPたちと話をした。
Pたちがこの町に来たのが、なんとかいう地下格闘の興行に出るためだということもそのときに聞いた。
『それなのに、うちにきたわけ?』
『いやー、本当、すんませんっす』
特に咎めるわけでもなく、そういうやりとりはした。
久雅堂はどういう相手と試合するのかなど、少し気にはなったが、別にどうでもいいかと思って聞かなかったし、Pも聞かれなかったということもあって黙っていた。
(もしかして、それと何か関係がある?)
その程度までは、思った。
それ以上のことは、さっぱり思いつかなかった。
久雅堂はあまり頭がいい方ではない。
オタク的に知識を蓄えているが、それを特に何かに活かせているわけでもないし、状況を整理することもできない。ただ漠然とした不安の中、自分の身に起きている事態について妄想を滾らせているだけである。出されたコーヒーもクッキーも上等なものであったはずだが、ただ「苦い」と「甘い」しか解らない有様であった。
そうして、鵜堂明生が入ってきた。
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