(ニ)

 ユーチューバーというのは、雑に言うと自分の出てくる色々な動画をユーチューブにupしていく人たちであるが、その中にもジャンルというものがあり、最近は格闘家の異種武道とのコラボなんかがちょっとしたジャンルになっている――というのは、さすがに久雅堂も知っていた。

 空手と合気道、MMAと中国拳法、柔道とレスリング、ボクシングと空手……異種の武道、格闘技の選手が絡んで色々とする、というのは昔からあったが、近年はそれなりの実績があるプロ選手同士での公開技術交換や対決が、ほどほどに話題になったりしてたいた。

 その幾つかは久雅堂も見ていて、勉強になるなあなどと思っていたのであるが。

 自分が関わることになるとは、夢にも思っていなかった。


「古武術ここで教えているって聞いたんですけどー」


 やけに馴れ馴れしく、そいつらは言ってきた。


 見た目に「何かしているかな」とは思ったのであるが、店に入るなりレジで座って『武芸流派大事典』を読んでいる久雅堂の前にまでやってきた。


 ……この男とその連れ二人を合わせた三人組については、この時点から三ヶ月前にユーチューバーデビューした格闘家で、名前を出すとやはり色々と差し障りがでるかもしれないので、仮にPとしておく。

 Pは元々別の県に在住するMMAをやっている大学生で、アマチュアの大会で主に活動していた。

 この頃のPは古武術や合気道とコラボしている格闘家のネット配信を見て、「インチキ武道を暴き出す」というシリーズを思いつき、始めたところだった。

 話題の格闘家たちは、なんだかんだと丁寧な言葉遣いで疑問点があっても相手方を晒し上げるようなことは基本しない……のであるが、Pの場合は「内容を差別化しないと」などと考えたそうである。元々、その手のインチキ(と思える)技でイキる武道家というのが嫌いだったというのもある。

 そういう実態を配信して晒すのなら、人気がでると考えたのだ。

 正確には、そういう配信はまだほとんどできてなく、仲間内で盛り上がって古流の講習会や合気道教室などに体験と称して乗り込んでは、それを隠し撮りしてモザイクをかけた指導員を小馬鹿にしたナレーションをつけては配信する……などということを何度かやっただけだった。

 後にPはこの頃の動画が「こういうのどうかと思う」とTwitterで著名人に晒されて炎上するのではあるが、『久雅堂』を訪れた時は幾つか投稿したそれらが、しかし当人がさほど知名度がある人間でもなく、ほとんど界隈でも話題になってもおらず、ここらで一丁、話題性がでる派手な配信をぶちあげてやろう、と企画していたのだ。

 それでこの町に訪れたのであるが、実際のところ、久雅堂は本命ではない。別の目的があったわけなのだが、それについてはまた後に語る。

 ただ、少し予定より早くこの県にやってきたPは、この近辺の武道、格闘技の道場などについて検索した。伝統武道のおちょくり動画を作るためであった。本命の要件がだめになった場合を考えてのことである。

 それで『久雅堂』を見つけたのだ。

 最初に県内の武術事情を検索すると、久雅堂の伝承する柔術流派を見つけ、それをさらに調べていくと、久雅堂の三年前の流派についてのやりとりが出てきた。


「実質ただの柔道か」


 と、Pたちは思った。

 柔道が強いの弱いのということは、彼らは考えなかった。ただ、彼らは久雅堂の経歴をアカウントから調べた。

『古書店経営。学校を卒業してから柔道を再開しています。古流柔術○○流免許皆伝』

 とプロフィールに書いてあり、これはちょうどいい相手だと思った。

 ちょうどいい、というのは、つまりカモとしてである。

 Pたちの認識からしたら、古流柔術の免許皆伝というのが強いというのがありえない。どうせ形だけ、決まりきった手順の稽古を繰り返しているだけである。

 実質柔道であるというのならば、なおさらに恐れるに足らない。柔道で強ければ柔道だけをしているだろう。半端者だから古流柔術などに手を出すのだ。仮に柔道が強いとしても、寝技投げ技に対する防御は知っているし、その上に自分は打撃が得意である。ミックスマッチの経験がない柔道家……オリンピック強化選手に選ばれるような一流のガチならともかく、地方で古本屋しながら古流とかやってる柔道家なんて、どうせ大したことはない。

 とにかくいつものように乗り込んで、挑発してあわよくばスパーなどして恥をかかよう、とほとんどその場のノリで決めた。

 あとついでに、今回はライブ配信なんかやっちまおうと誰かが言った。

 誰かというのはPたち三人のグループで、誰がそんなことを提案したのか覚えていないということである。

 酒が入っていた。

 民宿で酒飲みながらノーパソとスマホであれこれ検索しつつ、彼らはそんな調子で方針を決めて、翌日に軽くスパーなどしてから風呂で汗を流し――『久雅堂』へとやってきたのだった。


 結局、久雅堂はなんやかやとあってPとスパー形式に柔術の指導をすることになった。

 そのあたりのやりとりは、聞く者によっては不快感がある程度にはPの態度と言葉は挑発的だったし、久雅堂もあまり覚えていない。いつまでも相手するのが面倒になったので、ちょっとだけ相手して帰ってもらおう、というほどのことだったと記憶している。幾分かはこの手の道場破りまがいを相手にしたということ、それ自体を話の種にできるかなという程度のことは考えてはいたが。

 いずれこのあたりのことはあえて書かないことにする。滅多なことで他人に腹を立てない久雅堂が嫌な気分になるというくらいなのであるから、読者諸兄が不快になるだろうことは予想できることであるし、あまりそこらに尺をとりたくもない。

 とりあえず店のバックヤードにある道場に案内してから、久雅堂は切り出す。

 

「防具とかグローブとか用意しようか?」

「あー、結構っすよ。自前ので」


 そう言ってPは総合用の拳サポなどを出してみせた。シャツとハーフパンツ、あとファウルカップもすでにしてきたという。随分と用意がいいことだと軽くラジオ体操っぽい動的ストレッチで体をほぐしながら、久雅堂は思う。とりあえず相手が拳サポとファウルカップつけるのなら、じゃあ自分もと久雅堂は特に考えなくそうすることに決めて、武道具入れの倉庫で手早く着替える。

 

 その後で改めてルールの確認なとを済ませて、五分ほどのガチスパーということになった。


(まあ、MMAとガチにやってる人とは、一度スパーやりたいと思ってたし)

 

 到底かなわないだろうけども、それはそれで経験になるだろうとか、殊勝なことも考えてはいた。

 この時の久雅堂は微妙に腰が座ってなかった。というか、なんだか矛盾した感情の中にあった。苛ついてもいるし、面倒がってもいるが、好奇心が抑えきれなくもなっていたし、よく知らん道場破りまがいのひとには警戒を怠るべきではないと考えつつも、だけど自分のようなマイナー極まりない人間のところにやってくる道場破りなんてのもいないだろうと、正常性バイアスとしか思えないようなことも考えていた。


 そうして道場の中心で二人が拳を合わせて離れてから、Pが突然に飛んだ。


(スーパーマンパンチだ)

 

 そう久雅堂が判断したのは、それをさらりと飛んで間合いをとってからで、その時はほとんど思考できてはいなかった。


「やりますねえ」


 少し感心したような、小馬鹿にしたような態度で言うP。

 後日にPが語るところによれば、この時点では本気で当てるつもりはなかったし、このパンチも拳を延ばしきれば僅かに触る、というところに着地して、久雅堂がさして反応ができなかったり、あるいは逆に大袈裟に反応してびっくりなどしていたら笑うつもりだったという。

 もっとも、遊びだろうとうっかり相手のカウンターが入る可能性は捨てきれず、そうなったらさすがに恥をかくのは自分だったわけであるから、Pは念の為に顔をガードしつつも久雅堂にも自分にもさしてダメージにならないように計算づくで動いていたのだった。

 この時点では、Pはクレバーだったといえる。

 勿論、久雅堂もこちらに向かって全力で前進して、お互い衝突事故みたいになるなんてことも有りえたわけであるが、Pは空間把握能力と反射神経には自信があった。相手が向かってくるのなら、その時はその時でどうにでも対処できると、そのように考えていたわけである。


 Pにとって誤算だったのは、二つ。いや、三つ。


 久雅堂が驚いてはいても咄嗟に、取り乱した様子もなく格闘家っぽく綺麗に反応したこと、そして久雅堂はこの時点で、Pを完全に道場破りと見做したということである。

 これで二つ。

 あと一つは。


(そういうつもりなんだ) 


 久雅堂は両手を胸の前に構え、少し床をとんとんと跳ねた。


「?」


 Pが少し不思議そうな顔をした、瞬間。

 久雅堂は右のジャブを放っていた。二発。そこからさらに左、右。

 それらはPに当たらなかったが、咄嗟のことにかろうじて程度の反応しかできず、すぐに下がった久雅堂を呆然と見てしまった。


 最後の誤算は、久雅堂が彼の想像を幾分か超えた打撃技を持っていたことである。


 実際のところ、Pは久雅堂の道場に入った時から「柔道だけではない」くらいのことは解っていた。打撃ありのライトスパーというのを久雅堂が承知したというのがまずあるが、道場には割と使い込んでいる感じのウォーターバックなんか吊るしていたし、久雅堂が防具とかグローブは使うかと言った時には、打撃もそれなりの練習をしているのだということは察せていた。

 だからスパーが始まった時には、何かしらの打撃技を使う予測はしていたのだ。Pは考えが浅い男であるが、まったくのバカではなかった。ただその時は「まあ掴んでから崩すための当身ってやつかな」くらいのものではあった。久雅堂の柔術垢にある情報を彼は鵜呑みにしていた。

 ……後出しのようで読者諸兄の皆様には申し訳ないが、久雅堂はTwitter垢を複数持っていて、実はボクシングや剣道などの柔術・柔道以外のことはそちらでツイートしていたのだった。

 分けていたのにはさしたる意味はない。特に隠しているわけでもない。古流柔術の師範であるというイメージをこの垢では大切にしよう、くらいの軽い意識でやっていることである。別に柔術やりながら空手やボクシングの話をしてもよいだろうと思う方もおられるかもしれないし、久雅堂も時折に面倒になることもあるのだが、なんだかよく解らない自分ルールが彼にはあって、この場合はそれがPたちの行動をとらせた一因となっているわけであるが。

 彼らだって、柔術と柔道だけの古書店というならともかく、日拳、空手、ボクシング、剣道もやっているという人間ともなれば多少は警戒度もあげようというものであろう。

 実際、この後で彼らは久雅堂の別垢を見る機会があったのであるが、「知っていたらなあ……」とやけに苦い顔をしていたものだった。


 その時に見たツイートの中では、久雅堂がミドル級の6回戦ボクサー相手にマススパーをしている動画が載っていた。


 久雅堂はボクシングの公式の試合に出たことはない。ライセンスも持ってないのであるから当然ではあるが、ジム内でのスパーをする程度しかボクシングの試合経験と呼べることがない。

 それは久雅堂の体重や年齢が、試合をガチにやり込むには遅かったり重すぎたりしたせいであるが、ジム内部では「もしも試合にでることがあれば、それなりに勝てたんじゃないかな」と言われる程度には評価されていた。

 この「それなり」というのが曲者であるが、久雅堂は普段、ジムでどういうトレーニングを積んでいるのか?

 たいしたことをしているわけではない。基本的な動作の反復練習と、たまにマススパーをするくらいである。ただ、久雅堂を見てくれているコーチは、元アマチュアボクシングでそこそこいいところまで行けた選手でテクニシャンでもあり、ボクシングエンジョイ勢にも理解がある人間であった。


『試合に出ないなら、色々とやってみればいいよ』


 くらいの感じで、久雅堂が「こういうのをやってみたい」というのに、お気軽に付き合ってくれていた。

 その一つとして、左右どっちでも本格的なジャブを打てるようになりたい、というのがあった。

 久雅堂は不器用なくせに左利きで、最初は左前にジャブ、右ストレートと稽古していたが、試しに右ジャブから左ストレートなどやってみても、ほどほどにさまになっていた。


『どうせ試合にでないですから、どっちでも色々とやってみたいです』

『まあやってみて』


 こんな感じの気軽さである。

 コーチはコーチで、変則ボクサーでヘヴィー級のパンチというのも経験しといていいか……くらいの感じでミット打ちなどにも付き合ってくれたのであるが、結果、久雅堂は左右どちらからでもジャブとストレートを打てるようになった。フックとアッパーは左だけである。他にもなんだかよく解らない変なコンビネーションを覚えたりしていたものだが。

 とは言っても。


『リズムが単調だから、試合やってもそう何回も勝てないと思うけど』

 

 とは、コーチの言である。

 久雅堂は打撃のリズムが一定に偏っているので、振み込んでくるタイミングさえ見誤らなければ、慣れればどういうふうにでも対処できるのだ。

 しかも性格的にアウトボクシング志向のくせに、打ち合いを始めるとすぐ足が止まる。あらかじめ「こうする」と決めていた場合はともかく、それ以外だと相手と打撃に真正面から付き合ってしまう傾向もあり、なんだか色々な意味で噛み合ってない。


『リズム自体が他の格闘技の経験のせいかな? なんだかボクサーとしては異質だけど、そういうの何度も通じる世界じゃないからさあ』


 歯に衣着せずに、コーチはそんな評価を久雅堂にしたものである。


 実のところ、この『リズムが異質だけど単調』というのは、久雅堂がやった他の格闘技でもだいたい同様の評価がされていて、剣道でも空手でも日拳でも、久雅堂とスパー、あるいは試合を初めてした人間は、最初のうちはなんだかやりにくいと戸惑ってしまうことが多い。

 これは複数の格闘技経験のせいなのか、久雅堂という人間の固有のリズムのようなものが他の人間と異なっているためなのは、よく解らない。

 今どきは複数の格闘技経験のある人間など珍しくもなく、それらが特定の格闘技の経験しかない人間を戸惑わせるということはままあることである。

 とはいえ、久雅堂のようにどの格闘技をやってもそのように思われるのは、どれほどいるのだろうか。


 少し余談がすぎた。


 他格闘技の人間との稽古が多い総合のPの場合は、異質なリズムの対戦相手との戦いは普通であり、久雅堂のそれに戸惑ったりしたということはない。

 ただ、その時は本当に意表をつかれたのだ。

 Pが後に久雅堂のボクシングの練習動画を見た後に語るには、ボクシングはそんなに知っているわけではないが、この動画のものはなかなか精度が高い動きであり、威力も乗っているように見える。こういう技を持っていると知っていたらのなら、そうさせないように蹴り技などを交えた間合いで戦ったのに……というようなことを、あまり品のよくない、いったり来たりな、有り体に言えば下手くそに説明したものである。

 だが重ねていうが、その時のPは、久雅堂は「打撃技の稽古もしている柔道家」程度の認識しかしておらず、仮にも総合の人間相手にスパーに応じる程度の自信はあるのだろうが、たいした打撃技などもっていないだろうと思っていたわけで。

 よもや本格的なボクシングがくるとは想像の埒外なのだった。

 そもそも蹴り技もあるスパーで、こんな風に接近してボクシングのジャブというのも想定していなかった。

 Pはこの時の久雅堂が蹴り技に完璧な対処ができる自信があったのかな、というようなことを後に推論していたが、それについては久雅堂の力を高く見積もり過ぎで、久雅堂の方は久雅堂の方で、自分が打撃を使うということについてPは予測していないだろうし、それならなんとかなるか……程度の、実に雑な判断をしていたのだ。

 久雅堂はそんなに頭の回転が速い方ではないのだが、その時のPに解ろうはずもない。

 この時のPは、久雅堂は割に合わない相手かなと思い始めていた。

 それはつまり、小馬鹿にしていいような実力ではないと判断したということであるが、ここで引くというのもできない。

 なにせ今のこの状況は、久雅堂に無許可で生放送でネットで流していたからである。

 賢明な読者諸兄は、そういうのを無許可でして問題にならないとか思うバカなのかこいつらは、リアリティないなどと思われるかもしれないが、このあたりは久雅堂に矢継ぎ早に数人で質問しながら、久雅堂には聞こえるか聞こえないかの位置からの声で、マイクには聞こえるように……な具合に、他の許可と紛らわしく聞こえるように質問して、さも許可を得たように言質をとっていたのである。ちなみにトイレ借りていいですかというのに久雅堂は返事していた。

 もっとも、この時のような小智慧を働かせたのは今回が初めてで、以前は護身術講習会などにもぐりこんで隠し撮りしてたのだった。

 そういうのはさすがに編集でモザイクなどかけていたのであるが、今回は生配信なので、念の為に頭を使ってみたというところなわけである。

 つまりは、今の久雅堂を脅すためのPのできそこないのスーパーマンパンチも、久雅堂の意外性たっぷりなジャブに何も返せずに飛び退いた自分も、配信されているということである。

 一体、どれだけの人間が視ているのかはPには不明であるが。


(引けない)


 Pは自分自身を追い詰めていた。

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